服従訓練
静かな郊外の町で、エリーは孤独な転校生だった。シングルマザーの母親は長時間働きづめで、彼女は誰もいないアパートにひとり取り残される。通い始めた高校は、表面上は清潔で整然としているが、その裏側にはミオという少女が築き上げた冷たいネットワークが張り巡らされていた。
ミオは単なる人気者ではない。あらゆる部活や委員会のコネクションを掌握し、エリーを、金や便宜を差し出す少女たちの共有玩具として売り出したのだ。エリーの初日は体育館の用具室で幕を閉じる。五人の少女が待ち構えていた。彼女たちはエリーを床にひざまずかせ、ためらいもなくたらい回しにする。その様子は撮影され、嘲笑され、掃き溜めのようにマットの上に置き去りにされた。
毎日、新たな呼び出しが届く。二時限目と三時限目の間の三階トイレ。昼休みの美術室。水泳部の練習後のロッカールーム。バレー部員、水泳部員、生徒会。違う顔、違う手、違う命令。最初はただ痛みと無感覚だけがあった。しかし日が経つにつれ、エリーの中で何かが壊れ始める。
「上手くなってきたじゃない」絵の具の染みた布で顎を拭きながら、一人の少女が言う。その言葉にエリーの胸に広がった温もりは
服従訓練 - 生きた絵の具——昼休みの美術室
朝の光が、カーテンの隙間から薄く差し込んでいた。
エリーはベッドの中で、天井を見つめていた。胸のあたりが、石を詰められたみたいに重たい。指先は冷たくて、動かすたびにシーツの感触だけがやけに強く感じられた。
(五日目だ)
頭の中で、日付を数える声がした。転校してきて、五日。たった五日で、自分の周りの世界はすっかり変わってしまった。いや、正確には——自分自身が、変わってしまったのかもしれない。
体を起こす。首筋に、うっすらと残る赤い痕。莉奈が保健室で手当てしてくれた包帯はもう取れていたが、皮膚の下にはまだ鈍い痛みが染みついている。制服に袖を通しながら、エリーは鏡を見た。そこに映っているのは、深い茶色の瞳をした、見慣れたはずの自分の顔。
でも、何かが違う。
目が、前よりもっと落ち窪んでいる気がする。頬のあたりも、少しこけたように見えた。何より——その瞳が、どこか諦めたように虚ろだった。
(今日も、行かなきゃいけないんだ)
エリーは小さく息を吐いた。
キッチンでは、母の多恵子がもう電子レンジの前に立っていた。食パンが一枚、いつもと同じようにテーブルに置かれている。コーヒーの匂い。多恵子の指が、スマートフォンを忙しく動かしている。
エリーは黙って椅子に座った。パンをちぎり、口に運ぶ。味は、ほとんどしなかった。
「[cold]昨日、学校から連絡あったけど」
突然、多恵子が言った。エリーの手が、一瞬止まる。
「奨学金の書類、まだ提出してないんだって? 来月までに出さないと審査が遅れるから、早くしてって」
「……はい」
それだけだった。母は、エリーの顔を見もしない。制服の下に隠した傷も、目の下の隈も、何も気づいていない。
(お母さんは、知らないんだ)
エリーは心の中で呟いた。知らない方が、いいのかもしれない。知ったところで、何かが変わるわけじゃない。
通学バスは、いつも通りの時間に来た。エリーは窓際の席に座り、ぼんやりと外の景色を見つめる。桜台市の丘陵地帯を抜け、低い雑木林の間を走る。春の陽射しが、窓ガラスに反射して眩しかった。
ポケットの中で、スマートフォンが震える。
エリーは息を詰めて、画面を取り出した。通知。あの特殊なアプリ——Whisperからのメッセージだ。
『3号館 美術室準備室。昼休み開始から5分以内。時間厳守。ミオ』
文字を見つめる指が、小さく震えた。昨日のトイレでの出来事が、脳裏にフラッシュバックする。冷たいタイルの感触。複数の手。水音と、自分の中から漏れる声。そして、終わった後の莉奈の冷たい視線。
(行きたくない)
エリーは唇を噛んだ。
(今日は、行かない)
心の中で、はっきりと思った。行かなければ、どうなるのか——わからない。でも、行くことの方が、もっと怖い。あの場所に、また自分の意志で足を踏み入れることの方が。
バスが学校の最寄り停留所に着く。エリーは降りながら、頭の中で計画を組み立てていた。
(田丸先生に、相談しよう)
二限の授業中、エリーはずっと担任の田丸教諭を観察していた。四十代の、温和な顔立ちの男性教師だ。生徒の相談にもよく乗っているらしい。休み時間に廊下ですれ違う時も、いつも軽く会釈をしてくれる。
(この人なら、話を聞いてくれるかもしれない)
昼休みになったら、すぐに職員室に行こう。エリーはそう決めた。授業の板書をノートに写しながら、頭の中では何度も相談の言葉を練習する。
(どうやって話せば、信じてもらえるだろう)
いじめ、という言葉を使うべきか。それとも、もっと違う——。
四限目が終わるチャイムが鳴った。教室に、ざわめきが広がる。エリーはゆっくりと立ち上がり、職員室へ向かおうとした。
その瞬間だった。
教室の後方のドアが、開いた。
「[excited]失礼しまーす!」
弾むような声が、教室に響いた。はちみつ色のポニーテールが揺れる。ミオだ。彼女は数人のクラスメイトに軽く手を振りながら、自然に教室の中へと入ってくる。
エリーの足が、凍りついた。
ミオはまっすぐに、エリーの席へと歩いてくる。周りの生徒たちの視線が、一斉に集まった。ミオはそんな視線をまるで気にしない様子で、エリーの肩にそっと手を置いた。
「[gentle]エリーちゃん、ちょっといい?」
その声は、まるで親友に話しかけるみたいに柔らかかった。でも、金色の瞳だけは、笑っていなかった。
「[gentle]奨学金の書類、ちゃんと準備できてる? 清月館って、出席と成績の両方を見るからね。もし何か困ったことがあったら、担任の田丸先生にすぐ相談した方がいいよ——私からも言っておくから」
教室の空気が、変わった。
何人かの生徒が、興味深そうにこちらを見ている。別のグループは、ひそひそと何かを囁き合っていた。
(奨学金?)
(エリーって、そういう家なんだ)
言葉にはならない好奇の視線が、肌に突き刺さる。エリーは顔が熱くなるのを感じた。恥ずかしさと、恐怖と——そして、絶望。
ミオは笑顔を浮かべたまま、言葉を続ける。
「[gentle]出席日数が足りないと審査に響くから、休んだり遅刻したりしない方がいいよ。私、心配で」
(わざとだ)
エリーは震える膝を押さえた。ミオは、全て知っている。エリーの家庭の経済状況も、奨学金がなければこの学校に通えないことも。そして——今この場でそれを晒すことで、エリーが職員室に行くのを阻止できることも。
その時、教室の前のドアから田丸教諭が入ってきた。ミオはすぐに笑顔を向け、軽く会釈をする。
「[gentle]あ、田丸先生。お疲れ様です」
「おお、黒崎か。相変わらず熱心だな」
田丸はにこやかに手を上げた。彼の目には、ミオは完璧な優等生として映っている。その横で、エリーがどんな顔をしているか——彼は気づきもしない。
(無理だ)
エリーは心の中で呟いた。
(この人には、相談できない)
ミオはもう、全ての逃げ道を塞いでいた。職員室に行けば、ミオからの「親切な申し出」が先に伝わっている。何を言っても、被害妄想だと思われるのが落ちだ。
「[whispers]じゃあ、また後でね」
ミオはエリーの耳元で、そっと囁いた。その声は、甘く、冷たかった。
彼女が教室を出て行くと、エリーはようやく息を吸い込むことができた。肺が、酸素を求めて震える。周りの生徒たちはもう、彼女に興味を失っていた。
エリーは力の入らない手で、机の上の教科書を片付けた。美術室に行くしかない——もう、その事実を受け入れるしかなかった。
三号館の廊下は、人通りが少なかった。
美術室のドアの前で、エリーは立ち止まる。心臓が、耳の裏で早鐘を打っている。手が、震えた。
(やっぱり、帰りたい)
でも、帰れない。ミオが教室で言った言葉の意味を——拒否したらどうなるかを——考えただけで、足が動かなくなる。
ドアを、開けた。
中は、静かだった。
石膏像や古い画材が雑然と置かれた部屋の中央に、大きな作業台が一つ。イーゼルとクロッキー帳が、整然と並んでいる。そして——八人の美術部員たちが、静かにエリーを見つめていた。
その中央に、久我美月が立っていた。
小さな体躯。真っ直ぐなお団子頭。前髪を斜めに深く流した下で、大きくて暗いブルーの瞳が、エリーを捉えている。薄いそばかすと、小さな八重歯。一見すると、内気でおとなしそうな少女だ。
でも、その目は——獲物を値踏みするような、冷たい光を帯びていた。
「[cold]来たね」
美月の声は、感情がなかった。命令でも、懇願でもない。ただ、事実を確認するだけの、平坦な響き。
「[cold]今学期の人体制作の参考モデルを、お願いするね」
八人の部員たちが、無言でエリーに近づいてくる。エリーは一歩後ずさったが、すぐに背後にも人影があった。逃げ場は、どこにもない。
作業台の上に、押さえつけられた。
手足を、画材固定用のベルトで緩やかに拘束される。逃げられない。でも、激しい痛みはない——それが、かえって怖かった。まるで、物みたいに扱われている。
美月はエリーのすぐ横に立ち、手にした絵筆の柄を、エリーの制服のボタンに引っ掛けた。
一つ。
ボタンが外れる。
二つ。
ブラウスが、ゆっくりと左右に開かれていく。
絵筆の木の感触が、肌の上を滑っていく。直接手で触られるよりも、ずっと——侮辱的だった。これは道具だ。エリーは人間ではなく、素材なのだと、その行為自体が語っている。
「[serious]他の人たち、準備して」
美月が淡々と言うと、部員の一人がエリーの顔の前に立った。スカートをたくし上げ、下着をずらす。むき出しの性器が、エリーの口元に押し付けられた。
「[cold]今日も、ちゃんと使ってあげるから」
別の部員の声が、上から降ってきた。
エリーは目を閉じた。口の中に、生暖かい感触が広がる。女生徒が腰を動かし始め、陰部が唇をこすっていく。舌の上に、塩の味が滲んだ。
(また、これだ)
喉の奥で、小さく嗚咽が漏れる。でも、それを吐き出すことすら、もうできない。後頭部を掴まれ、頭を前後に揺さぶられる。
同時に、別の手がエリーの下半身に伸びてきた。スカートがまくられ、太ももを撫でる指。膝に残った青あざを、誰かの指がなぞる。そして——膣内に、異物が侵入してきた。
「[sad]う、ぁ……」
声が、勝手に漏れた。口は塞がれているのに、喉の奥からくぐもった喘ぎが溢れ出す。ピストン運動が始まるたびに、作業台がギシギシと軋んだ。
美月は、一度も作業台に近づかなかった。彼女は少し離れた位置で、クロッキー帳にシャープペンシルを走らせている。淡々と。冷静に。まるで、静物を描くみたいに。
「[serious]首の角度、さっきより良くなった。でも腰の緊張がまだ抜けていない」
彼女の声が、実況のように響く。
「[serious]次の人、交代。今度は後ろから挿入して。構図を変えたいから」
部員が入れ替わる。膣から指が抜け、一瞬の虚無感。そしてすぐに、別の何かが押し当てられる。今度はより深く、奥まで突き入れられた。
「[crying]ひ、ぅぁ……っ」
涙が、目の端から溢れた。天井が、ぼやけて見える。自分の体が、自分のものじゃないみたいだった。
(あたし、今、何をされてるんだろう)
意識が遠のきそうになる。でも、美月の声だけは、やけに鮮明に聞こえた。
「[serious]顔の歪み、綺麗だよ。その苦しそうな表情、クロッキーに残しておくね」
美月の言葉には、本物の感嘆が込められていた。芸術を見るような、純粋な感動。それこそが、最も深くエリーの精神を削った。
(この人は、あたしを人間だと思っていない)
暴力に目を閉じることは、できる。でも、観察からは逃げられない。美月の視線は、エリーの苦痛や屈辱を、ただの「被写体の表情」として消費している。
部員たちのローテーションは、機械のように続いた。
エリーの口は、次から次へと使われる。髪を掴まれ、唾液が口の端から溢れ、作業台に染みを作った。下半身では、別の部員が彼女の膣を弄び、胸元ではまた別の部員が乳房を揉みしだく。性感を引き出そうとするのではなく、ただ——所有するために。
どれだけの時間が経ったのか。
部員の一人が、エリーの中に精液を放った。ぐっ、と奥に押し込まれる感触。温かい液体が、膣内に広がっていく。次の女生徒がすぐに前に来て、同じように身体を使う。白濁液が太腿を伝い、作業台に染みを作った。
美月はページを捲りながら、呟いた。
「[serious]今日は素直で描きやすい」
その瞬間、エリーの心の奥底で——何かが、反応した。
(描きやすい)
(素直だって——役に立ってる?)
それは、ほんの微かな、言葉にもならない感情だった。屈辱と苦痛に塗れた意識の隙間から、ひょっこりと顔を出した、歪んだ充足感。
(あたし、ちゃんとできてる?)
自覚した瞬間、エリーは激しい嫌悪に襲われた。
(なんで——なんであたし、そんなこと思ったの!?)
頭の中で、自分の声が叫ぶ。でも、心の別の場所では——美月の言葉が、じんわりと温かみのように染み込んでいた。評価された。認められた。そう感じた自分が、確かにいたのだ。
それが、恐怖よりも深く、エリーの胸を締めつけた。
やがて、行為が終わった。
部員たちは無言で荷物を片付け、一人、また一人と美術室を出て行く。最後に残ったのは、美月だけだった。
彼女はクロッキー帳を机に置き、ゆっくりとエリーの拘束を外した。絵具で汚れた布を取り出し、エリーの口元を拭う。
「[whispers]だいぶ上手くなったね」
その言葉に、エリーの胸の中で——何かが砕ける音がした。
感謝に似た感情が、反射的に湧き上がる。汚い口元を、拭いてもらった。褒められた。役に立てた。
(違う、違う、そんなんじゃない)
頭では必死に否定しているのに、心の奥底では——その言葉を喜んでいる自分がいた。クレイドルの支配は、ただの恐怖じゃない。恐怖と報酬を組み合わせて、少しずつ、少しずつ、エリーの内側まで侵食していく。
美月が、スマートフォンを取り出した。
画面が光り、着信を知らせる。美月は一瞥し——その表情が、ほんの一瞬だけ、硬くなった。
(誰?)
エリーの視線が、反射的に画面を捉える。着信者名——『颯真』。
美月は素早く画面を隠し、スマートフォンをポケットに収めた。そして、エリーの方を振り返らずに、一言だけ残す。
「[serious]ミオに回すだけだから」
それだけだった。美月は足早に美術室を出て行き、エリーだけが、作業台の上に取り残された。
(颯真——誰?)
聞いたことのない名前だった。ミオに回す——ということは、美月ではなくミオが直接対応する人物。クレイドルの外に、何者かがいる。
エリーはその名前を、必死に記憶に刻んだ。でも、今は——震えを止めることで精一杯だった。
制服を整え、美術室を出る。廊下は、ひっそりと静まり返っていた。授業の始まるチャイムが、遠くで聞こえる。
エリーが廊下を歩いていると、前方からミオが歩いてきた。はちみつ色のポニーテールが、軽やかに揺れている。すれ違いざま——ミオは振り向きもせずに、囁いた。
「[whispers]今日はちゃんと来て偉かったね」
エリーの足が、わずかに緩んだ。
(偉かった)
心の中で、その言葉が反響する。まただ——また、褒められて、少しだけ嬉しくなっている。
夕方。
エリーは帰宅のバスを待つ停留所で、スマートフォンを握りしめていた。画面が震え、新しい通知を知らせる。Whisperだ。
差出人は、ミオではない。莉奈の番号だった。
『今日の昼休みに拒否しようとしたの、みんな知ってるよ』
たった一文。
エリーはスマートフォンを握りしめたまま、バスの座席に座っていた。窓の外を、夕暮れの街並みが流れていく。暮川沿いの工場跡地が、影を落としていた。
(バスに乗った時から、監視されていた)
朝、自分が拒否を決意した瞬間から——全てはクレイドルに筒抜けだったのだ。ミオが教室に現れたのは、偶然でも先回りでもない。最初から、エリーの行動をトレースした上での、計画的な封殺だった。
家に着くと、母はもういなかった。
残業だった。テーブルの上に、千円札が一枚だけ置かれている。食パンはなかった。
エリーはシャワーを浴びながら、ぼんやりと壁を見つめていた。美月のクロッキー帳に描かれていた、自分の輪郭線を思い浮かべる。
(あの絵の中のあたしは、素材だった)
人間じゃなかった。
でも——その輪郭は、これまで自分が持ったどんな自己イメージよりも、はっきりと感じられた。役割があって、評価されて、存在を認められた。歪んでいるのに——その歪みが、やけにしっくりきてしまう。
エリーは、自分の肩を抱いた。
深夜。
Whisperに、新しいメッセージが届いた。場所と時間——七日目の放課後。プール更衣室。
見た瞬間、エリーはスマートフォンを床に投げつけそうになった。でも、指は動かなかった。
(今度こそ、拒否しよう)
心の中で思う。
(今度こそ——)
でも、その思いがどれほど空洞かを、彼女はもう知っていた。今日の昼休み——拒否しようとして、それがどんな結果になったか。ミオの脅迫。美術室での陵辱。莉奈からのメッセージ。
そして——「上手くなった」「偉かった」という言葉に、少しだけ喜んでしまった自分。
エリーはベッドに横たわり、天井を見つめた。暗闇の中で、自分の輪郭だけが、ぼんやりと浮かんでいる気がした。
細くて、壊れそうで——でも、その形だけが、確かに、そこにあった。