幼馴染と、あまくてぬるい檻の中で
高校卒業後、漠然とした夢を追いながらフリーターをしている真翔は、とある事情から幼馴染の灯里と同棲することになる。
驚くほど美しく成長した灯里との生活は、真翔の理性を容赦なく削っていく。部屋着姿で無防備にくつろぐ彼女、ちょっとしたことで赤くなる頬——正気を保つだけでも精一杯の毎日だ。
そんなある夜、酔った灯里が真翔の布団にもぐりこみ、こう囁く。「昔からずっと、好きだったんだよ」——触れ合う手、吐息が混ざるほど近づく顔。長年の友情は、激しく生々しい欲望へと溶けていった。汗ばむほどに絡み合う身体、彼の名を喘ぐ彼女の声と、肺を満たす灯里の匂い。
だが、これは甘い恋の始まりなんかじゃない。互いを焼き尽くす執着の幕開けだった。灯里は真翔のスマホをチェックし、仕事のシフトをすべて把握し、十分の遅刻にも百回の着信を残す。「ずっと一緒にいてくれるよね?」という甘い囁きには、「逃したら許さないから」という本気の脅迫が潜んでいる。
真翔が友人・静生に相談すると、涙目の灯里は「私のこと、誰かに話した?」と詰問。翌日には、朗らかな笑顔で静生との縁を完全に断ち切ってしまう。性的な支配は武器となり、彼女の身
幼馴染と、あまくてぬるい檻の中で - 君だけの檻——最後の声が届かない夜
スマホの画面が、ただひたすらに無機質だった。
送信したメッセージの下に、既読を示す小さな文字すら浮かんでこない。七月の湿った空気が、冷房の効いていないリビングに淀んでいる。肌に張り付くような熱気の中で、真翔はソファに座り込み、何度も同じ連絡先を開いては閉じていた。
静生。
あの日以来、一方的にブロックされてから二週間。灯里が「もう変な人に何も言えないね」と微笑んだあの夜から、時間はゆっくりと、しかし確実に真翔の周囲から「外」を削り取っていった。
倉庫のバイトに行けば、灯里は必ず裏口で待っている。帰れば、玄関で出迎える彼女の笑顔。シャワーを浴びて、飯を食って、ベッドで抱き合う。すべてがルーチン化された監視の優しさで、真翔はそのぬるま湯に浸かりきっていた。
「[gentle]マナト、何見てるの?」
背後から声がして、真翔は思わずスマホを伏せた。
振り返ると、灯里がキッチンの入り口に立っていた。手には包丁。まな板の上では、細かく刻まれたネギが散らばっている。深紅の髪を無造作に束ね、白いTシャツにジーンズというラフな格好だ。オッドアイの琥珀と銀が、伏せられたスマホをじっと見つめている。
「[serious]いや、なんでもない」
「[gentle]そう? ご飯できるまで、もうちょっとかかるから待っててね」
灯里はにっこり笑うと、キッチンへ戻っていった。
包丁のリズミカルな音が再び響き始める。真翔の胸の奥で、小さな針がチクリと刺さるような痛み。なんでもない、と言いながら、なんでもある。静生と話したい。誰かに、このモヤモヤを聞いてほしい。でも——。
「ねえ、マナト」
キッチンから、また声が飛んでくる。
「[gentle]今度の土曜日、空いてる?」
「ああ、バイトは休みだけど」
「[excited]よかった! ちょっと提案があるんだけど」
灯里は手を止め、振り返った。その顔は、どこか神妙で、それでいて決意に満ちているように見えた。
「[serious]ケイくんに、直接謝りたいの」
真翔は言葉を失った。
「[gentle]あの時は感情的になっちゃって……ちゃんと話さないまま、一方的に縁を切るような真似しちゃったでしょ。私が悪かったの。だから、謝りたい。マナトの大事な友達だもん」
琥珀と銀の瞳が、まっすぐに真翔を見つめる。嘘はない。そう、思いたかった。
「[surprised]本当に、いいのか?」
「[gentle]うん。それでね、もしよかったら、うちに招いて夕食でもどうかなって。手料理、振る舞うわ」
真翔の胸に、かすかな希望が灯った。
(灯里が歩み寄ろうとしてる)
(これで、また静生と話せる)
(全部、うまくいくかもしれない)
「[excited]わかった、連絡してみる!」
真翔はすぐにスマホを手に取った。ブロックを解除し、静生の連絡先を探す。震える指で、メッセージを打った。
『今度の土曜、うちで飯食わないか。灯里が、ちゃんと謝りたいって』
数分後、返信が来た。
『……わかった。行くよ』
真翔は安堵の息をついた。
「[gentle]よかった。ちゃんと来てくれるんだね」
いつの間にか、灯里が背後に立っていた。真翔の手からスマホをそっと取り上げ、メッセージのやり取りをじっくりと読む。その横顔は、満足げに微笑んでいた。
「[whispers]これで、ぜんぶ上手くいくといいね」
灯里はそう囁き、真翔の手を強く握った。指が食い込むほどに。
その笑顔が、どこかだけ冷たく見えたのは、気のせいだったのだろうか。
——土曜日の夕方。
真翔と灯里は、駅前のスーパー「マルトフーズ」に来ていた。
灯里は朝からずっと上機嫌で、買い物カートを押しながら鼻歌を歌っている。真翔の手を握る力も、いつもより強い。今日は一日中、ほとんど手を離さなかった。
「[excited]ケイくんって、何が好きなのかなあ。やっぱり男の子だから、肉料理の方がいいよね。ハンバーグにしようか、それとも生姜焼きにしようか」
「なんでもいいんじゃないか。静生は好き嫌いなさそうだし」
「[excited]ダメだよ、ちゃんと考えないと。せっかく来てくれるんだから。マナトの一番の友達なんだし」
灯里はカートを止め、真剣な顔で肉売り場を見つめる。その姿は、本当にただの健気な恋人のようだった。
「[gentle]マナト、ちょっとこれ持ってて」
灯里は真翔にカートを預けると、精肉コーナーへ歩いていった。店員に何か質問している。真翔はカートに寄りかかりながら、ぼんやりと天井を見上げた。
蛍光灯の白い光。
(これで、本当にうまくいくのかな)
(灯里は変わろうとしてる。俺も、ちゃんとしないと)
(静生に、心配かけたままだったし)
「[excited]マナト、決めたよ! ハンバーグ! あとポテトサラダと、デザートにフルーツも買おう」
灯里が笑顔で戻ってくる。
真翔は曖昧に笑い返した。
——
午後六時。
インターホンが鳴った。
「[excited]はーい!」
灯里は弾んだ声で玄関へ走っていく。エプロン姿のまま、ドアを開けた。
「[gentle]ケイくん、いらっしゃい。遠かったでしょ、暑かったよね」
玄関に立っていたのは、静生だった。
銀髪のショートヘア、鋭い翡翠色の瞳。少しだけ痩せたように見える。眉間の皺はいつも通りだが、その奥にある警戒の色を、真翔は見逃さなかった。
「[serious]……お邪魔します」
静生は無表情で靴を脱ぎ、部屋に上がった。
「[gentle]リビングこっち。今、最後の仕上げしてるから、ちょっと待っててね」
灯里はキッチンへ戻っていく。真翔と静生は、リビングのローテーブルに向かい合って座った。
沈黙。
「[serious]久しぶりだな」
「[serious]ああ」
「[serious]あの時は、ごめん。いきなり連絡取れなくなって」
静生は何も言わず、ただじっと真翔を見つめた。翡翠の目が、何かを探るように動く。
「[laughing]できたよー! お待たせ!」
灯里が大皿を抱えて現れた。湯気を立てるハンバーグ。丁寧に盛り付けられたポテトサラダと、カラフルなフルーツの盛り合わせ。テーブルいっぱいに並ぶ料理は、どれも美味しそうだった。
「[excited]ケイくん、遠慮しないで食べてね。マナトも、ほら、手洗ってきた?」
三人で食卓を囲む。
灯里は、完璧だった。
「[gentle]ケイくん、大学忙しいんでしょ? マナトから聞いてるよ。法律の勉強してるんだよね。すごいなあ」
「[serious]いや、別に」
「[excited]この前は本当にごめんね。私、感情的になっちゃって。マナトのことになると、つい心配で。でも、今日はちゃんと話せてよかった」
灯里は静生のグラスにビールを注ぎながら、自然に笑った。その笑顔に、嘘は一切見えない。
「[gentle]マナトはさ、人に流されやすいところあるから。私がちゃんと見てないとダメなんだよね。ね、マナト」
「……まあ、そうかもな」
真翔は曖昧に頷きながら、ハンバーグを口に運ぶ。肉汁がじゅわりと広がる。美味い。
静生は、黙々と箸を動かしていた。観察している。灯里の一挙手一投足を。しかし、彼女の振る舞いは完璧で、どこにも綻びはない。
(やっぱり、気のせいだったのかもしれない)
真翔の胸から、少しだけ力が抜けた。
食事は和やかに進んだ。会話のほとんどは灯里がリードし、静生は最小限の返事しかしなかったが、それでも空気は悪くなかった。真翔は、久しぶりに静生と一緒にいる時間を、素直に楽しんでいた。
「[gentle]ケイくん、デザート食べる? スイカ切ったよ」
「[serious]いや、もうそろそろ失礼する。明日、早いんだ」
静生は立ち上がった。
「[sad]あ、もう帰っちゃうの? もっとゆっくりしていってよ」
「[serious]悪い。ごちそうさま、美味かった」
静生は玄関へ向かう。真翔も立ち上がり、見送ろうとした。
「[gentle]マナトは座ってて。私がお見送りするから」
灯里が真翔の肩をそっと押さえ、微笑みかける。
「[serious]でも」
「[gentle]大丈夫だよ。ちょっとだけ、ちゃんと謝りたいだけだから」
灯里はそう言って、静生の後を追い、玄関のドアを閉めた。
カチャリ。
廊下の空気は、冷たく淀んでいた。
静生は黙って靴を履く。
灯里は、その背後に立っていた。廊下の狭い空間。二人きり。蛍光灯のジジ、という音だけが、やけに大きく聞こえる。
「[cold]ケイくん」
灯里の声が、低く変わった。
静生が振り返る。
灯里の顔は、笑っていた。だが、目の奥だけが、まったく笑っていない。琥珀と銀のオッドアイが、氷のように冷たく輝いている。
「[whispers]次にマナトに近づいたら、あなたが女子学生を盗撮してるって噂を、大学の掲示板とSNSに流すからね」
静生の動きが、止まった。
「[whispers]証拠はでっちあげだけど、拡散されれば同じでしょ? 大学に通報されても、警察に疑われても、あなたの人生は終わり。親にも顔向けできないし、就職もできない。友達もみんな離れていくよ」
灯里の声は、平坦で、感情が欠落していた。
「[serious]……本気か」
静生の声が、かすかに震える。
「[cold]本気じゃなかったら、こんなこと言わないよ。私はね、マナトのためならなんでもするの。あなたみたいな、『外の人間』が入り込む隙は一ミリもいらない。ずっと、そうだった。ずっと、マナトは私だけのものなんだから」
灯里は、ゆっくりと静生に顔を近づけた。
「[whispers]わかったら、二度と連絡してこないで。この部屋にも、近づかないで。もし破ったら、その瞬間に全部流す。私、そういうの得意だから」
静生は何も言えなかった。
「[gentle]じゃあね、ケイくん。今日は来てくれてありがとう。楽しかったよ」
灯里はパッと笑顔に戻り、玄関のドアを開けた。
リビングに戻ると、灯里は明るい声で言った。
「[laughing]ケイくん、いい子だったよ! やっぱりマナトの友達はいい人だね」
真翔は、何も知らなかった。
——
それから三日が過ぎた。
静生からの返信は、なかった。
既読すらつかない。電話をかければ、機械的なアナウンスが流れる。『おかけになった電話番号は、電波の届かない場所にあるか——』
着信拒否。
「[sad]なんでだよ……何かしたか、俺」
真翔はリビングのソファに座り込み、頭を抱えた。
理解できなかった。あの夜、夕食の席では普通に話していたのに。灯里の料理も美味いと言っていた。なのに、なぜ——。
「[gentle]マナト、どうしたの?」
灯里が、心配そうな顔で覗き込んでくる。
「[sad]静生に、連絡できなくなった。着拒されてる」
「[surprised]え……どうして」
「わかんねえ。わかんねえんだよ」
真翔が声を荒げると、灯里の表情が、徐々に曇っていった。
「[sad]……それって、私のせいってこと?」
「ちが、そうじゃなくて」
「[crying]私がいるから、ケイくんが去っていったってこと!? 私が邪魔だったの!?」
灯里の目に、涙が盛り上がる。
「[scared]違う、そういうわけじゃ——」
「[crying]ごめんね、ごめんねマナト! 私がそばにいるのが迷惑だった? マナトにとって私って邪魔な存在なの!?」
灯里は、その場にしゃがみ込んだ。両手で顔を覆い、肩を震わせて泣き出す。声を上げて、子供のように泣く。
「[scared]やめろよ、灯里。俺は別に、お前を責めてるわけじゃ」
真翔は慌てて灯里の隣にしゃがみ、肩に手を置いた。
「[crying]だって、だって……私、マナトのこと大事で、ただそれだけで……ケイくんにも申し訳なくて。それなのに、結局私が悪いみたいで……」
灯里は真翔の胸に縋りつき、泣き続ける。
「[sad]悪かった。俺が悪かった。灯里のせいじゃない。俺が勝手に焦ってただけだ」
気がつけば、真翔は謝っていた。
責めていたのは自分だったのに、いつの間にか、灯里を慰める側に回っている。
「[crying]本当に? 嫌いになってない? 私のこと」
「なってない。なってないから」
灯里は、濡れた顔を上げた。涙の跡が残る顔で、それでもほんの少し、笑った。
「[sad]よかった……マナト、大好き。ずっと一緒にいてね」
灯里は真翔の首に腕を回し、強く抱きついた。
その細い腕の、どこにこんな力があるのかと思うほど、ぎゅうぎゅうと締め付けられる。
——その直後だった。
真翔のスマホが鳴った。
画面に表示されたのは、倉庫バイトの店長の名前。
真翔は灯里をそっと離し、通話ボタンを押した。
「[serious]はい」
『あー、真翔くん? ちょっと確認なんだけど、先週、体調不良で退職の連絡もらったじゃない?』
真翔の思考が、止まった。
「……え?」
『いや、こっちも急でびっくりしたんだけどね。真翔くんの彼女さんから電話あってね。体調崩してもう働けないから辞めるって。それで今日、確認の電話したんだけど』
受話器を持つ手が、震えた。
「[cold]すいません、後ほど折り返します」
真翔は通話を切り、スマホを握りしめたまま、ゆっくりと灯里を振り返った。
「[cold]お前が、やったのか」
灯里は、床に座り込んだまま、真翔を見上げていた。
涙の跡が残る顔。だが、泣いてはいなかった。
「[gentle]……うん」
小さく頷いた。
「[angry]なんで、そんなこと」
「[cold]だって、マナト、最近すごく疲れてたから。倒れそうで、バイトなんて行ってる場合じゃないと思って。ごめんなさい。マナトのためだったの。本当に」
灯里の声は、穏やかだった。罪悪感など、微塵も感じていないかのように。
「[angry]ふざけんなよ……!」
真翔の喉まで怒りが込み上げてきた。だが、声にならない。灯里はただ、涙で濡れた目で、真っ直ぐに真翔を見つめている。その瞳には、狂気にも似た純粋さが宿っていた。
信じて疑わない。自分が正しいと。
「[sad]マナト、怒ってる?」
「[angry]当たり前だろ!」
「[crying]でも、でも……私、本当にマナトのことを思って……」
灯里が、再び泣き始めた。
真翔の拳が、震える。壁に打ち付けたい衝動を、必死で抑えた。目の前の女を殴るわけにはいかない。泣いている女を、責めることもできない。
「[scared]くそっ……!」
真翔は拳を壁に押し付け、額を冷たい表面に預けた。
(静生も、バイトも、全部)
(俺の周り、何もなくなった)
(もう、ここしかないのか)
リビングには、灯里のすすり泣く声だけが響いていた。
外の世界から、完全に切り離された檻の中で。
——
夜が更けた。
真翔はリビングのソファに座り、ただ呆然と天井を見つめていた。テレビは消えている。外からは、遠くの踏切の警報音が、微かに聞こえるだけ。
スマホの連絡先を開いても、灯里以外の名前はもう、光らない。
(全部、消えた)
(俺が繋がってたもの、全部)
(社会の外側に、落とされたみたいだ)
思考がまとまらない。何かを考えようとすると、脳が拒否するように白く霞む。
その時だった。
背後から、両腕が伸びてきて、真翔の首元に絡みついた。
「[gentle]マナト」
灯里の体温が、背中越しに伝わってくる。
シャワーを浴びたばかりなのか、濡れた髪の冷たさと、肌の温かさが混ざり合って、妙に生々しい。彼女は何も言わず、ただ真翔の首に顔を埋めた。
「[sad]……灯里」
「[gentle]もう大丈夫だよ。私だけいれば、何もいらないよね?」
灯里の唇が、真翔の耳元に触れる。
生温かい吐息が、鼓膜をくすぐった。
「[whispers]外の世界なんて、みんなマナトを傷つけるだけ。でも私は違う。ずっと守ってあげる。だから……ここにいて」
真翔は答えなかった。いや、答えられなかった。
灯里の手が、シャツの裾から滑り込んでくる。冷たい指先が、真翔の腹筋をなぞり、胸元へと這い上がっていく。
「[whispers]私だけが、マナトのすべてだから」
逃げたいのか。このまま溶けたいのか。
自分でも、わからなかった。
灯里の指が、真翔の肌の上で踊る。その感触は、優しく、そして確実に、真翔の抵抗する意志を奪っていく。
甘い毒のような温もり。
真翔の中で、何かが静かに、しかし決定的に、折れていく音がした。
外の世界への出口が、また一つ、完全に塞がれた夜だった。