星霜のメイドは嘘をつく
七つの星の加護が人の価値を決めるエトワール王国。その中でレオン・クロウフォードは「幻惑」と「欺瞞」の星・ネプチューンのもとに生を受けた。貴族たちから「星屑」と蔑まれる彼の唯一の心の支えは、献身的なメイドであるレフィア・アルクロノスだった。幼い頃から、彼女だけがレオンの力を「素晴らしい」と言い、揺るぎない忠誠を尽くしてきたのだ。
しかし、レオンの幻惑能力が突如暴走したことをきっかけに、彼は禁断の書庫へと導かれ、そこで覆しようのない真実を知る。ネプチューンの力は幻惑などではない――それは他者の心の傷や記憶に触れる力、「真実」の力だったのだ。王国は代々この力を恐れ、その担い手を迫害し、偽りの歴史を捏造して抑圧し続けてきたのだった。レオンはただ一人、レフィアだけを信じ、全てを打ち明ける。その胸中に冷たい戦慄が走っているとも知らずに。
レフィア・アルクロノス――「時星の巫女」である彼女の正体は、王国最凶の暗殺者。そして、彼女に下された新たな標的こそが、レオンその人だった。幼い頃から星の道具として育てられ、ためらいなく手をかけてきたレフィア。しかし、今回は違った。ついに任務を遂行しようと決意を
星霜のメイドは嘘をつく - 星の嘘が砕ける夜、愛は名を得る
扉を蹴破った瞬間、レオン・クロウフォードは息を呑んだ。
星晶塔の最上層。直径十メートルを超える巨大な装置が、部屋の中央で唸りを上げている。七色の星力が渦を巻き、装置の中心で混ざり合い、どす黒い輝きを放っていた。空気そのものが歪み、肌にまとわりつくような圧迫感がある。
「[crying]……兄ちゃん!」
装置の傍らの柱。無数の鎖が、小さな体を縛りつけていた。
リリィだ。
濃紺のツインテールは解けてぼさぼさに乱れ、顔は青ざめ、唇は乾ききっている。それでも、海のような青い両目が、確かにレオンを捉えていた。服はところどころ破れ、露わになった腕には鎖の擦れた赤い痕が幾重にも刻まれている。
「リリィ!」
レオンは駆け出そうとした。
「[cold]お待ちなさい」
枯れた声が、部屋の隅から響いた。
装置の影から、老齢の男が歩み出る。純白のローブには七つの星を象った金糸の刺繍が縫い取られ、胸元には星現官の位を示す星晶石のブローチが輝いている。深く刻まれた皺。落ち窪んだ眼窩の奥で、濁った瞳がレオンを見据えていた。右手には、七色の星力を宿した長杖。
「これが、枢機院直属の守護者……最後の、星現官」
レフィアが、レオンの半歩前に出た。銀色の長髪が、装置の光を受けて虹色に揺らめく。紫色の瞳は警戒に細められ、右手首の時を喰らう蛇の烙印が、疼くように脈打っていた。
「[cold]星屑の者が、よくもここまで来たものだ」
守護者は杖を床に打ちつけた。瞬間、七色の星力が爆発的に膨れ上がり、衝撃波となって二人を襲う。レオンは反射的に腕を交差させて顔を庇った。
——だが。
時が、巻き戻った。
衝撃波が放たれる直前の、守護者の杖が床に触れるか触れないかの瞬間まで、現実そのものが遡行する。レフィアの刻限回帰だ。
「[angry]今です、レオン様!!」
レフィアの声。レオンは全速力でリリィの元へ駆けた。守護者の長杖から再び衝撃波が放たれるが、そのすべてがレフィアの時星の力で逸らされ、巻き戻され、無効化されていく。
鎖に手を触れる。冷たい鉄の感触。レオンは海王星の力を集中させ、錠前の中に藍色の光を流し込んだ。カチリ、と澄んだ音がして、鎖がほどける。
「[crying]兄ちゃん……来てくれたんだ……」
「[gentle]遅くなった。もう大丈夫だ」
リリィの痩せこけた体を抱き起こす。その時だった。
守護者の長杖が、レフィアの腹部を強かに打った。
「[scared]ぐっ……!!」
彼女の体が吹き飛び、石の壁に激突する。衝撃で天井から埃が降り注いだ。レフィアは壁に手をついて立ち上がろうとした——が、その右腕から力が抜け、彼女はその場に崩れ落ちた。
「レフィア!!」
レオンはリリィを安全な柱の影に座らせ、レフィアの元へ駆け戻る。
「[whispers]……お気になさらず。それより、リリィ様を……」
彼女の右腕。手首から肘にかけて、星脈が焼け焦げた紙のように黒ずみ、罅割れている。刻限回帰の代償だ。七層までの戦闘で既に限界を超えていた彼女の体は、今回の使用で致命的な損傷を受けていた。
レオンは彼女の右腕を、両手で包み込んだ。氷のように冷たい。
「[serious]もう…………もう、使うな」
その声は震えていた。怒りか、悲しみか、自分でもわからない。ただ、彼女がこれ以上傷つくのを見ていられなかった。
「[sad]……申し訳、ございません」
レフィアは力なく微笑んだ。
レオンは立ち上がった。左手に、藍色の光が集束していく。海のような青い左目が、内側から輝きを放ち始める。
「[angry]お前は、そこで見ていろ」
守護者に向き直る。
「[cold]海王星の呪われし力……その程度で、この星現官に勝てるとでも?」
「[angry]これは、呪いじゃない」
レオンは静かに、しかし力強く言い放った。
「[angry]これは、真実を映す力だ。お前たちが400年間、隠し続けてきた——本当のことを、今から皆に見せる」
守護者が長杖を構えるより早く、レオンは間合いを詰めた。老人の胸元に、藍色に輝く左手を押し当てる。
「[scared]な、なにを——」
守護者の言葉が、途中で途切れた。
彼の内側に溜まりに溜まった記憶の澱——星現官として、何十人もの海王星の力を持つ子供たちを「存在しない者」として記録簿から抹消し、親元から引き離し、生涯地下牢に閉じ込めてきた罪の記憶——が、藍色の光に触れられて弾けた。
空間が歪む。
薄暗い部屋。泣き叫ぶ幼子。母親から無理やり引き剥がされる小さな手。『この子は星屑です。お国のために、ご協力を』——冷たい星現官の声。震えながら書類に署名する父親。二度と開くことのない地下牢の重い鉄扉。
「[crying]やめろ……やめてくれ……!」
守護者は長杖を取り落とし、頭を抱えてその場に崩れ落ちた。幻影の中に現れる子供たちの顔、顔、顔——全員、自分が殺したわけではない。だが、生きたまま葬った。この手で、書類の上で、存在ごと抹消した。
レオンは守護者を乗り越え、幻影投射装置の中枢に向かう。
装置の中心。七色の星力が渦巻く核に、レオンはためらいなく両手を差し込んだ。
——瞬間。
全感覚が、白く塗り潰された。
七色の星力がレオンの全身を貫き、神経を焼き、骨の髄まで震わせる。歯を食いしばる。口の中に血の味が広がった。視界がチカチカと点滅し、耳の奥で甲高い共振音が鼓膜を破らんばかりに鳴り響く。
(負けるか……!)
レオンは自らの海王星の力のすべてを、装置の中枢に注ぎ込んだ。
藍色の光が、七色の渦を逆流し始める。まるで清流が濁流を押し戻すように、レオンの真実の力が装置全体を塗り替えていく。装置が過負荷で震え、天井から石片が落下し、壁に亀裂が走る。
そして——
真実の幻影が、星晶塔から王都全域へと放たれた。
王都の市民は、自宅で、路上で、酒場で、兵舎で——突然、抗いがたい幻影に包まれた。
400年前の情景。
七色の星力を操る兵士たちが、海王星の力を持つ人々を次々と捕らえ、投獄し、殺害していく。
学術都市で、真実を記した書物が焚書される。
星現の儀で、海王星の力を持つ新生児が親から引き離され、地下牢へと消える。
そして——海王星の力の真実。
「幻影と欺瞞」ではない。
他者の心の傷に触れ、隠された真実を映し出す、共感と理解の力であるという事実。
王国が400年間、自分たちの支配を盤石にするために、この星を「呪い」と偽ってきたこと。
そのすべてが、市民一人ひとりの脳裡に、五感を伴う圧倒的な臨場感で流し込まれた。
街のあちこちから、悲鳴と怒号が上がり始める。泣き崩れる者、呆然と立ち尽くす者、兵士に詰め寄る者。400年の嘘が、今、音を立てて崩れ始めていた。
——だが。
装置から、異常な光が溢れ出した。真実の幻影を全王都に伝播し終えた装置が、限界を迎えて暴走を始めたのだ。七色の光がレオンの全身を包み込み、彼の体を装置の中枢へと吸い込もうとする。
「[scared]レオン様——!!」
梯子の傍で、瀕死の重傷を負ったレフィアが叫んだ。
彼女は壁に手をつき、震える足で立ち上がる。傷ついた右腕は力なく垂れ下がり、黒ずんだ星脈が痛々しい。それでも彼女は、歯を食いしばって一歩、また一歩と歩み寄る。
「[crying]レフィアお姉ちゃん、ダメだよ、体が……!」
リリィがレフィアの服の裾を掴もうとする。しかし、レフィアは静かに首を横に振った。傷んだ右腕とは逆の左手で、リリィの小さな手を握り返し——そっと、離してやる。
「[gentle]……大丈夫です。リリィ様は、ここにいてくださいませ」
レフィアはレオンの背後に立った。
装置に全身を吸い込まれかけ、それでも両手を核に差し込んだまま歯を食いしばるレオンの、左手首を——彼女は両手で掴んだ。
時星の力でもない。海王星の力でもない。
ただ、自分の手で。
ボロボロの、傷だらけの、震える手で。
「[crying]……離しません」
声が、涙で濡れている。
「[crying]わたくしは——あなたを、絶対に離しません……!」
レフィアの手の温もりが、レオンの意識を現実に繋ぎ止めた。
暴走する装置の中で、レオンの体がその場に踏みとどまる。
——その瞬間。
真実の幻影を出し尽くした装置が、轟音とともに停止した。
七色の光が、一斉に消える。
静寂。
レオンの体から、力が抜けた。意識が薄れていく。視界が、白く、遠くなる。
「[whispers]……レオン、さま」
自分を呼ぶ声が、遠くに聞こえた。温かい腕が、自分の体を受け止めている。彼女の、鼓動が伝わる。
レオンは、その温もりの中で、意識を手放した。
————
冷たい風が、頬を撫でた。
「……ここ、は」
レオンはゆっくりと目を開けた。
夜明け前の藍色の空。川のせせらぎ。湿った土の匂い。リヴィエラ川の岸辺だ。
体を起こそうとして、腕に力が入らずにもがく。
「[sarcastic]よう、お目覚めか」
松明の灯りが、見慣れた顔を照らし出した。灰がかった茶色のぼさぼさ髪。琥珀色の目。左耳の三つのピアス。
オズワルド・グリムが、レオンの肩を貸して上半身を起こさせる。彼の指にはいつものインクの染みがついていて、服は泥と煤で汚れている。下町での陽動作戦を終えてきたばかりの姿だった。
「[gentle]リリィは……レフィアは……!」
「[calm]ああ、二人とも無事だぜ。リリィはあっちで寝てる。レフィアは……」
オズワルドが目線で示した先。
レオンの隣に、レフィア・アルクロノスが座っていた。
右腕全体が黒ずみ、力なく膝の上に置かれている。顔色は紙のように白く、唇には血の気がない。銀色の長髪は乱れ、紫色の瞳は沈痛に曇っている——それでも彼女は、目を覚ましていた。レオンの側から、一歩も離れずに。
「[whispers]……よかった」
レフィアがかすれた声で呟き、涙で頬を濡らした。
川向こうの王都からは、混乱した叫び声と、無数の明かりが漏れている。幻影を見た市民が街頭に溢れ、互いに真実を確かめ合う声が、風に乗ってかすかに聞こえた。星晶塔は静かにそびえ立ったままだが、最上部の七色の光は消えている。
「[serious]小舟と水路の地図だ。ポルト・エテルナまで抜けられる」
オズワルドが地図の束をレオンの手に押しつける。
「[serious]夜明けまでに動け。今は混乱してるが、夜が明けたら追手が本気で来る」
「[gentle]お前は……」
「[sarcastic]ったく、俺は情報屋だぜ? 姿を消すくらい朝飯前だ」
オズワルドは軽く肩をすくめたが、その目は優しかった。彼の琥珀色の瞳の奥に、この若者たちへの深い信頼と、心配が同居している。
レオンは立ち上がろうとした。
その時。
袖を、そっと掴まれた。
レフィアの、細い指だった。
彼女は俯いたまま、唇を震わせている。黒ずんだ右腕が小刻みに震え、左手が必死にレオンの服を掴んで離さない。
「[whispers]……レオン、様」
声が、震えている。
「[whispers]命令でも……使命でも、なく」
一粒の涙が、彼女の頬を伝い、膝の上に落ちた。
「[crying]私は……ただ、あなたの、そばに……」
言葉が、詰まる。
彼女の長い睫毛が震え、紫色の瞳から次々と涙が溢れる。声はか細く、それでいて、これまで彼女が口にしたどんな言葉よりも、重く、熱かった。星の道具でも、時星の巫女でも、暗殺者でもない——ただ一人の人間としての、初めての自分の言葉だった。
「[crying]初めから……ずっと、あなたのそばに……いたかった……」
レオンは、言葉を返せなかった。
代わりに——彼女の肩を引き寄せた。
強く、抱きしめる。
「[gentle]……ありがとう」
レフィアの背中に回した腕に、力を込める。彼女の傷ついた体を、壊れないように、それでも確かに抱きしめる。
レフィアの両手が、レオンの背に回された。傷んだ右腕も、構わずに。
「[gentle]これからは、君の意志で生きてほしい」
レオンは、彼女の耳元で、静かに告げた。
「[gentle]誰の命令でもなく、君が、君の人生を選ぶんだ」
レフィアは、声もなく泣いた。肩を震わせ、子供のように、ただ泣き続けた。
リリィは、黙ってその光景を見守っている。その海のように青い大きな瞳に、涙が滲んでいた。オズワルドは川の向こうに視線を向け、口元を僅かに引き結んでいる。彼の左手が、無意識に胸元の何かを握りしめていた。
夜明けの最初の光が、リヴィエラ川の水面を金色に染め始める。
————
小舟は、静かに川を下り始めた。
オールを握るレオン。艫に寄り添うレフィア。彼女の膝の上で眠るリリィ。岸辺から、松明を掲げて見送るオズワルドの姿が、霧の中に溶けていく。
「[sad]……ありがとう、オズワルド」
レオンは振り返らずに呟いた。
レフィアが、オズワルドから受け取った地図を広げる。ポルト・エテルナへ抜ける水路が詳細に書き込まれ、食料や水の補給地点まで記されている。その余白の端に、オズワルドの走り書きがあった。
『五大貴族のうち、一つの家が枢機院すら操っている。そいつが、真の黒幕だ。気をつけろ』
『レフィアの腕の星脈は、もうもたない。時星の力を使うたび、寿命が削られる。次の満月までに治療法を見つけろ』
レオンは地図を握りしめた。
レフィアの右腕は、朝日の中で見ても痛々しく黒ずんだままだ。彼女は時折、疼くのか、無意識に右腕を庇う仕草を見せる。それを見るたび、レオンの胸の奥が締めつけられた。
「[gentle]……見ないでくださいますか」
レフィアが、少し恥ずかしそうに右腕を隠す。
「[gentle]見るよ。ちゃんと治す。絶対に」
レオンは彼女の目をまっすぐに見つめて言った。
レフィアは、潤んだ紫色の瞳でレオンを見つめ返し——小さく、幸せそうに微笑んだ。
朝日が、川面を黄金に染める。
小舟は、新しい夜明けの中を、静かに東へと進んでいった。