悪い子はお仕置き
鈴木陸斗は、秘密の趣味を持つ高校二年生。門限を破った娘を母親がお仕置きする音声記録を密かに聴くのが癖で、叩かれる音と泣き声に心臓が高鳴る。自分はおかしいと思うけれど、やめられない。
ある日の帰り道、陸斗は路地裏で古びたボタンを見つける。押してみると、幼馴染の水無月ひなたが突然現れ、クラスメイトの柊るなのお尻を叩き始めた。パシン! るなが悲鳴を上げ、陸斗の頭は真っ白になる。ボタンには『お仕置き実行ボタン』と書かれていた。
押すたびに、女の子たちが勝手にお仕置きし合う。止められない。でも陸斗は気づく——叩かれている子も、どこか安堵した顔をしていることに。罪悪感と好奇心がぶつかり合う。
一方、校内一厳しい風紀委員長・白河真冬が陸斗をマーク。『校内の風紀の乱れ』を調査し始める。陸斗は必死に隠そうとするが、ボタンの力はお構いなしに暴走していく。
陸斗の秘密を知る謎の少女・柊るなが問い詰める。「そのボタンは危険よ。私に渡しなさい」。るなは、お仕置きされる女の子たちを操れる力のことを知っていた。
陸斗は葛藤する。ボタンを使うたび、誰かが傷つく。でも、涙目の女の子が「許してください」と言いな
悪い子はお仕置き - 代償坂の決意 ―暴走する街、四人が選ぶ未来―
土曜の夜。
雨はやんでいた。空はまだ厚い雲の下にある。
鈴木陸斗はベッドの上で天井を見ていた。カーテンの隙間から街灯の光が入り、部屋の床に細い線を引いている。
まぶたを閉じても、昨日の光景が浮かぶ。居残り清掃中、突然お尻を叩かれて泣き出したひなたの顔。「リクくん、わたし、何かしたかな…」と震える声。そして、逃げ出した自分の背中。
枕元に置いたボタンに手を伸ばす。真鍮の縁が指先に触れた瞬間、じわりと熱を持った。
金曜の夜、街中で起きた連鎖お仕置き。あれは自分の感情が引き起こしたものだ。悲鳴と乾いた音が、遠くの記憶のように頭の中で反響する。
ボタンを握りしめたまま、何度も寝返りを打つ。シーツが汗で湿っている。
ブブッ、とスマホが短く震えた。
体を起こし、スマホを手に取る。画面の明かりが暗い部屋にまぶしい。
水無月ひなたからだった。
『あしたの朝、代償坂で待ってる。話したいことがあるの』
心臓が、ぎゅっと縮む。
指が震えて、返信を打てない。何度も文字を入力しては消す。
『わかった』
それだけ送るのに、五分かかった。
送信した瞬間、ボタンが枕元で小さく振動した。真鍮の表面が、淡い青白い光を一瞬だけ放つ。
ボタンは、陸斗の不安に呼応するように、断続的に微熱を帯び続けていた。
陸斗は、ボタンを握りしめたまま、朝まで一睡もできなかった。
日曜の朝。
空は、昨夜の雲をそのまま引きずったように重く垂れ込めていた。
青葉ヶ丘団地の自宅を出て、旧市街へ向かうバスに乗る。休日の朝で車内は空いている。一番後ろの席に座り、窓の外を眺めた。
新興住宅地の整然とした街並みが、やがて古い木造家屋の並ぶ旧市街へと変わっていく。常世宿通りの石畳が、バスの窓から見えた。
御影神社前で降りる。
神社の裏手に続く細い路地、代償坂。
空気がひんやりと湿っていた。石畳は昨夜の雨で黒く濡れ、ところどころに水たまりができている。両側の昭和期の木造家屋は、どの家も雨戸が閉まったままだった。
坂の入り口に立ったまま、奥を見つめる。
細い路地の先に、小さな人影があった。
明るい茶色のふわふわしたセミロング。サイドで小さくお団子を作っている。琥珀色の大きな瞳が、こちらを見ていた。
水無月ひなた。
手には水色の傘。まだ雨は降っていないのに、傘を差している。
一歩、また一歩と、坂を下りていく。ひなたとの距離が縮まるたびに、胸の奥が苦しくなる。
五メートルほどの距離で、足が止まった。
ひなたは、陸斗の顔を見ると、少しだけ眉を下げて笑った。
「おはよ、リクくん」
「……おはよう」
声が掠れた。
ひなたは、陸斗の顔をじっと見つめている。琥珀色の瞳はいつものように明るくて、でも、どこか泣き出しそうな色をしていた。
「来てくれて、ありがと」
「……うん。ひなたが、待ってるって言うから」
ポケットの中のボタンを指で触る。微かに温かい。
ひなたは、すっと息を吸い込むと、傘を閉じた。
「あのね、リクくん」
声が、少しだけ低くなる。いつもの弾むような調子ではなく、真剣な声だった。
「あたし、リクくんが何か抱えてるの、ずっと前から気づいてた」
陸斗の肩がびくりと跳ねた。
「リクくん、昔からそうだよ。何か隠してる時、いつも右耳の後ろのほくろを触るでしょ」
無意識に右耳の後ろに伸ばしかけていた手を、慌てて下ろす。
「あたし、リクくんの全部を知ってるわけじゃない。でも、リクくんが苦しんでるのは、わかるの。だから、話せる範囲でいいから、話してほしい」
ひなたは、陸斗の目をまっすぐに見て言った。
雨が、ぽつり、ぽつりと降り始める。小さな水滴が前髪を濡らす。
「……ひなた、僕は」
声が震える。
拳を握りしめた。
「僕は、誰かが痛い思いをするのを、怖いと思ってる。なのに、どこかで、それを見てしまう自分がいる。自分でも、どうしようもなくて。最低だって、わかってるのに」
声が涙で濡れた。
「昨日、ひなたが泣いてるのを見て、僕は何も言えなかった。ごめん。本当に、ごめん」
深く頭を下げる。
雨が強くなってくる。
ひなたは無言で傘を開くと、陸斗の頭上に差し出した。
「リクくん、顔を上げて」
ゆっくりと顔を上げると、ひなたは涙ぐみながら笑っていた。
「リクくんは、わたしを助けようとしてくれたでしょ。あの時、公園で。あたし、知ってるんだよ。リクくんが、あの子を助けようとしてたの」
胸がぎゅっと締めつけられる。
「リクくんは、優しいよ。あたしが一番よく知ってる」
ひなたの涙が、頬を伝って、傘の内側で光った。
その瞬間、ポケットの中でボタンが微かに振動した。
陸斗はポケットに手を突っ込み、ボタンを強く握った。振動はまだ続いている。
胸の奥が冷たくなる。
でも、それと同時に、初めて誰かに自分の弱さを打ち明けられたことで、心の奥にあった重い塊が、少しだけ軽くなった気がした。
「……ひなた、ありがとう」
そう言うと、ひなたは涙を拭いて笑った。
「どういたしまして。リクくん、傘、入りなよ。濡れちゃうでしょ」
傘を陸斗の方に傾ける。二人の肩が、傘の中で触れ合った。
ひなたの体温が、濡れた制服越しに伝わってくる。
陸斗は、少しだけ心が落ち着くのを感じた。
「鈴木くん」
凛とした声が、雨音を切り裂いた。
陸斗とひなたは、同時に声のした方を見た。
代償坂の入り口に、白河真冬が立っていた。
銀色がかったプラチナブロンドが雨に濡れ、額や頬に張りついている。氷のような淡い水色の瞳が、雨の中でもはっきりと陸斗を射抜いていた。
傘を差していない。制服も髪もずぶ濡れだった。
「あなたがボタンを持っていることは、もう確信しているわ」
一歩、また一歩と、石畳を踏みしめて近づいてくる。
「……真冬さん」
「白河さん……!?」
ひなたが驚いた声を上げた。
真冬は、陸斗の目の前で足を止めた。雨が、銀色の髪を伝って地面に落ちる。
「私は、初代風紀委員長から続く、代償の理の継承者の家系に生まれた。幼い頃から、秩序を乱す者を罰する役割を期待されてきた。それが、この街に生きるということだと、教えられてきた」
声は、雨音の中でもはっきりと聞こえた。
「でも、違った。私の中にも、罰を与えたいという衝動がある。誰かを傷つけて、それを正義だと思い込みたい自分がいる。だから、あなたを他人事だと思えなかった」
水色の瞳が、初めて揺らいだ。いつもの凛とした表情ではなく、何かに耐えるような顔。
「……私も、あなたと同じなの。鈴木くん」
真冬の声が、小さく震えた。
陸斗は言葉を失った。
自分だけが異常なのではない。そう思えた瞬間、胸の奥にあった孤独の塊が、少しだけ溶けていくのを感じた。
でも、それと同時に、別の感情が湧き上がってくる。
この街の因習は、真冬のような人間を犠牲にしてきたのだ。
代償の理。常世宿の盟約。秩序を守るために、誰かが痛みを引き受ける仕組み。
それは百年以上も前から、この街に住む人々を縛り続けてきた。
陸斗は、背骨に冷たいものが這うのを感じた。
「……二人とも、ここで立ち話をしている場合じゃないわ」
路地の奥から、静かな声がした。
振り返ると、柊るなが立っていた。
腰まで届く黒髪ストレート。毛先だけ深い紫に染まっている。切れ長の紫色の瞳が、雨に濡れた石畳を見つめていた。左目の下の小さな泣きぼくろが、青白い光の中で、はっきりと見える。
「るな……」
「鈴木くん、それから、白河さん。今、この街で何が起きてるか、二人とも気づいてるでしょ」
るなは、陸斗のポケットに視線を落とした。
「ボタンが、暴走してる。昨夜から、街のあちこちで、小さなお仕置きが断続的に発生してるわ。あなたの感情に呼応して」
陸斗は、ポケットの中のボタンを握りしめた。
「……るな、僕は、どうすればいいんだ」
るなは、少しだけ間を置いてから口を開いた。
「祖母の遺言の続きを、話すわ」
雨が強くなる。るなの黒髪が雨に濡れ、紫色の毛先が石畳の上で揺れた。
「ボタンの真の使い方は、罰を与えることじゃない。誰かを守るために、代償を引き受けること。つまり、ボタンは、持ち主が誰かを守りたいと強く願ったとき、初めて本来の力を発揮するの。他者の痛みを、自分に引き受ける力を」
頭の中で、るなの言葉がゆっくりと浸透していく。
「あなたが拾ったのは、偶然じゃない。この街が、あなたを選んだの」
るなは、陸斗の目をまっすぐに見て静かに言った。
陸斗は、るなの言葉の重さに息ができなくなった。
その直後だった。
ポケットの中で、ボタンが今までにない強烈な熱と振動を発した。
「うあっ……!」
思わずポケットから手を引く。
ボタンが、布越しに青白い光を放っている。
その光に呼応するように、御影神社の本殿の方向から、太い光の柱が立ち上った。
青白い光が、雨雲を貫いて空へ伸びていく。
「なに、あれ……!」
ひなたが、恐怖に震える声を上げた。
同時に、神社の境内の石畳が次々と灯り始める。地面に眠っていた光の筋が、一斉に目を覚ましたように。
そして、街のあちこちから、悲鳴と乾いた音が連鎖的に響き始めた。
パァン。パァン。パァン。
遠くの住宅地から、商店街から、学校の方から。
無数の「お仕置き」の音が、雨音に混じって街全体を包み込んでいく。
「これは……私の家系が記録してきた、どの事例よりも大規模よ」
真冬の顔が青ざめている。雨に濡れた銀色の髪が、青白い光を反射して不気味に光った。
「陸斗くん、あなたが向き合わないと、止まらない」
るなが、緊迫した声で言った。
「リクくん……!」
ひなたが、恐怖で震えながら、陸斗の袖を掴んだ。
「リクくん、行こう。あたし、リクくんと一緒に行く」
ひなたの指が、陸斗の制服の袖をぎゅっと握りしめている。その手は雨に濡れて冷たかった。
陸斗は、三人の顔を順番に見つめた。
ひなた。真冬。るな。
みんな、それぞれの想いを抱えて、この場所に立っている。
陸斗は、ポケットからボタンを取り出した。
青白い光を放つ真鍮のボタン。手のひらの上で、熱く、激しく振動している。
「……このボタンを、俺が制御する」
声が、雨音を切り裂いた。
「誰も傷つけないように。俺が、代償を背負う」
それは、他人に決められた役割ではなかった。自分自身の意志で、初めて選んだ決断だった。
「……それが、代償の理の本当の意味かもしれないね」
るなが、小さく呟いた。
「監視対象が自ら動くなら、私も同行するわ」
真冬が、濡れた前髪をかき上げながら、きっぱりと言った。
「わたしも、リクくんについてく!」
ひなたが、涙で濡れた顔で笑った。
陸斗は、三人の顔をもう一度見て、深く息を吸い込んだ。
「行こう」
四人は、青白い光の道を辿り、御影神社の本殿へ向かって走り出した。
雨が容赦なく降り注ぐ。石畳の目地が、青白く脈打つように光っている。
光は激しさを増していた。街の歪みが、頂点に達しようとしている。
陸斗は、走りながらボタンを握りしめた。
青白い光の柱が、四人を神社の奥へと導いていく。
雨音と、悲鳴と、乾いた音が、街中に響き渡っていた。
御影神社の鳥居が、青白い光の中で巨大な影を落としている。
四人は、その影をくぐり、境内へと駆け込んでいった。Noveliaとは?
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