甘い嘘と苦い本音
カリスマデザイナー・飴村亂數、24歳。幼い外見と無邪気な笑顔でシブヤの若者たちを魅了する彼には、誰にも言えない秘密があった——中王区の極秘プロジェクトが生み出した、感情を持つクローン人間だということを。命をつなぐ特製飴が尽きたとき、追手の影が忍び寄る。天才医師・神宮寺寂雷だけが知る、彼の本当の姿。甘い笑顔の裏に隠された苦い本音が、静かに胸を締めつける。これは、嘘と本音のあいだで生き続ける一人の男の物語。
甘い嘘と苦い本音 - 飴玉と嘘とシンジュクの夕暮れ
飴村亂數は、シンジュク中央病院の地下へと続く階段を降りていた。
コンクリートの壁に囲まれた、ひんやりとした空気。消毒液の匂いが、かすかに鼻をつく。地下二階は、一般の患者が足を踏み入れることのない領域だった。神宮寺寂雷の私設研究室。亂數の命綱である特製飴が、ここでしか作れない場所。
(……また、ここに来ちまった)
亂數は心の中で呟いた。ポケットの中の瓶は、もうほとんど空だ。最後の一粒が、ガラスの内側で小さく転がる音がする。あの日、萬屋ヤマダで一郎に会ってから、何とかごまかしてきた。でも、体は正直だった。指先が時々、自分のものじゃないみたいに震える。心臓が、時々、妙にゆっくりと脈打つ。
(寂雷に会いたくない。でも、飴がなきゃ死ぬ)
その二つの感情が、ぐるぐると胸の中で渦を巻いていた。
「入ってきたまえ、乱数くん」
扉の向こうから、低く落ち着いた声が聞こえた。まだノックもしていないのに。
亂數は小さく息を吐いて、笑顔を作った。いつもの、天真爛漫な仮面を。
「やっほー、寂雷先生!相変わらず気配に敏感だねー。もしかして、僕の足音だけで誰か分かっちゃうの?」
扉を開けると、白い壁の研究室が広がっていた。壁一面に並んだ本棚。机の上に積み上げられた資料の束。そして、部屋の中央で、長身の男がこちらに背を向けて立っている。
神宮寺寂雷。シンジュク・ディビジョンのリーダーであり、この病院の院長。身長は195センチもある。痩せた体に白衣をまとったその姿は、医者というより、どこか修行僧のような雰囲気を漂わせていた。長い黒髪を後ろでひとつに束ね、こちらを振り返る。その瞳は、深い湖のように静かだった。
「君の足音は、他の誰よりも軽い。まるで、床を踏んでいないかのようだ。……それだけ、体が限界に近いということでもある」
寂雷は、靜かにそう言った。亂數の笑顔が、一瞬だけ固まる。
(こいつは、いつもそうだ。全部お見通しなんだよ)
亂數は、心の中で舌打ちした。
「何言ってるのー?僕は元気だよ!ほら、ぴょんぴょん跳ねちゃうくらい!」
亂數は、その場で軽く跳ねてみせた。ピンク色のふわふわした髪が、ふわりと揺れる。左目の下の泣きぼくろが、蛍光灯の下で影を作った。
でも、着地した瞬間、足の裏に鈍い痛みが走った。細胞が、悲鳴を上げている。
(やばい。思ったより、きてる)
亂數は、笑顔を保ったまま、心の中で歯を食いしばった。
寂雷は、そんな亂數をじっと見つめていた。その目には、哀れみとも、心配ともつかない、複雑な光が浮かんでいる。
「乱数くん。今日、君に来てもらったのは、他でもない。新しい試作品が完成したんだ。これまでの飴よりも、細胞の崩壊を遅らせる効果が、約1.7倍高い」
寂雷は、机の上に置かれた小さなガラス瓶を手に取った。中には、透明なラムネ色の飴が、数粒入っている。
亂數の胸が、ドキリと鳴った。
(新しい飴……)
嬉しいはずだった。これで、またしばらくは生きられる。でも、その感情よりも先に、別の感情が湧き上がってくる。
(こいつは、本気で俺を治そうとしてる)
寂雷は、亂數の体を治す方法を、本気で探している。それは、ただの医者としての義務感からではない。もっと深い、個人的な感情からだ。
亂數には、それが分かっていた。分かっているからこそ、居心地が悪かった。
「へえ、すごいねー!さすが天才医師様!でも、僕は今の飴で十分だよ。新しいのは、もっと辛いとか苦いとか、そういうオチでしょ?」
亂數は、わざと軽い調子で言った。寂雷の手から瓶を受け取らず、後ろ手を組んで、研究室の中をふらふらと歩き回る。本棚の背表紙を指でなぞり、机の上の資料をちらりと覗く。
「味は、前回のものより少し甘くしてある。君が食べやすいように、ラムネの風味を強くしたんだ」
寂雷は、亂數の気を逸らすような行動を、咎めたりはしなかった。ただ、靜かに瓶を机の上に置いた。
「……乱数くん。私は、君を治したい。本気で、そう思っている。君が『失敗作』だなどと、私は一度も思ったことはない。君は、ただの患者だ。私が救うべき、大切な患者だ」
亂數の足が、ぴたりと止まった。
背中に、寂雷の視線を感じる。真っ直ぐで、偽りのない、医者の目。
(……同情だろ)
亂數は、心の中で呟いた。
(俺が、クローンだから。中王区に追われてる、かわいそうな失敗作だから。だから、助けたいんだろ)
亂數は、ゆっくりと振り返った。その顔には、相変わらず完璧な笑顔が貼り付いている。
「あはは、何言ってるの?僕は病人じゃないよ。ちょっと体が弱いだけの、ただのデザイナーだよ。それより寂雷先生、そんなことより、早く飴ちょうだい?僕、これから新作のデザイン考えなきゃいけないんだー」
亂數は、寂雷の目の前まで歩いていき、机の上の瓶に手を伸ばした。
その時だった。
「放っておいてくれ、か。……君は、いつもそうやって、人を遠ざける」
寂雷の靜かな声が、亂數の手を止めた。
「君が、私のことを信頼していないのは分かっている。それでも、私は諦めない。君が、自分のことを『失敗作』だと言うのを、私は聞き捨てることができない」
亂數は、瓶を掴んだまま、動けなかった。
(やめてくれよ)
心の中で、声にならない叫びが響く。
(そんな目で、俺を見るな)
寂雷の目は、あまりにも優しかった。まるで、傷ついた子供を見るような、慈しみに満ちた目。
亂數は、その視線に、どうしようもなく苛立った。
「もー、寂雷先生ってば、話が長いよ!飴はもらうけど、お説教は結構でーす!」
亂數は、わざと明るい声で言って、瓶をポケットに押し込んだ。そして、寂雷から目を逸らす。
その時、研究室の扉が、ノックもなしに開いた。
「おい、寂雷の旦那。頼まれてた飴、持ってきたぜ。……って、お前、乱数!?なんでこんなところにいんだよ!」
聞き覚えのある、力強い声。
亂數は、反射的に振り返った。
そこには、黒い髪に赤いメッシュが入った、長身の男が立っていた。山田一郎。イケブクロ・ディビジョンのリーダーで、萬屋ヤマダの経営者。185センチの体に、ラフなパーカーとジーンズを身につけている。その手には、紙袋が提げられていた。
「え、一郎くん!?なんでここに!?」
亂數は、素っ頓狂な声を上げた。
(まずい。一郎に、飴のことを知られたら)
一郎は、亂數の姿をまじまじと見つめた。その赤い瞳が、驚きに見開かれている。
「いや、俺は旦那に頼まれて、特製飴を届けに来たんだよ。お前こそ、こんなところで何してんだ?……もしかして、体の調子でも悪いのか?」
一郎の声には、心配そうな色が混ざっていた。
亂數は、とっさに笑顔を作った。
「ちょっと体の相談だよ!大したことじゃないの!それより一郎くん、寂雷先生と知り合いだったんだね!意外な組み合わせ!」
亂數は、一郎の追及をかわそうと、話題を変えた。
その時、寂雷が、靜かに口を開いた。
「一郎くん。彼は、君を信頼している」
亂數の心臓が、大きく跳ねた。
「……は?」
思わず、低い声が出た。地声。本音の声。
一郎が、目を丸くする。
寂雷は、構わず続けた。
「彼は、私には心を開かない。だが、君には、素の自分を見せた。……私は、その事実を、とても嬉しく思っている」
寂雷は、そう言って、一郎の持っている紙袋に目をやった。
「一郎くん。その飴は、君に預けよう。乱数くんの飴の管理を、君に任せたい」
「は?俺が?」
一郎は、困惑したように首を傾げた。
亂數は、心の中で激しく動揺していた。
(なんで、寂雷がそんなことを)
(俺が、一郎を信頼してる?)
(そんなわけ、ないだろ)
でも、心のどこかで、別の自分が囁いていた。
(……あの日、一郎に会ってから、少しだけ、楽になったのは事実だ)
亂數は、その考えを振り払うように、一郎に詰め寄った。
「なんであんたが、俺の飴を管理するんだよ。関係ないだろ。……これは、俺と寂雷の問題だ」
地声で、乱数は一郎に食ってかかった。
一郎は、亂數の剣幕に、一瞬たじろいだ。でも、すぐに、その赤い瞳をまっすぐに見返した。
「……困ってる奴を、放っておけないだけだ」
一郎は、そう言って、にかっと笑った。八重歯がのぞく。
亂數は、その笑顔に、また心臓を掴まれたような気がした。
(……こいつは、いつも、そうだ)
(真っ直ぐで、馬鹿みたいに優しくて)
亂數は、一郎の目を見ていられなくなって、視線を床に落とした。
「……ふざけんな」
小さく、呟いた。
そして、亂數は、寂雷の研究室を飛び出した。
一郎の「おい、待てよ!」という声が、背中に追いかけてくる。
でも、振り返らなかった。
走って、走って、病院の外に出る。
外は、もうすっかり暗くなっていた。
シンジュクの街に、ネオンがきらきらと輝いている。医療地区の街路樹が、風に揺れて、かさかさと音を立てていた。
亂數は、病院から少し離れた場所で、立ち止まった。
肩で息をする。肺が、ひゅうひゅうと音を立てる。
(同情なんていらない)
亂數は、心の中で、呪うように呟いた。
(俺は、失敗作なんだから)
ポケットの中の瓶を、ぎゅっと握りしめる。寂雷からもらった新しい飴。一郎が届けようとしていた飴。
(俺は、誰かに助けてもらう資格なんてない)
(中王区に追われて、仲間を裏切って、嘘を塗り固めて生きてきた、汚いクローンだ)
亂數は、夜空を見上げた。星は、ほとんど見えない。街の明かりが、空をぼんやりと明るくしていた。
(寂雷の言う通りだ。俺は、人を遠ざける)
(だって、近づいたら、いつか裏切ることになる)
(The Dirty Dawgを、俺が壊したんだ)
亂數は、唇を噛んだ。血の味が、ほんの少しした。
その時だった。
「おい、乱数!勝手にいなくなるなよ!」
後ろから、一郎の声がした。
亂數は、びくりと肩を震わせた。
(追いかけてきたのか)
振り返ると、一郎が、息を切らしながら立っていた。手には、紙袋。
「……これ、忘れてくぞ」
一郎は、紙袋を亂數に差し出した。
亂數は、その袋を見つめた。受け取るつもりは、なかった。
「……いらない」
低い声で、そう言った。
でも、一郎は、引かなかった。
「いらないって言われても、俺は困るんだよ。旦那に預かったもんを、持ち帰るわけにはいかねえだろ」
一郎は、亂數の手を取って、無理やり紙袋を握らせた。
亂數は、その手の温かさに、心臓が大きく脈打つのを感じた。
(やめろよ)
(そんな風に、俺に触るな)
亂數は、一郎の手を振り払おうとした。
でも、体は、言うことを聞かなかった。
指が、無意識に、紙袋を握りしめる。
そして、ポケットに、しまっていた。
「……は?」
自分で、自分の行動に、驚いた。
一郎は、それを見て、嬉しそうに笑った。
「ほら、素直に受け取ったじゃねえか」
「ち、違う!これは、その、……手が勝手に!」
亂數は、顔を真っ赤にして、言い訳した。
一郎は、亂數の頭を、ぽんぽんと軽く叩いた。
「まあ、何かあったら、いつでも来いよ。俺、萬屋ヤマダにいるから。……あ、そうだ。これ、俺の名刺。前にも渡したけど、もう一回な」
一郎は、ポケットから名刺を取り出して、亂數に差し出した。
亂數は、その名刺を、じっと見つめた。
「山田一郎」
(……また、これかよ)
前にももらった。まだ、ポケットの中に、前の名刺が入っている。
「……あんた、ほんとに余計なお世話だな」
亂數は、小さく笑った。
今度は、作り笑いじゃなかった。
心の底から、ほんの少しだけ、笑えた気がした。
一郎は、亂數のその笑顔を見て、満足そうに頷いた。
「おう、よく言われる。……じゃあな、乱数。あんまり無理すんなよ」
一郎は、手を振って、夜の街へと歩き去っていった。
亂數は、その後ろ姿を、見えなくなるまで見つめていた。
(……なんで、あいつは、あんなに真っ直ぐなんだ)
亂數は、ポケットの中の紙袋を、そっと握りしめた。
温かい。
一郎の手の温かさが、まだ残っている気がした。
……
その夜、シブヤ・アンダーグラウンド2層にあるFling Posseの隠れ家。
亂數は、自分の休息室のベッドに座っていた。
手には、一郎から受け取った紙袋。
中を開けると、透明な袋に入った特製飴が、こぼれ落ちそうなほど入っていた。
「……こんなに、もらったのか」
亂數は、袋から飴を一粒取り出して、口に入れた。
ラムネ味。甘い。
でも、寂雷の作る飴は、本当は苦い。乱数が「ラムネ味」と言っているだけで、実際は薬草の苦みが強い。
(……あれ?)
亂數は、首を傾げた。
(苦くない。……いや、苦いんだけど、なんか、違う)
寂雷が作った飴と同じ、苦い味。なのに、なぜか、少しだけ違う気がした。
(気のせいか)
亂數は、もう一粒、口に入れた。
やっぱり、少しだけ違う。
(なんだろう、これ。……甘い、のか?)
苦いのに、甘い。
寂雷の飴にはない、不思議な味がした。
(一郎が、持ってたからか?)
そんな馬鹿なことを考えて、亂數は、一人で苦笑いした。
その時だった。
窓の外で、かすかな物音がした。
亂數は、反射的に身を伏せた。
カーテンの隙間から、外を覗く。
……暗い路地に、人影。
黒ずくめのスーツ。
(掃除屋……)
亂數は、息を潜めた。
(また、監視を強めてやがる)
人影は、ゆっくりと、こちらに近づいてくる。手には、小さな機械のようなものを持っていた。
亂數は、音を立てないように、窓から離れた。
ポケットの中の瓶を、振ってみる。
カラカラ。
寂雷からもらった新しい飴と、一郎から受け取った飴。
(まだ、大丈夫)
亂數は、自分に言い聞かせるように、呟いた。
でも、心の奥底では、分かっていた。
(時間がない)
掃除屋の監視は、日増しに強くなっている。アジトの場所も、もう、ばれているかもしれない。
(一郎に、飴を預けてもらったのは、正解だったかもな)
亂數は、一郎の顔を思い浮かべた。
(……いや、違う。あいつを、巻き込むわけにはいかない)
亂數は、首を振った。
(俺は、一人で逃げるんだ。ずっと、そうしてきた)
(……でも)
亂數は、紙袋の中の飴を、もう一粒、口に入れた。
(なんで、こんなに、落ち着くんだろう)
飴の甘さが、じんわりと、体に染み渡っていく。
(一郎の、せいだ)
亂數は、心の中で、そう呟いた。
(あいつが、余計なお世話を焼くから。あいつが、あんな風に笑うから)
亂數は、ベッドに横になった。
天井を見上げる。
(……説明できない感情)
亂數は、一郎のことを考えるたびに、胸の奥が、むず痒くなるような、温かくなるような、不思議な感覚に襲われる。
(これは、なんなんだ)
亂數には、それが何なのか、分からなかった。
……
翌朝。
亂數は、萬屋ヤマダ シブヤ支店の前に立っていた。
(……なんで、俺、ここに来てるんだ?)
自分でも、よく分からなかった。
ただ、一郎に、伝えたいことがあった。
(昨日は、ありがとう)
たった、それだけの言葉。
でも、どうしても、口から出てこない。
店の前で、行ったり来たりする。
「おや、乱数ちゃん。どうしたんだい?店の前で、うろうろして」
店のドアが開いて、キヨが顔を出した。
「あ、キヨさん!おはよう!ちょっと、お散歩してただけだよ!」
亂數は、とっさに笑顔でごまかした。
「ふふ、そうかい。……ああ、そうだ。一郎くんなら、今日は店に来てるよ。今、奥で荷物の整理をしてるはずだよ」
キヨは、にこにこ笑いながら、そう言った。
「……え!?なんで、一郎くんの話を!?」
亂數は、顔を真っ赤にした。
「だって、あんた、一郎くんに会いに来たんだろ?違うのかい?」
キヨは、いたずらっぽく笑った。
「ち、違うし!僕は、お煎餅を買いに来ただけだし!」
亂數は、声を裏返らせて、否定した。
でも、キヨは、亂數の言葉を信じていないようだった。
「はいはい、そういうことにしておくよ。ほら、早く入りな。一郎くん、奥にいるから」
キヨは、亂數の背中を、ぽんと押した。
亂數は、観念して、店の中に入った。
店の奥の倉庫から、ダンボールを運ぶ音が聞こえる。
亂數は、恐る恐る、倉庫の入り口に立った。
そこには、一郎が、汗をかきながら、ダンボールを積み上げていた。
「……乱数?」
一郎が、亂數に気づいて、手を止めた。
「……おう」
亂數は、小さく返事をした。
(言え。ありがとう、って言うんだ)
心の中で、自分に言い聞かせる。
でも、口が、開かない。
(……くそ)
亂數は、一郎の顔を見た。
一郎は、亂數が何か言いたそうにしているのを察して、黙って待っていてくれた。
その優しさが、逆に、亂數の心を締め付ける。
(なんで、俺は、こんな簡単なことが言えないんだ)
亂數は、ポケットに手を突っ込んだ。
指先が、飴の瓶に触れる。
(……そうだ)
亂數は、瓶から飴を一粒取り出した。
そして、一郎の前に、差し出した。
「……これ、やるよ」
一郎は、目を丸くした。
「……飴?俺にか?」
「……特別にね」
亂數は、高い声で、そう言った。
一郎は、しばらく、亂數の手のひらの上の飴を見つめていた。
そして、ふっと笑った。
「おう、サンキュー。ありがたく、もらっておくぜ」
一郎は、亂數の手から、飴を受け取った。
その指が、亂數の指に、ほんの少し触れた。
亂數の心臓が、ドクンと跳ねた。
(……ああ、もう)
亂數は、心の中で、ため息をついた。
(なんで、こんなに、ドキドキするんだよ)
一郎は、受け取った飴を、口に入れた。
「……あれ?これ、苦いな。ラムネ味じゃないのか?」
一郎は、顔をしかめた。
「僕は、この苦いのが好きなの!一郎くんには、まだ早かったかな?」
亂數は、笑いながら言った。
「いや、苦いけど、なんか、後味が甘いな。……悪くないぜ、これ」
一郎は、飴を転がしながら、そう言った。
亂數は、一郎のその言葉を聞いて、胸の奥が、じわりと温かくなるのを感じた。
(……一郎も、そう感じるのか)
寂雷の飴とは、少し違う、甘さ。
その正体は、まだ、分からない。
でも、それが、少しだけ、嬉しかった。
「でしょ?僕のお墨付きだよ!」
亂數は、いつもの笑顔で、そう言った。
……
萬屋ヤマダを出た後、亂數は、シブヤの裏通りを歩いていた。
ポケットの中のスマホが、震える。
取り出して、画面を見る。
それは、Fling Posseの隠れ家に設置した、監視カメラからの通知だった。
「……アジトの場所、特定されたか」
亂數は、低い声で呟いた。
画面には、アジトの入口に近づく、黒ずくめの男たちの姿が映っていた。
掃除屋。
三人。
「……やっぱり、時間がない」
亂數は、表情を引き締めた。
一郎に飴を渡した時の、あの温かい気持ちは、もう、どこかへ消えていた。
代わりに、冷たい現実が、のしかかってくる。
(俺は、逃げなきゃいけない)
(誰も、巻き込んじゃいけない)
亂數は、スマホをポケットにしまい、足早に路地の奥へと消えていった。
その背中を、シブヤの朝の光が、追いかけていた。
……だが、その光は、すぐに、ビルの影に遮られて、亂數の姿を、闇の中へと溶かしていった。Noveliaとは?
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