カイセイ学園では、見た目がすべてだ。 それはミズキが入学した頃から分かっていた。でも、分かっていても、毎日それを実感するのはきつかった。 学食の南側、日当たりのいい窓際に「ショーケース」と呼ばれるエリアがある。6人掛けのテーブルが3つ。外からよく見えるその場所は、カイセイの一軍が占有する特等席だ。誰がルールを決めたわけでもない。でも、背景扱いの生徒が近づいたら「空気読めない」でSNSに晒される。それだけで、みんな自然と距離を置く。 5月の月曜日。斎藤ミズキはその席の端っこに座っていた。 青紫のボブカットが、日差しの角度でほんの少し紫に見える。藍色の瞳は弁当箱の中をぼんやり眺めていた。紺のブレザーに白シャツ、赤いリボン。左耳の小さな銀のイヤーカフがかすかに光る。スレンダーな体は少し縮こまるようにして、愛佳の斜め後ろの席に収まっていた。 ミズキは背景だ。自分でもそう思っている。 でも、愛佳の幼なじみというだけで、ここにいられる。それがカイセイ学園のルールだった。 *** 三浦愛佳はやっぱりきれいだった。 純白のロングヘアに自然なウェーブがかかっていて、金色の瞳がくるくると動くたびに、周りの空気が変わる気がした。165センチのすらりとした立ち姿で、笑うと頬にほんの少しだけえくぼができる。女子1位を7ヶ月(もうすぐ8ヶ月になる)連続でキープしているのも、ただの数字じゃなくて、見れば納得できる話だった。 「愛佳ちゃん聞いた? 2組の体育祭の選抜、絶対不正じゃない?」 「え、マジで?」 「誰から聞いたの?」 愛佳の声は明るくて、弾んでいた。グループの子が話しかけるたびに、自然に笑顔を向ける。同意したり、ちょっと驚いてみせたり、ぴったりのテンションで返す。それが愛佳のすごいところだ。誰に対しても同じ顔で、同じ温度で、ちゃんとそこにいる。 ミズキは箸をゆっくり動かした。 (話しかければいいじゃん、自分) 頭では分かっている。幼なじみなんだから、普通に声をかけていい。でも「普通に」ができない。愛佳の周りにいる人たちのほうが、今の愛佳に合ってる気がして。自分が割り込む隙なんてないような気がして。気づけばまた、斜め後ろから眺めているだけ。 愛佳がちらっと振り返った。 目が合った。 「ミズキ、ちゃんと食べてる?」 「食べてる」 愛佳はにこっと笑って、すぐまた別の子の話に戻った。それだけだった。たった2秒のやりとり。でも胸の奥が、じわっとした。うれしいのか苦しいのか、自分でもよく分からない感覚。 (ちゃんと見てくれてた。でも、それだけだ) 弁当のから揚げを一個、口に入れた。冷えていても、まあまあおいしかった。 *** 放課後。ミズキは屋上にいた。 本館4階の非常階段から上がれる屋上は、建前上は立入禁止だ。でも鍵が壊れたまま放置されているせいで、知ってる生徒は普通に使っている。給水タンクの裏側が死角になっていて、そこに座れば誰にも見えない。ミズキにとって、学校の中で唯一一人になれる場所だった。 コンクリートの冷たさが制服越しに伝わってくる。空は薄い水色で、遠くのほうに雲がゆっくり流れていた。風が弱くて、静かだった。 スマホを開く。 フォトリア(SNS)の通知が来ていた。 カイセイウォッチャー。在校生の大半がフォローしている匿名アカウントで、毎月1日の深夜0時にルックスランキングを更新する。今日は5月1日の投稿分が流れてきたらしい。投稿時刻は深夜だったけど、ミズキは昨夜気づかなかった。 画面をスクロールする。 「✨5月度ルックスランキング【女子】✨ 1位:三浦愛佳ちゃん★8ヶ月連続おめでとう🎉 相変わらず圧倒的すぎる〜! そして付属品のM.S.ちゃんは今月も圏外でしたw 影薄すぎて写真すら撮れてないんだけどwww」 M.S.。 ミズキ・サイトウ。 自分のことだ、と気づくまでに、2秒くらいかかった。 スマホを握る手に、じわじわと力が入った。 コメント欄を開いてしまった。開かなければよかった。 「愛佳ちゃんの隣にいるモブ子でしょw」 「よく一軍ヅラできるよね笑」 「あの子って一軍なの? 付属品じゃん」 「ていうか毎回ちゃっかり写ってる感じがうざい」 一個一個は短い文章だった。でも、積み重なるとすごく重かった。胸の真ん中が、じわじわと冷たくなっていくような感覚。 (そうだよ) ミズキは心の中でつぶやいた。 (そうだよ、分かってる。私は背景だ。付属品だ。愛佳の隣にいるだけ) 分かっている。でも、文字になって他人の言葉で言われると、なぜかここまでくるのか。ちゃんと知ってたはずなのに。 涙が出そうになった。でも出さなかった。給水タンクの影でひとりで泣くのは、なんか違う気がした。そういうことをするために来たんじゃない。 画面を閉じた。 空をぼんやり眺めた。 風が少し強くなって、制服のリボンがふわっと揺れた。遠くで電車の音がした。たぶんトキワ線だ。駅から8分のこの学校、帰りにトキワ台駅を通ると、いつも愛佳と並んで歩く。そういう日常が、ミズキは嫌いじゃなかった。愛佳の隣にいられるなら、背景でもいいと思っていた。 本当に、そう思っていた。 でも今日は、うまく言い聞かせられない。 *** 夜、自室のベッドに横になった。 6畳の部屋。窓の外、5メートルくらい離れたところに、愛佳の部屋の窓がある。明かりがついていた。白くて温かい光。中で愛佳が何かしているんだろう。宿題かな。スマホかな。 中学の頃まで、あの窓越しに毎日みたいに話していた。「ミズキ〜」「なに〜」そんなやりとりをしながら、どうでもいいことをたくさん話した。いつから窓を開けなくなったのか、ぼんやり考えてみたけど、思い出せなかった。 天井を見つめる。 (ほんとは隣じゃなくて正面がいい) 声に出すと現実になりそうで、心の中だけでつぶやく。 (ちゃんと見てほしい。背景じゃなくて、ちゃんと、ミズキとして) でも、そう思った瞬間に、ぞっとした。 この気持ちを口にしたら、愛佳との関係が変わってしまう。今まで積み上げてきた「幼なじみ」というものが、ぜんぶ崩れてしまうかもしれない。愛佳はきっと困る。どう接していいか分からなくなる。そしてミズキは、その斜め後ろの席すら失うかもしれない。 怖い。 愛佳の隣にいられなくなるのが、怖い。 だから「親友」でいる。だから「幼なじみ」でいる。好きという気持ちは、ちゃんとそのラベルの下に押し込めておく。もう何年もそうしてきた。別に上手くはないけど、続けてきた。 (付属品でもいい。背景でもいい。隣にいられるなら) でも今日は、その言葉がうまく刺さらなかった。コメント欄の「モブ子」という文字が、じわじわと頭の奥に残っていた。 目を閉じた。眠れるかどうか分からなかった。 *** 朝、トキワ台駅でいつも通り愛佳と合流した。 私鉄トキワ線の改札を出ると、愛佳が手を振っていた。純白のロングヘアがふわっと揺れて、金色の瞳がミズキを見つけてぱっと輝く。 「おはよ、ミズキ! ちょっと寝坊しそうになった」 「おはよ」 「顔色悪くない? 大丈夫?」 「大丈夫」 並んで歩き始める。駅前のエブリマート(コンビニ)の前を通り過ぎると、店長の中島さんが外で段ボールを崩していた。毎朝ここで見る光景だ。愛佳が「あ、肉まんの季節ってもう終わったよね」とつぶやいた。ミズキは「終わったね」と返した。 何でもない会話。でも、それが心地よかった。昨日の屋上のことも、コメント欄のことも、少しだけ遠ざかる気がした。 学園まで徒歩8分。 そのあいだ、愛佳は昨日の授業の話をした。ミズキは相槌を打ちながら聞いていた。愛佳の横顔を、ときどきそっと見た。5月の朝の光が白い髪を透かして、きれいだなと思った。こういう気持ちもある。痛いとかじゃなくて、ただきれいだと思う感覚。 ぶっ。 スマホが震えた。 フォトリアの通知だった。カイセイウォッチャー。また速報? まだ昼にもなってないのに。 画面を開くと、愛佳も同じ通知を見ていた。 「【緊急速報】来月6月、超絶イケメン転校生が2-Cに編入決定!!フォロワーから目撃情報あり 愛佳ちゃんの牙城が揺れるか!?🔥」 「へえ、イケメンかあ」 愛佳は軽く言って、すぐスマホをポケットにしまった。あっさりしてる。まあ愛佳はこういう話に動じない。それが愛佳の強さだ。 ミズキはスマホを握ったまま、しばらく歩いた。 転校生。2-C。自分たちのクラス。 (別に、関係ないじゃん) そう思おうとした。でも、なぜかざわざわした。理由がよく分からない。イケメンが来るから? 違う。愛佳と仲良くなるかもしれないから? それも違う気がする。 何だろう、この感じ。 小さい棘みたいなものが、胸に刺さった気がした。抜こうとしても、うまくつかめない棘。 「ミズキ? どうしたの」 「なんでもない」 愛佳がちらっと横を見た。何か言いたそうな顔をして、でも何も言わなかった。二人はそのまま校門をくぐった。 *** 教室は騒がしかった。 2-Cは南向きで、窓の外にケヤキの木が見える。5月の緑が、朝日を受けてきらきらしていた。でも今日はそっちより教室の内側が騒がしい。転校生の話題が、すでにあちこちで飛び交っていた。 「カイセイウォッチャーの速報、見た?」 「見た見た! 超絶イケメンって書いてあったじゃん」 「2-Cに来るの確定なの?」 ミズキは自分の席についた。教室の後ろのロッカー付近、窓から遠い側。ここがミズキの定位置だ。愛佳のほうを向くと、もう何人かの子に囲まれていた。 白石カナが身を乗り出した。カナは愛佳のグループ「フルール」の一員で、声が大きくていつも場の空気を作る子だ。茶色のゆるいセミロングで、目が丸くて、口が達者。 「愛佳ちゃんの彼氏候補じゃない? これ!」 周りがわあっと盛り上がった。 「えー」 「まだ何もわかんないじゃん」 愛佳は笑っていた。軽く流しながら、でもその笑顔がちゃんとみんなに向いていた。こういうとき愛佳は上手い。否定しすぎず、乗りすぎず、ちょうどいい温度で返せる。 ミズキは椅子に座ったまま、その光景を眺めていた。 (愛佳の本心、どっちだろう) いつもなら、何となく分かる。愛佳の笑い方のクセとか、目の動き方とか、7年以上一緒にいればなんとなく見えてくる。でも今日は読めなかった。 昨日のコメント欄の言葉が、まだどこかに引っかかっていた。モブ子。付属品。一軍ヅラ。あの文字列が、愛佳の笑顔の下に重なって見える。 カナの声が、耳にやけに刺さった。 「絶対かわいい子だよ〜、どうする愛佳ちゃん、ライバル出現?」 「ライバルって何の」 また笑い声が上がった。 ミズキは窓の外のケヤキを見た。葉っぱが、ゆっくり揺れていた。 来月、転校生が来る。2-Cに。愛佳の隣に、新しい誰かが現れる。 それが何でこんなに気になるのか、ミズキには今のところうまく説明できなかった。ただ、あの棘が、もう少しだけ深いところに刺さった気がした。 朝のホームルームが始まる前の、少しだけ浮き足立った教室の中で、斎藤ミズキはひとり、ぼんやりと木の葉を見ていた。