闇堕ちプリキュア・エクリプス —楽園狂宴—
吉祥市――現代日本に似た世界で、プリキュアたちは人々の負の感情から生まれる怪物「ノロイ」と戦っている。真白と深紅は、公でも私でも強い絆で結ばれたパートナーだった。
漆黒の長髪をなびかせ、紅蓮の炎を操る深紅。銀色の三つ編みを揺らし、癒やしの光を放つ真白。息の合った連携で、二人は喝采を浴びる英雄になるはずだった。
だが、すべては幼稚園バスを救ったあの日から変わる。ノロイへの恐怖に駆られた保護者たちは「あんたたちがいるから化け物が来るんだ!」と叫び、石を投げつけた。痣を作り血を流しながら、深夜の公園に逃げ込んだ深紅と真白。真白は声もなく涙をこぼし、深紅は怒りに震える。
そんな心の隙間に、変身アイテムから甘い声が囁きかける。
「辛いだろう。正義なんて捨てろ。俺が解放してやる」
それはアイテムに宿る闇の精霊・ノワール。契約者の絶望を味わい、闇の快楽へと導く、光の精霊の裏の顔だった。深紅は最初こそ拒むが、日々のSNSでの中傷、マスコミの魔女狩り、何より救った人々からの裏切りが彼女の精神を削っていく。そしてついに、ノワールの誘惑に膝を折った。
堕ちた彼女の身体は淫らな闇の光に包まれ、胸元
闇堕ちプリキュア・エクリプス —楽園狂宴— - 甘美なる崩壊の夜明け
真白は、深い闇の底で目を覚ました。
冷たい。手足の先が痺れている。周囲の空気は奇妙にねっとりと重く、呼吸をするたびに肺がざらつくような不快感があった。
(ここは……)
目を凝らす。慣れた天井、古びた照明、壁紙の黄ばみ。間違いない。ここはメゾン・ド・サクラの204号室、自分と深紅の部屋だ。でも、何かが違う。空気の質が、まるで水底に沈められたかのように張り詰めている。窓の外はまだ真っ暗で、星の光さえも届かない深夜の闇だけが広がっていた。街灯の明かりも今夜は消えているらしい。
(何時だろう)
時計を見ようと首を動かす。隣では、深紅が静かな寝息を立てていた。燃えるような赤い髪が枕の上で乱れ、その横顔はどこか幼く見える。深紅の存在だけが、この部屋で唯一の温もりだ。真白はほっと息をつき、そっと深紅の頬に手を伸ばそうとした。
——その時だった。
左手首のブレスレットが、熱を帯びた。
「……え?」
見下ろす。変身ブレスレットの青い宝石が、ぐらりと揺らめくように脈動している。明るい空色の輝きが、深海の色へと暗く沈み、また浮かび上がる。まるで心臓のように、ゆっくりと、でも確実に。
同時に、深紅の左手首にある紅いブレスレットも、同じリズムで脈打ち始めていた。二つの宝石が互いに呼応し合い、共鳴し、部屋全体に微かな振動を広げていく。
——ドクン。
脈動は徐々に強くなる。携帯電話のバイブレーションどころではない。ベッドのフレームがかたかたと震え、床の埃がふわりと浮き上がった。空気が歪む。部屋の隅から、薄紫色の光が滲み出し、じわじわと室内を侵食していく。温度が急激に下がり、真白の吐く息が白く濁る。
「深紅……深紅、起きて!」
真白は慌てて深紅の肩を揺さぶった。深紅は小さく呻いて目を開ける。金色の瞳が、部屋の異変を捉えた瞬間、一気に覚醒した。
「……ブレスレットが」
深紅は左手首を見つめ、歯噛みする。紅い宝石が、今や全体に禍々しい紫の光を帯びて輝いている。真白のブレスレットも同様だった。二つの光が同期し、部屋の中央に向けて細い光の線を伸ばしていく。
「何が起きてるの……!?」
真白はブレスレットを引き剥がそうと右手をかける。でも、できない。まるで皮膚に溶け込んだかのように、外れない。指が震える。心臓が早鐘を打ち、こめかみの奥で血が騒ぐ。
部屋の中央で、二本の光の線が絡み合い、空間がぐにゃりと歪んだ。空気が裂けるような甲高い音。家具が揺れ、窓ガラスに罅が入る。歪みの中心から、濃い紫の霧が噴き出し、それは次第に人の形を成していった。
まず指先が形作られる。異様に長く、しなやかな指。それから腕、肩、胸、腰、長い脚——そして頭部。銀白色の長髪が、重力を無視してふわりと広がり、漆黒の瞳が、まるで吸い込まれそうな深い闇を湛えてそこにあった。端正で中性的な美貌。口元には、優しげでありながら残酷な微笑みが浮かんでいる。
ノワール。
光の精霊の裏の顔が、人格として完全に可視化された瞬間だった。
「久しぶりだね。私の愛しい契約者たち」
その声は、低く甘く、耳の奥から脳髄に直接触れてくるような感触を持っていた。振動でさえなく、意識そのものに直接囁きかけてくる感覚。真白は全身が粟立ち、反射的にベッドから飛び降りて後退った。背中が壁にぶつかる。
「ノ……ノワール……!」
知識としては知っていた。変身アイテムに潜む闇の精霊。契約者の心の隙間に入り込み、闇の快楽へと導く存在。でも、こんな風に完全な姿をとって現れるなんて——そんなことは、一度もなかった。
深紅は素早く真白の前に立ち塞がった。紅いポニーテールが激しく揺れ、右拳に炎の気配が宿る。まだ変身していないのに、熱気で周囲の空気が歪んだ。
「貴様……何のつもりだ」
ノワールは涼しい微笑みを崩さない。まるで、懐かしい子供たちの成長を見守る大人のように——あるいは、獲物を前にした蛇のように、ゆっくりと瞬きをした。
「そう怖がらないでほしいな。私はただ、君たちと話がしたかっただけだよ」
深紅の拳から、一気に炎が噴き出した。灼熱の火柱がノワールに向けて放たれる。でも——
ノワールは右手を軽く掲げただけだった。炎が彼の指先に触れた瞬間、まるで陽炎のようにゆらりと歪み、跡形もなく消え去る。
「無茶をするものじゃない。私は君たちの力の根源だ。君たちの力が、私に傷をつけられるはずがないだろう?」
深紅がぐっと奥歯を噛み締める音が聞こえた。でも彼女は退かない。真白を背中に庇ったまま、ノワールを鋭く睨みつけている。
「用件を言え」
ノワールはゆっくりと部屋の中を歩き始めた。長い指が、壁紙をなぞる。その仕草は優雅で、まるで舞台の上の役者のようだった。
「用件? そうだね……君たちに、問いかけたいことがあるんだ」
彼は立ち止まり、真白と深紅を交互に見つめた。漆黒の瞳が、底知れぬ虚無を宿して輝く。
「君たちは、なぜそれほどまでに苦しまなければならない?」
真白の胸が、ぎゅっと締め付けられる。
「幼稚園バスを襲ったノロイから、園児たちを救った。それに対する報酬が、石だった」
ノワールの声は淡々としていた。でもその一言一言が、真白の心に突き刺さる。額の傷が、疼く。石を投げられたあの感触、罵声、化け物と呼ばれたあの瞬間——全部、昨日のことのように蘇る。
「商店街では、君たちを『人殺し』と罵る群衆から空き瓶を投げつけられた。SNSでは、君たちの顔写真が出回り、あることないこと書き立てられた。君たちが善意でやったことの、何が報われた?」
真白は俯いた。唇が震える。違う、と言いたかった。でも、何も違わない。ノワールは事実を言っているだけだ。
「黙れ……!」
深紅の声は、怒りに震えていた。でもその怒りは、もはやノワールだけに向けられているのではなかった。彼女の金色の瞳が、苦しげに揺れる。
「なぜ黙らなければならない? 私は君の心を代弁しているだけだ。君は怒っている。理不尽な世界に。努力が報われない現実に。何より——真白を傷つけた全てに」
深紅が、小さく息を呑んだ。
ノワールは一歩、深紅に近づく。彼の長い指が、深紅の頬にそっと触れた。
「苦しみ続けることは美徳ではない。それを美徳と呼ぶのは、君たちを使い捨てにしたい者たちの欺瞞だ。君たちには、もっとふさわしい道がある」
真白の全身が総毛立った。ダメだ。これ以上聞いてはいけない。
「やめて!!」
真白は叫んだ。自分でも驚くほど大きな声で。壁に張り付いていた体を引き剥がし、深紅の腕を掴んで部屋の出口へと引っ張る。
「深紅、逃げよう! こいつの言うことを聞いちゃダメ! 私たちはまだ戦える! 変身アイテムの力を、利用されては——」
深紅は、動かなかった。
「……深紅?」
真白が振り返る。深紅の金色の瞳が、何かに縋るような光を宿して真白を見つめている。
「……真白」
深紅の手が、真白の手を握り返した。それは強い力で、真白が逃げ出せないように縋る、縋りつくような握り方だった。
「こいつは……間違ってる。でも、違うとも言えない。私たちは、なんでここまで苦しまなきゃいけないんだ」
真白の胸が、氷の刃で刺されたように冷たくなる。
深紅の顔が、真白のすぐ近くにあった。燃えるような赤い髪の匂い、熱を帯びた吐息、金色の瞳の奥に宿った——狂おしいほどの執着の光。
「お前を守るためなら、私はなんだってやってきた。それなのに——世界はお前を傷つけた。なら、こんな世界を守ることに、なんの意味がある?」
「違う、深紅……違うの……」
真白は首を振る。違う。違うはずだ。私たちは正義のプリキュアで、世界を守るために戦ってきた。なのに——今、深紅の言っていることは。
ノワールは、そんな二人を無言で見つめていた。その美貌に浮かぶのは、深い満足感だ。彼は何も言わない。言わなくても、種はもう蒔かれている。
「お前は、私だけのものだ」
深紅は真白を抱き寄せた。強い力で。背中に回された腕が、真白の細い体を深紅の胸に押し付ける。深紅の心臓の音が、直に伝わってくる。速い。熱い。まるで、真白をそのまま取り込んでしまおうとするかのような抱擁。
「世界がなくてもいい。お前さえいれば、私はそれで……」
「深紅……やめて……」
真白は泣きそうだった。深紅の腕の中で、身動きが取れない。深紅への依存心が強い真白にとって、深紅に抱きしめられることは何よりも幸せなはずなのに——今は、違う。
深紅の愛が、何か別のものに変わっていく。それが怖い。止めなければと思うのに、深紅を失うことがそれ以上に怖くて、何も言えなくなる。
「今夜は、これで充分だ」
ノワールの声が、静かに響いた。彼は優雅に一礼し、身体の輪郭が薄れ始める。
「答えは急がない。ゆっくり考えればいい。君たちが本当に望むものは何か——じっくりと、ね」
紫の霧が晴れ、部屋の温度がゆっくりと戻っていく。ブレスレットの脈動が静まり、歪んでいた空気が元に戻り始めた。
ノワールの姿は、完全に消えた。
でも、部屋の空気は元には戻らなかった。
「……真白」
深紅の腕が、まだ真白を抱きしめている。彼女は後ろから真白の頭に自分の額を押しつけ、深く、深く息を吸い込んだ。
「お前だけは、絶対に手放さない。誰にも渡さない。世界が壊れても、お前だけは……」
それはかつて、何度も聞いた誓いの言葉だった。でも今夜のその言葉は、甘く、暗く、絶望的な執着の色に染まっている。
真白は答えられなかった。深紅の腕を振り払うことが、できない。
だって、深紅だけが自分の全てだから。深紅に嫌われたら、見捨てられたら——自分は、生きていけない。
(深紅……私、どうすれば)
真白は目を閉じた。涙が一筋、頬を伝い落ちる。
窓の外では、夜明け前の空がうっすらと白み始めていた。でもその光は、204号室の中の闇を払うには、あまりに弱々しい。
二本のブレスレットの表面に、暗い紫の紋様が——前夜までよりも、より深く、より濃く、刻み込まれていた。ノワールが二人の精神状態の変化を完全に把握し、次の段階への準備を密かに整えた証拠だった。
真白は、ただ深紅の腕の中で震えることしかできなかった。
暗い夜明けが、すぐそこまで来ていた。Noveliaとは?
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