極星寮・今日も平和(?)です!
日本一の料理学園・遠月茶寮料理学園。その片隅に建つ、築六十八年のおんぼろ寮「極星寮」――通称・変人の巣。
発酵食品を爆発させる先輩、風呂上がりは常にふんどし一丁の一色先輩、そして笑顔の奥に鬼を飼う寮母・文緒さん。そんな個性豊かな住人たちに囲まれて、創真の寮生活は今日も賑やかだ。
ある日突然言い渡された「部屋の掃除チェック」。最低評価には地獄の読書レポート十冊が待っている――はずが、創真の部屋は不用品と謎の食材に埋め尽くされた、もはや災害現場。
「この食材、まだ使えるんじゃね?」
掃除そっちのけで始まる新作料理への挑戦。北欧産の激臭缶詰、刃こぼれ包丁、謎の乾物たち。果たして創真は、一週間でこの惨状を切り抜け、文緒さんの逆鱗から逃げ切れるのか――?
騒がしくて、ちょっと美味しそうな寮生活コメディ、開幕!
極星寮・今日も平和(?)です! - 極星寮、笑顔の合格発表
朝日が、窓から差し込んでいた。
金色の光が、磨き上げられた床の上をゆっくりと滑っていく。昨日までは壊れた調理器具と得体の知れない缶詰で埋まっていた場所に、今は光の四角形がくっきりと落ちていた。
部屋の中は、しんと静まり返っている。
幸平創真は、背筋を伸ばして立っていた。いつも左腕に巻いている白い布巾を、ぎゅっと握りしめている。隣では、田所恵が小さく震えながら、両手を胸の前で組んでいた。その指先が、制服の裾をぎゅうっと掴んでいる。
「……大丈夫だって、田所」
創真が小声で言った。
「は、はい……でも、ドキドキして……」
恵の声は、蚊の鳴くようにか細い。
部屋の入り口には、薙切絵里奈が腕を組んで立っていた。腰まである金髪が、朝日に透けて金色に輝いている。その紅紫色の瞳は、いつもよりほんの少しだけ大きく見開かれていた。緊張している証拠だ。
「ふん……別に、私が緊張する必要なんてありませんわ。掃除をしたのはあくまで、そこのおばかさんですもの」
絵里奈はそう言って、ふいっと横を向いた。でも、組んだ腕に力が入っているのがわかる。指先が、自分の二の腕にぎゅっと食い込んでいた。
「えー、でも絵里奈お姉さま、さっきからずっと貧乏ゆすりしてたのね!」
アリスがぴょんぴょん跳ねながら絵里奈の顔を覗き込んだ。プラチナブロンドのふわふわの巻き毛が、跳ねるたびにふわりと揺れる。
「してませんわ!!」
「してたのね! データに残ってるのね! 一分間に四十七回!」
「数えるな!!」
絵里奈の声がひっくり返った。恵が思わず、ふふっと小さく吹き出す。その笑い声につられて、部屋の空気がほんの少しだけ柔らかくなった。
——コンコン。
ノックの音が響いた。
途端に、全員の動きがピタリと止まる。
「入りますよ」
静かな声とともに、ドアがゆっくりと開いた。
そこに立っていたのは、極星寮の寮母、大御堂文緒だった。白髪交じりの短い髪を後ろで小さなお団子にまとめ、背筋をピンと伸ばしている。手には竹のほうき。いつも通りの姿だ。
普段は細くて優しい彼女の目が、今日は違った。
部屋に入った瞬間、その目が見開かれる。鋭い眼光が、隅から隅へと走った。
「……ほう」
文緒はそれだけ言って、ゆっくりと部屋の中へ進み出た。一歩。また一歩。足音だけが、やけに大きく聞こえる。
創真たちは、息を呑んでその背中を見守った。
文緒はまず、窓枠に指を這わせた。指先をじっと見つめ、それからうなずく。次に、食器棚の前でかがみ込んだ。棚の奥に手を伸ばし、一番隅の部分を指でなぞる。
「ふむ」
文緒のこめかみが、ピクリと動いた。
(やばい)
創真は心の中で呟いた。あれは、怒りの前兆だ。
文緒がゆっくりと振り返る。その手には、一本のふんどしが握られていた。真っ白で、まだ一度も使われていない、新品のふんどし。
「幸平創真」
「は、はい!」
創真の声が裏返った。
「これは、何ですか」
「えっと……それはですね……」
「あ、それ私のふんどしです!」
いつの間にか、一色が部屋の隅に立っていた。いつものふんどし姿。壁にもたれかかって、にこにこと笑っている。
「未使用のやつです。創真くんの掃除を手伝っていた時に、うっかり置き忘れてしまいました」
文緒はゆっくりと一色に向き直った。
「一色慧。あなたのふんどしが、なぜ幸平創真の部屋の食器棚の奥から出てくるのですか」
「それはですね、文緒さん。創真くんの部屋が散らかりすぎていて、僕の部屋にも置けなくなったので、ちょっとだけ場所を借りていたんです」
沈黙。
文緒のこめかみが、さらにピクピクと動いた。
「ちょっとだけ場所を借りる、とは、人の部屋にふんどしを隠すことですか!!」
「隠したんじゃありません。保管をお願いしたんです!」
一色は悪びれた様子もなく、にこにこ笑っている。文緒は大きくため息をついた。それから、手に持ったふんどしをじっと見つめる。
長い沈黙。
創真の心臓は、バクバクと壁を叩くように鳴っていた。恵は完全に顔を真っ青にして、小さく震えている。絵里奈は固まったままだ。アリスだけが、面白そうにその様子をスマホで撮影していた。
文緒が、顔を上げた。
「……ふふっ」
笑った。
文緒は、優しいおばあちゃんの顔に戻っていた。
「まったく、あなたたちは。本当に、極星寮の子ですねえ」
「……え?」
「合格です。よく頑張りましたね、創真」
力が、抜けた。
創真はその場にへなへなと座り込んだ。
「やった……やったあああ!!」
「よ、よかった……本当に……」
恵はその場にぺたんと座り込み、両手で顔を覆った。指の隙間から、涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
絵里奈は壁にもたれかかって、深くため息をついた。
「……まあ、当然の結果ですわね。あれだけ掃除したんですもの」
その声は、いつもの高飛車な調子とは違っていた。どこか、優しい響きが混ざっている。
「実験大成功なのね! データもバッチリ! 絵里奈お姉さまが怒ったり、笑ったり、いっぱい表情を変えるところが撮れたのね!」
「あとでそのデータ、全部消させますわよ!!」
アリスはぴょんと跳ねて逃げた。絵里奈が追いかける。二人が部屋の中をぐるぐると走り回る。
「こらこら、走らないの」
文緒が優しくたしなめる。でも、その口元は笑っていた。
創真は、床に大の字になって天井を見上げた。
(終わったんだ)
長かった一週間。悪臭と戦い、秘密の資料に肝を冷やし、アリスの暴露に絶望し、そしてみんなで力を合わせて片付けた。
「……ありがとな、みんな」
創真が呟いた。
「え?」
「お前らがいなかったら、絶対に一人じゃ無理だった」
創真は起き上がって、頭をガシガシとかいた。それから、改めて部屋を見渡す。ピカピカの床。整理整頓された棚。窓から差し込む朝日。
「まあ、これからはちゃんと片付けますよ、文緒さん」
「……本当ですか?」
文緒がじっと創真の目を見つめる。
「多分! やってみなきゃわからないっすけど!」
「……信用できませんねえ」
文緒はそう言って、手に持ったふんどしをひらひらと揺らした。
「でもまあ、よくやりました。これは私が預かっておきますね」
「え、それどうするんですか?」
「リビングに飾ります」
「は?」
「極星寮の新たな伝統です。一色慧の未使用ふんどし。寮の平和を守る、お守りとして」
文緒はにっこりと笑った。
「さすが文緒さん! 最高のアイデアです!」
「よくないわよ!! なんであんたは嬉しそうなの!!」
「だって、僕のふんどしが極星寮の歴史に残るんですよ! 光栄じゃないですか!」
「……もう、なにがなんだか……」
恵は笑いながら泣いていた。涙をぬぐいながら、顔をくしゃくしゃにして笑う。
「さあ、みんな。リビングに行きますよ。ふんどし奉納式です」
文緒はそう言うと、ほうきを片手に、もう一方の手でふんどしを大事そうに抱えて、部屋を出て行った。一色がその後ろを、誇らしげについて行く。
「なんなのよ、あの二人……!」
「すっごく面白いコンビなのね! 私、一色先輩と文緒さんの共同研究がしたいのね!」
「やめておきなさい!!」
絵里奈がアリスの手をぐいっと引っ張る。アリスは嬉しそうに、また跳ねた。
部屋には、創真と恵が残された。
「……はい、これ」
創真は、ポケットから小さなピン止めを取り出した。花の形をした、恵の大切なものだ。
「あ……」
「悪かったな。お前の大事なもの、こんなところに置きっぱなしにしてて」
恵はそのピン止めを両手で受け取った。指先がほんの少し震えている。
「……いいえ。私こそ、お掃除、あまり役に立てなくてごめんなさい」
「何言ってんだ。お前がいてくれて、すげえ助かったよ。ありがとな」
恵はうつむいた。黒い髪がさらりと流れて、その表情は見えない。でも、耳の先がほんのり赤くなっている。
「……私、掃除を通じて、幸平くんの優しさに触れられて……」
「え?」
「……ううん、なんでもない! 行こう、リビング!」
恵は真っ赤な顔で駆け出した。創真はぽかんとその背中を見送る。
「……なんだったんだ?」
その様子を、廊下の陰からこっそりと見ている人影が一つ。
絵里奈だった。
「……まったく」
彼女は小さくため息をつき、それからゆっくりとリビングへ歩き出した。
---
リビングでは、ふんどし奉納式が粛々と執り行われていた。
壁の一番目立つ場所に、ガラスの額縁がかけられている。その中に、一色の真っ白なふんどしが、まるで高級な掛け軸のように飾られていた。
「これで、極星寮の平和は守られます」
「僕のふんどしが、そんな力を持っていたなんて。感慨深いですねえ」
一色は自分のふんどしが飾られた壁に向かって、うんうんと頷いている。
「……あの、文緒さん。これ、本気ですか?」
「本気ですよ。それとも、絵里奈さんは極星寮の平和がどうでもいいと?」
「……い、言ってませんわ。結構ですわ、もう」
絵里奈はがっくりと肩を落とした。
アリスは額縁の前で、真剣な顔つきでカメラを構えている。
「これは貴重な資料になるのね。一色先輩のふんどしが、極星寮の守護神に認定された瞬間!」
「守護神! いい響きだ!」
「……もう、笑いすぎてお腹が痛いです……」
恵はお腹を抱えて笑っている。さっきまで泣いていたのに、今度は笑いすぎて涙が出ていた。
創真は、そんなみんなの様子を見て、口元を緩めた。
「……面白くなってきた」
---
奉納式が終わり、文緒がお茶を入れてくれた。
リビングの大きなテーブルを囲んで、全員が座っている。湯呑みから立ち上る湯気が、窓からの光にキラキラと透けて見えた。
「それにしても、今回の実験は本当に面白かったのね。絵里奈お姉さまの怒り顔が七種類、笑顔が三種類、照れ顔が二種類!」
「だから、そのデータは消しなさいと言ってるでしょう!!」
「もったいない! 論文が書けるレベルの貴重なデータなのね!」
「論文って、どこに出すつもりよ!!」
二人のやりとりに、また笑いが起こる。
そんな中、一色がゆっくりと立ち上がった。
「ちょっと、失礼しますね」
一色はそう言って、懐から一枚の封筒を取り出した。あの十傑会議の極秘資料が入った封筒だ。
「……その資料、どうするんだ?」
創真が声を潜めて尋ねる。
「細かいことは、気にしないのが極星寮ですよ」
一色はいつものようににっこりと笑った。でも、その目は真剣だった。
「でも、それは——」
絵里奈が何かを言いかけて、一色の目を見て口をつぐんだ。氷のように冷たい、普段のふんどし男からは想像もつかないような視線だった。
一色は封筒を静かに自分の懐にしまい、リビングを後にした。
その背中を、創真はじっと見つめる。
(あの資料、どこからコピーしたんだろうな。それに、なんで創真の部屋に隠したんだ)
アリスのイタズラ、というには大きすぎる謎。
でも、一色が「気にするな」と言うなら——今はそれでいいのかもしれない。
(俺は、俺のやるべきことをやるだけだ)
創真はそう思った。
料理で戦うこと。それが、遠月学園にいる自分の役目だ。
「創真くん、次の課題は何だっけ?」
「え? ああ、月曜から新しい実習が始まるんだよ。なんか、フランス料理の基礎をみっちりやるらしい」
「フランス料理! それなら、絵里奈お姉さまが得意な分野なのね!」
「……教えてあげるとは言ってませんわ」
絵里奈はそっぽを向いた。でも、その口元がほんの少しだけ緩んでいる。
「また面白くなってきたな」
創真は立ち上がった。
窓の外では、朝日がすっかり高く昇っている。洗濯物を干す寮生の姿が見えた。鳥が鳴いている。遠くから、誰かが包丁を研ぐ音が聞こえてくる。カンカンカン、と軽快な音だ。
いつもの、極星寮の朝だった。
でも、部屋は綺麗になった。絆は深まった。ちょっとだけ不穏な謎も残ったけど——それはそれで、いつものことだ。
「さてと、腹減ったな。なんか作るか」
創真がそう言うと、みんなが一斉に顔を上げた。
「あ、それなら私も手伝います」
「私も食べてあげてもよくてよ。掃除で疲れたんだから」
「実験の続きー! 創真くんの料理のデータも取らなきゃ!」
リビングに、また笑い声が響く。
壁には、真っ白なふんどしが、まるで旗のように掲げられていた。
今日も極星寮は、平和だ。
多分。Noveliaとは?
Noveliaは、AIでライトノベルや二次創作を「読んで・数タップで作って・キャラクターと会話できる」プラットフォームです。挿絵つきの新作が毎日届き、無料で始められます。