ひなたの小さな戦争
身長143cm、見た目は小さな女の子。でも配信画面の向こうでは、誰よりも鋭く、誰よりも熱い――VTuber「猫宮ひなた」の戦いが、いま始まる。
登録者92万人、FPS『ヴァルトシュトローム』のトップ配信者として駆け上がってきたひなた。そんな彼女に、ゲーム会社から届いたのは、自分の名前を冠した大会「ヒナタカップ」開催というビッグオファー。成功すればキャリアは大きく花開く。けれど失敗すれば、積み上げてきたものすべてに傷がつく——。
喜びに胸を躍らせる一方で、SNSには正体不明の悪意ある言葉が届き、帰り道には粘りつくような視線がつきまとう。冷静沈着なマネージャー・青葉ミオの支え、親友であり同期であり、どこか複雑な想いを抱える兎田こよりとの絆。優しさと不安が入り混じる中、ひなたは自分の居場所を守るために、小さな体で大きな戦争に挑んでいく。
好きという気持ちだけを武器に、誰かの悪意にも、自分の弱さにも負けない。これは、画面の向こうで戦う、ひとりの少女の青春の記録——。
ひなたの小さな戦争 - 冠大会の知らせと、見えない悪意の予感
夕方の渋谷。空は薄いオレンジ色に染まっていた。駅前のスクランブル交差点には、今日もたくさんの人が行き交う。スマホを見ながら歩く人、友達と笑い合う人、急ぎ足で横断歩道を渡る人。そのすべてが、大きな音の波みたいに混ざり合っている。
渋谷駅から徒歩8分。少し騒がしい通りから一本入ったところに、カナデビルという7階建てのビルがあった。7階には、VTuber事務所「ステラリンク」の看板が出ている。設立5年目、所属タレント32名。FPSやアクションゲーム系の配信者に強い、業界シェア3位の事務所だ。
猫宮ひなたは、その7階にある会議室「ルーチェ」の扉を開けた。ガラス張りの部屋からは、渋谷の街がよく見える。部屋の中には、青い髪をきっちり一つ結びにした女性が立っていた。深い藍色の切れ長の目。青みがかった黒のストレートロングヘア。感情を読みにくい、冷静な表情。彼女が、ひなたの専属マネージャーを務める青葉ミオだ。
「お疲れさまです。急に呼び出してごめんなさい」
ミオの声は落ち着いていた。事務的で、必要以上に感情を入れない話し方。ひなたは小走りで近づき、自分よりずっと背の高いミオを見上げた。ひなたの身長は143センチ。年齢よりずっと幼く見える、華奢で小さな体。赤髪のローツインテールが、動くたびにふわふわと揺れる。半目気味の垂れ目に、アンバーに近い金色の瞳。頭頂部には、猫耳みたいに跳ねた寝癖がひとつ。
「びっくりしたよ、ミオさん。会議室に呼ばれるなんて、なにかやらかしちゃったかなって」
「いえ。悪い話ではありません。座ってください」
ミオは長机の向こう側の席を指した。ひなたは素直に椅子に腰掛ける。ミオは手元のタブレットを操作して、画面をひなたに向けた。
「ゼノグラム・ゲームズから、正式なオファーが届きました。あなたの名前を冠したFPS大会、『ヒナタカップ』の開催が決まりました」
一瞬、部屋の中の音が全部消えた気がした。
ひなたはぱちぱちと目を瞬く。ゼノグラム・ゲームズ。従業員約600名、本社は品川にあるゲーム会社だ。主力タイトルの戦術FPS『ヴァルトシュトローム』は、国内登録者数420万人。リリースから2年半で、eスポーツシーンにも国内リーグが立ち上がっている。その会社が、自分の名前を冠した大会を開く。
「ほ、ほんと……!? ていうか、ヒナタカップって……わたしの『ひなた』!?」
ひなたは思わず椅子から立ち上がって、小さく飛び跳ねた。143センチの体が、ぴょんっと跳ねる。ツインテールが天井に向かって跳ね上がる。嬉しすぎて、頭の中が真っ白になる。
「やった! やったやった! 自分の名前の大会だって! すごくない!? これって夢みたい!」
ミオは表情を変えなかった。でも、その口元が、ほんのわずかだけ緩んだように見えた。気のせいかも、とひなたは思う。ミオはどんな時でも、あまり表情を動かさない人だ。
「喜ぶのは結構です。ですが、聞いてください」
ミオはタブレットに表示された契約書の内容を、淡々と読み上げ始めた。
「主催はゼノグラム・ゲームズ。種目は『ヴァルトシュトローム』。参加チーム数は最大48チーム、1チーム5名。賞金総額500万円。オンライン予選と、都内会場でのオフライン決勝の2段階構成です。あなたは特別解説枠として参加予定です」
そう言ってから、ミオは一度だけ言葉を切った。切れ長の目が、まっすぐにひなたを見つめる。
「成功すれば、あなたのキャリアは大きく安定します。配信同時視聴者数の目標は10万人超。企業案件も増えるでしょう。スポンサー料は推定3000万円規模。あなたへのギャランティも、それなりに入ります」
「10万人……! やば、想像できない……!」
「ですが。失敗すれば、配信者人生に傷がつきます」
ひなたの動きが止まった。嬉しさでいっぱいだった胸に、冷たいものが少しだけ混ざる。
「冠大会というのは、あなたの名前そのものを賭けるもの。大会が小さい失敗をすれば、『猫宮ひなたの大会はコケた』という印象が残ります。ネットの反応は、時に残酷です」
ミオの声は、やっぱり冷静だった。でも、その冷静さが、今はひなたの心にやけに重く響く。
「あなたはFPSの腕前では、すでにトップクラスです。ヴァルトシュトロームの公式パートナー配信者にも選ばれている。チャンネル登録者数は約92万人。プロゲーマー級の実力があります」
ミオはそこで、ふっと小さく息をついた。
「だからこそ、プレッシャーもある。成功すれば大きな成果。失敗すれば大きな傷。そういう話です」
ひなたはゆっくりと椅子に座り直した。小さな指を、膝の上で絡める。胸の中に、嬉しさと不安がない混ぜになって渦を巻いている。
(失敗したら、嫌だな)
それは当たり前の気持ちだ。でも、怖いだけじゃない。
ひなたは顔を上げて、ミオを見た。
「……私、ゲームが好きなだけでやってきたんだよね。普通のゲーム好きな女の子だし、大会を盛り上げられるか心配なのは本当だけど」
ミオは黙って聞いている。
「でもさ。好きだっていう気持ちは、私が一番持ってる自信ある。配信も、ヴァルトも。うまくいかないかもしれないけど……やるだけやってみたい。こんなチャンス、二度とないかもしれないし」
ミオはしばらくひなたを見てから、小さく頷いた。
「そう言うと思いました」
その声が、ほんの少しだけ和らいだ気がした。ひなたは首をかしげる。
「ミオさん、もしかして、ちょっと心配してくれた? 怒られるのかと思ってたのに」
「マネージャーですから。タレントのリスク管理も仕事です」
ミオはすっと立ち上がり、タブレットを胸に抱えた。167センチの長身が、窓から差し込む夕日を背に細く伸びる。
「詳細は、また改めて説明します。今日はこれで。……おめでとうございます。ひなたさん」
最後の言葉だけ、ゆっくりだった。
ひなたは心の中で、なんだかくすぐったいような気持ちになる。ミオはいつも必要最低限のことしか言わない。だから、その一言がすごく嬉しかった。
「うん! ありがとう、ミオさん! 私、頑張るからね」
会議室を出ると、廊下の蛍光灯が白く光っていた。ひなたは胸の前で小さくガッツポーズをする。
(ヒナタカップ、か)
自分の名前がついた大会。すごいことだ。でも、それ以上に、ワクワクしている自分がいた。ゲームが好きだと、声を大にして言える場所。それを、もっともっと大きくできるかもしれない。
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その夜、ひなたは世田谷区にある自宅マンションに戻っていた。最寄り駅から徒歩5分。築年数の経った3階建ての、部屋番号301。家賃は月額9万5千円。1LDK、約38平方メートルの部屋だ。
ドアを開けると、ほんの少しだけ生活の匂いがする。今日は朝からゲームをして、出かけたきりだった。冷蔵庫の中には、エナジードリンクとコンビニのお弁当が何個か。その隣には、賞味期限が切れたチョコレートがひとつ。
「……掃除しなきゃなあ」
誰もいない部屋に、小さな声が落ちる。
リビングの一角が配信スペースだ。ゲーミングPCが2台。マイク、ウェブカメラ、照明。壁には防音パネルが貼ってある。背景にはぬいぐるみが約40体、所狭しと並んでいる。お気に入りは、茶トラの猫のぬいぐるみ。最近買ったものだ。
ひなたはスマホでSNSを開いた。配信の通知をチェックする。すると、見慣れない匿名アカウントからの投稿が目に留まった。
『猫宮ひなたに人気を奪われた。お前が消えれば、俺の推しが日の目を見る』
指が止まる。
その一文を、何度も読み返してしまった。心臓が、静かに早くなっていく。お腹のあたりが、ずっしりと重くなった。
(なにこれ)
ひなたはロングのツインテールを、手でぎゅっと握った。小さい頃から、嫌なことがあると髪を握る癖がある。赤い髪が、指に絡む。
昔のことを思い出した。
小学生の頃。背が低いだけで、体育の時間にチームに入れてもらえなかったことがある。『小さいと足遅いから』。違うのに、って言えなかった。放課後、一人でブランコに乗って、空を眺めていた。
もっと前。デビューしてしばらく経った頃。前の事務所「ENTUM」が解散した夜。こよりと二人で、ファミレスの隅で声を押し殺して泣いた。店員さんに何度も「お水いかがですか」って来られて、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を隠すのに必死だった。
あの頃。
ひなたはスマホを握りしめたまま、ベッドにうつ伏せに倒れた。天井が暗く見える。
「お前が消えれば、か」
それは、たった一人の見ず知らずの人間の言葉だ。そう分かっている。でも、その言葉は、昔の寂しさを全部引っぱり出してくる。
(私は、消えた方がいいのかな)
なんて。暗い方に、考えが沈んでいく。
でも。
ひなたはゆっくり起き上がった。スマホの画面を、そっとスワイプする。次の通知。視聴者からのコメントだ。
『ひなたさんの配信、大好きです。今日も元気をもらいました』
『ゲーム音痴な私でも、ひなたさんのおかげでFPS始めました!』
『身長気にしてるの、みんな分かってるよ。気にしないで』
……ああ。
胸の奥が、じわりと温かくなっていく。
(そうだ。私は、配信の場所を、みんなが居心地いい場所にしたいだけなんだ)
歓迎される空間。誰でも「ここにいていいんだ」と思える場所。それが、自分が配信を続けてきた理由だ。あの時、寂しかった自分が、いや、今も寂しい自分が、それでも笑っていられる場所。
ひなたはスマホを閉じて、そっと布団にくるまった。
「負けない。ぜったい、負けないんだから」
その夜は、なかなか眠れなかった。
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翌日。ひなたは、ステラリンク本社の休憩室「モフモフラウンジ」にいた。猫のクッションがたくさん並んだ、ひなたが名前をつけたお気に入りの場所だ。部屋の隅の自販機で、キャラメルラテを買う。缶がゴトリと音を立てた。
「ひなちゃん!」
弾むような声がして、振り返る。
ふわふわのピンクゴールドのボブ。サイドに小さな三つ編みを垂らした、明るい色の髪。大きな垂れ目は、瞳孔が明るい赤紫色をしている。身長は152センチ。ひなたよりは高いけれど、それでも小柄な方だ。兎田こより。ひなたの親友で、同期で、ライバルだ。
「聞いたよ、ヒナタカップ! すごいじゃん! おめでとう!」
こよりはぱたぱたと手を振りながら、ひなたの隣に座った。花みたいな笑顔。誰からも好かれる、優等生タイプの雰囲気だ。
「え、もう知ってるの!?」
「そりゃあ、事務所の看板娘の冠大会だよ? 業界中で話題になってるよ。それに、私はひなちゃんの親友だしね」
こよりは得意げに言って、ひなたの肩に軽くもたれかかった。甘いシャンプーの香りがした。
「こよりは、心から嬉しいよ。ひなちゃんがどんどん大きくなっていくのを見るの、誇らしいっていうか」
その時、こよりの笑顔が、ほんの一瞬だけ揺れたように見えた。
でも、それはすぐに笑顔に戻る。ひなたは、それに気づかなかった。
「こよりは、ひなちゃんの一番の応援団だよ。ずっと、ずーっと応援してるから」
こよりはひなたの手を、両手で包み込むように握った。小さくて、温かい手。
ひなたは自分の心が、ふわりとほどけていくのを感じる。昨日の怖いコメントも、不安も、この手と声があれば、大丈夫な気がした。
「ありがとう、こより。私、頑張るね。絶対、大会成功させるから」
こよりは、にこって笑った。
(ずっと、私の隣にいて)
こよりは心の中で、そう思っていた。ひなたが遠くに行ってしまうのが怖い。自分より先に、どんどん大きくなって。手が届かなくなってしまうのが、恐ろしい。
でも、そんなこと、口にできるはずがない。
「うん。私も、できること全部手伝うからね」
それが、こよりの精一杯だった。
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こよりと別れたのは、夜の8時過ぎだった。渋谷の街は、すっかり暗くなっている。けれど、ネオンや街灯がきらきらと光っていて、夜の方が明るいくらいだ。
ひなたはカナデビルを出て、駅に向かって歩いていた。いつもの道。いつもの音。遠くで、救急車のサイレンが過ぎる。
……その時。
背中に、何かが刺さるような感覚があった。
ひなたは足を止めた。後ろを振り返る。
誰もいない。
でも、まだ感じる。暗い路地から、自分を見ている誰かの視線。スマホのカメラを向けられているような、粘りつくような感覚。ひなたは無意識に、肩をすくめた。
(見られてる……?)
心臓が、ゆっくりと速くなる。呼吸が浅い。
ひなたはスマホを取り出して、ミオにメッセージを送った。
『誰かに見られてる気がする』
数秒後。着信。ミオからだった。
「ひなたさん。周囲を確認しながら、大通りを歩いてください。人が多い場所を選んで。どこにいますか」
ミオの声は、いつも通り冷静だった。でも、その裏に、少しだけ焦りみたいなものを感じる。
「会社から駅に向かう途中の……あの、ちょっと暗いところ」
「分かりました。今すぐ、交番のある方へ。振り返らず、立ち止まらず、歩いてください。電話は切らないで。私は車で向かいます」
「う、うん……ありがとう」
ひなたは電話を耳に当てたまま、大通りへ向かって歩き始めた。足音が、自分のものだけじゃない気がする。後ろから、何かがついてくる。いや、気のせいだ。
そう言い聞かせながら、歩く。
大通りに出ると、人波にぶつかって、ほっと息を吐いた。カラフルな看板と、楽しそうな人々の声。その中にいると、さっきの怖さが少しだけ薄れる。
「大通りに出ました」
「よかった。そのまま駅の改札まで。私は駅のロータリーで待ってます」
「……ミオさん、ありがとう。ごめんね、変なこと言って」
「変なことではありません。気をつけるに越したことはない」
ミオの声は、最後までぶれなかった。
ひなたは、その声に救われた。
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帰宅後。
ひなたは電気もつけずに、玄関に座り込んだ。冷たい床が、ひんやりとして気持ちいい。心臓はまだ、どきどきしている。
(今日は、長い一日だった)
大会の話。SNSの悪口。こよりの笑顔。そして、あの視線。
ミオは「気をつけて」と言った。その言葉が、ずっと耳に残っている。
ひなたはのろのろと立ち上がり、洗面所で顔を洗った。鏡を見る。半目の垂れ目は、少し赤くなっていた。
「また一人になるのは、嫌だな」
それは、消えそうなくらい小さな声だった。
でも、ひなたは顔を上げる。
(ヒナタカップを、絶対に成功させる)
それが、自分の居場所を守るための、一番の方法なんだ。
ひなたは布団にもぐりこんで、目を閉じた。
窓の外で、虫の声が聞こえる。カーテンの隙間から、月明かりが細く差し込んでいた。街の音が、遠くで揺れている。
(負けない)
そう思って、ひなたは深い眠りに落ちていった。Noveliaとは?
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