闇堕ちプリキュア・エクリプス —楽園狂宴—
吉祥市――現代日本に似た世界で、プリキュアたちは人々の負の感情から生まれる怪物「ノロイ」と戦っている。真白と深紅は、公でも私でも強い絆で結ばれたパートナーだった。
漆黒の長髪をなびかせ、紅蓮の炎を操る深紅。銀色の三つ編みを揺らし、癒やしの光を放つ真白。息の合った連携で、二人は喝采を浴びる英雄になるはずだった。
だが、すべては幼稚園バスを救ったあの日から変わる。ノロイへの恐怖に駆られた保護者たちは「あんたたちがいるから化け物が来るんだ!」と叫び、石を投げつけた。痣を作り血を流しながら、深夜の公園に逃げ込んだ深紅と真白。真白は声もなく涙をこぼし、深紅は怒りに震える。
そんな心の隙間に、変身アイテムから甘い声が囁きかける。
「辛いだろう。正義なんて捨てろ。俺が解放してやる」
それはアイテムに宿る闇の精霊・ノワール。契約者の絶望を味わい、闇の快楽へと導く、光の精霊の裏の顔だった。深紅は最初こそ拒むが、日々のSNSでの中傷、マスコミの魔女狩り、何より救った人々からの裏切りが彼女の精神を削っていく。そしてついに、ノワールの誘惑に膝を折った。
堕ちた彼女の身体は淫らな闇の光に包まれ、胸元
闇堕ちプリキュア・エクリプス —楽園狂宴— - 正義の亀裂
叫び声が聞こえた。
子供の、恐怖に引き裂かれた悲鳴だ。真白はその瞬間、公園のベンチから立ち上がっていた。隣でペットボトルの水を飲んでいた深紅も、同じく顔を強張らせている。
「あっち……!」
指さした先——サクラミダイ公園前の交差点。黄色い幼稚園バスが、触手のような黒い靄に覆われていた。靄は生きているように蠢き、バスをぎしぎしと締め上げる。窓越しに見える園児たちの小さな手が、必死にガラスを叩いている。
キサラギシティ北部のこの住宅街は、いつもなら静かで平和だった。ミオスジ川の支流が近くを流れ、桜並木が風に揺れる。主婦たちがスーパーの袋を提げて歩き、小さな子供を連れた母親たちが公園で談笑する——そんな場所だった。
でも、今は違う。
人々の恐怖や不安、怒りといった負の感情が凝縮して実体化する怪物——ノロイ。普段は犬程度の大きさのものがほとんどだが、あれは違う。バス全体を呑み込もうとしている。凝縮種だ。複数の人間の強い負の感情が重なり合って生まれた、危険度の高い大型個体。
「深紅!」
真白が左手首の変身ブレスレットに手を伸ばす。銀色の細身のバングルには、微かに光の精霊が宿る青い宝石が埋め込まれている。深紅もまた、同じ形の紅い宝石のブレスレットを掲げていた。
二人が同時に叫ぶ。
「精霊に誓う、我が身を光と為して——!」
まばゆい光が噴き上がった。
真白の細く華奢な体躯を、清らかな白い光が包み込む。腰まで届く銀色のロングヘアがふわりと浮き上がり、穏やかな青い瞳が強い意志を宿して輝いた。身長152センチの小柄な身体に、純白の戦闘服が形成されていく。胸元と腰に青いリボンが結ばれ、手には癒やしの光を放つ白銀の杖。左目の下の泣きぼくろが、変身後は光を受けて淡く輝いて見える。
一方、深紅を包むのは燃え盛るような紅蓮の光。164センチのしなやかな肢体が、炎を編んだような真紅の戦闘服に包まれる。背中で高く結んだ燃えるような赤いポニーテールが、熱風に煽られて激しく揺れた。金色の瞳が鋭く細められ、手には灼熱の炎を宿す剣が握られている。
二人は同時に地面を蹴った。
「園児たちは私が守る!」
「私はあのノロイを焼く」
真白がバスの前に降り立つ。バスを締め付ける触手の一本が、彼女目掛けて鞭のようにしなった。
「癒やしの光!」
真白が杖を掲げると、温かな光の膜がバス全体を包み込む。触手が光の膜に触れるたび、じゅうっと音を立てて弾かれた。窓の向こうで泣きじゃくる園児たちに、真白は精一杯の笑顔を見せる。
(大丈夫、大丈夫だから)
心の中で唱えながら、光の膜を維持する。精神力がごっそりと削られていく感覚。変身は契約者の精神力を消費する。長時間の維持は危険だ。額に汗が滲む。
でも、ここで倒れるわけにはいかない。
「深紅、今!」
深紅が炎の剣を振りかぶった。
「紅蓮の炎——浄化の光!」
真っ直ぐで情熱的な深紅の叫びが響く。剣から放たれた灼熱の火柱がノロイの核に突き刺さり、黒い靄が耳障りな悲鳴を上げて霧散していく。触手が一本、また一本と溶け崩れ、バスを覆っていた闇が晴れた。
ノロイの核が完全に焼き尽くされるまで、十秒もかからなかった。
真白は浄化の光の波動が消え去ったのを確認してから、ふらりとよろめいた。肩で息をする。視界の端が白く滲む。深紅が素早く駆け寄り、彼女の華奢な肩を支えた。
「真白、大丈夫か? 無理しすぎだ」
「……うん、ちょっと、疲れただけ」
真白は深紅の金色の瞳を見上げて、小さく笑った。深紅の腕は力強くて、でも傷つけないように優しくて、すごく安心する。ずっとこうしていたい。そう思う自分が、少しだけ恥ずかしかった。
「園児たちは——」
振り返ると、バスの扉が開き、保母さんに抱えられた園児たちが次々と降りてくる。泣いている。でも、みんな無事だ。誰も傷ついていない。
(よかった)
真白は心からほっとした。これでいい。これで——
「触るな!!」
突然、耳をつんざく怒声が飛んだ。
交差点の向こうから、大勢の大人たちが駆けてくる。20人近い。保護者たちだ。母親が、父親が、祖母らしき老人が——みんな一様に、鬼のような形相だった。
先頭の父親が、真白と深紅の前に立ち塞がる。四十代半ばだろうか。スーツ姿に眼鏡。ごく普通の会社員に見えるその男の顔は、しかし恐怖と憎悪に歪みきっていた。
「化け物が! 俺の娘に近づくな!!」
化け物。
その言葉が、鋭い針のように真白の胸に刺さった。
保護者たちが口々に罵声を浴びせる。
「何がプリキュアだ!」
「お前たちみたいな異形がいるから、あんな怪物が出るんだ!」
「この町から出ていけ!」
真白は何か言おうとした。でも、言葉が出ない。変身後の自分の姿——光を纏い、人間離れした白銀の戦闘服。確かに、普通の人間から見れば異様だろう。自分たちを恐れる気持ちも、わからなくはない。
でも——
(私たちは、子供たちを守ったのに)
その時だった。
先頭の父親が、足元の石を拾い上げた。
「消えろ、化け物が!!」
ぐん、と腕が振り抜かれ、拳大の石が一直線に飛ぶ。
鈍い音。
「……っ!」
真白の額に、激痛が走った。
石は真白の左側頭部に命中し、そのまま地面に落ちた。陶器のように白い額の皮膚が裂け、赤い血が一筋、流れ落ちる。左目の下の泣きぼくろの上を、血が伝っていく。
深紅の金色の瞳が、かっと見開かれた。
「この……っ!!」
彼女の右拳に、紅蓮の炎が燃え上がる。深紅の怒りが、そのまま炎の形を成したかのようだった。彼女は真っ直ぐで情熱的な正義感を持つがゆえに、理不尽への怒りも人一倍大きい。何より、真白を傷つけられたことが——許せなかった。
深紅が一歩、保護者たちに向かって踏み出す。炎が激しく揺らめき、周囲の空気が歪んだ。
「貴様ら……よくも真白を……!!」
「やめて!!」
真白は深紅の腕に必死にしがみついた。
「お願い、やめて……深紅……!!」
額から流れる血が目に入り、視界が赤く滲む。痛い。怖い。でも、それ以上に——深紅が人を傷つけるところなんて、見たくなかった。
深紅は歯噛みした。炎が激しく揺れる。それでも、真白の必死な眼差しに——彼女は、変身を解除した。
「……くそっ」
真白も、力なく変身を解く。白いワンピース姿に戻った彼女の額からは、まだ血が流れていた。銀色のロングヘアが、風に静かに揺れる。
真白は震えながらも、保護者たちに向き直った。
「……大丈夫です。お子さんたちが、無事で……よかった」
笑顔を作った。精一杯の、笑顔を。
目の前の父親が、はっとしたように表情を変える。他の保護者たちも、ばつが悪そうに視線を逸らした。
「……行くぞ、真白」
深紅はそれだけ言って、真白の細い肩を支え、地面を強く蹴った。
夕暮れの空へ、二人の姿が消える。
後に残ったのは、困惑した保護者たちと、泣き疲れて眠った園児たちだけだった。
——夜。
キサラギシティ北部の住宅街、メゾン・ド・サクラ。築二十年の二階建てアパートで、二人は同棲している。204号室が彼女たちの部屋だ。
窓の外では、街灯がぼんやりと道を照らしている。ミオスジ川の方角から、生ぬるい風が吹いてきた。明日は雨かもしれない。
真白はアパート裏の通路に、一人で蹲っていた。
深紅には、「ちょっとコンビニに行ってくる」と言って部屋を出た。本当は何も買うつもりなんてない。ただ——一人になりたかった。
両手で顔を覆う。
声を殺して、泣いた。
「……っ、……ひっ……!」
涙が指の間から溢れ、膝の上の白いワンピースを濡らす。肩が震える。息がうまく吸えない。
(なんで、こんな——)
なんで私たちは、こんなに頑張っているのに。
誰かのために、傷ついて、怖くて、それでも戦って。なのに、石を投げられるなんて。
(化け物、か)
自分たちは、そんな風に見えているのか。
守りたいと思った人たちから、拒絶される——その痛みが、真白の心に深く突き刺さっていた。
「深紅には……言えない……」
心配をかけたくない。深紅はすぐに怒ってしまうから。今日だって、保護者たちを焼き殺しそうになった。真白が止めなければ、きっと。
(でも——深紅のせいじゃない。私が弱いから)
深紅への依存心が強い真白には、深紅を頼れない。頼ったら、もっと重荷になる。見捨てられたら——生きていけない。
そんな恐怖が、彼女を一人で泣かせていた。
その時だった。
左手首の変身ブレスレットが——微かに、震えた。
「……え?」
真白は涙を拭い、ブレスレットを見つめる。青い宝石が、かすかに闇色の光を帯びている。普段は澄み切った空色なのに、今は夜の深海のような、暗い青。
耳元で、声がした。
——お前の痛みは、無駄だったな。
低く、甘い、囁き。
男とも女ともつかない、温度のない声。
「だ、誰……!?」
真白は慌てて周囲を見回す。誰もいない。街灯の光だけが、薄く地面を照らしている。
ブレスレットを見つめる。もう、闇色の光は消えていた。
(今の……何……?)
心臓がどくどくと嫌な音を立てている。背筋に冷たい汗が伝った。
真白は震える指でブレスレットを外そうとした。でも——
(深紅にだけは、知られたくない)
その想いが、指を止めさせた。
何か、良くないものだ。直感でわかる。なのに、深紅に知られるのが怖くて、真白はブレスレットを外せなかった。
自室に戻ると、深紅が心配そうに待っていた。
「顔色が悪いぞ、真白。……ちゃんと絆創膏、貼っておけよ」
深紅は真白の額の傷に、そっと絆創膏を当てる。その指先が、傷口をなぞるように優しく触れた。
真白は深紅に縋りつくように、抱きついた。
「深紅だけは……私のそばに、いて……」
震える声で、やっとの思いで言う。
深紅は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに強く抱き返した。
「当然だ。お前は私が守る」
迷いのない、真っ直ぐな誓い。
その言葉に、真白の心は少しだけ救われた。
でも——
(これでいいのかな)
深紅の胸に顔を埋めながら、真白の心の奥底で、小さな亀裂が広がっていく。正義を信じる心に刻まれた、最初の傷。
それは決して癒えないだろう——むしろ、これから深く、深く、闇へと誘う裂け目になるとも知らずに。
深夜二時。
真白はベッドの中で浅い眠りに落ちていた。深紅は隣の部屋で寝ている。
枕元のブレスレットが、再び震動する。
——お前は守った。だが奴らはお前に石を投げた。
今度は、より明瞭に。
耳の奥に直接、染み込むような声。
——お前の正義とは、そんなものだ。
真白はうなされる。
夢の中で、深紅が闇の中へ消えていく。真白が必死に手を伸ばしても、届かない。深紅は振り返りもせず、一人で闇の奥へ——
「いや……深紅……行かないで……!」
叫ぼうとしても声が出ない。泣こうとしても涙が溢れない。
ただ、深紅の背中が、どんどん遠ざかっていく——
朝。
「真白、起きろ。……おい、すごい寝汗だぞ。大丈夫か?」
深紅の声で目を覚ます。窓の外は薄曇り。やっぱり、夜中に雨が降ったらしい。
「……深紅」
「うなされてたぞ。顔色も悪いし、今日は休もう」
深紅はタオルで真白の額の汗を拭いてくれる。その手つきが温かくて、優しくて——真白はもう一度、深紅に抱きつきたい衝動に駆られた。
でも。
(昨夜のこと、言わなきゃ)
頭ではわかっている。深紅に話すべきだ。ブレスレットが変だったこと、闇の声が聞こえたこと。
でも——口が開かない。
言ったら、深紅はきっとブレスレットを壊そうとするだろう。あるいは、真白を守るために、もっと無茶をするかもしれない。
(それだけは、嫌だ)
深紅を危険に晒したくない。深紅にこれ以上、重荷を背負わせたくない。
その想いが、真白の口を閉ざさせた。
「……うん、大丈夫。ちょっと夢見が悪かっただけ」
真白は笑った。昨日と同じ、精一杯の笑顔。
深紅は心配そうに真白を見つめていたが、やがて小さくため息をついた。
「……無理するなよ。何かあったら、必ず言え」
「……うん」
窓の外では、雨上がりの雲の切れ間から、薄日が差し始めている。
でも真白の心の中は、まだ曇ったままだった。
(正義って、なんだろう)
子供を守ること? ノロイを倒すこと?
でも、それで石を投げられるなら——私たちのしていることには、何の意味があるんだろう。
左手首のブレスレットは、青い輝きを静かに湛えたまま——何も語らなかった。
でも真白は知っている。あの声は、また来る。
そしてその時、自分は——
「真白、朝ごはんできたぞ」
台所から深紅の声がする。
「……うん、今行く」
真白はベッドから起き上がり、鏡を見た。
そこに映る自分は、ひどくやつれて見える。左目の下の泣きぼくろが、なぜか今日は、涙の跡のように見えた。
深紅への依存と、正義への疑念。
二つの感情が、静かに、しかし確実に——真白の心を蝕み始めていた。
これが、始まりだった。
何もかもが壊れていく、長い長い夜の——最初の亀裂。Noveliaとは?
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