幼馴染と、ふたりきりの夏が、熱を帯びるまで。
幼馴染と、ふたりきりの夏が、熱を帯びるまで。
大学二年の夏、俺、風間カイトは火事で家を失った。両親は海外に長期出張中で、頼れるのは幼馴染の水無瀬ミサキだけだった。「部屋、余ってるから住めば?」そんな気軽な一言から、俺たちの予期せぬ同居生活が始まった。
昔から完璧な優等生で生徒会長だったミサキは、大学でも人気者で、料理上手で優しくて、スタイルも抜群。そんな彼女と同じ屋根の下での生活は、刺激が強すぎた。
風呂上がりの薄着、干しっぱなしの下着、ソファでうたた寝する姿。彼女はそんなの気にするどころか、どんどん距離を詰めてくる。「昔みたいに、一緒に寝よっか?」無邪気な誘いに、俺の理性は毎日限界だった。
でも、それは全部計算だった。ある夜、俺は真実を知ってしまう。ミサキは何年も前から、俺だけを狙って全てを計画していたんだ。彼女の部屋は、長年にわたる俺の写真や記録の博物館だった。「やっと誰にも邪魔されないね、カイト」優しい笑顔で、彼女は俺のスマホとノートパソコンを取り上げた。逃げ場を失った俺は、彼女の執着愛に囚われてしまった。
外では毅然としているのに、家では何も隠さない。「外で女の子と仲
幼馴染と、ふたりきりの夏が、熱を帯びるまで。 - 壊れた神様——日記の真実と、守られた夜
闇の中で、指先に当たる冷たい金属の感触。
カイトは目を覚ました。枕の下に隠した、あの小さな鍵。昨夜、リオが落としたものだ。
(これ、何の鍵なんだろう)
ミサキの寝息が、隣で静かに聞こえる。カーテンの隙間から月明かりが細く差し込んで、彼女の黒くて長い髪が、まるで水に濡れたみたいに光っていた。
「[whispers]……ミサキ」
返事はない。
カイトはゆっくりとベッドから抜け出した。心臓がうるさくて、彼女に聞こえるんじゃないかと思った。
リビングは暗かった。でも、窓の外の街灯の光がかすかに差し込んで、部屋の形ぐらいはわかる。
テーブルに近づいた。ミサキのノートパソコンが、閉じられたまま置いてある。側面には、ワイヤーロックの鍵穴。
震える指で、ポケットから鍵を取り出す。
(頼む)
鍵を差し込んだ。
カチリ、と小さくて確かな手応え。ロックが外れた。
カイトは息を止めたまま、パソコンを膝の上に乗せて、画面を開けた。ブルーライトが、暗いリビングにぼうっと浮かび上がる。
パスワードはかかっていなかった。ミサキがいつもそうするように、スリープ状態のままだったんだろう。
デスクトップには、「記録」という名前のフォルダが一つだけ。
クリックする。
中には、ずらっとテキストファイルが並んでいた。
「2015_日記.txt」
「2016_日記.txt」
……
「2025_日記.txt」
10年分。
カイトの指が、勝手に震えた。開くのが怖いのに、開かずにはいられない。
一番古いファイルを、そっと押した。
『きょう、となりにカイトくんがすわった。』
画面に飛び込んできたのは、小学生のたどたどしい文字列だった。
カイトは息を呑んだ。
『わたしは、またてんこうした。4かいめのてんこう。もうだれとも、はなしたくなかった。どうせ、またすぐいなくなるから。
でも、カイトくんは、かってにわたしのそばにきて、さんすうのもんだいをいっしょにやろうって。ほんとうはぜんぶできたのに、わからないふりをした。そしたら、またあしたもいっしょにできるかなっておもって。
きょう、カイトくんがわらった。わたしのくびのほくろを、おもしろいねって。
はじめて、てんこうしてよかったとおもった。』
カイトは、画面を見つめたまま、動けなくなった。
中学に上がった年の日記では、文章が急に大人びていた。
『今日、カイトがクラスの女子と話していた。胸がムカムカする。これは嫉妬という感情らしい。私にもこんな気持ちがあったのか。でも、彼に釣り合うには、もっと成績を上げないと。カイトは頭がいいから、同じ高校に行くには、今のままじゃダメだ。』
高校の日記。
『生徒会長になった。これでカイトに少しでも近づけた気がする。彼が「すごいな」と言ってくれた。その一言で、今までの苦労が全部、報われた。でも、まだ足りない。もっと完璧にならないと。彼の隣に立つ資格が、私にはまだない。』
そして、大学。
『火事のニュースを見た瞬間、体が震えた。でも、そうじゃない。震えたのは、これでやっと彼を手に入れられると思ったからだ。最低だと思う。でも、本心だ。カイトが私の部屋に来る。私だけのものになる。もう誰にも渡さない。』
カイトは喉が詰まるのを感じた。
(この子はずっと……一人だったんだ)
転校を繰り返して、友達もできなくて。
そのたった一つの心の支えが、自分だった。
だけど——
(だからって、俺を閉じ込めていいわけがない)
恐怖と、哀れみと、そして確かな怒り。
それらが胸の中でぐちゃぐちゃに混ざり合って、涙が出そうになる。
逃げるべきか、留まるべきか。
答えが出ないまま、窓の外がうっすらと白み始めていた。
——ガチャリ。
玄関の鍵が回る音がした。
カイトの全身が固まる。ミサキはまだ寝室にいるはずだ。じゃあ、この鍵は——
「[surprised]え……カイトくん?」
早朝の薄明かりの中、銀色のショートボブが揺れた。白鳥リオだ。前夜に一度帰ったはずなのに、忘れ物でも取りに来たんだろう。
彼女の水色の瞳が、リビングのパソコンの光に釘付けになる。
膝の上の画面。開かれた日記ファイル。
「[cold]……何してるんですか」
リオの声から、いつもの明るさがスッと消えた。
「[scared]待て、リオ。これは——」
「[angry]先輩のものを、勝手に!」
リオが駆け寄り、カイトの腕を掴んでパソコンを奪い取ろうとした。彼女の細い指が、骨に食い込むほど強い力で。
カイトはとっさにパソコンを抱え込んだ。
「[angry]離せ!」
「[angry]ミサキ先輩には、あなたみたいな人は必要ない! 消えろ!」
その声には、嫉妬と怒りと涙が全部混ざっていた。
リオが床に膝をついて、カイトの胸倉を掴んだ。馬乗りになって、拳を振り上げる。
彼女の水色の瞳が、涙でぐしゃぐしゃに歪んでいた。
「[crying]先輩のことが大好きだから……先輩を困らせる奴は、私が——」
拳が、カイトの頬をかすめた。
口の端が切れて、じわりと血の味が広がる。
その瞬間——
「[cold]リオ」
物音で飛び起きたミサキが、リビングの入り口に立っていた。パジャマ姿のまま、黒くて長い髪を無造作に背中に垂らしている。でも、金色の瞳だけが、凍りついたように冷たく光っていた。
リオの動きが止まる。
ミサキは一歩も迷わずに近づき、リオの肩を掴んでカイトから引き剥がした。そして、自分の体をカイトとリオの間に滑り込ませる。
「[cold]私のカイトに傷をつけたら、たとえリオでも、ただでは済まない」
その声は、カイトがこれまで聞いたことのない低い温度だった。
いつもの優しい先輩の顔は、どこにもない。
リオの顔が、一瞬で真っ青になる。
「[crying]……先輩……私は、先輩のために……」
リオはその場に崩れ落ちた。三年間憧れ続けてきたミサキに、初めて拒絶の言葉を向けられた。
彼女の目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「[crying]私、先輩のことが大好きで……だから、こんな男が先輩にふさわしいはずなくて……」
嗚咽が、静かな部屋に響く。
でもミサキは、表情を変えなかった。
「[cold]帰って」
たった一言。
リオは立ち上がると、テーブルにあったミサキへの花束をグシャリと掴み、床に叩きつけた。花びらが散る。
「[crying]……もういい!」
リオは泣きながら玄関へ走り、バタンと大きな音を立てて部屋を飛び出していった。
405号室に、静けさが戻る。
カイトは床に座り込んだまま、パソコンを抱えて動けなかった。口の端の血が、指で拭ってなかったら、ノートパソコンのキーボードに垂れていただろう。
「[gentle]動かないで」
ミサキがティッシュを持ってきて、無言でカイトの口元を押さえた。
彼女の指先は、驚くほど優しかった。
カイトはその手を振り払えなかった。
さっきまで日記で読んでいた、孤独な小4の女の子の文章が、頭の中でぐるぐる回っていた。
怖い。ミサキが何をするか、本当にわからない。
でも、今この瞬間に、自分を庇ってリオの前に立ちはだかったのも、同じこの人だった。
「[gentle]カイト、血が」
ミサキが心配そうに顔を覗き込む。
その瞬間、カイトの目から、一筋涙が伝い落ちた。
怖いのに。怖いはずなのに。
(この人の温度が、今は一番近くにある)
逃げるとか逃げないとか、そういう理屈じゃなかった。
カイトは自分から、ミサキの腕を掴んで引き寄せた。
「[surprised]……カイト?」
彼女の戸惑いが、声に出ていた。
でもカイトは構わず、ミサキの肩口に額を埋めた。彼女のパジャマの布地から、微かに彼女の匂いがする。ずっと一緒に育ってきた、昔から知っている匂いだ。
ミサキはしばらく固まっていた。
でも、やがて——
彼女の腕が、そっとカイトの背中に回された。
「[whispers]……ずっと、そうしていてほしかった」
その声は、今までで一番、静かだった。
冷たさも、支配の色もない。
ただ、小さな女の子が、長い時間をかけてやっと手に入れた宝物を抱きしめるような、そんな震え方だった。
窓の外では、夜が明けようとしていた。
薄青い光が、カーテンの隙間から差し込んで、床に散った花びらを照らしている。
恐怖とも、快楽とも、少し違う何か。
歪で、それでも確かな温かさが、夜明けの部屋を満たしていた。
カイトは目を閉じた。
彼女の心臓の音が、自分の胸に響いている。
(もう、戻れないのかもしれない)
そう思った。
でも、不思議と、それも悪くないと感じている自分がいる——そのことを、カイトはもう否定しなかった。