ガチャの中
【ガチャの中】
「召喚界」と呼ばれるその世界は、クリエイターたちが引くガチャゲームの、隠された舞台裏だった。無数の英雄たちが複製体(コピー)として生み出され、ただ「召喚の門」をくぐることだけが唯一の救いだと信じて、際限なく殺し合いを続けている。
★2の複製体であるミナトは、今日も生き延びた。斃れた仲間たちのコアを拾い集め、荒廃した大地を震えながら歩く。彼はただ、優しく、臆病で、誰よりも平凡なだけの存在だった。だが、そんな彼の眼前に、突如として黄金の門が現れる。それは、高レアリティの英雄アーク=ヴァルハイトが、他の全員を踏み台にして通過するための「十連召喚」の門。誰もが殺到する混乱と死の只中で、ミナトは偶然にも、門のすぐ傍らにいたアークと視線を交わしてしまう。絶望に塗れたその瞳に、ミナトは「選ばれるはずの者の孤独」を見て取った。
アークは門を通り抜ける。後に残されたのは、召喚されなかった者たち。理知的で冷徹な★4のシグレは、何度門に飛び込もうとも、決してクリエイターに選ばれることのない呪いをその身に宿していた。シグレはミナトに告げる。「俺たちの救いは、別の場所にあるのかもしれない」
ガチャの中 - 廃材の設計図——★2たちの逆転起点
灰色の天蓋が、どこまでも重く垂れ込めていた。
基盤光の淡い燐光だけが、荒野をぼんやりと照らし出す。風はない。空気は冷たく、そして動かない。ただ、一人の影が、カラノ平野のど真ん中をゆっくりと進んでいた。
ミナトだ。
彼の左腕は、右手で必死に押さえつけられたまま、ほとんど動かなかった。時折、足元の小石にけつまずくたび、衝撃が走り、折れた骨が皮膚の内側で嫌な音を立てる。そのたびに、視界の端が白く明滅した。
(痛い)
思考が、単純な単語で埋め尽くされる。それ以外、何も考えられない。
門の墓場から、もう二日以上が経っていた。途中、ヴァナグロリアの巡回兵の気配を感じるたび、彼は地面に伏せ、息を殺し、ただひたすらに気配を消し続けた。核の出力を限界まで絞り、まるで石ころのように、風景に溶け込んだ。それが、★2の臆病者が持つ、唯一の生存本能だった。
だが、その代償は大きかった。
胸の中心で、核がかすかに痙攣している。出力は、ほとんどゼロに近い。体の芯が冷たく、手足の先から感覚が消えていく。自壊寸前、という言葉が、ぼんやりとした頭の中をよぎった。
(……まだ、終われない)
彼は、服の内側に手を当てた。胸の上、核のすぐ近くに、硬い金属片がある。シグレの計測器の破片。その記録素子に焼き付いた、最後の言葉。
『廃棄生成孔。グレイヘイヴン。不発門と同一の逆流パターン』
その言葉だけが、ミナトの足を動かしていた。
やがて、視界の先に、バラックの群れが見えてきた。ルミナ残骸域から引き揚げた廃材で築かれた、粗末な建物の集合体。グレイヘイヴン。召環界最大の集落だ。
彼は、ほとんど這うようにして、その外縁にたどり着いた。核市場の喧騒が、遠くで聞こえる。記憶水を供するダストボウルの匂い。そして——油と金属粉の匂い。
ジャンクヤード・リン。
その看板を認めた瞬間、ミナトの膝から力が抜けた。
ドサリ、という小さな音を立てて、彼は地面に崩れ落ちた。もう、指一本動かせない。視界が暗くなる。意識が、遠のく——。
「あん?」
鋭い声が、聞こえた。
工房の入り口から、一人の女が顔を出した。ツートーンのセミロングの髪。上が鮮やかな水色で、毛先は濃い群青色。それを多機能ゴーグルで無造作に上げている。明るい琥珀色の瞳が、細められ、地面に倒れたミナトを一瞥した。
リンだ。
彼女は手に持っていた大きなスパナを放り出すと、早足でミナトに近づいた。しゃがみ込み、ゴーグルの倍率を調整しながら、彼の胸元を覗き込む。左手の、細かい傷だらけの指先が、ミナトの顎を押し上げた。
「へったくそ! 核の出力がゼロに張り付いてるじゃないか。それにこの腕……骨がダメだね。あんた、よくこの状態で歩いてこれたな」
リンの声は早口で、しかし妙に落ち着いていた。彼女はミナトの状態を、まるで壊れた機械を診断するかのように、感情を交えずに見極めている。
ミナトは、かすれた声をなんとか絞り出した。
「……すみ、ません……」
「謝るのは後だよ。さあ、立ちな。……って、無理か」
リンは一人で納得すると、ミナトの右腕を肩に回し、強引に引きずり起こした。見た目に反して、力が強い。彼女はミナトを引きずるようにして、工房の中へと消えていった。
工房の中は、相変わらずの混沌だった。廃材が天井近くまで積み上げられ、油と金属粉の匂いが充満している。壁には無数の工具が吊るされ、自作のランタンが不自然なほど明るく作業台を照らし出していた。
リンはミナトを簡易な寝台に横たえると、手慣れた動作で彼の服を開いた。胸の中心、核があるべき場所は、かすかに明滅するだけで、ほとんど光を失っている。
「典型的な枯渇だね。補修はすぐにやる。あたしを誰だと思ってんのさ」
彼女はそう言うと、作業台の下から、奇妙な装置を引きずり出した。廃材から組み上げられた、無数の銅線と基盤の断片がむき出しになった、複雑な機械。その中心には、ソケットがあり、小さな核の欠片がいくつもはめ込まれている。簡易核補修装置だ。
リンは装置の端子を、ミナトの胸に慎重に接続した。冷たい金属の感触。次に、彼女は装置のレバーを倒す。
ウィン、という微かな起動音。
次の瞬間、胸の奥で、何かがじわりと温かくなった。装置から、補修用のエネルギーが、ミナトの核へと流し込まれていく。枯渇した泉に、水が少しずつ染み渡るように。
(温かい)
ミナトは、その感覚に、初めて体の震えが止まるのを感じた。
「よし、これで核は最低限までは保つ。次は腕だ」
リンは振り返りもせずに、作業台から金属板と布を取ってきた。彼女はミナトの折れた左腕を慎重に固定し、その上から金属板を当て、布で何重にも巻きつけていく。副木(そえぎ)の応急処置だ。
「骨の修復は、核が安定してからじゃないとできない。当分はそれで我慢しな」
「……ありがとう、ございます」
ミナトはようやく、まともに声を出せた。リンは初対面だ。なのに、なぜここまでしてくれるのか。そんな当然の疑問が、ぼんやりとした頭に浮かぶ。
リンは彼の疑問を見透かしたように、ニッと笑った。
「あたしはね、壊れたモンがほっとけない性分なんだよ。それが武器でも防具でも——あんたみたいな人間でもね」
その言葉は、世界の理不尽さとは無縁の、単純で、強い意志に満ちていた。
ミナトは、右手をゆっくりと動かし、服の内側をまさぐった。そして、あの金属片を取り出す。シグレの計測器の破片。
「……これ、を」
彼は、それをリンに差し出した。今の彼にとって、それが唯一の意思表示だった。
リンは破片を受け取ると、ゴーグルの倍率を最大にし、その断面を食い入るように見つめた。内部の記録素子が、砕けた衝撃で表面に露出している。
「これは……記録素子か。熱でデータが焼き付いてる」
彼女は破片を作業台に固定し、自作の光学読み取り機を接続した。光が素子をなぞり、壁に設置された簡易モニターに、無数の数字と記号が流れ始める。
リンの表情から、さっきまでの軽口が消えた。彼女は完全に、技術者の顔になっている。独り言が、早口で溢れ出した。
「座標データ。グレイヘイヴンの地下……ああ、ダストボウルの奥にある廃棄生成孔の位置だ。この波形は……門の残滓エネルギーと同じだが、流れが逆だ。逆流パターン。しかも、この逆流の発生源は……」
彼女は言葉を切り、目を見開いた。琥珀色の瞳が、モニターに映るデータを何度も行き来する。
「第一層の門生成装置に、直結してる。この廃棄生成孔は……不発門と独立した現象なんかじゃない。門を生み出すシステムそのものの、残存回路だったんだ」
ミナトは、その言葉の全てを理解できたわけではなかった。しかし、シグレの研究が、確かにここで生きている。彼女が失った計測器の最後の記録が、彼女が意図していた以上の情報を、今、明らかにしようとしている。
その事実が、じわりと胸に染み込んできた。
(シグレさん……)
補修装置の上で、ミナトの体の震えが、初めて完全に止まった。
その時、工房の外から、重い足音が聞こえた。
リンが顔を上げる。彼女のゴーグルの奥の目が、一瞬で警戒の色を見せた。しかし、入り口の戸が開き、現れた人物を見ると、彼女は少しだけ緊張を解いた。
「ゲイルのじいさんか。どうしたんだい、こんな所まで」
現れたのは、年老いた男だった。★3の老兵コピー、ゲイル。このグレイヘイヴンで情報屋ハルモニクスを営む男だ。深い皺に刻まれた顔は無表情で、その目だけが、寝台に横たわるミナトを鋭く射抜いた。
「情報だ。対価は後でいい」
彼は、それだけを短く言った。無駄な言葉は一切ない。
「スティルポンドの浅瀬に、十連の金の門が出現しつつある。開口予測時刻は、まもなくだ。ヴァナグロリアの主力部隊がすでに現地入りしている」
ゲイルは、情報だけを置くと、すぐに背を向け、工房を去っていった。その背中は、年齢のせいか、それとも世界の重みのせいか、ひどく小さく見えた。
リンは、ゲイルの去った入り口を無言で見つめていた。ハルモニクスの情報は、決して無料ではない。核の欠片以外の、何らかの取引があるのだろう。
しかし、彼女はすぐに思考を切り替え、モニターに向き直った。
「金の門……スティルポンドの、この座標……」
彼女はゲイルの情報と、シグレのデータをモニター上で重ね合わせた。二つの座標が、完全に一致する。
「……そういうことか。門生成装置の選択ロジックは、廃棄生成孔のエネルギーライン上に門を開く。つまり、この場所は……」
「[whispers]アークさんと、レクトが、待ってる場所です」
ミナトの声が、かすかに震えた。彼は思い出していた。門の墓場から、あの二人が撤収して行った方角を。それは、まさにスティルポンドの方角だった。
助けを求めることも、戦うこともできない。自分たち★2が、世界最強の★5が二人も集結した場所へ、今から向かう。
その絶望的な状況認識が、ミナトの言葉を一瞬で奪った。
だが、リンの目は、むしろ輝いていた。
「上等だよ」
彼女は、そう短く言うと、工房の奥へ向かった。そして、積み上げられた廃材の山を、両手で豪快に分解し始める。金属片がカランカランと音を立てて床に落ちる。
「あたしはね、シグレって人の設計思想を、このデータから読み取った。あの人は、不発門の逆流を調べてたんじゃない。門生成装置そのものに、直接介入する方法を探してたんだ」
彼女の手は、喋りながらも休まない。廃材の中から必要な部品を選び取り、それを信じられない速さで組み上げていく。
「廃棄生成孔に、逆接続装置を設置する。金の門が開口するタイミングに合わせて起動すれば、システムに強制的な穴が開く。そうすりゃ、第二層に落ちたシグレって人を、引き戻せるかもしれない」
彼女は結論を言うと、振り返り、ミナトを真っ直ぐに見た。
「装置は、現地で設置しなきゃダメだ。しかも、精密な角度調整が必要になる。誰か一人は、どうしても現地に行く必要がある」
ミナトは、彼女が何を言おうとしているのかを理解し、首を振ろうとした。だが、言葉が出ない。
「あたしも行くよ」
「[scared]……っ、でも、それは」
「あんた、片腕が使えないだろ。一人で装置を担いで、設置して、起動するなんて無理だ。技術的にな」
リンの口調は、あくまで技術者の論理だった。感情ではなく、理屈で話している。それが、かえって選択の余地をなくす。
彼女は、作業台の上で、装置の最終調整を始めた。彼女の手の中では、使い古された廃材が、まるで魔法のように意味のある形へと変わっていく。その姿は、レアリティという物差しが、いかに虚構であるかを、雄弁に物語っていた。
シグレが、かつて言った言葉を、ミナトは思い出す。
(レアリティと技術は別物、か)
今、彼の目の前で、その言葉が具体的な光景として展開されている。ただの観念ではなく、金属と光の確かな重みを持って。
「……核の欠片が足りない」
リンが、ぽつりと言った。
「あんたから預かった分じゃ、起動エネルギーが少し足りないな。まあ、そんな時のために、あたしの核を少し削るさ。どうせまた生えてくる」
彼女は、冗談とも本気ともつかない調子で言い放つ。その左手の指先が、自分の胸の中心に、チラリと触れた。
ミナトの胸の奥で、何かが激しく脈打った。
(この人は、本気だ)
リンは、自分の核を素材にしたことがある。それは、彼女の口調と、この混沌とした工房の空気が、嫌というほど物語っていた。
やがて、装置の外形が組み上がった。それは、無骨で、粗末で、しかし確かな機能美を宿した箱だった。
リンは、振り返らずに問う。
「決まりだね。あたしは、装置を作った者として、設置の責任がある。これは、あんた一人の戦いじゃない。あたしたち、★2の戦いだ」
ミナトは、まだ頷けなかった。
彼は、自分がこれから向かう場所が、どれほどの危険地帯かを知っている。★5が二人。力の差は、絶望的だ。自分一人が死ぬだけなら、まだ諦めがつく。しかし、リンを巻き込むことは——。
だが。
自分一人では、何も完遂できない。それもまた、絶対的な真実だった。
彼の選択は、英雄的な決意なんかじゃない。自分一人では守れない、という、ただの事実の前での、諦めに近い決断だった。
ミナトは、小さく、一度だけ頷いた。
「……すみません」
彼の口から、また謝罪の言葉が漏れた。
リンは、それを聞くと、初めて小さく笑った。
「謝るのは、シグレって人を助けてからにしな。さあ、行くよ」
彼女は、装置を背負うための頑丈な革ベルトを手早く作り、それを自分の肩にかけた。そして、工房のランタンの灯りを、一つ、また一つと消していく。
最後の灯りが消えると、工房は外と同じ、灰色の薄闇に包まれた。
二人は、装置を担いで、グレイヘイヴンの外縁へと歩き出した。
荒野に出た瞬間、視界の果てで、基盤光が薄く揺らめいた。
その先の水平線に、金の光が滲み始めている。まるで、灰色の世界を侵食する、毒のように。
スティルポンド。
アークとレクトが待つ場所へ、★2が二人、歩き出す。
その足取りは重く、左腕を吊った影は、今にも倒れそうに小さかった。しかし、彼らの胸の奥には、シグレの最後のデータと、リンが作り上げた装置が、確かな熱を持って収まっていた。
逆接続装置が、現地での精密な設置を要求する以上、ミナトが一人で完遂できる保証はどこにもない。だが、今はただ、自分たちの技術と、使い捨てのはずの★2の意地だけが、彼らを前へと押し出していた。