裏で嗤う
教室の片隅で、今日も鳴海快斗の机が蹴られる。隠される教科書、捨てられる上履き、そして決まり文句の「空気読めよ、陰キャ」。東京の名門私立・明鏡学園で、快斗は誰にも見えていない。誰も気にしない。誰も助けない。ただのいじめられっ子だ。
だが、誰も知らない真実がある。放課後、誰もいない教室で、快斗のスマホは鳴り止まない。「天音さん、過去の中間テストの過去問ありますか?」「あの先生の裏情報、いくらですか?」「彼氏の浮気調査、できますか?」
そう、快斗こそが“天音”——学園の裏市場を牛耳る伝説の匿名情報屋なのだ。半年間、彼は静かにいじめっ子たちの秘密を集めてきた。リーダー格・黒川竜也のカンニング証拠。No.2・田辺健太の万引き。他の連中の裏アカや、あやしいパパ活の噂。すべての証拠は、いつでも撃てる状態にある。
唯一の味方は、快斗の正体を知るクールでドライな一学年下の後輩、真島理久。「ただのビジネスです」と言い張る理久だが、なぜか稼いだ金はいつも「調査費用」として快斗の懐に戻ってくる。
舞台は整った。学園文化祭。メインステージ、全校生徒の面前で。華麗なる逆転劇が幕を開ける——だが、物語はそこ
裏で嗤う - 共犯者——クールな後輩の秘密
土曜日の放課後。
平日の喧騒が嘘みたいに、校舎は静まり返ってた。廊下を歩く自分の足音だけが、コツコツとやけに大きく響く。
鳴海快斗は人気のない本館の階段を、一段一段上がっていった。
ポケットの中では、合鍵が冷たく指に触れてる。第二資料室——誰も来ない、埃っぽいあの部屋だけが、今の自分にとっての安らぎだ。
4階に着いた。
廊下の突き当たりにある古びたドアの前で立ち止まる。薄汚れた「第二資料室」っていうプレートが、いつも通り斜めにかかってた。鍵を差し込んで、回す。
カチャリ。
軽い音がして、ドアが開いた。
中に入ると、古い本と埃の匂いが鼻をつく。これが、唯一安心できる匂いだ。俺は黒縁のメガネを外して、机代わりの古い書架に置いた。視界がクリアになる。
さて、と。
書架の裏からサブのスマホを取り出して、電源を入れる。暗号化メッセージアプリ「ヴェイル」の画面が、薄暗い部屋でぼんやり光った。未読が3件。
『遍さん、古典の赤点回避策、ありますか』
『前回の映像、もっと高画質で欲しいんですけど』
『部活の顧問、パワハラの証拠って取れます?』
俺は淡々と返信を打つ。
「赤点回避 8,000円。映像の高画質版 プラス3,000円。パワハラ証拠、調査に1週間 20,000円」
これで半年間、40人近くの依頼を処理してきた。テストの過去問から教師の弱み、クラスメイトのスキャンダルまで。金を積めば何でも教える匿名の情報屋——みんなは俺のことを「遍(アマネ)」って呼ぶ。
もちろん、俺がクラスでいじめられてる地味な鳴海快斗だってことは、誰も知らない。
画面をスクロールして、黒川グループの証拠ファイルに目を通す。カンニングの動画、万引きの映像、裏アカウントのログ。これらを文化祭のスクリーンにぶちまければ、あいつらは一発で終わる。
でも——まだ問題が残ってる。
体育館のAV機材室に入る手段が、まだ見つかっていなかった。鍵を持ってるのは教頭と、生徒会役員の白石凛花だけ。どっちも俺が気軽に近づける相手じゃない。
「どうすっかな……」
そんな時だった。
ギィ。
突然、ドアが開く音がした。
俺の体が、ビクッと跳ねる。サブスマホをとっさに隠そうとした手が、本の背表紙に当たってカタカタと音を立てた。
誰も来ないはずのこの部屋に、誰かが入ってくる。
「君が遍なんだろ」
静かな声だった。
顔を上げると、ドアのところに立ってるやつがいる。白髪を後ろで一つにまとめて、切れ長の灰青色の目が、冷めた感じでこっちを見てた。整った顔立ちだけど、感情が読めない。
制服を見ると、ネクタイの色が1年だ。背は俺より少し高い、175センチくらいか。
でも——こいつ、誰だ。
「……誰だ、お前」
俺はぶっきらぼうに言った。教室にいる時の弱々しい口調は、もう消えてる。ここは俺の城だから、余計な猫をかぶる必要はない。
「真島理久。生徒会役員で、体育館のAV機材室の鍵を管理してる」
そう言って、そいつ——理久は制服のポケットから、小さな鍵束を取り出した。金属のぶつかる音が、静かな部屋にやけに大きく響く。
「……何が狙いだ」
「狙いっていうか、まあ、面白そうだから手を貸そうと思って」
理久はつまらなそうに言うと、勝手に部屋の中を歩き始めた。書架の間を抜けて、窓際の古いプロジェクターをチラッと見る。まるで、ここが自分んちみたいな態度だった。
「待て。誰にも言うな」
俺は一歩、理久に詰め寄った。
身長は向こうの方が高いのに、なぜかひるまない。教室で黒川に怯えてるのとは、まるで別人だ。
「言う気なら、もう言ってる」
理久は振り返って、また冷めた目でこっちを見た。
「君が遍だってことは、3ヶ月前から分かってた。ヴェイル上の情報売買のアクセスパターンを追跡してたら、君のスマホに行き着いただけ。で、文化祭で何かやるつもりだってことも、買った機材のリストを見ればだいたい分かる」
こいつ——どれだけ調べてやがる。
俺は舌打ちした。こんなやつが存在すること自体、想定外だ。
「で、なんで俺に手を貸す」
「学校の腐った権力をぶっ壊すの、面白そうじゃん」
理久はほんの少しだけ、口元を歪めた。笑ったのかもしれない。
「体育館の映像システムを使えば、君がやりたいことはできる。でも、機材室の暗証番号と物理配線の知識がないと無理だ。それに、君の帳簿を見ると——」
そう言って理久は、俺の小型ノートPCを勝手に開いた。
「おい!」
俺が手を伸ばす前に、画面にUSBメモリのファイル一覧が表示される。半年分の取引記録と、売上50万円の帳簿。
「半年で50万円か。でも、その大半は機材とVPN通信費に消えてる。君ひとりじゃ、プロジェクターの入力系統に細工するだけで限界があるはずだ」
グウの音も出なかった。
理久の言う通りだ。俺は体育館の機材までは手が回ってない。予算も知識も足りない。だからこそ、AV機材室の鍵が必要だったのに、攻略できずにいたんだ。
「僕は映像機材の管理担当で、文化祭当日のプログラム進行も任されてる。内部からシステムを操作できる。君のサブスマホから映像を遠隔送信するのも、機材室の端末に接続するのも可能だ」
理久は淡々と言うと、PCの画面を閉じた。
「……なぜ、そこまで」
「だから、面白そうだから。それだけ」
本当の理由は言わない気だ。でも——確かに、こいつが必要なのは間違いない。
「……分かった」
俺はため息をついた。
「賢明だね」
理久は軽く頷くと、ドアの方へ歩き出した。
「体育館に行こう。機材チェックをしとくべきだ。本番まで、あと14日しかない」
俺はサブスマホをポケットに突っ込んで、メガネをかけ直した。
——共犯者。
そう呼ぶにはまだ早いけど、一人でやるよりは確実に前進する。そう信じて、俺は理久の後を追った。
***
体育館はがらんとしていた。
シャッターが降りた薄暗い空間に、二人分の足音が響く。フローリングの床はワックスがかかってて、かすかにツンとした匂いがした。
ステージの上には、150インチの巨大なスクリーン。これが、俺の最終兵器になる。
「こっち」
理久はステージの袖にあるAV機材室のドアを、鍵束で開けた。
中は約6畳くらいの狭い部屋だった。壁一面に機材ラックが並んでて、プロジェクターの制御盤、音響ミキサー、映像入力端末、照明コントローラー——まだ新しい機材の匂いがする。
「意外とちゃんとしてんだな」
「去年、PTAの寄付で一式更新したんだよ。黒川竜也の父親が、半分くらい出したらしい」
思わず鼻で笑った。
あの親父のカネで揃えた機材が、自分の息子を葬る舞台になるとはな。なんて皮肉だ。
「で、どうやる」
「まず、君のサブスマホをこの入力端末にBluetoothでペアリングする。当日は、機材室の中で僕が端末を操作して、君のスマホから映像をプロジェクターに遠隔送信する仕組み。問題は、プロジェクターの入力系統にあらかじめ細工が必要なこと。これには最低10日かかる」
理久は配線図を取り出して、壁のケーブルの束を指差した。
「ここに分岐を入れて、君の映像信号を最優先にする設定を仕込む。スクリーンに何が映ってるか、観客席からは分からないように。でも、やるのは深夜か早朝——人目につかない時間帯じゃないと厳しい」
「それ、お前一人でできるのか」
「たぶん、まあ」
たぶん、まあ、じゃ困るんだが——でも、今はこいつに賭けるしかない。
俺は自分のサブスマホを取り出して、理久に手渡した。
「接続テスト、今やろう」
理久は頷いて、端末の電源を入れた。液晶画面が青白く光る。ケーブルを手際よく差し込み、スマホを認識させる。
数分後。
「……つながった」
画面に「接続成功」の文字が浮かび上がった。
ほっと息が漏れる。これで、少なくとも技術的な壁は越えたんだ。
「君は文化祭で、全部終わりにするつもり?」
理久が、急にそんなことを聞いてきた。
「ああ」
俺は短く答えた。
「それで、君は満足できるの」
沈黙が流れた。
機材のファンが低くうなる音だけが、狭い部屋に響いてる。理久の灰青色の目は、冷たいままで、でも何かを探るようにこっちを見てた。
俺は答えなかった。
答えられなかった。
「……まあ、いいや。とりあえず、今日はこれで終わりにしよう」
理久はそう言って、機材の電源を落とした。
***
体育館を出たのは、もう夕方に近かった。
空はオレンジ色に染まり始めてる。秋の日は短い。ケヤキ坂の並木道は、紅葉にはまだ早くて、でも風が吹くたびに葉擦れの音がざわざわと響いた。
「あいつら、本当に何も知らないんだな」
突然、理久がつぶやいた。
何のことだ——そう思って顔を上げたら。
前方から、聞き覚えのある笑い声が近づいてくる。
「おいお前ら、明日からやつの席、廊下な!」
デカい図体。茶髪のセンターパート。つり目が、獲物を見つけたようにこっちを睨んでる。
黒川竜也だ。
後ろには、いつもの取り巻き連中が3人。その中に、田辺健太の姿もある。田辺は俺と目が合うと、すぐに視線を泳がせた。
「おっ、噂をすれば鳴海じゃねえか。お前の机、明日から廊下に移動な。教室には置かせねえから」
黒川は俺の前で立ち止まって、見下ろすように笑った。185センチの巨体が、夕日を背に黒い影を作る。
「や、やめとけよ黒川……」
田辺が、蚊の鳴くような声で言った。でも、すぐに黒川が振り返って——
「あ? うるせえ、お前には関係ねえだろ」
——一蹴された。
田辺は口を閉ざして、うつむく。その顔が、青白く見えた。
俺は無表情で、黒川の横を通り過ぎた。喧嘩する気も、言い返す気もない。こんなのは、いつものことだ。
理久は隣を歩きながら、黒川たちを冷めた目で一瞥した。
「あいつら、自分が何も知らないってだけで幸せだな」
その声に、田辺が一瞬だけ振り返った。
何か言いたそうに口を開きかけて——でも、黒川に呼ばれて、慌てて走り去る。
「田辺! 何モタモタしてんだ!」
「あ、わりぃ、今行くっす!」
田辺の背中が、夕日に染まるケヤキ坂を駆け下りていった。
あいつも、内心じゃ罪悪感に押しつぶされそうなんだろう。でも、それを表に出せない。出したら自分がやられるからだ。この学園のヒエラルキーは、そうやってできてる。
「行こう」
俺は理久に声をかけて、また第二資料室へ歩き始めた。
***
資料室に戻った俺たちは、机代わりの書架に向かい合って座った。
USBメモリをノートPCに差し込む。黒川グループの証拠が、ファイル名でズラリと並んだ。
・K_cheating_01.mp4(黒川のカンニング動画)
・T_shoplifting_cam.mp4(田辺の万引き映像)
・ura_account_log.txt(黒川の裏アカウント、パパ活疑惑)
・group_slander_log.txt(グループ全体の誹謗中傷記録)
「これだけあれば十分だ」
理久はファイルをざっと見て、淡々と言った。
「問題は、当日に黒川を壇上に確実に立たせる方法だ。クラスの出し物のリーダーを自称してるけど、実際にオープニングでスピーチをするかは未定だ」
「あいつ、調子に乗ってるから、壇上には勝手に上がるだろ」
「でも、正式にプログラムに組み込まれてなかったら、AV機材室の端末から映像を切り替えるタイミングが読めない。確実にスピーチの時間を決める必要がある」
俺は黙った。確かに、理久の言う通りだ。
「じゃあ、スピーチさせるように仕向ければいい」
「……どうやって」
「生徒会から指名する形を作る。文化祭の開会式では、各クラスの代表が一言ずつ挨拶するのが恒例だから、それを2年C組は黒川竜也にやらせればいい。でも——」
「でも?」
「クラス担任の推薦が必要なんだ。宮園先生のサインがないと、生徒会は動かせない。そして、宮園先生はPTA副会長の息子である黒川に逆らえない。つまり、黒川がやる気になれば通る話ではある」
「あいつ、目立ちたがりだからな。クラス代表の挨拶って聞いたら、すぐ飛びつくだろ」
「そう。じゃあ、その方向で動こう。君はクラスの方から黒川にオープニングスピーチの話を流して、僕は生徒会の資料に2年C組代表=黒川竜也って書き込んでおく。これなら、宮園先生は後付けで承認するしかなくなる」
理久の手際の良さに、思わず感心した。
こいつ、ただのクールなだけじゃない。ちゃんと権力構造を理解して、その隙間を突く方法を知ってる。
「……お前、本当に一年か」
「一応ね。まあ、色々と事情があって」
理久は自嘲気味に、口元だけ笑った。
その「事情」が何かは、まだ分からない。でも——少なくとも、こいつは敵じゃない。今はそれだけで十分だった。
「じゃあ、計画はこうだ。まず、来週中に僕が機材室の配線細工を完了させる。同時に、君はクラスで黒川にスピーチの話を流して、やる気にさせる。その後、僕が生徒会の書類を書き換えて、宮園先生に事後承認させる」
「了解」
俺は頷いた。
「……それで、君の復讐は完成する。でも——」
理久は、一瞬だけ言いよどんだ。
「その後、君は何をするつもりなんだ」
灰青色の目が、じっとこっちを見てる。
俺はメガネを外して、窓の外を見た。もう日が沈んで、空は藍色に変わり始めてる。ケヤキ坂の並木道が、街灯に照らされてぼんやりと浮かび上がってた。
「……復讐が終わった後のことなんて、考えたこともない」
正直な答えだった。
4年前の二階堂事件以来、自力で学校に復讐することだけを考えて生きてきた。その先に何があるかなんて、想像すらしてない。
「そうか」
理久はそれ以上、何も言わなかった。
ただ、机の上のUSBメモリを手に取って、じっと見つめてる。
「じゃあ、とりあえず今日は解散だ。僕は機材室の配線図を、もう少し確認してから帰る」
「俺は、もう少しここにいる」
「分かった」
理久は立ち上がって、ドアの方へ歩き出した。
「じゃあね、相棒」
ドアが閉まる。
最後に聞こえた「相棒」っていう言葉が、やけに耳に残った。
俺は一人、第二資料室の窓辺に立つ。
眼下には、街灯に照らされたケヤキ坂。あの坂の先には、瀬田丘駅の明かりが見える。母親は、今日もパートで帰りが遅い。自宅の自室には、二重底の引き出しに隠した紙の証拠リストがある。
手元のスマホには、黒川グループを葬るための映像が揃ってる。
共犯者もできた。
計画は、着実に進んでる。
「あと14日……」
窓の外では、秋の夜風がケヤキの枝を揺らしてた。
ざわざわっていう葉擦れの音が、まるでカウントダウンみたいに聞こえる。
俺は小さく息をついて、スマホをポケットにしまった。
——文化祭で、全部終わりにする。
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