ガチャの中
【ガチャの中】
「召喚界」と呼ばれるその世界は、クリエイターたちが引くガチャゲームの、隠された舞台裏だった。無数の英雄たちが複製体(コピー)として生み出され、ただ「召喚の門」をくぐることだけが唯一の救いだと信じて、際限なく殺し合いを続けている。
★2の複製体であるミナトは、今日も生き延びた。斃れた仲間たちのコアを拾い集め、荒廃した大地を震えながら歩く。彼はただ、優しく、臆病で、誰よりも平凡なだけの存在だった。だが、そんな彼の眼前に、突如として黄金の門が現れる。それは、高レアリティの英雄アーク=ヴァルハイトが、他の全員を踏み台にして通過するための「十連召喚」の門。誰もが殺到する混乱と死の只中で、ミナトは偶然にも、門のすぐ傍らにいたアークと視線を交わしてしまう。絶望に塗れたその瞳に、ミナトは「選ばれるはずの者の孤独」を見て取った。
アークは門を通り抜ける。後に残されたのは、召喚されなかった者たち。理知的で冷徹な★4のシグレは、何度門に飛び込もうとも、決してクリエイターに選ばれることのない呪いをその身に宿していた。シグレはミナトに告げる。「俺たちの救いは、別の場所にあるのかもしれない」
ガチャの中 - 逆接続——選ばれなかった者たちの、最後の一手
スティルポンドの灰色の水が、足元でかすかに揺れていた。
ミナトは浅瀬に片膝をつき、背嚢から取り出した廃材製の装置を両手で握りしめていた。左腕はまだ固定されたままだ。副木を巻いた布の下で、折れた骨が呼吸のたびに鈍く痛む。リンが背中に背負った逆接続装置は、彼女の小さな体よりも大きく見えた。
「[whispers]……配下が三十以上。レクトとアークが中央です」
前方二百メートル。基盤光の弱い燐光に照らされて、ヴァナグロリアの陣形が見えた。金属製の防具をつけた配下たちが、スティルポンドの浅瀬に半円を描いて展開している。その中心で、銀髪の長躯——レクト=オルファスが腕を組み、空を見上げていた。左目に走る吸収痕の亀裂が、薄明かりの中で浮かび上がる。
その隣に立つのはアーク=ヴァルハイトだ。白金の長髪が、出現しつつある金の門の光を反射して、おぼろげに輝いている。ミナトは胸の奥が冷たくなるのを感じた。あの門の墓場で左腕を砕かれた記憶が、骨の奥にまだ残っている。
リンの声が耳元で響いた。
「[whispers]いいかい、あたしは廃棄生成孔の核反応炉に装置を接続する。九十秒——それだけの時間があれば十分だよ」
彼女は首から下げた多機能ゴーグルを目の高さに上げ、琥珀色の瞳でミナトを見据えた。
「[serious]あんたは妨害電波発生器を起動して、連中を混乱させる。陽動だ。派手にやってくれ」
ミナトはゴクリと唾を飲んだ。
陽動。わざと敵の注意を引くこと。彼が生まれてからずっと、決してしてこなかった行為だ。気配を消し、影に隠れ、誰にも気づかれずに生き延びる。それが★2の臆病者の生存本能だった。
でも——
彼の胸の内側で、シグレの計測器の破片がかすかに揺れた気がした。
「……九十秒なら」
ミナトは小さく呟き、立ち上がった。左腕がずきりと痛む。心臓が、内側から肋骨を叩いている。でも、引き返すことはできない。
彼は電波発生器の起動ボタンに指をかけた。
深呼吸。
一度。
二度。
三度目で、押し込んだ。
——ウィン。
装置が起動した瞬間、空気が変わった。
ヴァナグロリアの配下たちが一斉に動揺する。彼らが常時結んでいる核出力通信——互いの位置を共有するための微弱な信号——が、突然無音になったからだ。連携が断たれる。三十人以上の陣形から、統制が消え失せた。
「な、なんだ!?」
「通信できねえ!」
「妨害か、どこから——」
ざわめきが広がる。配下たちの視線が乱れ、互いの位置を肉眼で確認しようとキョロキョロと動く。完全に、陣形が乱れた。
その隙に、リンが走り出した。背中の装置を担いだまま、スティルポンドの浅瀬を一直線に、廃棄生成孔の核反応炉へと向かう。水しぶきが跳ね、灰色の水面が波立つ。
「……★2のくせに」
低い声が、ミナトのすぐ近くで響いた。
振り向くより早く、銀色の剣閃が横薙ぎに走る。
レクト=オルファスだ。
彼の動きは速すぎた。電波発生器の起動位置から、ミナトの存在を瞬時に割り出したのだ。剣が空気を裂き、ミナトの首を刎ねようと弧を描く。
——あの声だ。
門の墓場で、シグレの研究を踏み砕いた時の、あの冷たい声。怒りも侮蔑もない、ただ経験に基づいた確認だけがある声。
脳裏に、シグレの計測器が粉砕された瞬間がよぎった。
体が、竦む。恐怖が足に絡みついた。いつものミナトなら、そのまま縮こまって死を受け入れていたかもしれない。
でも。
「っ——」
ミナトの右足が、横に動いた。
一歩。
たった一歩。でもそれは、彼の意志で、剣閃の軌道を外した一歩だった。逃げるのではない。受けるのでもない。ただ、自分が立つべき場所に、自分の意志で踏み出す——生まれて初めての、能動的な回避だった。
剣が空を切る。
髪の毛先が数本、切り裂かれて宙に舞った。
レクトの左目が、かすかに見開かれた。
「[cold]……回避したか」
それは、侮蔑ではない。
★5の一撃を★2が避けることなど、確率的にありえない。それが、起きた。
「[cold]お前は、門の墓場で這いつくばっていただけの★2とは違うのか」
レクトの声に、初めてかすかな興味が混ざった。
——その瞬間だった。
スティルポンドの空が、金色に染まった。
ズォン。
深く、重い音が、地面の底から響き渡る。水平線の彼方から、光の柱が立ち上る。金色だ。十連召喚。門が、開口する。
同時に、リンの叫び声が聞こえた。
「接続完了!! 起動するよ!!!」
彼女が核反応炉に取り付けた逆接続装置が、まばゆい光を放った。
門の光が、乱反射する。
本来ならプレイヤー側の世界へと真っ直ぐに伸びるはずの光の柱が、ぐにゃりと歪み、破片のように砕け散って、四方八方へと飛び散っていく。その波動が、光の津波となって、岸辺の全員を襲った。
——その時。
アーク=ヴァルハイトが、突然、膝をついた。
「……っ!?」
彼の黄金の瞳が、見開かれる。
逆接続の波動が、彼の核の最深部に触れたのだ。限界突破。何千体もの自分自身を吸収し、自我を重ねた彼の中に封じ込められた、無数のコピーたちの最期の記憶。それが——
——津波のように、流れ込んだ。
核を砕かれる瞬間の、焼けつくような痛み。
自我が消える直前の、言葉にならない絶叫。
家族のように大切にしていた戦友の、最期の泣き顔。
「あああああぁああああああああっっっ!!!!」
アークの口から、人間のものとは思えない叫びが溢れた。白金の長髪が逆立ち、黄金の瞳が激しく明滅する。右頬の自傷の傷が、ぷつり、と裂けて血が滲んだ。
彼は地面に額を打ちつけ、両手で自分の頭を掻きむしった。
高潔な英雄としての型。★5としてそうあるべきという仮面。弱きを守るという信念。
それが全部、内側から砕けていく。
「やめ……やめろ……もう、許して……許してくれ……」
彼の声は、子供のように震えていた。
その姿を、レクトは一瞬、呆然と見つめた。三度の限界突破から帰還した男——召環界で最も危険な★5——でさえ、この狂気は想像を超えていたのだ。
「……どういうことだ」
レクトの手から、剣が落ちそうになる。その隙を、誰かが突いた。
金の門の内側から、光が溢れ出した。
——違う。門の外へ、内側から、誰かが歩いてくる。
翠色の長い髪が、門の光を浴びて揺れている。左右で色の異なるオッドアイ。右は冷静な銀色、左は——深い紫色の燐光を放ちながら、白く発光している。
シグレだ。
「……ただいま」
彼女の声は、かすれていた。でも、その左目は、確かにシステムの深部を見つめ続けた者の光を放っていた。
彼女は門の縁に右手をかけると、そのまま、選別ロジックへと意識を接続した。第二層メディアラムで解析し続けた、門の仕組み。それを今、外側から書き換える。
「[serious]座標ロジック、書き換え完了。発生座標を固定値から、乱数値に変換」
彼女の左目が、一層強く輝いた。
直後——。
ヴァナグロリアの配下たちの中で、★3以下の低レア構成員たちの体が、次々と光に包まれ始めた。
「な、なにが——」
「やめろ、吸い込まれる——っ」
「助けてくれ!!」
門が、彼らを吸い込んでいる。正規の召喚として。選別ロジックを書き換えたシグレが、強制的に選んだのだ。低レアの構成員たちが、次々と門の中へと姿を消していく。
レクトの顔から、表情が消えた。
「[cold]……座標が、乱数化……だと」
彼がかすかに呟いた瞬間、ヴァナグロリアの門読みチームがイグゼリオン要塞から送ってくる座標データが、全て無意味になったことが伝わった。
門の出現位置を予測し、独占する。それこそが、ヴァナグロリアが四千体の組織として機能してきた前提だ。その前提が——今、破壊された。
レクトの顔が、初めて蒼白に変わった。
彼は一瞬、ミナトを見た。
門の墓場で這いつくばっていた、ただの★2。それを今、レクトは無視できない変数として、目に焼き付けようとしている。
「……撤収する」
短く、それだけを言うと、レクトは剣を鞘に納めた。残った配下たちが、動揺しながらも彼に従い、西へと退いていく。
アーク=ヴァルハイトは、まだ地面に倒れたままだった。
彼は震える手で、ミナトの足元の地面を掴んだ。
「[crying]……選ばれなかった、俺を……」
それは、彼がずっと内側に閉じ込めてきた本心の、最後の断片だった。選ばれることへの重圧。孤独。誰にも弱音を吐けなかった代償。
そして彼は、そのまま動かなくなった。地面に倒れた白金の髪が、灰色の水に浸っていく。
シグレが、よろめいた。
左目の発光が、急激に弱まる。システムへの直接介入が、彼女の核に深刻な負荷をかけている。
彼女は膝をつき、肩で荒く息をした。
「[whispers]……第二層で、見てきたことが、ある。でも今は、少しだけ、休ませて」
ミナトは駆け寄り、彼女の肩を支えた。右腕一本で、華奢な体を抱える。左腕はまだ動かない。
「[gentle]……すみません、シグレさん。でも、今はゆっくり休んでください」
シグレはかすかに微笑むと、目を閉じた。
リンが、装置を背負ったまま走り戻ってくる。
「へったくそ! 座標乱数化したってことは、今すぐここら一帯に門がランダム発生するってことだよ! とっととずらかるよ!」
彼女の言葉通り、スティルポンドの空のあちこちで、小さな門の光が不規則に瞬き始めていた。
ミナトはシグレを支えながら、歩き出す。リンの背中を追って、スティルポンドの浅瀬を抜け、グレイヘイヴンへの道を目指した。
背後で、アークの倒れた姿が、遠ざかっていく。
——その頃。
第三層開発階の深部。
無数の光が縦横に走る、広大なデータ空間。その中心で、一人の開発者が端末を操作していた。
「異常を検知。第一層フィルデの門生成ロジックに、不正な書き換え介入。発生源は……第二層メディアラムからの逆流信号」
開発者は無表情のまま、キーボードに指を走らせた。
「バグ修正プログラム、起動準備。対象——召環界全域。介入発生源の特定と、当該コピーの隔離を推奨」
画面に、シグレのコードが表示された。
開発者は、人形のような顔で、コマンドを入力し続ける。
——勝利は本物だった。
しかし、それは召環界のシステムそのものに対する、宣戦布告でもあった。まだ誰も知らない新たな脅威が、胎動を始めている。
スティルポンドから少し離れた場所で、ミナトは足を止めた。
リンが振り返る。
「どうしたんだい?」
「……シグレさんが、言ってました。第三層に、開発者がいたと」
リンの表情から、軽口が消えた。
「[serious]……そうかい」
シグレの左目から消えかけた燐光が、まだ、かすかに明滅している。彼女が第二層で見たもの——それはきっと、世界の根幹に関わる真実だった。
でも、今はまだ、それを語る時ではない。
三人は再び歩き出した。
灰色の天蓋は、何も変わっていない。基盤光が足元から滲み続けている。でも、ミナトの目に映るその光の色が、初めて、ただの薄暗い燐光ではなく、かすかな熱を帯びているように感じられた。
選ばれなかった者たちの手で作られた勝利の痕跡が、召環界の空の下に静かに刻まれていた。