ひなたの小さな戦争
身長143cm、見た目は小さな女の子。でも配信画面の向こうでは、誰よりも鋭く、誰よりも熱い――VTuber「猫宮ひなた」の戦いが、いま始まる。
登録者92万人、FPS『ヴァルトシュトローム』のトップ配信者として駆け上がってきたひなた。そんな彼女に、ゲーム会社から届いたのは、自分の名前を冠した大会「ヒナタカップ」開催というビッグオファー。成功すればキャリアは大きく花開く。けれど失敗すれば、積み上げてきたものすべてに傷がつく——。
喜びに胸を躍らせる一方で、SNSには正体不明の悪意ある言葉が届き、帰り道には粘りつくような視線がつきまとう。冷静沈着なマネージャー・青葉ミオの支え、親友であり同期であり、どこか複雑な想いを抱える兎田こよりとの絆。優しさと不安が入り混じる中、ひなたは自分の居場所を守るために、小さな体で大きな戦争に挑んでいく。
好きという気持ちだけを武器に、誰かの悪意にも、自分の弱さにも負けない。これは、画面の向こうで戦う、ひとりの少女の青春の記録——。
ひなたの小さな戦争 - 守護者の契約書と、親友の涙の予告
朝の渋谷は、まだ眠りから覚めきっていない顔をしていた。
駅から流れてくる人波は、みんな俯き加減で、足早に目的地へ向かっている。カナデビルへ続く道の途中、ひなたは一度だけ足を止めて、空を見上げた。薄い青。雲が高い。昨日の夜に見た変な夢のせいで、なんだか胸のあたりがもやもやする。
(大会が決まってから、もう三日か)
ひなたは小さく息を吐いた。赤いローツインテールが、歩くたびにふわふわと揺れる。頭頂部の寝癖は、今朝も猫耳みたいに跳ねていた。身長143センチの体は、周りの大人たちの波に埋もれそうになる。それでも、足だけはちゃんと前へ出る。
カナデビル7階、ステラリンク本社。
エントランスの自動ドアを抜けると、受付の園田ユキが顔を上げて、にこりと笑った。
「おはようございます、ひなたさん。今日はミオさんが会議室で待ってるそうですよ」
「え、ミオさんが? また会議室?」
ひなたは首をかしげた。ミオとはこの三日間、何度かメッセージのやり取りをした。どれも事務的で、必要最低限の文字数。でも、会議室に呼び出されるのは、あの大会の発表以来だ。
「なにかあったのかな」
「詳しくは聞いてないんですけど、書類をたくさん持ってましたよ」
書類。その言葉に、ひなたの胸が少しだけ重くなった。
会議室「ルーチェ」の扉の前で、ひなたは一度、深呼吸をした。ガラス張りの向こうに、青みがかった黒の長い髪が見える。きっちり一つに結んで、背筋をまっすぐ伸ばした横顔。黒縁のメガネ。深い藍色の切れ長の目。青葉ミオが、机の上に何枚もの紙を並べているところだった。
ひなたは扉をノックした。
「おはようございます、ミオさん」
ミオが顔を上げる。感情の読みにくい目が、ひなたを捉えた。
「おはよう。座って」
短い。やっぱり短い。ひなたは素直に椅子へ座った。机の上には、びっしりと文字が詰まったスケジュール表と、透明なクリアファイルが数冊。それから、茶色い封筒がひとつ。
「今日から本格的に、ヒナタカップへ向けた管理を始める。まずはこれを見てほしい」
ミオはスケジュール表をひなたの前に滑らせた。朝の7時から夜の11時まで、30分刻みで予定が書き込まれている。配信、打ち合わせ、体調管理、ゲーム練習、睡眠時間まで。
「うわ……びっしり……これ、全部やるの?」
「全部やる必要はない。これは管理用のマスターデータだ。ここから、あなたの体調と配信の調子に合わせて、毎日調整していく」
「そ、そうなんだ。よかった」
ひなたはほっと胸をなでおろした。でも、ミオの表情はまだ硬い。
「次に、これだ」
ミオは茶色い封筒を手に取った。中から出てきたのは、ひなたの個人情報が書かれた書類の束だった。本名、住所、家族構成、電話番号、銀行口座。全部、ひなたの知っている情報。
「これ、私の……」
「そう。事務所が管理しているあなたの個人情報だ」
ミオは書類を一枚ずつ確認するようにめくった。それから、ひなたの目の前で、その束をまとめて——ビリ、ビリ、と破り始めた。
「えっ!? ちょ、ちょっと何してるの!?」
ひなたは椅子から腰を浮かせた。細かく破られた紙片が、机の上に散らばっていく。本名も住所も、全部が読めない大きさにされていく。
「破棄している。紙で管理するのは危険だ。これからは、私があなたの情報をすべて一括管理する。事務所の共有サーバーにも、必要最低限しか置かない」
ミオの手は止まらない。銀行口座の番号が書かれた紙が、真っ二つに裂かれた。
「な、なんで急にそんな……」
「あなたは過去に、配信事故で住所が特定されかけたことがある」
ひなたの体が、ぴくりと固まった。
「あの時は大事には至らなかった。だが、今は状況が違う。大会が近づけば、あなたへの注目度は上がる。悪意も、同じだけ集まる」
ミオの声は、相変わらず冷静だった。でも、その言葉はひなたの胸の奥に、すっと冷たい水を流し込んだ。
「だから、私が管理する。あなたの情報に触れるのは、私だけにする。事務所の人間にも、必要以上に触らせない」
「……そこまでするの?」
「する。あなたを守るのが、私の仕事だ」
ひなたは、破かれた紙片を見つめた。自分の名前が書かれていた紙が、もう誰にも読めない形になっている。
(この人、すごいな)
冷たく見えるのに、ここまで徹底してくれる。ひなたは少しだけ、安心した。
「あ、ありがとう、ミオさん。なんか、心強い」
ひなたが笑って言うと、ミオは一瞬だけ、目を伏せた。
「当然のことをしたまでだ」
それから、ミオはクリアファイルのひとつを開いた。中には、また別の書類が入っている。
「次に、これについて説明する」
ミオがファイルから取り出したのは、一枚の資料だった。ひなたは何気なく、その紙を見た。
——そこに書かれていたのは。
『猫宮ひなた 幼少期 いじめ被害 経過記録』
ひなたの手が、止まった。
小学校の名前。当時の担任の名前。いじめの内容。仲間外れにされた回数。教室で一人で食べていた昼食のこと。身長が低いことを笑われた言葉の数々。
全部、全部、書いてあった。
「……これ」
声が、震えた。
「ミオさん、これ、どうして」
ミオが顔を上げる。
「あなたの過去を調べた。配信者としてのリスク管理に、過去のトラウマや人間関係の把握は必要だ」
「必要って……これ、私の、一番嫌な思い出なのに」
ひなたの声が、だんだん小さくなっていく。
(勝手に、調べたの?)
(私の、何も知らないのに)
胸の奥が、じくじくと痛む。安心したのは、さっきのこと。今は、違う。自分の一番触れてほしくない場所を、土足で踏み荒らされた気分だった。
「……ひどいよ」
ひなたは立ち上がった。椅子が、がたんと音を立てる。
「待って」
ミオの声を背中で聞きながら、ひなたは会議室を飛び出した。
涙は出なかった。でも、心の中がぐちゃぐちゃで、うまく息ができない。
(勝手に調べて、勝手に管理して、勝手に守るって言って)
(私の気持ちは、どうなるの)
ひなたは廊下を小走りで進んだ。途中、スタッフとすれ違いそうになって、慌てて壁際に寄る。心臓が早い。足がもつれそう。
「ひなた!」
後ろから、ミオの声。ひなたは振り返らなかった。
でも、次の瞬間、腕を強く掴まれた。
「待って。話を聞いてほしい」
ミオの手は、ひなたの細い腕をしっかりと握っていた。痛くはない。でも、振りほどけない。
「離して」
「聞いてほしい」
ミオの声が、低くなった。ひなたはびっくりして、ミオの顔を見上げた。
黒縁メガネの奥で、深い藍色の目が、まっすぐにひなたを見つめている。
「あなたが配信に集中できる環境を作るのが、私の仕事です」
ミオは、それだけを言った。
たった一言。なのに、その声には、何かが乗っていた。事務的な言葉の裏に、熱いものが隠れている。ひなたは、ミオの目が、ほんのわずかに潤んでいるのを見た。
(この人、泣きそうなの?)
ひなたは言葉を失った。腕を掴むミオの手が、かすかに震えている。
でも、それは一瞬だった。
ミオはすぐに手を離し、いつもの事務的な表情に戻った。
「……夏までに、配信スタジオAの3Dモーションキャプチャー機材の使い方を叩き込む。覚悟するように」
それだけ言うと、ミオは背を向けて、会議室の方へ歩いていった。
ひなたは、廊下に一人残された。
掴まれた腕が、まだ熱い。
(何なの、あの人)
ひなたは、ずるずると壁に背中を預けた。冷たい壁が、熱くなった体に気持ちいい。
(配信に集中できる環境を作るのが仕事)
その言葉が、頭の中でぐるぐる回る。
(私の過去を調べたのは、そのため?)
(私を守るため?)
ひなたは、さっきまで会議室に置いてきたスケジュール表を思い出した。完璧すぎるほど、きっちりと作られた予定表。
(この人は、私の何を知っているんだろう)
不安と、微かな信頼が、胸の中で交互に押し寄せる。
ひなたは小さくため息をついて、休憩室へ向かった。
——
休憩室「モフモフラウンジ」は、ひなたが名付けた部屋だ。猫のクッションがたくさん並んでいて、タレントたちの雑談や相談の場所になっている。
ひなたが扉を開けると、中には先客がいた。
ピンクゴールドのふわふわしたボブ。サイドに小さな三つ編み。大きな垂れ目。明るい赤紫の瞳。
「ひなちゃん!」
兎田こよりが、ソファから立ち上がって、ぱたぱたと駆け寄ってきた。身長152センチ。ひなたより少しだけ背が高い。
「こより……いたんだ」
「うん、ひなちゃんが来るかなって思って、待ってたの」
こよりは首をかしげる。話すときに首をかしげるのは、彼女の癖だ。
「どうしたの? 顔色、あんまり良くないよ?」
こよりが、ひなたの顔を覗き込む。
「……ちょっとね」
ひなたは、こよりの手を引いて、ソファに並んで座った。猫のクッションを一つ、抱きしめる。
「ミオさんと、ちょっとぶつかっちゃって」
「ミオさん? あの、ひなちゃんの新しいマネージャーさん?」
「うん。私の過去を勝手に調べてたの。いじめられてたことまで、資料にまとめてて」
こよりの目が、少しだけ大きく開かれた。
「それで、飛び出してきちゃった」
ひなたは、抱きしめたクッションに顔を埋めた。
「大人に過去を掘り返されるのって、こんなに嫌な気持ちになるんだね。私、どうしたらいいのか分かんない」
こよりは、しばらく黙っていた。それから、そっとひなたの手を握った。
「ひなちゃん」
こよりの手は、温かかった。
「ひなちゃんは、私が守るから大丈夫だよ」
こよりはそう言って、ひなたの体をぎゅっと抱きしめた。
ひなたは、こよりの胸に顔を埋めた。ふわふわの髪から、甘いシャンプーの匂いがする。
(こよりは、いつもこうだ)
ひなたが落ち込んでいると、いつもこうして抱きしめてくれる。明るくて、社交的で、誰からも好かれるこより。ひなたの自慢の親友。
でも。
——ドクン、ドクン、ドクン。
ひなたは、こよりの心臓の音を聞いた。
早い。すごく、早い。
(緊張してる?)
こよりの腕に、力がこもる。ひなたの小さな体を、離すまいとするみたいに。
(こより……?)
ひなたは、こよりの背中に回した手で、彼女の震えを感じた。
こよりの頬を、一筋の涙が伝っていた。
でも、ひなたは気づかないふりをした。
(聞いちゃいけない)
(今は、聞いちゃいけない気がする)
ひなたは、そっと目を閉じた。
「……ありがと、こより」
ひなたの声は、少しだけ掠れていた。
——
その夜。
ひなたのスマートフォンが震えた。画面に、こよりの名前。
『ひなちゃん、今から会える? 大事な話があるの』
ひなたは、自宅のマンションで、ゲームの練習をしているところだった。でも、そのメッセージを見て、すぐに返事を打った。
『いいよ。どこ行く?』
『トリコロール。いつものところ』
トリコロール。渋谷区神南の路地裏にある小さな喫茶店。ステラリンク本社から徒歩3分。ひなたとこよりの「いつもの場所」。
ひなたは、部屋着から着替えて、マンションを出た。夜の空気が、ひんやりと肌に触れる。
カフェ「トリコロール」に着いたのは、それから30分後のことだった。
木の扉を押し開けると、コーヒーの香りがふわりと鼻をくすぐる。席数22の小さな店内。壁にはレトロゲームのポスターが貼ってある。奥の窓際の席に、こよりが座っていた。
テーブルの上には、アイスティーが二つ。
「ひなちゃん、来てくれたんだ」
こよりが、ほっとしたように笑った。でも、その笑顔は、いつもの明るさとは少し違う。
「こより、先に頼んでたんだ。ありがと」
ひなたは向かいの席に座った。グラスに触れる。冷たい。
「で、大事な話って?」
こよりは、両手でグラスを包み込んだ。指を組む。彼女の癖。
沈黙が、流れた。
店内には、静かなジャズが流れている。カウンターの奥で、店主がコーヒーを淹れる音が聞こえる。
「……ひなちゃん」
こよりの声が、かすかに震えていた。
「私、ノヴァクレストから、移籍の打診を受けたの」
ひなたの手が、止まった。
ノヴァクレスト。業界シェア1位の最大手VTuber事務所。所属タレント85名、年商約52億円。東京・六本木の自社ビル「クレストタワー」に本社を構える。音楽・アイドル路線に強い。
「桐生カイさんって、ノヴァクレストの代表の人が、直接会って話をしたいって」
こよりは、グラスを握る手に力を込めた。
「条件は、今の倍の報酬。それから、音楽活動のサポート。私がずっとやりたかったこと、全部できるって」
ひなたは、こよりの顔を見た。
こよりの大きな垂れ目が、涙でいっぱいになっていた。
「すごいじゃん」
ひなたは、笑った。
「こよりがやりたいこと、できるんだよ。音楽、ずっとやりたいって言ってたじゃん。すごいよ」
ひなたは、精一杯、明るい声を出した。
「こよりらしい選択なら、私は応援するよ」
その言葉を聞いた瞬間、こよりの表情が、くしゃりと歪んだ。
「違うの!」
こよりは、激しく首を振った。
「違うの、ひなちゃん。私は、本当は、ひなちゃんと離れたくない!」
涙が、こよりの頬を伝って、テーブルに落ちた。
「でも、ひなちゃんの隣にいたら、私はどんどん醜くなる!」
こよりの声が、店内に響いた。他の客が、ちらりとこちらを見る。
「ひなちゃんは、どんどん大きくなっていく。登録者も、人気も、実力も。私は、そんなひなちゃんを見て、嬉しいのに、悔しくて、怖くて……自分が嫌になる!」
こよりは、両手で顔を覆った。
「このまま一緒にいたら、私はひなちゃんを恨んじゃう。ひなちゃんの足を引っ張りたくなっちゃう。そんな自分が、一番怖いの」
ひなたは、黙って聞いていた。
(こよりが、そんな風に思ってたなんて)
胸が、ぎゅうっと締め付けられる。
ひなたは、立ち上がった。こよりの隣に移動して、そっと彼女の肩を抱いた。
「……私も、同じだよ」
ひなたの声は、小さく、震えていた。
「私も、こよりの隣にいると、自分の小ささが嫌になる。こよりは明るくて、優しくて、みんなに好かれてて。私なんかより、ずっとすごいのに」
こよりが、顔を上げた。涙でぐしゃぐしゃの顔。
「ひなちゃん……」
「でも、それでも、私はこよりと一緒にいたい」
ひなたは、こよりをぎゅっと抱きしめた。
「みっともない自分たちが、好きだよ」
こよりが、小さく笑った。涙を流したまま。
「……私も、みっともない私たちが、好き」
二人は、カフェの片隅で、しばらく抱き合っていた。
アイスティーの中の氷が、からん、と音を立てた。
——
こよりと別れたのは、夜の10時過ぎだった。
ひなたは、カナデビルの近くまで戻ってきていた。こよりを見送った後、なんとなく、事務所の方へ足が向いた。
(今日は、長い一日だった)
ミオとの衝突。こよりとの再会。そして、移籍の話。
ひなたは、暗い路地を歩いていた。街灯が少なくて、足元がよく見えない。
その時。
——カシャ。
シャッター音。
ひなたは足を止めた。
——カシャ、カシャ、カシャ。
連続で、シャッター音。背後から。
ひなたは、振り返った。
誰もいない。
暗い路地。ゴミ袋が積まれた壁。遠くの大通りの明かりが、かすかに届いているだけ。
(気のせい?)
ひなたは、心臓が早くなるのを感じた。
(でも、確かに聞こえた)
ひなたは、走り出した。
暗い路地を抜けて、大通りへ。人混みの中に飛び込んで、初めて息を吐いた。
(怖かった)
ひなたは、震える手でスマホを取り出した。ミオに電話をかけようとして、指が止まる。
(今日、あんな風に飛び出したのに)
でも、怖い。誰かに助けてほしい。
ひなたは、ミオの番号を押した。
ワンコール。ツーコール。
「……ひなた?」
ミオの声。いつも通り冷静で、でも、少しだけ驚いている。
「ミオさん……助けて……」
ひなたの声は、涙でぐちゃぐちゃだった。
「どうした。何があった」
「誰かに……撮られた……後ろから、カメラで……」
「今どこにいる。周りに人はいるか」
「大通り……人が、いっぱい……」
「分かった。そのまま人混みから離れるな。今すぐ警察と事務所に連絡する。私も車で向かう。場所を送ってくれ」
ミオの声は、矢継ぎ早だった。でも、その声には、はっきりと焦りが混じっていた。
「うん……お願い……」
ひなたは、震えながら現在地を送った。
電話の向こうで、ミオが一度だけ、深く息を吸う音が聞こえた。
「絶対に守ります」
その言葉は、感情がこもっていた。
今まで聞いたことのない、ミオの声。
ひなたの目から、涙があふれた。
——
自宅マンションに帰り着いたのは、それから1時間後だった。
ミオが車で迎えに来てくれて、警察にも話をして、マンションの前まで送ってくれた。
「何かあったら、すぐに連絡を。今夜は、スマホの電源を切るな」
「うん。ありがとう、ミオさん」
「……今日は、すまなかった」
ミオが、ぽつりと言った。
「え?」
「過去の資料のこと。あなたの気持ちを考えずに、見せてしまった」
ミオは、ひなたから目を逸らした。
「……ううん。私も、飛び出したりしてごめん」
ひなたは、小さく首を振った。
「ミオさんが、私を守ろうとしてくれてるのは、分かったから」
ミオは、何か言いたそうに口を開きかけて、やめた。
「……また明日」
「うん。おやすみなさい」
ひなたは、マンションのエントランスに入った。
ポストを開ける。
——そこに、一枚の写真が入っていた。
ひなたの手が、止まった。
写真。ひなたが配信中に、画面に向かって笑っている写真。画質が悪くて、顔が歪んでいる。
裏返す。
赤い文字で、書かれていた。
『お前の居場所はもうない』
ひなたの体から、血の気が引いた。
(なに、これ)
手が震える。写真が、指の間から滑り落ちた。
ひなたは、震える手で、もう一度ミオに電話をかけた。
「ミオさん……ポストに、写真が……」
「動くな。その場を離れるな。すぐ戻る」
電話が切れた。
ひなたは、エントランスの床に座り込んだ。
冷たい。怖い。
(私の居場所は、もうない)
写真の文字が、頭の中でぐるぐる回る。
数分後、ミオが駆けつけてきた。
「ひなた!」
ミオは、座り込んだひなたの横に膝をついた。
「写真はどこだ」
ひなたは、震える指で、落ちた写真を指した。
ミオは、ハンカチで写真を拾い上げ、裏の文字を見た。
ミオの顔から、表情が消えた。
「……警察に提出する。それから、事務所にも報告する。今夜は、私がここに泊まる」
「え……でも」
「一人にできない」
ミオは、ひなたの目をまっすぐに見た。
「あなたを守る。何があっても」
ひなたは、涙でぼやける視界で、ミオを見つめた。
(この人は、本当に私を守ろうとしてる)
ひなたは、こくりと頷いた。
——
翌朝。
ひなたは、マンションのソファで目を覚ました。ミオが、隣の部屋で何か話している。電話の声。
「……ああ、分かった。ノヴァクレストの動きは、他にも掴んでいる。桐生が直接、こよりに接触したのは間違いない。それから、ステラリンクの他のタレントにも声をかけているらしい」
ひなたは、体を起こした。
ミオが、電話を切って、振り返る。
「起きたか」
「……今の、ノヴァクレストの話?」
「ああ。昨日、独自の情報網で掴んだ。桐生カイが、こよりに移籍を打診したのは事実だ。それだけじゃない。ステラリンクのタレント数名にも、接触している」
ミオは、ひなたの前に座った。
「こよりは、桐生の巧みな言葉と、自分のコンプレックスに付け込まれた。事務所の圧力じゃない。桐生が、彼女の弱い部分を狙ったんだ」
ひなたは、拳を握った。
(こよりの心の傷に、付け込んだ)
怒りが、じわじわと湧いてくる。
「……ノヴァクレスト、許せない」
ひなたの声は、低く、震えていた。
「それと同時に、こよりの心を守れなかった自分も、悔しい」
ひなたは、うつむいた。
「私、こよりが悩んでるのに、全然気づけなかった。親友なのに」
ミオは、黙って聞いていた。
「こよりを引き留めるか、突き放すか、早く決断しなければ、敵は次の手を打ってくる」
ミオの声は、厳しかった。
「あなたが迷っている間に、ノヴァクレストは、こよりを完全に取り込むだろう。そうなれば、彼女はもう戻れない」
ひなたは、スマートフォンを取り出した。
こよりからのメッセージが、一件。
『ひなちゃん、ごめんね』
昨夜、カフェを出た後に送られてきたものだった。
ひなたは、その文字を、何度も読み返した。
(ごめんね、じゃないよ)
(謝るのは、私の方なのに)
ひなたは、顔を上げた。
「私、ヒナタカップで、絶対にこよりの一番になれる場所を作る」
ミオが、わずかに目を見開いた。
「こよりが、私の隣にいても、自分のことを醜いなんて思わないような場所。こよりが、自分を好きになれる場所。それを、大会で証明する」
ひなたの金色の瞳が、まっすぐに前を向いていた。
ミオは、しばらくひなたを見つめていた。
それから、小さく頷いた。
「……分かった。全力でサポートする」
ひなたは、ミオに笑いかけた。
「ありがとう、ミオさん。昨日のことも、全部。私、ミオさんがいてくれてよかった」
ミオは、一瞬だけ、照れたように目を逸らした。
「当然のことをしたまでだ」
ひなたは、くすっと笑った。
(この人、やっぱり変な人だ)
でも、その変な人が、今は心強い。
ひなたは、スマホを握りしめた。
SNSの通知が、何件も溜まっている。
開くと、そこには。
『猫宮ひなたを潰せ』
『この女、調子に乗ってるから痛い目見せよう』
匿名の書き込みが、昨日よりずっと増えていた。
ひなたは、画面を閉じた。
(負けない)
(絶対に、負けない)
窓の外では、朝の光が、東京の街を照らし始めていた。Noveliaとは?
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