推しの親友は、元アイドルで隣の席
高校2年の春、地味で友達ゼロの磯貝タクト(16)は、超人気VTuber・氷月ユイの隠れガチ勢。学校では誰にも言わず、放課後はアーカイブ配信を観る日々。ある日、長期休学から復帰したばかりのクラスメイト・黒瀬まりあが、消しゴムを拾った拍子にタクトのスマホをチラ見する。画面に映っていたのは、氷月ユイの限定歌配信。まりあの目が輝く。
「ちょっと……ユイ推しなの?」
まりあの正体は、伝説の地下アイドルグループ『ネオポルテ』元メンバーで、解散後にVTuberへ転身した氷月ユイのリアル親友。まりあ自身も元アイドルだった。二人は秘密の共有者となり、まりあは「いつかユイに会わせてあげる」と約束する。しかし、まりあには声を奪う病でアイドルを辞めざるを得なかったという悲しい秘密があった。
そんな中、タクトの幼なじみで彼に密かに恋するギャル・宇佐美ルカが爆弾発言。「あんたの推しの事務所、うちの姉の元カレが運営してるんだけど」。ルカはタクトとまりあを引き裂こうと画策する。一方、無理に声を出し続け倒れたまりあに、タクトは「俺がまりあの声を守る」と誓う。だが、まりあの本当の病は呪いのようなものだった——誰かを
推しの親友は、元アイドルで隣の席 - 推しだけが生きがいのぼっちと空っぽの隣の席
教室の空気が、じわりと重い。
窓の外では部活の掛け声が聞こえるのに、教室内の笑い声はどこか遠い。
磯貝タクトは、自分の席でスマホを弄るふりをしながら、耳だけを周囲に向けていた。
(……早く帰りたい)
心の中で、そうつぶやく。
聞こえてくるのは、グループごとの楽しそうな会話。誰かが誰かをからかって、誰かが笑って。その輪の中に、自分がいないことだけははっきりわかった。
都立ソラミネ高等学校。
東京の西の方にあるミナセ区って場所にあって、ミナセ中央駅から歩いて十二分。生徒は七百人くらい。まあ、どこにでもある普通の高校だ。
タクトは高校二年生。
クラスは二組。窓際の後ろから二番目が自分の席で、その隣の席は、入学した時からずっと空っぽのままだった。
不登校のやつがいるらしい。
けど、誰なのかも知らない。そもそも、クラスメイトの名前すら全員は覚えていない。
「……はあ」
ため息が漏れた。
今日も、誰にも話しかけられなかった。話しかけなかった、が正しいか。
タクトは深い茶色の垂れ目を細め、スマホの画面をちらりと見る。黒髪は相変わらず寝癖がついていて、片耳にはワイヤレスイヤホン。中肉中背の体を猫背にして、なるべく存在感を消すように小さくなった。
画面上には、見慣れた配信サイトのアイコン。
――緋月ユイ。
チャンネル登録者数、約百二十七万人。
今、日本で一番勢いのある超人気VTuber。
歌がうまい。声がいい。そして、笑い方が最高にかわいい。
そんな彼女の配信アーカイブだけが、タクトの唯一の逃げ場所だった。
「……今日の限定歌枠、まだ見てないんだよな」
誰にも聞こえないくらいの小声。
放課後。
みんなが帰ったり部活に行ったりして、教室が静かになる時間。
タクトは、誰もいなくなった教室で、ようやく息ができる気がした。
カバンから予備のイヤホンを取り出して、両耳にはめる。
学ランのポケットからスマホを出して、配信サイトのアプリを開く。
――今日の配信も最高だった。
そんなことを考えながら、再生ボタンを押そうとした瞬間。
「あっ」
廊下から、誰かの声が聞こえた。
タクトはびくっとして、スマホを机の下に隠す。
(なんだ、誰かいたのかよ)
心臓が、バクバクと音を立てる。
別に悪いことをしているわけじゃない。
でも、スマホに映っている画面を誰かに見られるのは、絶対にいやだった。
なぜなら、それは……。
いや、理由は、三年前にさかのぼる。
――中学三年の春。
タクトはまだ、人並みに友達がいた。
いや、いたと思っていた。
放課後、教室でアニメの話をしていた。
自分が好きな作品。自分が集めているグッズ。自分が応援している声優。
楽しくて、友達に全部話した。
そしたら、次の日。
教室の黒板に、タクトが好きなアニメのキャラの名前が大きく書かれていた。
その下に、「磯貝くんの嫁」って。
みんな、笑ってた。
仲がいいと思ってたやつらも、笑ってた。
「お前、マジでそんなの好きなの?」
あの時の声が、今でも耳に残ってる。
――ああ、こいつらに本当の自分を見せちゃだめなんだ。
そう思った。
それから、タクトは人に心を開くのをやめた。
友達も作らなかった。
家に帰って、自室にこもって。
誰にも言えない趣味を、ネットの世界だけで楽しむようになった。
そんな時、偶然見つけたのが、緋月ユイの配信だった。
最初は、なんとなく。
でも、彼女の歌声を聴いた瞬間、体中の力が抜けた。
ああ、なんてきれいな声なんだろう。
それから毎日、配信を見るようになった。
初めてスパチャを投げた夜。
五百円。タクトにとっては、かなり勇気のいる金額だった。
『タクトさん、いつもありがとう!』
画面の向こうで、ユイが自分の名前を呼んでくれた。
たったそれだけ。
たったそれだけなのに、涙が止まらなかった。
――ああ、俺はここにいていいんだ。
初めて、そう思えた瞬間だった。
……。
廊下の声は、すぐに遠ざかっていった。
どうやら、通りすがりだったらしい。
タクトはほっと息をついて、再びスマホを手に取る。
「……びっくりした」
誰もいない教室で、小さくつぶやく。
窓の外を見ると、校庭では陸上部の連中が走っていた。
――俺も、ああやって何かに夢中になれたら。
いや、なってるか。
対象が、現実じゃないだけで。
「……視聴覚室、行くか」
教室を出て、廊下を歩く。
ソラミネ高校の校舎は築二十八年。
所々が老朽化していて、廊下を歩くと、古い木の床がみしりと音を立てることがある。
タクトは、そんな音を聞きながら、三階にある視聴覚室へ向かった。
視聴覚室は、放課後はまず人がいない。
図書室はたまにいるけど、視聴覚室は空気が重くて、みんな近寄らない。
タクトにとっては、最高の隠れ家だった。
ガラッ。
引き戸を開ける。
カーテンが閉まっていて、薄暗い。
蛍光灯をつけると、ジジジ、と音がして、白い光が部屋を照らした。
教卓の横にあるパソコンは使わない。
タクトは、最後列の椅子に座った。
スマホを取り出し、イヤホンを装着。
再生ボタンを押す。
――こんばんはー! 緋月ユイです!
明るくて、元気で、でもちょっと子どもっぽい声。
限定歌枠。
月に一回だけの、メンバーシップ限定配信。
タクトは、月額四百九十円を払ってメンバーになっている。
高校生にとって、四百九十円はでかい。
でも、この配信を見るためなら、安いもんだ。
――今日はね、みんなにちょっと特別な歌を歌いたいと思います!
画面の向こうのユイが、笑っている。
タクトは、自然と口元がほころんだ。
「……今日もかわいい」
誰も聞いてないから、好き勝手言える。
これだから、やめられない。
ゆいの歌が、耳の奥に流れ込んでくる。
ああ、やっぱりこの声、好きだなあ。
タクトは目を閉じて、しばらくその歌声に浸っていた。
……。
配信を見終わったのは、午後六時過ぎ。
タクトは後ろを振り返って、誰もいないことを確認すると、そっと視聴覚室を出た。
下駄箱で靴を履き替えて、校門を出る。
五月中旬の風が、生ぬるくて、少しだけ気持ち悪い。
でも、嫌いじゃない。
タクトは、通学路にあるコンビニ「エブリマート」に立ち寄るのが日課だった。
ソラミネ高校前店。
毎朝おにぎりを買う、行きつけの場所。
放課後は、たまに飲み物を買って帰る。
自動ドアが開いて、入店音が流れた。
「いらっしゃいませー」
アルバイトの大学生、三枝だ。
たぶん、大学二年生くらい。
髪は茶色く染めていて、耳にピアスを三つくらい開けてる。
身長は高くて、一見チャラそうに見えるけど、意外と気さくでいい人だ。
タクトがこのコンビニに通っているのは、品揃えの良さだけじゃない。
三枝が、変に絡んでこないから、というのもある。
「あ、磯貝くん。今日も遅かったね」
三枝が、レジから顔を出して話しかけてきた。
「……まあ、ちょっと」
タクトは、いつも通り素っ気ない返事をする。
「学校、つまんない?」
「……普通です」
「普通かー。まあ、高校なんてそんなもんだよな」
三枝は笑いながら、手に持っていた段ボールを床に置いた。
タクトは、飲み物コーナーに向かう。
炭酸水。今日はこれにしよう。
レジに持っていくと、三枝がニヤニヤしながら何かを指さした。
「磯貝くん、これ知ってる?」
指さした先には、店の入り口近くに貼られた大きなポスター。
そこには――。
『緋月ユイ 限定グッズ キャンペーン開催中!』
の文字。
タクトの心臓が、一瞬で跳ね上がった。
「……えっ」
声が裏返る。
「あ、やっぱ知ってるんだ。磯貝くん、そういうの好きそうだなって思ってたんだよね」
「ち、ちが、そういうんじゃ……」
「隠さなくていいって。俺も昔、アイドルオタクだったし」
三枝の言葉に、タクトは目を丸くした。
「マジっすか」
「マジマジ。地下アイドルとか、よくライブ行ってたよ。だから磯貝くんの気持ち、わかるわ」
三枝は親指を立てて笑った。
「……あの、これ、いつから売ってるんですか」
タクトはポスターに目を奪われたまま聞いた。
このキャンペーン、知らなかった。
なんで見逃してたんだ。
「今日から。ランダムで限定クリアファイルが当たるやつ。数に限りがあるから、朝一で来た方がいいよ」
「朝一……」
「まあ、売り切れるとしても二、三日後だと思うけど。でも、確実に欲しいなら明日の朝でしょ」
「……明日、絶対買いに来ます」
タクトの声は、自分でも驚くほど真剣だった。
三枝が、ニヤッと笑う。
「いいねえ、その目。推し活してる時のオタクの目だわ」
「……やめてくださいよ」
照れくさくて、タクトは目を逸らした。
炭酸水を買って、店を出る。
外は、日が長くなったのか、まだ明るい。
空の色が、オレンジと紫が混ざったような、変な色をしていた。
「明日、早起きしなきゃ」
学校には、七時四十分までに行けばいい。
コンビニに寄るなら、七時二十分には家を出るか。
……いや、もっと早めに出た方がいいかもしれない。
だって、限定グッズだ。
相手は超人気VTuberの緋月ユイ。
ファンは、このあたりにもたくさんいるはず。
「……負けてられない」
タクトは、小さく拳を握った。
その時だった。
ふと、前方に人の気配を感じた。
通学路の少し先。
曲がり角の向こうから、誰かが歩いてくる。
いや、歩いてくる、というか。
一人の女生徒が、ゆっくりと道を横切っていった。
――長い黒髪。
風が吹いて、その髪が、ふわりと揺れた。
儚い、と思った。
それしか言葉が出てこない。
細い体。白い肌。伏し目がちな横顔。
彼女は、タクトに気づいていないのか、まっすぐ前だけを見ている。
――歌ってる?
彼女の唇が、かすかに動いていた。
何かを、口ずさんでいる。
その声は、風に乗って、ほんの少しだけタクトの耳に届いた。
「……っ」
息が止まった。
なんだこの声。
今、確かに聞こえた。
かすかな、メロディ。
それがどうしてだか、緋月ユイの歌声と重なって聞こえた。
――いや、待て。
なんの根拠もない。
でも、似てる。
いや、似てるんじゃなくて……。
タクトは、金縛りにあったみたいに、動けなかった。
女生徒は、曲がり角を曲がって、見えなくなった。
「……え、今の、誰」
心臓が、また跳ねる。
今度は、限定グッズの時とは、種類が違う。
なんだこれ。
なんで、こんなに気になるんだ。
タクトは、その場にしばらく立っていた。
風が、また吹いた。
彼女の髪が揺れていたあたりを、今度はただの空気が通り抜けていく。
耳の奥に、あの歌声がこびりついて、離れない。
「……気のせいだ」
タクトはそう自分に言い聞かせて、歩き出した。
でも、頭のどこかでは、ずっと考えていた。
――今の女の子、誰だろう。
――なんで、ユイと重なって見えたんだ。
その夜。
タクトは、明日の朝一でコンビニに行くために、スマホのアラームをいつもより三十分早くセットした。
画面には、緋月ユイの待受画像。
それを見て、少しだけ心が落ち着いた。
「……明日こそ、絶対にグッズを手に入れる」
それと。
もう一つ。
頭から離れないあの歌声。
あれは、本当に気のせいなのか。
タクトは、答えの出ない問いを抱えたまま、布団にもぐった。
――明日も、学校か。
……だるいな。
でも、楽しみも少しある。
推しのグッズ。
そして、もしかしたら。
あの女生徒の、正体。
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