フェルン村の農家に生まれ変わりました 〜草神の加護と野菜と、少しの奇跡〜
フェルン村の農家に生まれ変わりました 〜草神の加護と野菜と、少しの奇跡〜 - 土に還る魂
死ぬ間際に、ようやく気づいたんだ。
走っても、走っても──結局、俺は何もできなかった。
体中が鉛のように重くなって、呼吸が苦しかった。あの日も、変わらず残業で遅くなった深夜。駅のホームには俺の他に誰もいなかった。ふらついた足が、気づけば黄色い線の上を踏んでいた。
気がつけば、空を見上げていた。
星がきれいだった。それだけが、やけに鮮明に覚えている。
そして、次に目を開けた俺は──土の上にいた。
●
セージは目を覚ました。いつものように、窓からはまだ薄暗い光が漏れているだけだ。
鶏もまだ鳴いていない。村全体が、まだ深い眠りに落ちている時間だった。
「……また、あの夢か」
ベッドから起き上がり、手を見る。左手の甲。土がついているわけじゃないのに、そこには小さなあざがあった。まるで土くれがそのまま染み込んだような、そんなしみだ。
前世の記憶を、まだ夢に見る。
あのブラック企業での日々を、ホームからの転落死を、何度も何度も思い出す。
「でも」
セージは手をぎゅっと握った。
今は違う。ここは違う。
二十二歳の農夫、セージ。それが今の俺だ。
●
まだ日の出前の村を、セージは一人で歩いていた。
畑に囲まれた細い道。右にはナイラン川のせせらぎが聞こえている。川の水が石に打ち付けられる澄んだ音。風は少し冷たくて、草のにおいがする。空気が冷たくて、肺がぱりっとする感じが気持ちいい。
息ができる。
ただそれだけのことが、前世では難しかった。
村のはずれ、ちょっとした丘の上。そこに草神イェルバをまつる小さな祠がある。村人はほとんど来ない場所だ。けれど、セージは毎朝ここに来る。
祠は、ただの石だった。
人の形をしていない、なめらかな岩がひとつ、ぽつんと地面から生えている。風雨で少しすり減った感じがある。周りには誰かが植えたのか、野草がひっそりと咲いているだけだ。
ブレーゼン王国──この世界で、農業や薬草の神様として一番あがめられているのが、この草神イェルバだ。大地に最初の種をまいたって言われている。他の神様みたいに大きな神殿を持ってるわけじゃない。信仰の場はこうして、畑や森の中にあるものだ。
セージは持ってきた小さな柄杓で、祠の根元に水をまいた。ゆっくりと、水が乾いた石にしみこんでいく。
前の世界の神様とは違う。祈りの言葉も、決まりもない。
ただ、こうして水をやる。そうすれば、なんだか落ち着く。
「……今世は、無理をしない」
声に出して、自分に言い聞かせるように、そうつぶやいた。
これは誓いのようなものだ。
前世の俺は、とにかく無理をした。夜が明けても終わらない仕事。上司の目。戻れない終電。そして、死ぬ瞬間まで、誰かのために、会社のために、自分をすり減らしていた。
もう、ああはならない。
ここにあるのは、小さな畑と、静かな川の音だけ。
それでいい。
祠から見える夜明け前の空はまだ暗くて、星がちらちらと光っていた。あの事故の時に見た星空とは違う、命のある空だ。
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祠から戻り、家の前の畑に出る。セージの家は、村のいちばん東の端にある。両親が遺した、この小さな農場が、俺のすべてだ。
両親はもういない。俺が十八の時に、流行り病で相次いで亡くなった。
それからずっと、一人でここを守ってきた。
畑は、荒れている。石が積まれ、固くなった土がひび割れている。それでも、ここが俺の居場所だった。
まずは、昨日耕したところから、様子を見る。
セージは手のひらを下に向け、土にかざした。目を閉じて、意識を手の先に集中させる。
「……鑑定」
草神イェルバからもらったスキルだ。視界の端に、数字や文字がぽつぽつと浮かび上がってくる。これは俺だけに見える情報だ。
土壌の状態、水分量、どんな栄養が足りていないか。全部が頭の中に、なんとなくわかる。
ここの土には、石灰が足りない。あとは、水はけが少し悪いな。
ふう、と息を吐く。使った後にはいつもちょっとした頭痛がある。頭の奥がきゅっと締め付けられる感じだ。
次に、両手を地面にぺたりと当てる。
「緑の手」
じんわりと、手のひらが熱くなる。内側から力が地面に流れ込んでいくのがわかる。土の色が、ほんの少しだけ、深く、黒っぽくなる。
痩せた土地に、活力を無理やり通すような感じだ。俺の体の力が、どんどん土に吸い取られていく。
たっぷり五分は続けただろうか。腕にびりびりとしびれが走ってきたところで、手を離した。肩で息をする。
一日に使えるのは、だいたい四時間ぐらい。この二つの神授スキルを使って、少しずつ畑の体質を変えていくのが、俺の仕事だった。
前世の記憶と、神様のスキル。変わった組み合わせだ。
でも、どちらも今の俺にとっては、宝物だ。
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昼が近づき、日が少し高くなった頃。
セージは畑の中央で、鍬をふるっていた。カツン、と固い土に刃が当たるたび、手に響く。額の汗をぬぐいながら、ふと手を休めた。
目の前に広がるのは、自分で開墾した土地だ。まだまだ大半は草が生い茂った荒地だけれど、それでも、耕した場所からは、土のいいにおいが立ちこめている。
村の東、クライネ川の方から、水の流れる音がずっと聞こえている。川の向こうには深い森が広がり、その先にはマルクトブルク──ここから一番近い交易の町がある。とはいえ、歩いて二日はかかるド田舎だ。
人口九十人ちょっとのフェルン村。
ここで生まれ育ち、死ぬ。村の人たちは、ほとんどがそうだ。
誰もが貧しくて、お互いに助け合わないと生きていけない。貨幣よりも、物々交換が当たり前。畑で取れた野菜と、隣人が作ったパンを交換する。そんな生活だ。
都会から見れば、不便で、退屈な場所かもしれない。
「……静かで、いいだろ」
誰に言うでもなく、つぶやく。
前世で一番ほしかったのは、こういう静けさだった。夜になっても終わらないパソコンの光も、絶え間なく鳴り続ける電話も、ここにはない。
ただ、土と向き合って、汗をかくだけだ。
村長は元冒険者のおじいさんだが、会合があるといつも居眠りしている。鍛冶屋のゲオルグの所からは、毎日怒鳴り声が聞こえる。村で一番口が悪いけど、誰よりも人に優しい。
みんな、生きている。
俺はまだ、村の人と必要以上には関われていない。前世のあの人間関係のわずらわしさが、まだ体に染みついているのかもしれない。だから、少し距離を置いてしまう。
それでも、ここはいい場所だ。
セージはもう一度、鍬をにぎった。
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日が傾き、空がだいだい色に染まり始めた夕方。
セージは畑の隅の草むらと格闘していた。ここの地面は、石が多くて手がつけられない。今までずっと後回しにしてきた場所だ。
のびきった根っこを引きぬき、固くなった土に勢いよく鍬を打ち下ろす。
ガキン。
「……ん?」
いやな感触だった。手がしびれる。
ただの石じゃない。金属に当たったような硬さだ。
しゃがみこみ、まわりの土を手でかきわけていく。指先が、ひんやりとしたものに触れた。土を落とし、引っぱり出す。重い。
それは、石の板だった。
両手のひらほどの大きさの、四角い板だ。灰色で、つめたい。
でも、おかしかった。
掘り返したばかりなのに、表面にはびっしりと苔が生えている。古い遺跡で見るような、風化した感じじゃない。まるで何十年も森の中に置かれていたかのように、深い緑に覆われていた。
「……なんだこれ」
苔を指でぬぐうと、石の表面に幾何学的な線が彫られているのが見えた。直線と曲線がからみあって、何かの文字にも見えるし、ただの飾りにも見える。
だが、はっきりと違うところがあった。
模様が、ぼんやりと光っている。夕暮れの暗がりの中で、ほんのかすかに、青白い光だ。
「鑑定」
スキルを使うと、頭の奥がまた痛み出す。だが、返ってきた情報はさらにあいまいだった。視界の端に浮かぶのは、読めない文字と、意味をなさない数字ばかり。
これは──ただの石じゃない。草神イェルバのスキルで読み取れないものなんて、今までなかった。
森の古い木には、この世界のルールから外れた場所があるらしい。そこには、神の目が届かないって聞いたことがある。
(この石板も、古すぎて読めないのか?)
心臓が、少しだけどきどきしていた。
これは、なんだ。
セージは手のひらに石板をのせたまま、動けなくなった。ずっしりとした重さと、伝わるほのかなぬくもりが、ただの石じゃないってことを、俺に教えている。
平穏な毎日。それをずっと、願ってきた。
何も起きてほしくなかったのに。
(だけど……)
胸の奥に、わき上がるものがある。
怖いという気持ちと、同じぐらいの好奇心だ。
この石板が、俺の静かな日々を変えてしまうかもしれない。いや、たぶん、変えてしまうんだろう。
掘り起こした穴を見る。まだ、地中深くに何か続いている気がして、背中がぞわりとした。
西の空を見上げる。
夕焼けが、草神イェルバの祠の方に向かって、長く伸びている。
風がふいて、足元の草がゆれた。何かがささやいた気がしたけど、それはきっと、ただの風の音だ。
セージは、何も言わずに石板を胸に抱えた。Noveliaとは?
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