裏で嗤う
教室の片隅で、今日も鳴海快斗の机が蹴られる。隠される教科書、捨てられる上履き、そして決まり文句の「空気読めよ、陰キャ」。東京の名門私立・明鏡学園で、快斗は誰にも見えていない。誰も気にしない。誰も助けない。ただのいじめられっ子だ。
だが、誰も知らない真実がある。放課後、誰もいない教室で、快斗のスマホは鳴り止まない。「天音さん、過去の中間テストの過去問ありますか?」「あの先生の裏情報、いくらですか?」「彼氏の浮気調査、できますか?」
そう、快斗こそが“天音”——学園の裏市場を牛耳る伝説の匿名情報屋なのだ。半年間、彼は静かにいじめっ子たちの秘密を集めてきた。リーダー格・黒川竜也のカンニング証拠。No.2・田辺健太の万引き。他の連中の裏アカや、あやしいパパ活の噂。すべての証拠は、いつでも撃てる状態にある。
唯一の味方は、快斗の正体を知るクールでドライな一学年下の後輩、真島理久。「ただのビジネスです」と言い張る理久だが、なぜか稼いだ金はいつも「調査費用」として快斗の懐に戻ってくる。
舞台は整った。学園文化祭。メインステージ、全校生徒の面前で。華麗なる逆転劇が幕を開ける——だが、物語はそこ
裏で嗤う - 表と裏——いじめられっ子の仮面
チョークの粉が舞う、いつもの教室。
そいつは、朝っぱらから俺の机に馬鹿でかい字を書いた。
「キモイ」
黒の油性マジックが、安っぽい机の表面で鈍く光ってる。まだ乾いてもいない。描いた本人は、マジックを指先でくるくる回しながら、クラスの連中に聞こえるように叫んだ。
「見ろよ、お前ら。鳴海の机、マジできめえよな!この落書きのほうがまだマシなくらいじゃね?」
教室のあちこちから、クスクスって笑い声が漏れた。
顔を上げると、でっかい図体が目の前にあった。黒川竜也。185センチのくせに、茶髪のセンターパートなんて気にしてる。つり目はいつも攻撃する相手を探していて、今は嬉しそうに俺を見下ろしてる。こいつの父親は、この学園のPTA副会長だ。それだけで、教師も誰も、逆らえない。
だからこいつは、いつもこんな顔だ。自分がここで一番強くて、何をしても許されるって信じてる顔。
俺は何も言わず、自分の席へ向かった。
「おい、消すなよ鳴海。てめえにはその落書きがお似合いだ」
手に取ろうとした雑巾を、黒川がひったくる。
黒川の後ろで、田辺健太が立ってた。168センチのやつは、茶髪のクセ毛を気にするように頭をかいてる。目は細くて、いつも何かに怯えてるみたいだ。こいつは黒川の腰巾着で、いつも一緒にいる。でも、俺を直接いじめる度胸はない。
田辺は俺と目が合うと、すぐに視線をそらした。
教室の後ろでは、担任の宮園が黒板に背中を向けたまま、黙って書き物をしてる。聞こえてないふりだ。いや、本当に聞こえないようにしてるんだ。この学校じゃ、それが一番正しいやり方だから。
俺は俯いたまま、その場に立ち尽くした。
窓から差し込む朝の光が、やけにまぶしかった。
---
この私立明鏡学園は、東京の都心から電車で50分の瀬田丘市にある、偏差値62の中堅進学校だ。表向きは穏やかな校風で通ってる。
でも実態は、親の権力とコネがモノを言う、ただの格差社会だ。
PTA役員の子供には教師も頭が上がらない。いじめがあっても、誰も見て見ぬふり。だって、面倒なことは隠しとけば、それで済むから。
4年前、俺は中学生だった。
当時、中等部で似たようなことがあった。先輩の二階堂って人が、いじめを訴えたんだ。でも学校は何もしなかった。むしろ、訴えた二階堂の方を悪者にして、結局転校させちゃったんだ。それ以来、俺は知ってる。学校に助けを求めても無駄だって。
自分の力で、なんとかするしかない。
でも今はまだ、ただ黙って、頭を下げてやり過ごすだけだ。
「……消してもいいか」
俺は俯いたまま呟いた。
黒川は満足そうに笑って、雑巾を床に放り投げた。
---
4時間目の国語。教室は昼前の怠い空気でいっぱいだった。
俺は窓際の一番後ろの席で、ぼんやりとノートを取るふりをしてる。黒縁のメガネ越しに見える教科書の文字が、どうでもよく感じた。前の席からは、黒川の背中が見える。教室の真ん中あたりで、いつも堂々としてる。
ガタン。
突然、机の下から何かが飛んできた。
俺の教科書だ。床に落ちて、開いたページがぐしゃぐしゃになる。黒川が後ろ向きに足を伸ばして、蹴り飛ばしたんだ。教科書はそのまま、教室の隅にあるゴミ箱のところまで滑っていった。
「……あ」
隣の席から、田辺が小さく声を漏らした。でも、動かない。いや、動けないんだろう。田辺の細い目は、一瞬だけ教科書を見て、すぐに黒川の背中に視線を戻した。拾うのを手伝いたいけど、怖くてできない。そんな顔だ。
担任の宮園は、チラッとこっちを見た。でもそれだけ。
「では、次の段落を頼む。……黒川くん、どうぞ」
先生は何事もなかったみたいに、教科書を読み上げるように言った。
俺は静かに立ち上がった。
教室の床を歩く。誰もこっちを見てない。いや、見てるけど、すぐに目を逸らす。このクラスで俺を見ることは、黒川に逆らうことと同じだからだ。
ゴミ箱から教科書を拾い上げた。ページの端に、何かベタッとついてる。カレーの染み。昨日の誰かのゴミだろう。
誰とも目を合わせずに、自分の席に戻った。
俯きながら、汚れたページを指でこする。何が悲しいって、教科書が汚れたことじゃなかった。
こんな日常に、もう慣れてしまってる自分が、一番腹が立った。
---
昼休み。カフェテリア「ミラージュ」は、いつもの喧騒に包まれていた。
焼きそばパンの並ぶ配膳カウンターには列ができてる。窓際の6人掛けテーブルには、すでに黒川グループが陣取ってた。田辺もその端っこに座って、笑い声に合わせて曖昧に頷いてる。
俺は入口近くの、一番隅の席に座った。
トレイの上にはカレー。学食のカレーは400円で結構うまい。でも今日は、あんまり味がしない。
「はい、鳴海くん。今日はコロッケ、サービスしとくね」
顔を上げると、カフェテリアのベテランスタッフ、稲葉さんが微笑んでた。彼女は60代で、ここでもう20年も働いてるって聞いたことがある。しわのある手で、俺のカレーの皿にこっそりコロッケをのせてくれた。
「あんた、いつも一人で大変ね。遠慮しなくていいから、きちんと食べて」
「……すみません」
「謝ることないよ。さ、食べて食べて」
稲葉さんは、いつの間にか俺にだけおかずを多めにくれてる。気づいてるけど、誰も指摘しない。たぶん、ここで俺がどういう扱いかをわかってるからだ。でも彼女だって、深くは首を突っ込めない。この学校も、結局そういう場所だから。
それでも、黙っておかずをのせてくれる手があったかいと思った。
俺はフォークを握って、カレーを口に運ぶ。
窓の向こうでは、校庭のケヤキが風で揺れてた。校門へ続くケヤキ坂は、秋の紅葉がもうすぐ始まる。放課後のあの坂道、街灯が少ない区間で黒川たちが待ち伏せすることもある。俺はいつも、人の流れを計算しながら帰宅ルートを選ぶ。
そういう暮らしに、もう慣れてた。
---
放課後のチャイムが鳴った。
みんなが一斉に立ち上がり、部活やら帰宅やらで慌ただしく動く。教室がざわつく中、俺はゆっくりとカバンを手に取って、図書室の方向へ歩き出した。
本館の階段を、人波に紛れて上がる。2階、3階。
階段を上がるたびに、人の数が減っていく。4階まで来ると、特別教室が並ぶ廊下はしんと静まり返ってた。美術室の油絵の具の匂いが、かすかに漂ってる。
廊下の突き当たり。一番奥。
そこに、「第二資料室」のプレートがある。
もう誰も使わないこの部屋は、本館の端っこでひっそりと埃をかぶってる。俺はポケットから、合鍵を取り出した。去年、用務員室の棚から予備キーを拝借して、こっそり複製したヤツだ。
カチャリ。
古いシリンダー錠が、軽い音を立てて開く。
中に入って、ドアを閉める。途端に、廊下の喧騒が遠のいた。
目の前には、古ぼけた書架が6本。誰も読まなくなった百科事典が200冊、ぎっしりと詰まってる。窓際には、もう使われなくなった旧型のプロジェクターが一台、ホコリを被って放置されていた。
ここが、俺の城だ。
書架の裏、壁との隙間。手を伸ばすと、ジップロックの袋に触れた。引っ張り出すと、中から出てきたのはサブのスマホ。それと、小さなノートPCと数本のUSBメモリ。
俺は黒縁のメガネを外した。
一気に視界がクリアになる。背筋を伸ばして、スマホの電源を入れた。
スクリーンに、暗号化メッセージアプリ「ヴェイル」のアイコンが光る。エンドツーエンドで保護されたこのアプリは、一定時間で送ったメッセージを消す機能もある。誰が送っても、誰が受け取っても、互いに匿名のハンドルネームしかわからない。
画面を開いた。
未読のメッセージが7件。
『遍さん、中間テストの数学の過去問、まだありますか』
『体育の吉村先生、婚約者がいるのに二股かけてるって、証拠ありますか』
クラスメイトからの依頼。彼らが送ってるのは、俺が運営する匿名の情報屋「遍(アマネ)」宛だ。
俺は淡々と返信を打つ。
「数学過去問 5,000円。吉村先生の件、証拠写真あり 15,000円」
値段交渉も、支払いも、ぜんぶヴェイル越し。依頼者は、俺が誰かなんて知らない。ただ「遍」という名前だけが、校内で都市伝説として囁かれてる。なんでも知ってる情報屋。テストの過去問から、教師の弱み、生徒のスキャンダルまで、金さえ積めば何でも教えてくれる。
これまで半年で、利用者はのべ40人くらい。売り上げは50万近い。その金で、このサブスマホや小型ボイスレコーダー、VPN通信費を賄ってきた。
「……さて」
依頼の処理が終わったところで、俺は小型PCを開いた。
USBメモリを差し込む。画面に並ぶファイル。
・K_cheating_01.mp4(黒川カンニング常習の動画)
・T_shoplifting_cam.mp4(田辺のコンビニ万引き映像)
・ura_account_log.txt(裏アカウントでの誹謗中傷、パパ活疑惑の証拠)
半年かけて、集めてきた。あいつらが調子に乗ってる隙を狙って、一台一台、証拠を積み上げてきたんだ。
ファイルを開く。
黒川が試験中にスマートウォッチをチラ見する映像。左手首に光る画面。カンニングの瞬間だ。こいつはこの映像で、一発で終わりだ。でも、それだけじゃ足りない。万引き、裏アカ、パパ活疑惑。グループ全員の弱みをまとめて、一気に全部ぶちまける。
その舞台は、もう決まってる。
あと2週間。文化祭「鏡花祭」。
体育館のメインステージに集まる、全校生徒720人と保護者500人。あの巨大な150インチスクリーンに、この映像を映し出す。黒川が司会を務める開会式の真っ最中だ。
想像して、口元がわずかに緩んだ。
でも、問題がある。
体育館のAV機材室は、管理が厳重すぎる。鍵を持ってるのは教頭と、生徒会の白石凛花っていう役員だけ。映像を流すための端末に接続できないと、計画は絵に描いた餅だ。
俺は窓辺に歩み寄った。
第二資料室の窓からは、校庭と体育館が一望できる。今は部活動で、グラウンドを走る陸上部の姿が見えた。体育館のシャッターは閉まったままで、あの中には誰もいない。
窓枠に肘をつく。
夕日が、西の空をオレンジ色に染め始めてた。校門へ続くケヤキ坂も、秋の陽だまりの中で静かに伸びてる。この景色を、何度ここから見たかわからない。
「あと14日か……」
俺は漏らした。
体育館にあのスクリーンがある限り、あそこが俺の戦場だ。でも一人じゃ、どうやっても鍵に辿り着けない。誰かの協力が必要だった。誰かを、引きずり込まないといけない。
初めて、焦りが表情に出た。
夕日が体育館の壁に反射して、やけに眩しい。まだ方針は決まらない。
ただ、ここで止まるわけにはいかない。
4年前、二階堂が助けを求めても誰も動かなかった。だから俺は、自分の力で、自分のやり方で、終わらせる。
教室の隅で俯いてるだけの鳴海快斗は、もう終わりだ。
俺は、情報屋「遍」だ。
窓の外で、部活の掛け声がかすかに聞こえた。Noveliaとは?
Noveliaは、AIでライトノベルや二次創作を「読んで・数タップで作って・キャラクターと会話できる」プラットフォームです。挿絵つきの新作が毎日届き、無料で始められます。