白い旋律、青き密約~ふたりだけの放課後レッスン~
演技がロボット以下と罵られたオーディション通過直後のヒロイン。冷酷なイケメン俳優が、密室で彼女に教える「恋」のレッスン。それは、愛を知らない少女が、恋を知り、女になっていく、危険な放課後の秘密。
スタジオ・ゼノンの冷たい廊下で、シラハマ・マシロはアオヤギ・レンと出会う。彼は事務所から「恋人役専属契約」を結ばされた、鎖付きの王子様。恋愛禁止の契約を抱えながら、彼女の演技に欠けた「感情」を教えるためにやってきた。
「逃げたら、お前の役は、俺が降ろす」
そう告げた冷たい瞳の奥に、彼は何を隠しているのか。母のスパルタ教育に縛られ、友達も恋も知らないまま育った少女が、初めて触れる「心」の熱。棒読みロボットだった彼女が、彼との二人だけのレッスンで、少しずつ変わっていく。
これは、完璧な体を持つ少女と、完璧な演技を持つ青年が、ふたりだけの放課後に紡ぐ、白い旋律と青き密約の物語。
白い旋律、青き密約~ふたりだけの放課後レッスン~ - 最終話これが、本番だ
雨が、やんでいた。
代々木のケヤキ並木に、西からの光が差し込んでいる。濡れたアスファルトがキラキラと反射して、それがひどく眩しい。コジマ・ナツキの運転する黒いワゴン車は、首都高速を飛ばしていた。時速は百キロを超えている。車内に、誰の声もない。それは、さっきまでの雨と涙の時間を、そっと真空パックするための沈黙だった。
シラハマ・マシロは、後部座席でレンの濡れたジャケットにくるまっていた。冷たい。でも、彼のにおいがする。頭を預けたレンの肩も、まだぐっしょりと濡れていた。前の座席では、コジマがハンドルを握りしめながら、何度もルームミラーで二人を確認している。彼女の目はまだ赤い。でも、その口元は、今はかすかに笑っているようにも見えた。
(私は、戻ってくるんだ)
マシロは、ぎゅっと自分の手を握った。
(お母さんの人形じゃない、私として)
スタジオ・ゼノンで何度も怒鳴られた、あの『クロノブレイヴ、大好き!』というたった一言のセリフ。今まで何百回と練習して、その度に監督をがっかりさせてきた言葉。
(でも、今は)
マシロは、そっとレンの横顔を見上げた。彼は何も言わない。ただ、その左手が、マシロの右手を、骨が折れるんじゃないかというくらい強く握っている。絶対に、もう離さないと言っているみたいだった。
言葉は、もういらなかった。
これが、契約でも、演技でも、練習でもない。
これは、『本番』だ。
ワゴン車は、お台場の高層ビル群へと滑り込んでいく。やがて、窓の外に巨大なイベントホール『ソラリスホール』が見えてきた。入口には、色とりどりのペンライトを持ったファンと、無数のテレビカメラ。その光景に、マシロの胸の奥がきゅっと縮む。
「到着です。正面玄関は……報道陣でいっぱいですね」
コジマが、緊張で固くなった声で言った。百人以上の記者とカメラマンが、獲物を待つハイエナのように、ホールの入り口を取り囲んでいる。
「わかっているな。止まっても、下を向いてもいけない。俺から離れるな」
レンが、初めて口を開いた。その声は、こんな場面だというのに、いつものレッスンの時と同じくらい静かで、落ち着いていた。マシロは、彼のその静けさに、不思議と心が落ち着くのを感じた。
「……はい、先輩」
車が、止まった。
瞬間、無数のフラッシュの光が、車内に殺到する。
パシャパシャパシャパシャ!
窓の外で、獣のような怒号が渦巻いた。
「シラハマ! 失踪の理由を話せ!」
「アオヤギ! お前とのスキャンダルは本当なのか!」
「契約違反だ! 降板するつもりか!?」
コジマが、スライドドアを開けた。嵐のような音と光が、車内に雪崩れ込んでくる。
マシロは、足がすくんだ。
(こわい)
でも、その瞬間、レンが彼女の肩を力強く抱き寄せた。彼の体温が、濡れた服の下から伝わってくる。
「行くぞ」
レンは、報道陣の質問に一切答えなかった。無言で、まるで見えない壁を作るかのように、マシロをしっかりと抱きかかえながら、人垣の中へと足を踏み入れる。フラッシュの嵐が、二人の顔を真っ白に染め上げた。怒号と、罵声と、何かを叫ぶ声。
でも、マシロの耳には、不思議とその音は届かなかった。
ただ、自分の肩を抱く、レンの手の感触だけが、やけにリアルに感じられた。
――大丈夫。
彼は何も言わないけど、その手が、そう言っていた。
「――それじゃあ、紹介しよう! 我らがヒロイン、シラハマ・マシロと、そして――アオヤギ・レンだ!」
ソラリスホールのステージ上で、サクライ・カイトが絶叫した。彼は、アドリブで十五分もの間、たった一人で三千人の観客を笑わせ、なだめ、そして今、この瞬間、二人の登場をまるでヒーローの救援のように演出してみせた。彼の顔はアドリブの緊張で汗まみれで、その右手はかすかに震えている。でも、その声には、本物の興奮がこもっていた。
会場の空気が、一瞬で塗り替わる。
報道陣から逃げるように、裏口から舞台袖に飛び込んだマシロとレン。息を切らした二人が、カイトの叫びでスポットライトの下に押し出される。
「うわああああああああ!!」
三千人の観客のどよめきと大歓声が、ホールの空気を揺らした。視聴率は、この瞬間、十七パーセントを突破する。だが、舞台袖のツキシマ・ゴウは、腕を組みながら、ただまっすぐにマシロを見ていた。
(棒読みでもなんでもいい。ただ、立って、声を出せ、マシロ)
監督は、祈るような気持ちで、拳を握りしめていた。
カイト演じるクロノブレイヴが、悪の幹部との死闘を繰り広げる。照明が落ち、レーザー光線が客席を飛び交う。爆発のSE。それは、何度もリハーサルをした、いつもの特撮ヒーローショーだった。
そして、クライマックス。
傷つき倒れたクロノブレイヴに、マシロ演じるヒロイン、ヒカリが駆け寄る。
「クロノブレイヴ! クロノブレイヴ!」
――ダメだ、全然ダメだ!
マシロの頭に、ツキシマ監督の怒鳴り声がこだまする。
(ちがう、こんな声じゃない)
(私が伝えたいのは、こんな、嘘っぽい気持ちじゃない)
彼女は、舞台の上で、顔を上げた。
目の前に倒れているのは、カイトだ。でも、その向こうの舞台袖で、じっと彼女を見つめる、もう一人の男の影があった。
(レン、先輩)
一瞬だった。
――バシャン。
水の入ったカップを倒してしまった、初めてのカフェでの練習。
――ドキドキ。
代々木公園で、耳元に好きだと囁かれて、しゃがみこんでしまったあの日。
――大丈夫。
雨の児童公園で、冷たいブランコに座る私に、自分のジャケットをかけてくれた、あの温かさ。
全部、ぜんぶ、演技だった?
ちがう。
違うんだ!!
感情が、胸の奥底から、熱い溶岩のように噴き上がってくる。それは、お母さんに言われた通りの、練習してきた『感情表現』なんかじゃなかった。もっとぐちゃぐちゃで、苦しくて、でも、あったかくて。どうしようもなく、この人に届けたい、たった一つの言葉。
マシロは、カイトの体を抱き起こしながら、大声で叫んだ。
「クロノブレイヴ! あんたが、好きなんだ!! 死なないで! 私を、一人に、しないで……!!」
会場の空気が、変わった。
それは、台本にはなかったアドリブだった。
棒読みじゃなかった。
『好き』という台詞に、紛れもない、一人の人間の感情が乗っていた。それは、『ヒロインのヒカリ』の台詞でありながら、同時に、『シラハマ・マシロ』の魂の叫びだった。
「……そうだ」
舞台袖で、ツキシマが、絞り出すような声でつぶやいた。彼の目が、わずかに潤んでいる。
「それだ、マシロ……! お前の、『好き』は、それだ!」
瞬間最高視聴率、十八・七パーセント。
番組スタッフたちが、モニターを見ながら、静かにガッツポーズを握った。
放送終了のブザーが鳴り響いた。
スポンサーのカミツキトイズのロゴが、ステージ上の大型モニターから消える。演技は、完全に終わった。拍手と歓声が、ホールを揺らし続けている。
しかし、アオヤギ・レンは、拍手が鳴り止むのを待たなかった。
彼は、舞台袖から、ゆっくりとステージ中央へと歩み出た。まだ涙でぐしょぐしょのマシロの手を、しっかりと握りしめたまま。
「え、先輩……!?」
会場が、静まり返る。
向こうのカメラ席にいた報道陣が、全員、立ち上がった。
「少しだけ、時間をください」
レンの声が、マイク越しに、静かなホールに響く。彼は、カイトからマイクを受け取り、大きく息を吸った。
何が始まるんだ、というざわめき。
「私、アオヤギ・レンは、この場を借りて、皆さんに報告があります」
彼は、自分に向けられた無数のカメラを、まっすぐに見た。
「私は、シラハマ・マシロさんと、真剣に交際しています」
――ザワッ。
フロア中が、地鳴りのようなどよめきに包まれた。
「私が所属する事務所との契約には、恋愛を禁止する条項があります。今回のことは、完全に私の一方的な行動による、契約違反です。違約金、三千万円は、責任を持ってお支払いする覚悟です」
客席の隅で、コジマが両手で口を押さえていた。その目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
(ああ、なんて馬鹿なの。あなたたちは)
でも、彼女は笑っていた。
レンは、隣で震えているマシロの方を向いた。そして、その不器用なまでに硬い表情を、ほんの少しだけ、ほんのわずかだけ、緩ませた。
これは、本番だ――と言いたげな、そんな目だった。
「……私も、です」
マシロもまた、涙をぬぐいながら、マイクに向かって叫んだ。
「私、シラハマ・マシロは……アオヤギ・レン先輩のことが、大好きです!! 先輩は、私に、心を教えてくれました! この気持ちは、演技でも、練習でも、ありません!!」
もう、彼女の声は、棒読みなんかじゃなかった。
これが、彼女の、人生で初めての、本物の『好き』の宣言だった。
記者会見の映像は、SNSを通じて、瞬く間に拡散された。
『#不器用すぎる純愛を応援したい』
『#アオヤギレンの3000万』
『#ヒロインの本気の告白』
トレンドは、すべてこの生放送イベントの話題で埋め尽くされた。賛否両論、のはずだった。でも、画面の前で二人の一部始終を見ていた人々の心に、あの雨の日の告白があまりにも強く焼き付きすぎていた。それはスキャンダルではなく、誰もが心のどこかで待ち望んでいた『本物の物語』だったのだ。
「おい、見たか、これ」
スポンサーのカミツキトイズの重役が、タブレットを会議室のテーブルに置いた。画面には、二人の記者会見の再生回数が、三千万回を突破したという文字が躍っている。
「この話題性は、番組にとって間違いなくプラスだ。今どき、ここまで不器用な純愛も逆に清々しい。事務所にも、寛大な措置を取るよう伝えてくれ」
それから一週間。
ステラプロモーションのタカミネ代表は、あの記者会見の後、レンを呼び出して、たった一言だけ言った。
「――馬鹿者。違約金は分割だ。それと、新しい契約書にサインしろ。お前は、これからもウチの看板俳優だ」
レンは、何も言わずに、ただ深く、頭を下げた。契約は、より自由な内容に更新されていた。
そして、初雪が降り始めた東京の街。
練馬の静かな住宅街を、二人の影が並んで歩いている。マシロは、白いマフラーに顔をうずめながら、チラチラと舞い落ちる雪を見上げていた。二人の手は、しっかりと繋がれている。もう、誰に何を言われることもない。隠れることも、演じることもない。それが、ただただ、不思議で、あったかくて、マシロは何度も、隣を歩くレンの横顔を盗み見た。
「……ねえ、先輩」
「なんだ」
「これも、レッスンの続き……ですか?」
マシロが、少しだけいたずらっぽく、上目遣いに尋ねた。
レンは、立ち止まった。
雪が、彼の長いまつげに落ちる。無愛想で、不器用で、でも、誰よりも優しい彼の目が、じっとマシロを見つめた。彼の口元が、ほんの少しだけ、本当に少しだけ、緩む。それは、あの雨の日から、ずっと彼女が見たかった、彼の心からの笑顔だった。
「違う。これは、本番だ」
――ギュッ。
つないだ手に、少しだけ力がこもった。
雪が、静かに、静かに、二人の未来を祝福するように、東京の街に降り積もっていく。マシロは、涙がにじみそうになるのをこらえながら、精一杯の笑顔を作った。
「……はい、先輩!」
それは、長かった「レッスン」の、本当の終わり。
そして、二人だけの、新しい「本番」の、始まりだった。Noveliaとは?
Noveliaは、AIでライトノベルや二次創作を「読んで・数タップで作って・キャラクターと会話できる」プラットフォームです。挿絵つきの新作が毎日届き、無料で始められます。