カルデアのにぎやかな一日
カルデアは、歴史を超えて集まった英霊たちが世界を守るために集う、不思議な場所だ。藤丸立香はある朝、枕がなくなっていることに気づき、食堂が戦場のように変わり果てているのを見て、ロマン博士が「今日は何の予定もない」と陽気に告げるのを聞く。
自由な一日。ついに。
しかし、それは全くの誤解だった。
アルトリア・ペンドラゴンは真剣な表情で現れ、藤丸に「ケーキを守ってほしい」と頼む。エミヤは頼まれもしないのにカルデア全員分の昼食を作り始め、あまりのサーヴァントの多さに材料が足りなくなってしまう。ギルガメッシュは威厳たっぷりに藤丸を自室に呼び出すが、ソファで昼寝をしているだけだった。スカサハは廊下で無許可の訓練を行い、逃げ出そうとする藤丸を徴兵する。そしてジャンヌ・ダルクは善意に満ちた「カルデアスポーツデー」を企画し、藤丸を総合責任者に任命する。
昼食時には、もはや「自由な一日」は完全に消え去っていた。
スポーツデーでは、英霊たちの競争心が完全に暴走する。綱引きは本気の戦いに発展し、ギルガメッシュは「我が物は一切貸さぬ」と言って宝探しの道具を一切貸さない。アルトリアはフェアプレイを宣言し、
カルデアのにぎやかな一日 - 運動会、大暴走! 宝具禁止って言ったじゃないですか!
前の夜のことを、立香はうまく思い出せなかった。
プログラム表を作って、競技の順番を決めて、チーム分けを考えて、備品リストを書いて。訓練場の隅のパイプ椅子に座ったまま、いつの間にか夜が明けていた。気づいたら管制室の壁時計が六時を指していた。
眠れなかった、というより、眠るタイミングを完全に見失った。
訓練場——地下一階のシミュレーションルーム——の中央に立って、立香はプログラム表を両手で持った。目の下が重い。視界の端が少しぼやけている。でも今日は運動会本番だ。実行委員長は自分しかいない。
(やるしかない。まあ、なんとかなるよ)
黒いショートヘアをかきあげて、深呼吸した。
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「では、第一競技——玉入れを開始します!」
ジャンヌ・ダルクの声が訓練場に響いた。亜麻色の髪を揺らして、両手を上げてにこにこしている。青い目が輝いている。善意の塊だ。
アルトリア・ペンドラゴンが静かに前に出た。金色の長い髪が揺れる。澄んだ青い瞳が、訓練場の天井——高さ十五メートル——に設置された籠を見つめた。その顔が、みるみる真剣になっていく。
「フェアに、正々堂々でしょう」
両手で玉を持った。構えた。
「あの、アルトリアさん、それは少し——」
遅かった。
ズガンッ!!
玉が音速で飛んだ。籠に当たった。籠ごと天井に叩き込まれた。天井パネルに亀裂が走って、破片がぱらぱら落ちてきた。
「籠が……消えた」
「フッ。入ったな」
「いや、籠ごと吹っ飛んだよ!?」
立香はプログラム表の一行目に赤ペンで書き込んだ。
《玉入れ→籠、天井に消滅。中止》
そこへスカサハが静かに歩み出た。深い赤紫の髪を束ねた、影の国の女王。訓練着のまま、右手に何かを持っている。
見た。槍だった。
「投擲の精度を確認する」
「それは槍です! 玉じゃないです!」
ジャンヌが飛びついてスカサハの腕を止めた。スカサハは特に動じなかった。
「玉では物足りぬ」
「「「物足りぬじゃない!!」」」
訓練場の反対側に、金色のソファが突然現れた。ギルガメッシュが悠々と腰かけている。金と赤のツートーンの長い髪が、ソファの背もたれに広がっている。鋭い赤い瞳が、籠のあった場所をちらりと見た。
「余の玉だけは黄金でなければ気が済まぬ。雑種どもと同じ玉など触れる気もない」
「そんな玉ないよ!!」
「余に逆らうな」
ソファにもたれて目を閉じた。完全に観客モードだ。
立香は深呼吸した。肺いっぱいに空気を入れて、叫んだ。
「宝具禁止! 宝具は禁止です!!」
その瞬間、天井の亀裂からがらがらと破片が落ちてきて、立香の声が完全にかき消された。
英霊たちは誰も聞いていなかった。
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第二競技は棒倒しだった。
英霊たちが二チームに分かれて棒を持った瞬間から、雰囲気が変わった。
笑顔が消えた。全員の目が真剣になった。これは——戦闘の目だ。
ドォンッ!!
最初の衝突で訓練場の床にヒビが入った。細いヒビが蜘蛛の巣みたいに広がって、パキパキと音を立てながら伸びていく。
立香はホイッスルを吹いた。
ぴー。
英霊の雄叫びの中に、そのか細い音は完全に溶けた。
また吹いた。もう一回。届かない。
エミヤが競技の外で腕を組んでいた。黒い髪を後ろで束ねて、赤みがかった茶色の目を細めている。カメラを構えて、英霊たちの戦いを記録していた。その口元が、かすかに緩んでいた。
楽しんでいる。
立香は少し複雑な気持ちになった。自分だけが「止まれ」と叫び続けて、誰にも届かないこの状況を、エミヤは映像に収めていた。
《棒倒し→床に亀裂十数本。辛うじて続行》
プログラム表の二行目に赤字が増えた。
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第三競技、借り物競走。
「お題は——眼鏡をかけた人!」
英霊たちが一斉にギルガメッシュを見た。
ギルガメッシュはソファの上で足を組み直した。
「余のものを貸すと思うか」
「ちょっと借りるだけなんだけど……」
「ならん」
「お願いします」
「断る」
「……お願いします」
「余に逆らうな」
三回目のお願いをしても答えは変わらなかった。ギルガメッシュはそのまま目を閉じた。
一方でジャンヌが「みんな仲良く!」と叫びながら会場を走り回っていた。競技を盛り上げようとしているらしい。コーナーを曲がった。曲がりきれなかった。
ズドォォン!!
壁が破れた。ジャンヌがそのまま隣の部屋に消えた。
沈黙。
「……大丈夫です!」
隣の部屋から声がした。
立香はプログラム表を見た。三行目に赤字を書き足した。
《借り物競走→競技として成立せず。壁一枚消滅》
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競技の合間に、立香は折り畳みのパイプ椅子に座った。
給水所として設置した簡易テーブルの前だ。水のコップを自分で注いで、両手で持った。手が少し震えていた。徹夜の疲れが、じわじわと出てきている。顔が白いのは自分でもわかった。
誰かが隣に立った。
スカサハだった。無表情で、コップを一つ立香の前に置いた。
「顔色が悪いぞ、マスター。無理をするな」
「ありがとうございます……」
コップに手を伸ばした。
「——だが訓練は別だ。鍛錬に休みはない。午後の競技でも手を抜くな」
立香の手が止まった。コップを持ったまま固まった。
(心配なのか、追い打ちなのか、どっちなんだ)
でも、スカサハがわざわざ水を持ってきた、というのは確かだった。誰も頼んでいないのに。
立香がコップを口に運びかけると、隣でジャンヌが目を輝かせた。
「スカサハさん、今のって優しさですよね!? 思いやりですよね!?」
「黙れ」
即答だった。
立香は苦笑いして、水を飲んだ。冷たくておいしかった。それだけで少し、ほっとした。
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午後。騎馬戦。
英霊たちが文字通りぶつかり合った。
訓練場全体が揺れた。
ガンッ! ドォンッ! バキンッ!!
英霊の一組が激突するたびに、床が震え、壁が軋んだ。立香は端の方で旗を持ってレフェリーをしようとしていた。次の判定の位置へ、一歩踏み出した。
その瞬間だった。
ズドンッ!!
頭上で何かが外れた音がした。見上げる暇もなかった。
「マスター!」
アルトリアの手が立香の胸を押した。強く。躊躇なく。
立香は吹っ飛んだ。床に叩きつけられた。肘が滑った。膝が擦れた。ガリッという感触と、熱い痛みが走った。
天井の古い点検パネルが、立香のいた場所に直撃した。鈍い音。埃が舞い上がった。
「……っ」
床に手をついた。肘を見た。皮が剥けて、赤くなっていた。膝も同じだった。大きなケガじゃない。血がにじんでいる程度だ。
アルトリアが立香を覗き込んだ。
「大丈夫ですか、マスター」
「……うん。ありがとう」
答えた。でも、立ち上がれなかった。
肘と膝が痛いから、ではなかった。
もっと深いところで、何かがぽきり、と折れた気がした。
アルトリアはすでに振り返っていた。騎馬戦の決着をつけに戻っていく。英霊たちの声が訓練場に響く。誰かが笑っている。誰かが叫んでいる。
立香は立ち上がらなかった。
そのまま、訓練場の端の壁まで、一人で歩いた。壁にもたれて、ずるずると座り込んだ。膝を抱えた。
(……もう無理だ)
徹夜の疲れ。二話目のケーキ防衛で削られた腕の筋肉。スカサハの訓練でガクガクになった足。ずっと叫び続けた「宝具禁止」の声が、一度も誰に届かなかった事実。
それが全部、一度に重なった。
「……みんな好き勝手すぎる」
声が出た。誰にも届かない声が。
「俺の話、誰も聞いてくれない。俺がいてもいなくても……同じじゃないか」
訓練場の中央では、英霊たちが楽しそうに騎馬戦の決着を競い合っていた。アルトリアが正々堂々と叫んでいる。スカサハが無言で圧をかけている。ギルガメッシュがソファから眺めて薄く笑っている。
誰一人、立香を探していなかった。
立香がいなくなったことに、気づいていない。
通信端末が震えた。
ロマニ・アーキマンの名前が表示されていた。カルデアの医療主任。いつも少し頼りない声の、温かい男だ。
「立香くん、大丈夫? 肘と膝、傷になってない? ……必要なら、中止にするよ」
少しだけ、間があいた。
「……いい。もういい。好きにしてくれ」
「え、でも——」
通信を切った。
訓練場の中央から、歓声が上がった。どこかのチームが決着をつけたらしい。英霊たちがわっと盛り上がっている。
アルトリアの声が聞こえた。「次はリレーだ、フェアに決着をつけますわ!」
スカサハが「訓練的要素があるなら参加する」と腕を組んだ。
ギルガメッシュが「余が走るなど……まあ、見ていてやろう」とソファに深く沈み込んだ。
誰も、立香の方を見ていない。
立香は壁際から、その光景を見ていた。自分が透明になったような感じがした。カルデア唯一のマスター。英霊たちと共に人理を守る役目を持つ、たった一人の人間。
なのに今この瞬間だけは、世界でいちばん、どこにもいない人間みたいだった。
床に落ちたプログラム表が見えた。赤字で埋まったそれを、拾う気力がなかった。
訓練場の端に座ったまま、膝を抱えて、立香は動かなかった。
——その時。
競技から少し離れた場所で、エミヤがカメラを下ろした。
ゆっくりと、訓練場の壁際に視線をやる。
赤みがかった茶色の瞳が、壁際に座り込んだ小さな影を見つけた。
エミヤは何も言わなかった。カメラを持ったまま、その場に立っていた。Noveliaとは?
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