サトシくんはモテすぎる!
サトシ(17歳)は、なぜか現代の日本の高校に転生してしまった――しかも恋愛の仕組みがまったくわからない。ポケモンの世界では、戦いとパートナーだけに夢中だった彼だが、今ではただひたむきに自分らしくいるだけで、周りの心を次々とときめかせてしまう。
最初に落ちたのは、クラス委員長でサトシのトラブルを片付けるのに忙しく、顔を真っ赤にしてしまう霧島カスミ(17歳)。次に、明るく元気な転校生の木の実ヒカリ(17歳)が、出会ってわずか5秒で「この子は私の新しいミッションだ」と決める。そして、隣の席のクールな優等生、篠崎コジロウ(17歳)までもが、密かに感情を抱き始め、その自分に自己嫌悪を感じてしまう。
一方サトシは、ポケモンセンターがないことや、ピカチュウがいればドッジボールがもっと楽になるのにと嘆くばかり。彼にとって三人はただの友達。あくまで友達。幸せで致命的なほど鈍感なのだ。
文化祭がその舞台となる。サトシは四人全員を同じ模擬店に元気よく志願し、舞台裏では全面戦争が勃発。ついにカスミがキレて大声で告白し、ヒカリも続き、赤面するコジロウも声を上げる。三人を見つめたサトシは「でもみんな友達だよ
サトシくんはモテすぎる! - いつもの二人って誰が決めたの——体育祭リレー、ゴールで手をつかむな!
バーグテリアのボックス席は、放課後になると学生で賑わう。
アーケード商店街の中央あたり——ミナトハラ駅から南へ伸びる商店街の、ちょうど真ん中に位置するハンバーガーショップだ。2階のボックス席まで来ると、少しだけ喧騒が遠くなる。
カスミはプリントの束をトレイの端に置いた。
体育祭は明日だった。クラスの準備でバタバタしていたが、サトシだけはテスト対策プリントを一枚も見ていない——それが委員長として気になって、こうして呼び出した。それだけだ。それ以外の理由は、一切ない。
「来た」
サトシが2階の階段を上がってくる。黒いクセ毛が少し乱れていて、制服のシャツの第一ボタンがまた開いている。カスミは見るたびにそれが気になる。
「[excited]カスミ! バーグテリアって2階があったんだ! 知らなかった!」
「[sarcastic]もう五回来てるでしょ。よく知らないままでいられるわね」
「[excited]え、五回?」
そのとき、階段を上がりきったところで店長のガンちゃんが顔を出した。45歳、角刈りで笑顔の大きい男で、サトシたちを見るなり「あ!」と声を上げた。
「[excited]いつもの二人! 今日もチーズバーガーセット二つ?」
カスミの動きが、ぴたりと止まった。
「[angry]い、いつもって——何回来たと思ってるの!」
「え、もう五回だよ? 火曜と木曜と、先週の——」
指を折り始めるガンちゃんの手を、カスミは「もういい!」と遮った。顔に熱がのぼっていた。耳まで。
「[serious]チーズバーガーセット、二つで」
「あいよ!」
ガンちゃんが軽やかに去っていく。カスミは正面を見た。サトシがにこにこしている。
「[excited]ガンちゃん、ぼくたちのこと覚えてくれてる! 仲間みたいだな!」
「仲間じゃない」
「え、なんで? 名前まで覚えてくれてる店長って、すごくない? ポケモンセンターの受付より気が利く」
カスミはプリントをサトシの前に押しつけた。話を変えなければならない。今すぐに。
「[serious]それより。体育祭が終わったら中間テストよ。あなた、この二週間で一枚もプリント見てないでしょ」
「見てた」
「どこを?」
「……表紙」
「[angry]表紙だけ!?」
サトシがメニュー表に手を伸ばした。ちらりと見て、「あ」と言う。
「[excited]このポテトフライ、ダグトリオっぽい」
カスミはメニュー表をひったくった。
「[angry]プリントを見なさい! プリントを!」
テーブルをバン、と叩いた。隣の席の高校生カップルがびくっとした。カスミは小声で「すみません」と言ってから、サトシを睨んだ。
サトシはプリントを手に取って、ちゃんと見た。二秒くらい。
「[gentle]……数学、むずかしいな」
「そこから」
結局、ポテトフライが来るまでの時間、カスミは数学の一番最初の問題を一緒に解いた。サトシは「なんでここにxが出てくるの」と三回聞いた。カスミは三回説明した。四回目に聞きそうになったところでポテトフライが来て、サトシがそっちに気を取られた。
店を出る時、ガンちゃんが厨房から顔を出して手を振った。
「[gentle]また来てね、二人とも!」
「[angry]二人とも、じゃないって言ってるでしょ!」
足早に歩き出した。サトシがすぐ後ろについてくる。商店街のアーケードの下、夕方のオレンジ色の光が入ってくる時間だった。
(二人とも。二人とも、か)
カスミは前だけ見て歩いた。なんでこんなに、その言葉が引っかかるんだろう。わからなかった。本当に、わからなかった。
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翌日、体育祭が始まった。
秋晴れ、雲ひとつない青空。グラウンドに白線が引かれていて、各クラスのテントが並んでいる。2年3組のテントの前で、クラスの男子たちがサトシを囲んでいた。
「サトシしかいない! アンカー、お前やれ!」
「[excited]リレー? バトンを渡して走るやつ?」
「そう! 頼む!」
「[excited]やる! ポケモンレースと似てるかも!」
カスミはテントの端で腕を組んだ。
ポケモンレースって何なの、と思いながらも、サトシが選ばれたことに——なぜか、胸がちょっと弾んだ。気のせいだ。
代表リレーは午後一番の種目だった。
第3走者がバトンをサトシに渡した時点で、2年3組は3位だった。
バトンを受け取ったサトシが、一歩踏み出した。
次の瞬間、スタンドから声が上がった。
「え——速っ!?」
加速が普通じゃなかった。一歩目から、もう違う。ポケモンバトルで培った反応速度と爆発力が、そのまま脚に乗っている。2位との差が縮まり、追い抜き、1位との差が縮まっていく。
「[laughing]楽しい!! ポケモンレースみたいで楽しい!!」
グラウンド中に響く声で叫んだ。走りながら。
2年3組のテントが爆発した。
「はやすぎる!?」「何あれ!?」「サトシ! 行けーっ!!」
カスミはテントの縁を両手で掴んでいた。
(行け)
心の中だけで呟いた。声に出したら恥ずかしい。でも目が離せなかった。サトシの走る姿から。あの黒いクセ毛が風になびいて、制服の白いシャツが青空に映えて、まっすぐ前だけを見ている横顔が——
ゴールテープが切れた。
歓声が上がる。2年3組が沸いた。
カスミは気づいたらトラックに向かって歩き出していた。足が勝手に動いていた。膝がゼーゼーしているサトシのところまで来て——
「[excited]やったじゃない!」
言いながら、サトシの手を両手でつかんでいた。
二人が、同時に止まった。
サトシの手が、温かかった。走ってきたから、すごく温かかった。
カスミの顔が、一瞬で熱くなった。耳の奥まで。
「[cold]べっ、別に嬉しくなんかないんだからね!!」
手を振り払って、背を向けた。速足でテントに戻った。
後ろでサトシの「……なんで怒ったんだ?」という困惑した声が聞こえた。
カスミはテントに戻って、誰かに話しかけられているふりをした。でも。
こっそり、右手を胸の前で握った。
まだ、温かかった。
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夕方、クラスの打ち上げの声はかかったが、サトシは「少し歩きたい」と断った。
ミナトハラ商店街を一人で歩く。さっきの興奮がまだ体に残っていたが、足はゆっくり動いていた。アーケードに夕日が差し込んで、石畳がオレンジに染まっている。
商店街の南端の方まで来ると、ちょっと変わった店の前で足が止まった。
古書店「ツキヨミ堂」——看板に墨で書いてある。店先の台に、本が積み重なっている。その中の一冊の表紙を見て、サトシは「あ」と言った。
ヘビの写真だった。大きく引き伸ばされた、緑色のヘビ。
(アーボに、似てる)
手が伸びていた。気づいたら店の中に入っていた。
ツキヨミ堂の中は薄暗くて、本の匂いがした。古い紙と、木の棚と、埃が混ざった独特の匂い。棚が天井まで伸びていて、通路が狭い。奥に小さな明かりが灯っていた。
サトシは棚の間に座り込んで、表紙の本——「世界の生物大図鑑」——をひらいた。
ヘビのページ。次のページ、ヤモリ。次、カエル。次、甲虫。サトシはページをめくるたびに、一匹一匹を確認した。似ている。似ているけど、違う。ここの生き物には、それぞれの「型」みたいなものがない。でも、どれも本物だ。ちゃんとそこに生きている。
「……あんた、閉店まで座り込む気かい」
静かな声がした。
見上げると、白髪の老人がいた。月詠源蔵——78歳、白いひげ、皺の深い顔。でも目だけは鋭かった。店主だろう。
「[surprised]あ、すみません! つい——」
「いい」
老人はそれだけ言って、カウンターの椅子に腰を下ろした。怒っていない。追い出す気もなさそうだった。
サトシはまた図鑑に目を戻した。カブトムシのページ。カブトに似ている。でも、カブトみたいに話せない。ただの虫だ。でも、ちゃんと生きている虫だ。
「[serious]ここの生き物、どれもポケモンに似てる。でも少し違う」
独り言のつもりだったが、老人は聞いていた。
「ポケモン、か。知らんが」
「[serious]……ぼくの世界にいた生き物です。どの子も個性があって、一緒に旅した」
老人が静かに言った。
「あんた、生き物が本当に好きなんだな」
サトシは手を止めた。
「[gentle]……ここに来てから、ずっと寂しかった。みんな、いないから」
はじめて口に出した言葉だった。誰かに話したのも、はじめてだった。
老人は何も驚かなかった。「そうか」とだけ言って、奥に引っ込んで、しばらくしてお茶を一杯持ってきた。湯気が細く立っている。
「飲め」
サトシは受け取った。あたたかかった。
二人でしばらく、黙っていた。老人は本の整理をしながら、サトシは図鑑を見ながら。それだけだった。でも、変な間じゃなかった。
サトシは図鑑を閉じて、老人に向いた。
「[gentle]この本、いくらですか」
「百円でいい」
「[surprised]え、いいんですか?」
「あんたが読む方が、棚で眠ってるよりいい」
サトシはポケットから百円を出した。老人は受け取った。それだけだった。
帰り道、サトシは図鑑を両手で胸に抱えた。商店街のアーケードを出ると、空が暗くなり始めていた。星が一つ、出た。
寂しかった。でも、今日はちょっとだけ軽かった。声に出したから、かもしれない。
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翌朝、カスミは朝練でプールから上がった。
25メートルのプールを何本も泳いだ後の体は、毎回ちゃんと疲れる。タオルで髪を拭きながら、更衣室を出ようとすると、水泳部の後輩ふたりが待ち構えていた。
「先輩、ちょっといいですか」
「なに」
「最近、あの転入生と仲良すぎません? バーグテリアとか、体育祭とか」
にやにやしていた。カスミは視線を逸らさなかった。
「[serious]委員長として面倒を見てるだけよ。バディ制度の義務」
「でも先輩、バディ期間もう終わってますよね?」
カスミは口を開きかけて、閉じた。
終わっていた。確かに。転入から一週間が、昨日で終わっていた。
「そ、それは……義務感のなごり的な」
「あと昨日——手、つないでましたよね? グラウンドで」
「[angry]つないでない!! 一瞬触っただけ! 全然違う!!」
声が裏返った。後輩ふたりが吹き出した。笑いをこらえながら「そうですよね、そうですよね」と言っている。
カスミは「もう行くわ」と踵を返した。後ろから笑い声が追いかけてくる。
(委員長の仕事。それ以外の何でもない)
廊下を歩きながら、自分に言い聞かせた。
放課後、図書室の自習スペースに一人で座った。次の中間に向けたまとめノートを作る——それが今日の目的だ。
シャーペンを走らせながら、数学のページを作って、国語のページを作って——気づいたら、もう一冊ノートを手に取っていた。
そのノートに、「数学 基礎」と書いていた。
サトシ用のページだった。
手が止まった。
シャーペンが止まった。窓から夕日が差し込んでいる。図書室には誰もいない。司書の宮野先生が遠くでページをめくる音だけがした。
「[whispers]……べつに、委員長の仕事だから」
誰もいない部屋で、一人で呟いた。
でも顔が、熱かった。
ノートを閉じた。開いた。また閉じた。
結局、開いて——サトシ用のまとめを、一ページ書いた。丁寧に、わかりやすく。サトシが「なんでxが出てくるの」と聞かなくてすむように。
書き終わって、カスミはノートを眺めた。
どうして自分がここまでするのか、答えはまだ出なかった。でも手は止まらなかった。それだけが、今確かなことだった。
窓の外の夕日が、アキツ川の方向に沈んでいく。サトシは今頃、河川敷で棒きれでも振っているだろうか。
カスミはそっとノートを閉じて、カバンに入れた。