セーラームーン外伝 月影のカノン
十番町の空に亀裂が走った日、月野うさぎの日常は音を立てて崩れ始めた。商店街に落下してきた記憶喪失の少女・ユイ。彼女が握りしめていたのは、セーラームーンの変身ブローチと瓜二つでありながら、月の「影」を宿す漆黒のブローチだった。ルナが警戒を露わにする中、街では「影」だけを奪われる怪事件が発生。夜ごとユイの脳裏をよぎる、燃え落ちる月の都と黒い影の戦士の記憶——。これは、光の戦士たちの知られざる外伝。月影が導くもう一人の少女の、戦いと覚醒の物語。
セーラームーン外伝 月影のカノン - はじめての還す――商店街の抜け殻と、月影の特訓
朝の光が、十番公園の木々を透かして、地面にやわらかな影を落としていた。
ユイは公園の入り口に立ち、ぎゅっと胸元のブローチを握りしめた。銀色の月の形。深い青の石。ひんやりとした感触が、手のひらに伝わってくる。
(今日から、私も戦うんだ)
昨日、商店街でカゲに襲われた人たちの顔が、まぶたの裏に浮かぶ。影を奪われて、感情を失って、抜け殻みたいになってしまった人たち。あの人たちを助けたい。その気持ちは、昨夜からずっと、ユイの胸の中で燃え続けていた。
「ユイちゃん、お待たせ!」
後ろから、明るい声が聞こえた。振り返ると、金色の髪をツインテールに結んだ月野うさぎが、ぱたぱたと駆けてくる。うさぎの肩には、いつものように黒猫のルナが乗っていた。
「おはよう、ルナも一緒なの」
「ええ。特訓の様子は、私も見ておきたいから」
ルナは、額の三日月模様をきらりと光らせながら、ユイの顔をじっと見た。その青い瞳は、真剣そのものだ。
「さ、やろ! まずは、あたしがお手本を見せるね!」
うさぎは、ユイの手を引いて、公園の中央にある噴水広場まで連れて行った。朝の公園は、まだ人影がまばらだ。ジョギングをするおじいさんが一人、遠くのベンチで新聞を読んでいるおばあさんが一人いるだけ。
「いくよ。ムーン・プリズム・パワー、メイクアップ!」
うさぎは、胸元のブローチを高く掲げた。
瞬間、まばゆい光がうさぎの体を包み込む。光のリボンが、うさぎの手足に絡みつき、服が光の粒に変わっていく。銀色の光が弾けると、そこには、セーラー服姿の戦士——セーラームーンが立っていた。
「これが、あたしの戦う姿。セーラームーンだよ!」
ユイは、思わず息を止めた。
赤いリボン。青い襟。白い手袋。金色の髪が、光を受けてきらきらと輝いている。昨日、商店街で見た時よりも、ずっと、力強くて、まぶしく見えた。
「すごい……本当に、変身するんだ」
「でしょ! ユイちゃんも、きっとできるよ。だって、あのブローチがあるんだから」
うさぎは、ユイの胸元にある月影のブローチを指さした。
「でも、私、やり方が分からないの。昨日は、ただ、必死でかざしただけだったから」
ユイの声が、少し小さくなる。
(昨日は、カゲが迫ってきて、怖くて、気づいたら光が出てた。でも、自分で意識して、力を出すなんて、できるのかな)
「大丈夫。最初はみんな、そんなもんだよ。あたしだって、最初は変身もうまくできなかったんだから!」
うさぎは、ユイの両手をぎゅっと握った。その手は、温かくて、少し汗ばんでいた。
「まずは、ブローチを握ったときの、温かい気持ちを思い出して。あの感覚が、力の源なんだよ」
「温かい、気持ち……」
ユイは、ブローチを握りしめた。
ひんやりとした感触。でも、昨夜、布団の中で握った時、確かに温かさを感じた。あの、体の芯から温かくなるような感覚。
「そう。それを、体の外に押し出すの。光の膜を作るイメージで」
ルナが、うさぎの肩から飛び降りて、ユイの足元に座った。
「ユイちゃんの力は、光の膜を張って敵を弾くこと。昨日、カゲを弾き飛ばしたでしょう? あれを、自分の意思でできるようになるのよ」
「自分の意思で……」
ユイは、こくりと頷いた。
「じゃあ、やってみよう! あたしが、敵役になるから!」
うさぎは、ユイから数メートル離れて、両手を広げた。
「ユイちゃん、あたしに向かって、ブローチをかざして!」
「え、でも、うさぎさんに当たったら……」
「大丈夫! あたし、セーラームーンだよ? それに、光の膜は、敵を弾く力。あたしは敵じゃないから、きっと大丈夫!」
うさぎは、にこにこ笑いながら言った。
ユイは、深呼吸をした。
(大丈夫。私なら、できる。昨日、できたんだから)
ユイは、月影のブローチを両手で握りしめ、うさぎに向かって掲げた。
「お願い……光の膜を……!」
ブローチに、意識を集中させる。
温かい気持ちを思い出す。
昨夜、布団の中で感じた、あの温かさ。
(出て……光……!)
しかし、ブローチは、ぴくりとも動かなかった。
冷たいまま。
沈黙。
「……あれ?」
ユイは、もう一度、ブローチを握り直した。
(温かい気持ち。温かい気持ち……)
うさぎと初めて会った時のこと。うさぎが「家族みたいなもん」と言ってくれた時のこと。商店街で、うさぎがユイを守ってくれた時のこと。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
(これだ。この気持ち)
ユイは、その温かさを、ブローチに流し込むイメージで、強く握りしめた。
「お願い……!」
ブローチが、ほんの一瞬、青白く光った。
「あ! 光った!」
しかし、光は、すぐに消えてしまった。
「……だめだ。うまくいかない」
ユイの肩が、がっくりと落ちる。
「大丈夫、大丈夫! 今、確かに光ったよ! もう少しだよ!」
うさぎは、ユイの背中を、ぽんぽんと叩いた。
「もう一度、やってみよう。今度は、もっと強く、光をイメージして」
ユイは、頷いて、再びブローチを掲げた。
「光の膜……!」
ブローチが、また、青白く光る。
しかし、やはり、光は、膜になる前に、ふっと消えてしまう。
「光の膜……! お願い……!」
三度、四度、五度。
何度やっても、光は、ほんの一瞬だけ輝いて、すぐに消えてしまう。
「はぁ、はぁ……」
ユイの額に、うっすらと汗が滲む。
息が上がる。
(なんで? 昨日は、あんなに簡単にできたのに)
(やっぱり、私なんかには、無理なのかな)
ユイの胸の中に、黒いもやもやが広がっていく。
「ごめん、なさい……私、やっぱり、うまくできない……」
ユイは、ブローチを握りしめたまま、うつむいた。
「ユイちゃん、そんなに落ち込まないで。あたしだって、最初は変身もうまくできなかったんだから!」
うさぎが、ユイの顔を覗き込む。
「あたしなんて、最初に変身した時、光のリボンに足を取られて、思いっきり転んじゃったんだよ? それに、ムーン・ティアラ・アクションだって、最初は全然当たらなくて、敵に笑われたし」
「え……うさぎさんが?」
「そうだよ! あたし、ドジで泣き虫だし、最初は本当にダメダメだったんだから。でも、諦めなかった。そしたら、少しずつできるようになったの」
うさぎは、ユイの手を取った。
「ユイちゃんは、あたしよりずっと真面目で、頑張り屋さんだよ。だから、絶対にできる。あたしが保証する」
うさぎの手は、温かかった。
その温かさが、ユイの心の中の黒いもやもやを、少しだけ溶かしてくれた。
「……うん。ありがとう、うさぎさん」
ユイは、小さく微笑んだ。
(そうだ。私、諦めたくない。あの人たちを助けるために、戦うって決めたんだから)
ユイは、ブローチを握り直した。
「もう一度、お願いします」
「うん! 今度こそ!」
ユイは、深く息を吸って、吐いた。
(温かい気持ち。うさぎさんの手の温かさ。それから、あの人たちを助けたいって気持ち)
(全部、光に変えて——)
「お願い……光の膜……!」
ブローチが、強く輝いた。
青白い光が、ユイの体を包み込む。
光は、うさぎに向かって、ゆっくりと広がっていく。
「そう! その調子! そのまま、押し出すように!」
うさぎの声が、遠くに聞こえる。
ユイは、必死で、光を押し出そうとした。
しかし、光は、うさぎの手前で、ぱしゃん、と音を立てて消えてしまった。
「……あ」
ユイは、がっくりと膝をついた。
「はぁ、はぁ……だめだ……全然、うまくいかない……」
涙が、じわりと滲む。
(私、やっぱり、戦士なんかじゃないんだ)
(うさぎさんみたいに、強くもないし、かっこよくもない)
(こんな私が、あの人たちを助けるなんて、おこがましいのかもしれない)
「私なんかが……やっぱり、無理なんだ……」
ユイは、うつむいたまま、小さく呟いた。
その時、ルナが、ユイの足元に、とことこと近づいてきた。
「ユイちゃん、顔を上げて」
ルナの声は、静かで、優しかった。
ユイは、ゆっくりと顔を上げた。
ルナの青い瞳が、ユイをじっと見つめている。
「あなたの力は、まだ完全に目覚めていない。でも、それは、あなたが弱いからじゃない。あなたの力が、それだけ強いからよ」
「……強いから?」
「ええ。月影のブローチの力は、破壊の力じゃない。還す力。奪われたものを、元の場所に戻す力。その力は、とても繊細で、とても強い。だから、簡単には扱えないの」
「還す力……」
ユイは、ブローチを見つめた。
(破壊の力じゃない。還す力)
(私の力は、誰かを傷つけるための力じゃない。誰かを助けるための力)
その言葉が、ユイの心に、すとんと落ちた。
「ルナ、私、もう少しだけ、頑張ってみる。うまくできなくても、諦めたくないの」
「ええ、その意気よ」
ルナは、満足そうに頷いた。
「よーし、じゃあ、休憩がてら、あっちの自動販売機でジュースでも買おう! あたし、のど渇いちゃった!」
うさぎが、噴水の近くの自動販売機を指さした。
「うん。私も、少し休みたいかも」
ユイは、小さく笑って、立ち上がった。
二人は、自動販売機の前まで歩いていく。
「ユイちゃん、何飲む? あたしは、オレンジジュース!」
「私は……あ、じゃあ、私もオレンジジュースにするの」
「おそろいだね!」
うさぎは、小銭を入れて、ボタンを押した。
ガコン、という音とともに、オレンジジュースの缶が二つ、取り出し口に落ちてくる。
「はい、ユイちゃん」
「ありがとう」
ユイは、うさぎから缶を受け取った。
冷たい。
プルタブを開けて、一口飲む。
甘くて、冷たいオレンジジュースが、乾いた喉に染みわたる。
「おいしい」
「でしょ! 特訓の後のジュースは、最高なんだよね!」
うさぎは、ごくごくとジュースを飲み干した。
「さて、そろそろ再開しようか。今度は、光の膜を、もっと大きく、強くイメージするのよ」
ルナが、二人の足元で、尻尾をゆらりと揺らした。
「うん。今度こそ、やってみせるの」
ユイは、空き缶をベンチの横のゴミ箱に捨てて、噴水広場の中央に戻った。
「いくよ、ユイちゃん!」
うさぎも、ユイの前に立つ。
ユイは、ブローチを両手で握りしめ、うさぎに向かって掲げた。
(光の膜。私の温かい気持ちを、光に変えて、膜を作るの)
(うさぎさんを、守るための膜。みんなを、守るための膜)
ユイは、目を閉じて、深く集中した。
「お願い……光の膜……!」
ブローチが、まばゆい光を放った。
光は、ユイの手のひらから、うさぎに向かって、ゆっくりと広がっていく。
薄い、光のベール。
それが、うさぎの目の前で、ふわりと広がった。
「すごい! ユイちゃん、できた! 光の膜だ!」
うさぎが、ぱちぱちと拍手をする。
「え……ほんと? 私、できたの?」
ユイは、目を開けて、自分の手のひらを見つめた。
ブローチは、まだ、淡く光っている。
光の膜は、うさぎの周りを、ふわふわと漂っていた。
「できた! 私、できたよ!」
ユイの胸に、じわっと喜びが広がる。
(私にも、できた。光の膜を、張ることができた)
「やったね、ユイちゃん! さすがだよ!」
うさぎが、ユイに駆け寄って、抱きついた。
「うさぎさん、苦しいよ」
「だって、嬉しいんだもん! ユイちゃん、本当にすごいよ!」
うさぎは、ユイをぎゅうぎゅうと抱きしめた。
ユイは、うさぎの温かさを感じながら、心の中で思った。
(うさぎさんのおかげだ。うさぎさんが、諦めないでって、励ましてくれたから)
「ありがとう、うさぎさん。うさぎさんのおかげだよ」
「何言ってるの! ユイちゃんが頑張ったからだよ!」
うさぎは、ユイから離れて、にこにこ笑った。
「でも、まだ光の膜は不安定ね。もっと練習が必要よ。それから、今度は、膜を張った状態を維持する練習もしなければ」
ルナが、冷静に指摘する。
「うん。私、もっと練習するの。ルナ、ありがとう」
ユイは、ルナに微笑みかけた。
「ええ。焦らず、少しずつね」
ルナは、目を細めて、頷いた。
「よーし、じゃあ、次は、あたしが実際に攻撃するから、それを膜で防いでみよう!」
「え? 攻撃?」
「大丈夫、手加減するから! ほら、いくよ! ムーン・ティアラ・アクション!」
うさぎは、頭のティアラを外し、投げつけた。
光の輪が、ユイに向かって飛んでくる。
「わっ……!」
ユイは、慌ててブローチを掲げた。
「光の膜……!」
ブローチが光り、薄い膜が、ユイの前に広がる。
しかし、光の輪は、膜をやすやすと突き破って、ユイの目の前で止まった。
「はい、ストップ! どう? びっくりした?」
うさぎは、光の輪を消して、いたずらっぽく笑った。
「も、もう、心臓が止まるかと思ったよ……」
ユイは、胸に手を当てて、ほっと息をついた。
「ごめんごめん! でも、これで、実戦の感覚が少しは掴めたでしょ?」
「うん……敵の攻撃は、こんなに速いんだね。私、もっと早く膜を張れるようにならないと」
「そうね。でも、焦らなくていいわ。ユイちゃんは、確実に成長しているから」
ルナの言葉に、ユイは、こくりと頷いた。
それから、二人は、何度も練習を繰り返した。
うさぎが攻撃を仕掛け、ユイが光の膜で防ぐ。
最初は、全然防げなかった。
膜は、すぐに破られて、ユイは、何度も地面に尻餅をついた。
でも、練習を重ねるうちに、少しずつ、膜を張るスピードが速くなっていった。
「いいよ、ユイちゃん! 今の、結構いい感じだった!」
「うん。でも、まだ、うさぎさんの攻撃を完全には防げないの」
「当たり前だよ! あたしだって、セーラームーンなんだから! でも、最初に比べたら、すっごく上達してるよ!」
うさぎは、ユイの頭を、ぽんぽんと撫でた。
「うさぎさん、ありがとう。私、もっと頑張るの」
ユイは、うさぎの手を、そっと握り返した。
日が高くなり、公園にも、少しずつ人が増えてきた。
ベンチでお弁当を広げる親子連れ。キャッチボールをする少年たち。
「そろそろ、お昼にしない? あたし、お腹すいちゃった」
「うん。そうだね。私も、少し休みたいかも」
二人は、噴水の近くのベンチに座った。
うさぎは、持ってきていたリュックから、サンドイッチの包みを取り出した。
「はい、ユイちゃん。これ、あたしが作ったんだよ! 卵サンドと、ハムサンド!」
「うさぎさんが作ったの? すごい!」
「えへへ、たまには、ね! ほら、食べて食べて!」
ユイは、卵サンドを受け取って、一口かじった。
「おいしい。うさぎさん、料理上手なのね」
「でしょ! あたし、やればできる子なんだから!」
うさぎは、得意げに胸を張った。
二人は、他愛のない話をしながら、サンドイッチを食べた。
うさぎの学校の話。ゲームセンターの話。好きなアイドルの話。
ユイは、うさぎの話を聞きながら、心が温かくなっていくのを感じた。
(こういう時間も、大切なんだ。戦うだけじゃなくて、こうして、うさぎさんと笑い合える時間)
(私、この時間を、守りたい。うさぎさんと、みんなと、この街の人たちの、笑顔を守りたい)
ユイは、胸元のブローチに、そっと手を当てた。
その時だった。
「あれ……? あれ、なに?」
うさぎが、突然、公園の植え込みを指さした。
ユイは、うさぎが指さす方を見た。
植え込みの陰で、黒いもやのようなものが、ゆらゆらと蠢いていた。
「なに、あれ……影? でも、影が、動いてる……」
「あれは、カゲの残した影の残滓だわ。カゲが影を奪う時に、ほんの少しだけ、影がこぼれ落ちることがあるの。その欠片が、ああやって、残滓として残ることがあるのよ」
ルナが、植え込みの前に立ち、じっと残滓を見つめた。
「あの残滓は、少し前に、商店街でカゲに襲われた人の影の一部だわ。まだ、持ち主のところに還れずに、ここで迷っているの」
「迷ってる……かわいそうに。私、あの影を、持ち主のところに還してあげたい」
ユイは、ベンチから立ち上がった。
「ユイちゃん、もしかして、あの残滓に、触れるつもり?」
「うん。私の力は、還す力なんでしょ? なら、あの影を、持ち主のところに還せるかもしれない」
ユイは、植え込みに近づいた。
黒いもやは、ユイが近づくと、少しだけ激しく蠢いた。
「大丈夫。怖くないよ。私は、あなたを、元の場所に還してあげたいだけだから」
ユイは、震える手を、ゆっくりと、黒いもやに伸ばした。
「ユイちゃん、気をつけて! 無理はしないで!」
うさぎの声が、後ろから聞こえる。
ユイの指先が、黒いもやに触れた。
瞬間、ユイの頭の中に、映像が流れ込んできた。
商店街。精肉店の前。カゲが、店主の影を奪っていく。
「いや……!」
ユイは、思わず手を引っ込めそうになった。
でも、その時、胸元のブローチが、温かく光った。
(大丈夫。私は、この影を還すの)
(この影の持ち主を、助けるの)
ユイは、再び、黒いもやに触れた。
「お願い……この影を、持ち主のところに、還して……!」
ブローチが、まばゆい光を放った。
光は、ユイの手から、黒いもやへと流れ込んでいく。
黒いもやは、光に包まれて、徐々に、その色を薄くしていった。
黒から、灰色へ。
灰色から、薄い銀色へ。
そして、銀色の光は、ふわりと空に舞い上がり、街の方向へと飛んでいった。
「あ……光が、飛んでいった……」
ユイは、光が飛んでいった方向を、呆然と見つめた。
「やった! ユイちゃん、影を還したんだ! 今の、絶対に、持ち主のところに還っていったよ!」
うさぎが、ユイに駆け寄って、抱きついた。
「ええ。間違いないわ。ユイちゃんは、今、初めて、影を還すことに成功したのよ」
ルナの声は、誇らしげだった。
「私……やったんだ……。私、人の役に立てたんだ……」
ユイの目から、涙がこぼれ落ちた。
嬉し涙。
(私、戦士になれるかもしれない。うさぎさんや、みんなの力になれるかもしれない)
(私なんかが……でも、私にも、できることがあったんだ)
「よかったね、ユイちゃん! 本当によかった!」
うさぎも、一緒に泣いていた。
二人は、公園の真ん中で、抱き合って、しばらく泣き続けた。
その時、うさぎのポケットから、電子音が鳴った。
「あ、携帯……ルナ、これ、見て」
うさぎは、涙を拭きながら、携帯電話を取り出した。
画面には、ルナからのメッセージが表示されていた。
「商店街の精肉店の店主が、意識を取り戻したそうよ。しかも、涙を流しながら、『ありがとう』と、何度も繰り返しているって」
「精肉店の店主……あの、大久保さん? 大久保さんが、感情を取り戻したの?」
「ええ。さっき、ユイちゃんが還した影は、大久保さんの影だったのよ。影が還って、感情を取り戻したの」
「よかった……本当によかった……。ユイちゃん、あなたのおかげよ。あなたが、大久保さんを助けたの」
うさぎは、ユイの手を、ぎゅっと握った。
「私……私、あの人の影を、還せたんだ……。よかった……本当に、よかった……」
ユイは、うさぎの手を握り返し、何度も頷いた。
涙が、止まらなかった。
でも、それは、悲しい涙じゃなかった。
自分が、初めて、誰かの役に立てたという、喜びの涙だった。
「ユイちゃん、あんたは敵なんかじゃない。あたしが保証する」
うさぎは、真っ直ぐに、ユイの目を見て言った。
「あんたは、影を還す、優しい戦士だよ。あたしの、大切な仲間だよ」
「うさぎさん……ありがとう。私、うさぎさんの仲間になれるように、もっと頑張るの」
ユイは、涙でぐしゃぐしゃの顔で、精一杯の笑顔を見せた。
うさぎも、涙でぐしゃぐしゃの顔で、笑った。
夕暮れが近づき、公園の木々が、長い影を落とし始めた。
二人は、手を繋いで、公園を後にした。
ルナは、その後ろ姿を、じっと見つめていた。
(ユイちゃんの力は、本物だわ。影を還す力。この戦いの鍵になるかもしれない)
(でも……あのブローチからは、やはり、光だけじゃない気配を感じる。影の気配が、混ざっている)
ルナの胸に、小さな不安が、再び頭をもたげた。
夜。
ゲームセンタークラウンの地下。
秘密の指令室。
ルナは、十番町の地図を広げていた。
地図の上には、赤い点が、いくつも打たれている。
「これは、シャドウロストの発生地点を、すべてマークしたものよ。今日の精肉店の事件も含めて、ね」
ルナの声は、重く、真剣だった。
「これ……前にも見たけど、やっぱり、規則性があるの?」
うさぎが、地図を覗き込む。
ユイも、うさぎの隣から、地図を見つめた。
赤い点は、十番町のあちこちに散らばっている。
しかし、よく見ると、それらの点は、ある一点から、放射状に広がっているように見えた。
「そう。発生地点を線で結ぶと、こうなるわ」
ルナは、赤い点を、すうっと線で結んだ。
すると、地図の上に、不気味な図形が浮かび上がった。
すべての線は、十番町の地下、ある一点に向かって、収束していた。
「これ……全部、同じ場所を指してる……」
「ええ。十番町の地下。この街の、ちょうど中心。そして、この点は……」
ルナは、地図の一点を、そっと指さした。
「かつて、ユイちゃんが落ちてきた、あの穴の真下と、重なるのよ」
「え……? あの穴の、真下……?」
ユイの顔から、さっと血の気が引いた。
「つまり、誰かが、意図的に、街の影を、あの穴の真下に集めているということよ。シャドウロストは、自然発生じゃない。何者かが、計画的に、影を集めているの」
「誰かが……影を、集めてる……」
ユイの声が、震えた。
「私が落ちてきた穴の下に、影が集まってる……? もしかして、私が、影を集めてるの……?」
ユイは、震える手で、胸元のブローチを握りしめた。
(私が、この街に落ちてきたから。私が、このブローチを持っているから)
(だから、影が、集まっているの?)
(私が、この事件の、原因なの?)
「私……私のせいで、みんなの影が、奪われてるの……?」
ユイの目に、涙が浮かぶ。
「ユイちゃん、まだ決めつけるのは早いわ」
ルナが、ユイの足元に近づき、静かに言った。
「確かに、影が集まっている場所は、あなたが落ちてきた穴の真下よ。でも、それは、あなたが影を集めているという証拠にはならないわ。むしろ、何者かが、あなたの落ちてきた場所を利用して、影を集めていると考える方が自然よ」
「でも……私、怖いの。私が、みんなを傷つける存在なのかもしれないって、思うと……」
ユイは、ブローチを握りしめたまま、うつむいた。
その時、ユイの手の中で、ブローチが、かすかに震えた。
「……あ」
ユイは、ブローチを見つめた。
ブローチは、微かに、不気味な光を放っていた。
「ブローチが、反応してる……? まさか、影の集積点と、共鳴しているの……?」
ルナが、ユイの手元を、じっと見つめる。
「ルナ、これ、どういうことなの? 私のブローチが、震えてる……」
ユイの声は、恐怖で震えていた。
「分からないわ。でも、このブローチは、間違いなく、影の集積点と、何かしらの関係がある。ユイちゃん、そのブローチを、絶対に離さないで。それから、一人で、あの穴に近づいたりしないで」
ルナの声は、有無を言わせない強さがあった。
「……うん。分かったの」
ユイは、こくりと頷いた。
しかし、その胸の中は、不安と恐怖で、いっぱいだった。
(私のブローチが、影の集積点と、関係がある)
(私が、この街に落ちてきたことと、影が集められていることは、無関係じゃない)
(もしかしたら、私は、本当に、敵なのかもしれない)
ユイは、震える手で、ブローチを、ぎゅっと握りしめた。
ブローチは、まだ、かすかに震えていた。
その震えは、まるで、ユイの心の震えと、共鳴しているかのようだった。
指令室のモニターに映る十番町の地図。
赤い点が、不気味に点滅している。
その中心には、ぽっかりと、黒い空白があった。
「穴」があった場所。
ユイが、この街に落ちてきた、あの場所。
ルナは、その空白を、じっと見つめた。
(この街で、何かが、始まっている。これは、ほんの序の口かもしれないわ)
(そして、ユイちゃんのブローチは、その中心で、何かを待っているようにも見える)
ルナの尻尾が、ゆっくりと、揺れた。
夜は、深く、静かに、更けていく。
十番町の地下で、影が、音もなく、集まっていく。
その中心で、何かが、目を覚まそうとしていた。Noveliaとは?
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