幼馴染と、ふたりきりの夏が、熱を帯びるまで。
幼馴染と、ふたりきりの夏が、熱を帯びるまで。
大学二年の夏、俺、風間カイトは火事で家を失った。両親は海外に長期出張中で、頼れるのは幼馴染の水無瀬ミサキだけだった。「部屋、余ってるから住めば?」そんな気軽な一言から、俺たちの予期せぬ同居生活が始まった。
昔から完璧な優等生で生徒会長だったミサキは、大学でも人気者で、料理上手で優しくて、スタイルも抜群。そんな彼女と同じ屋根の下での生活は、刺激が強すぎた。
風呂上がりの薄着、干しっぱなしの下着、ソファでうたた寝する姿。彼女はそんなの気にするどころか、どんどん距離を詰めてくる。「昔みたいに、一緒に寝よっか?」無邪気な誘いに、俺の理性は毎日限界だった。
でも、それは全部計算だった。ある夜、俺は真実を知ってしまう。ミサキは何年も前から、俺だけを狙って全てを計画していたんだ。彼女の部屋は、長年にわたる俺の写真や記録の博物館だった。「やっと誰にも邪魔されないね、カイト」優しい笑顔で、彼女は俺のスマホとノートパソコンを取り上げた。逃げ場を失った俺は、彼女の執着愛に囚われてしまった。
外では毅然としているのに、家では何も隠さない。「外で女の子と仲
幼馴染と、ふたりきりの夏が、熱を帯びるまで。 - 好きの重さ——甘い毒が染み込む同棲2日目
まぶたの裏が、ぼんやりと明るくなった。
朝だ。
カイトは重い体を起こす。昨夜はほとんど寝付けなかった。ミサキの寝顔が頭から離れなかったとか、そういう話じゃない。ただ、なんだか心臓がうるさくて、目をつぶるたびに変なことを考えてしまった。
(まあ、いいか)
なんとなく気持ちを落ち着けて、リビングへ向かう。ドアを開けた瞬間、いいにおいが鼻をついた。少し甘い、出汁の香り。
「[gentle]あ、カイト。おはよう」
キッチンに立つミサキが振り返った。黒くて長い髪がふわりと揺れる。今日は白いブラウスに薄茶色のロングスカート。大学に行く前の、きちんとした姿だった。昨夜のあの妙な距離感が、一気に日常に戻ってくる。
「おはよう」
テーブルを見て、息が詰まった。
卵焼き。それも、ちょっと甘めのやつ。明太子。味噌汁には豆腐が入っている。俺の好物ばかりが、きれいに並んでいた。
「[surprised]これ……」
「[gentle]昔から、これが好きでしょ?」
ミサキは冷蔵庫から麦茶のピッチャーを取り出しながら、当然みたいに言う。コップに注ぐ手つきは慣れたもので、まるでずっと前からこうしていたみたいだ。
昔——確かに、小学生の頃はよく一緒に朝ごはんを食べた。家が近かったから、どっちかの親が出かけたときは自然に集まった。でもあれは十年近く前の話だ。その間、俺たちはほとんど会ってなかった。せいぜい正月と盆に地元で見かけるくらい。なのにこの精度。
(覚えてるもんなのか、これが)
「ありがとう。いただくよ」
結局、そんなことを考えるだけで、口からは感謝の言葉しか出てこない。まあ、そうだろ。わざわざ朝早くから作ってくれたんだ。文句なんてあるわけない。
卵焼きを口に入れる。甘さがちょうどいい。出汁もきいていて、ふわふわだった。
「美味い」
「[gentle]よかった」
彼女は正面の席に座ると、頬杖をついて俺が食べるのをじっと見ていた。金色の瞳が、まるで飼い猫を見るみたいに細められる。視線の温度が、なんとなく居心地悪かった。
喉の奥に、小さな違和感が引っかかる。
おかしい。美味いし、昔のままだし、彼女は優しい。なのに、なんでこんなに落ち着かないんだろう。
理由を考えようとして、やめた。深く考えたら、何か嫌なことに気づきそうな気がした。
俺は味噌汁でその違和感を流し込んだ。
朝の光が、リビングの大きな窓から差し込んでいた。カーテンの隙間から見える空は、よく晴れている。今日はいい天気だ。
でもこの部屋の窓には、なんでか鍵がいくつもついている。ベランダに出るための掃き出し窓に、補助錠が三つも四つも。昨日気づいたけど、やっぱり普通じゃないよな、これ。
火事で家を失って、幼馴染の部屋に転がり込んだ——それだけなら、ただの幸運だ。
でも、この火事の直後にすぐ連絡をくれたこと、火事の原因が「不審火かもしれない」と警察が言っていたこと。
いろんなことが、頭の中でぐるぐるする。
いや、考えすぎだ。
「ごちそうさま」
手を合わせて、茶碗を置いた。
ミサキはまだこっちを見ていた。なんだか、とても満足そうだった。
──今日も大学がある。
午前中は講義だ。星海大学は星海駅からバスで十五分。駅のすぐ近くのファッションビル「シースターゲート」は学生の待ち合わせ場所になっていて、いつも誰かしらいる。
でも、不思議なことがあった。
大学までは俺もミサキも同じバスに乗るのに、彼女はなぜか「先に行くね」と言って、一人で家を出た。俺は少し遅れて、同じ便に乗ったけど、彼女は後方の座席で俺を見ると、小さく手を振っただけだった。近くに来るなってことか。
まあ、生徒会長の幼馴染が男で、しかも一緒に住んでるなんて知られたら、確かに変な噂も立つか。
——それにしても、すごい差だ。
大学に着いて、講義室へ向かう途中のことだ。
ミサキが数人の学生に囲まれているのが見えた。女子学生の一人が、手に持ったプリントを差し出して、何か質問している。ミサキは少し首をかしげて、それから柔らかい笑みを浮かべて答えた。周りにいる全員が、彼女の言葉にうなずいている。
「[gentle]ここの計算式はね、この部分とこの部分を分けて考えるとわかりやすいよ」
「あっ、なるほど!」
しばらくすると、今度は男子学生の集団が通りかかって、全員が「会長!」と頭を下げた。ミサキは一人ひとりに「お疲れさま」と声をかけ、まるで女神さまか何かみたいな雰囲気だった。
家にいるときの、あの目とは全然違う。
誰にでも優しくて、平等で、非の打ち所がない。
そうだよな。彼女はこういう人なんだ。外では。
でも家では——俺だけを見つめて、距離が近くて、知らないうちに俺の好物を全部把握している。
(どっちが本当なんだろうな)
そんなことを考えながら見ていると、ミサキと目が合った。
彼女は一瞬だけ、俺に笑いかける。でもそれは、さっきまでみんなに向けていた笑顔とは、ちょっとだけ違う。もっと、熱っぽい。
胸のあたりが、きゅっとなる。
講義が終わって、学食でカレーを食べた。
揚げたてのカツがのった、一番人気のカツカレー。星海大学の学生食堂は築十年で少し古いけど、料理は安くて美味い。窓際の席からは中庭が見えて、今は夏だから、入道雲がもくもくと空に浮かんでいた。
「おい、風間」
振り向くと、同じ経済学部の顔見知りが手を振っていた。
「お前、最近大変だったらしいじゃん。火事だって?」
「まあな。家が全焼した」
「うわ、マジかよ。で、今どこ住んでんの?」
「……幼馴染のとこ」
そう答えると、なぜか周りの男子が少しざわついた。
「幼馴染って、あの生徒会長の?」
「そうだけど」
「マジかよ! あの水無瀬さんと!?」
声が大きい。やめてくれ。
「まあ、色々あってな」
適当にごまかして、カツを一口かじった。
午後の講義が終わり、家に戻ったのは夕方の五時過ぎだった。
星海市の夏は日が長い。夕方でもまだ明るくて、潮風がマンションの廊下まで入り込んでくる。ルミナス星海のエントランスは今日もひんやりとしていて、コンシェルジュが俺に会釈した。
鍵を開けると、ミサキが先に帰っていた。
「[gentle]おかえり」
エプロン姿で、鍋をかき混ぜている。今夜は肉じゃがらしい。
夕食の後、俺はソファでテレビを見ていた。なんとなくスマホを取り出して、SNSを開く。
すると、さっそくミサキが隣に座ってきた。
「[gentle]ねえ、カイト」
「ん?」
「[gentle]大学で、よく話す女子っているの?」
きれいな声だった。でも質問が、やけに鋭利だ。
「いや、別にいないよ」
「[gentle]ゼミは? グループワークとかで気になる子、いないの?」
「いないって」
「[gentle]ほんとに?」
彼女は笑っている。でも、金色の目の奥は全然笑っていない。
「ほんとだよ」
「[gentle]そっか」
ミサキは少しだけ顔を俺に近づけた。
「[whispers]じゃあ、私だけでいいじゃん」
手の甲に、彼女の指がそっと重なる。体温が柔らかくて、指先はほんの少し冷たかった。
言葉の重さに、体が固まる。否定も肯定もできなくて、息が詰まった。
好きなのか、恐いのか。どっちの感情かもわからない。
その時、玄関のドアが開いた。
「[excited]ミサキ先輩、こんばんはー!」
銀色のショートボブが飛び跳ねるように入ってきた。白鳥リオ。ミサキの後輩で、いつも笑顔を絶やさない明るい子だ。瞳は透き通るような水色で、背は俺より頭ひとつ分くらい低い。
「リオちゃん、いらっしゃい」
リオは俺の顔を見て、一瞬で笑顔を消した。
「[cold]……ああ、カイトくん。まだいるんだ」
「まだって、昨日から住んでるんだけど」
「[sarcastic]ふーん。大変だね、先輩。こんなのに居座られて」
ミサキにだけ聞こえるように小声で何かを耳打ちすると、リオはそれから俺のスマホをじっと見た。俺は気にせず、親友のユウタにLINEを送ろうとしていた。
『元気? 最近いろいろあってさ』
送信ボタンを押す前に、リオが素早く動いた。
「[cold]先輩、カイトくんが誰かと連絡取ろうとしてます」
ミサキは振り返る。その顔は、やっぱり笑顔だった。
「[gentle]あら、誰に?」
「いや、ただの友達……」
「[gentle]見せて」
ミサキはごく自然な動作で俺のスマホを手に取った。抵抗する間もなかった。
「[gentle]ええと……『大野ユウタ』くんかあ。それで、履歴は……」
彼女はトーク画面をスクロールしながら、内容を音読し始めた。
「[gentle]『明日飯行かね?』……『そろそろゼミの発表やばいわ』……『あの子とまだ連絡取れないの?』。ふうん、けっこう仲いいんだね」
「やめろよ……」
俺は手を伸ばした。でも、世話になってるという引け目が足を止めさせる。
「[cold]悪い虫がつかないようにしないとね」
リオが満足げに微笑んだ。ミサキはスマホを閉じて、自分のポケットにしまい込む。
「[gentle]しばらく、私が預かるね」
「……は?」
「[gentle]必要なら、私が代わりに返信するから」
言葉が出なかった。
管理されている。もうすでに、俺は。外部との繋がりを、全部。
自分の意思で連絡することすら、許されないのか。
リオが帰った後、部屋に静けさが戻った。
俺はソファに座ったまま、動けなかった。
「[whispers]ごめんね。ちょっと心配しすぎたかな」
ミサキが隣に座る。彼女の腕が、するっと俺の腕に絡まった。
「[serious]やめろって……」
「[whispers]嫌じゃないでしょ?」
ミサキの頭が、俺の肩にもたれかかる。彼女の指が、俺の腕をゆっくりと撫でた。優しく、でも、逃げられないように。
「[whispers]私、カイトがいればそれでいいの」
耳元で、ほとんど声にならない囁きが聞こえる。
彼女の顔が、俺の肩口に埋まった。
拒否の言葉を探した。でも、体が先に彼女の熱を受け入れてしまう。
ダメなのに。離れなきゃいけないのに。
(俺は、本当に弱いな)
心の中で舌打ちした。
翌朝。
目を覚ますと、ミサキはもうキッチンに立っていた。今日は目玉焼きとウインナーだ。やっぱり俺の好物だった。
「おはよう」
「[gentle]おはよう。よく眠れた?」
「……まあ」
嘘だ。ほとんど寝てない。
スマホを取り戻そうかどうか、そればかり考えていた。でも、まだ彼女の手元にある。
ミサキが洗い物をしている隙に、自分のカバンを漁った。けど、どこにもない。
「[gentle]探し物?」
「いや、別に」
ユウタに会いたい。LINEがしたい。
でも、できない。連絡を取ろうとしたら、今度は何をされるかわからない。
そして何より、それをする勇気が、今の自分にはない。
外は今日もよく晴れていた。カーテンの隙間から見える海が、キラキラと光っている。
星海市の潮風は、いつもなら気持ちいいはずなのに。
俺は窓に近づいた。補助錠を、そっと指でなぞる。かたい。これは外側からは開けられないが、内側からも簡単には開かない仕組みだ。
(まるで檻だな)
ふと、そんな言葉が頭をよぎった。
この部屋が、愛の檻だって誰かが言っていたっけ。
でもそれはきっと、俺のことを誰よりもわかっている彼女の、歪んだ愛情のかたちだ。
ミサキが、昨日の俺のスマホを取り出して、何か打ち込んでいるのが見えた。
「[gentle]ユウタくんにね、『最近忙しくて連絡できない、ごめん』って送っておいたよ」
俺の言葉は、もう彼女のフィルターを通さないと外に出られない。
自分のスマホを、自分の意思で開くことも。
「っ……」
声にならない声が漏れた。
部屋の中は、今日も穏やかな日常が流れている。でも、その空気が、少しずつ、少しずつ、毒のように俺の体に染み込んでいく。
──どうやって、この繋がりを守るんだ。
外部との、ただ一つの細い糸を。
答えはまだ、見つからない。