FGO学園 〜聖杯は校庭に埋まってる〜
聖レガリア学園の裏庭で草むしりをしていた藤丸立香は、土の中から金色に輝く杯——聖杯を掘り出してしまう。その瞬間、右手の甲に消えない紋様が浮かび上がり、彼の「無意識の願い」が次々と現実になり始める。購買のパンは好物ばかりになり、机は勝手に片付き……。そこへ「あなたを守るために来ました」と転校生のマシュ・キリエライトが現れる。聖杯の力を制御できなければ、周囲の願いまで巻き込んで暴走する危険があるという。小柄で真剣な彼女との、少し不思議でちょっとドキドキする学園生活が始まる——。果たして立香は、聖杯の力を抑えられるのか。そして夢で聞こえた「必ず、迎えに来るから」という声の主は誰なのか。聖杯は、校庭に埋まってる。
FGO学園 〜聖杯は校庭に埋まってる〜 - 学園がお菓子の家になった日~もう勘弁してよ!の校内放送~
廊下の空気が、甘ったるくて、やけに重い。
藤丸立香は、朝の教室に向かう途中で、足を止めた。
「……なんか、床、光ってないか?」
足元のリノリウムが、うっすらと金色に透けている。昨日までは、ただの白っぽい床だったのに。立香は、恐る恐るしゃがみ込んで、指先で触れてみた。
指が、床に触れた瞬間だった。
ざわり、と床が波打った。
「うわっ!?」
立香は、尻もちをついた。目の前で、床が、どろり、と溶けるように形を変えていく。金色の、どろりとした液体が、廊下の中央に、細い川のように流れ始めた。
「な、なんだこれ!?」
立香は、慌てて立ち上がった。金色の川は、ゆっくりと、しかし確実に、廊下の端から端へと広がっていく。まるで、生き物のように、うねうねと。
「また、聖杯の仕業か……!」
立香は、右手の甲をぎゅっと握った。手袋の下で、聖杯の紋様が、じくじくと熱を持っている。
その時だった。
「立香さん!」
後ろから、マシュの声がした。振り返ると、淡い桜色のショートボブを揺らした少女が、立香の元へ駆け寄ってくる。紫がかった大きな瞳が、不安そうに揺れていた。
「マシュ……! これ、また聖杯の願現だよな?」
「はい。間違いありません。聖杯の魔力が、学園全体に溢れています。それも、今までにない規模で」
マシュは、左手の甲に浮かぶ盾型の紋章を、そっと押さえた。
「私の盾でも、この魔力の流れは止められそうにありません。……立香さん、私の後ろにいてください。絶対に、私が守りますから」
「マシュ……」
マシュの顔は、真剣そのものだった。でも、その声は、ほんの少しだけ震えている。立香は、マシュの手を、そっと握った。
「大丈夫だよ。とりあえず、落ち着こう?」
立香が、そう言った瞬間だった。
バタン!
近くの教室のドアが、勢いよく開いた。
「な、なんだこれ!?」
「机が、宝箱になってる!?」
教室から、クラスメイトたちの悲鳴と、困惑の声が飛び出してくる。立香が、教室を覗き込むと、そこには、信じられない光景が広がっていた。
教室の机が、ひとつ残らず、金色の宝箱に変わっていたのだ。
蓋が半開きになった宝箱からは、金色の文房具や、キラキラ光る消しゴムが、こぼれ出ている。
「うわあああ! 俺の机から、金貨が出てきたぞ!」
「ちょっと、これ、本物の金? すごい!」
「聖杯様の仕業だ! また、聖杯様が、俺たちに恵みを与えてくださったんだ!」
クラスメイトたちは、口々に叫びながら、宝箱に群がっている。興奮と、恐怖と、そして、ほんの少しの欲望が、教室中に渦巻いていた。
「……また、僕のせいか」
立香は、頭を抱えた。
「立香さん、立香さんのせいじゃありません。聖杯が、勝手に暴走しているんです」
「でも、聖杯を拾ったのは、俺だ」
立香は、唇を噛んだ。
その時、廊下の向こうから、給食室の方角に向かって、金色の湯気が、もうもうと噴き出し始めた。
「給食室から、金色の湯気が……!」
「またかよ……!」
立香は、走り出した。
「立香さん、待ってください!」
マシュも、立香の後を追う。
廊下の壁は、ところどころ、金色のタイルに変わっていた。天井からは、金色の粉が、ちらちらと降ってくる。まるで、学園全体が、金色の雪に包まれているようだった。
「マスター!」
角を曲がったところで、アルトリアが立っていた。金色の長いポニーテールを揺らし、翡翠色の瞳を、まっすぐ立香に向けている。
「アルトリア! お前も、この異変に気づいたのか?」
「当然だ。この甘い匂い。そして、この金色の魔力。聖杯が、本格的に目覚めようとしている」
アルトリアは、廊下に流れる金色の川を、じっと見つめた。
「……それに、この匂い。どこかで嗅いだことがあると思ったら、これは、飴細工の匂いだ」
「飴細工?」
「ああ。それも、かなり上等な。……いや、今は匂いの話をしている場合ではないな」
アルトリアは、こほん、と咳払いをした。
「マスター、私が聖杯の魔力を鎮めてみせる。私の剣は、この程度の暴走なら、斬り伏せられる」
「待ってください、アルトリアさん。私も、聖杯を鎮めるために、盾を展開します」
マシュが、一歩前に出た。
「……ふん。お前もか、盾の小娘」
「立香さんを守るのは、私の役目ですから」
二人の視線が、バチバチと火花を散らす。
「ちょ、ちょっと待て、二人とも! 喧嘩してる場合じゃないだろ!」
立香が、二人の間に割って入ろうとした、その時だった。
マシュが、両手を胸の前で組んだ。
「……私の願いよ。立香さんを、あらゆる危険から守りたい。その想いを、力に変えて」
マシュの左手の盾型の紋章が、淡い桜色に輝き始めた。
同時に、アルトリアも、見えない剣を構えた。
「我が願いは、ただ一つ。マスターと、共に食事を楽しむこと。その平穏を、阻むものは、全て斬り捨てる」
アルトリアの周囲に、金色の風が巻き起こる。
二つの願いが、廊下に溢れた。
「「はああああっ!」」
マシュの盾から放たれた桜色の光と、アルトリアの剣から放たれた金色の光が、廊下の中央で、激しくぶつかり合った。
ドゴォォォン!!
衝撃波が、廊下を駆け抜ける。
「うわっ!?」
立香は、壁に叩きつけられそうになって、必死に踏ん張った。
「な、なんで、二人の力が、ぶつかってるんだ!? 協力するんじゃないのか!?」
「それは、こちらの台詞だ! 盾の小娘、貴様の願いが、私の願いと共鳴して、魔力を増幅させている!」
「違います! アルトリアさんの願いが、強すぎるんです! 立香さんと一緒にいたいという、私の純粋な願いを、食欲で上書きしないでください!」
「なに!? 食欲だと!? 私は、マスターと共に食事をするという、崇高な願いを抱いているのだ! それを、食欲などと、下賤な言葉で侮辱するとは!」
「ご、ご飯を食べたいって、食欲以外の何物でもないですよね!?」
「黙れ! マスターと食べるご飯は、特別なのだ! お前には、その崇高さが分からんのか!」
二人の口論は、どんどんヒートアップしていく。
そして、二人の願いがぶつかり合うたびに、廊下の金色の川は、激しく波打ち、その流れを速めていく。
「ちょ、ちょっと待て、二人とも! 落ち着け! とりあえず、落ち着こう!?」
立香は、二人の間に、必死に声をかけた。
でも、二人は、立香の声に、まったく気づいていない。
「私の方が、立香さんと深い絆で結ばれています! 立香さんの朝ごはんを作ったのは、私です!」
「ふん、朝ごはんなど、私だって作れる! それに、私は、立香と、あの屋上で、心を通わせたのだ! お前には、あの感動が分かるまい!」
「な、なにを言ってるんですか! 立香さんと、屋上で、何をしたんですか!?」
「それは、私と立香だけの、大切な思い出だ! お前に教える義理はない!」
「立香さん! アルトリアさんと、屋上で、何をしたんですか!? 教えてください!」
マシュが、涙目で、立香に詰め寄る。
「い、いや、別に、大したことはしてないっていうか、ただ、話をしただけっていうか……」
「ただ、話をしただけ、ですか……? 本当ですか?」
「ほ、本当だって! なんで、そんなに疑うんだよ!」
「マスター! お前は、私との大切な思い出を、『ただ話をしただけ』などと、軽々しく言うのか!?」
アルトリアが、今度は、立香に食ってかかる。
「え、いや、そういう意味じゃなくて……」
「では、どういう意味だ! 説明してみろ!」
「立香さん、説明してください!」
「え、ええと……」
立香は、完全に、パニックに陥った。
「もう、勘弁してよぉぉぉぉぉぉ!!!」
立香の絶叫が、廊下に響き渡った。
その瞬間だった。
ザッ……。
天井のスピーカーから、ノイズが走った。
そして、次の瞬間。
『もう、勘弁してよぉぉぉぉぉぉ!!!』
立香の声が、学園中のスピーカーから、大音量で流れ出した。
「……え?」
立香は、呆然と、天井のスピーカーを見上げた。
『もう、勘弁してよぉぉぉぉぉぉ!!!』
立香の声が、エコーのように、何度も何度も、学園中に響き渡る。
「な、なんで、俺の声が、校内放送で流れてるんだよ!?」
「こ、これは、聖杯の願現です! 立香さんの『勘弁してほしい』という願いが、校内放送という形で、現実になってしまったんです!」
「な、なんで、そうなるの!? 願いの叶え方、おかしいだろ!?」
「聖杯は、願いの内容ではなく、願いの強さに反応します。立香さんの、この状況を何とかしたいという強い想いが、聖杯を刺激して……」
「だからって、校内放送はないだろ!?」
立香は、頭を抱えた。
廊下のあちこちから、生徒たちの、困惑した声が聞こえてくる。
「な、なんだ、今の放送?」
「誰かの叫び声? すっごい、切実だったけど」
「まさか、これも聖杯様の?」
「聖杯様が、俺たちに、何かを伝えようとしているのか?」
生徒たちは、ますますパニックに陥っていく。
「……もう、だめだ」
立香は、壁にもたれかかって、ずるずると座り込んだ。
「僕が、聖杯を拾ったから。僕が、あんなものを見つけたから。みんなに、迷惑をかけてる。学園を、めちゃくちゃにしてる」
立香の声は、震えていた。
「……僕が、聖杯を捨てれば、全部、終わるのかな」
立香は、ぽつりと呟いた。
「ダメです!」
マシュが、立香の両肩を、がっしりと掴んだ。
「聖杯は、もう、立香さんと縁で結ばれています! 無理に引き離そうとしたら、立香さんの命が、危ないんです! 捨てるなんて、絶対にダメです!」
マシュの大きな瞳から、涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちる。
「マシュ……」
「マスター、顔を上げろ」
アルトリアが、立香の前に、片膝をついた。
「マスターを失うくらいなら、この学園が、お菓子の家になっても構わない。いや、なってしまえばいい。そうすれば、マスターと、お菓子を食べ放題だ。一石二鳥ではないか」
「アルトリアさん、正気ですか!? 何を言ってるんですか!?」
マシュが、涙を拭いながら、アルトリアに詰め寄る。
「私は、至って正気だ。マスターがいる世界なら、学園がお菓子になろうと、何の問題もない。むしろ、歓迎すべき事態だ」
「歓迎しないでください! 立香さんが、困ってるじゃないですか!」
「マスターは、お菓子が嫌いなのか? 私は、お菓子は、大好きだが」
「そういう問題じゃありません!」
「では、どういう問題なんだ?」
「もう、いい加減にしてください!」
二人は、また、口論を始めた。
立香は、二人の口論を、ぼんやりと眺めていた。
(……俺のせいで、マシュも、アルトリアも、喧嘩してる)
(俺が、聖杯を拾ったから)
(俺が、もっと早く、聖杯のことを、ちゃんと考えていれば)
立香の胸の中に、黒い、どろりとした感情が、広がっていく。
「……二人とも、やめてくれよ」
立香は、小さく呟いた。
でも、その声は、二人の口論にかき消されて、誰にも届かなかった。
「……やめてくれよ!」
立香は、立ち上がった。
「二人とも、喧嘩しないでくれ! 俺のために、喧嘩しないでくれ!」
立香は、二人の間に、割って入った。
「立香さん……」
「マスター……」
二人が、立香を見つめる。
「……ごめん。俺が、もっと、ちゃんとしてれば、こんなことには……」
立香が、そう言いかけた、その時だった。
ドクン。
立香の右手の甲で、聖杯の紋様が、大きく脈打った。
「……え?」
ドクン、ドクン、ドクン。
紋様の脈動が、どんどん速くなる。
「立香さん! 聖杯が、反応してます!」
「マスター! 私の後ろに!」
アルトリアが、立香を庇うように、前に出た。
次の瞬間だった。
聖杯の紋様から、金色の光が、溢れ出した。
光は、廊下を駆け抜け、教室を駆け抜け、校舎全体を包み込んでいく。
そして。
「……なんだ、これ」
立香は、目の前の光景に、言葉を失った。
壁が、クッキーに変わっていた。
チョコチップが、たっぷりと埋め込まれた、焼きたてのクッキーが、廊下の壁一面に、どこまでも続いている。
天井を見上げると、そこには、とろりと溶けたチョコレートが、まるで、屋根のように、垂れ下がっていた。
窓は、透き通った、色とりどりのキャンディに変わっていた。
床は、ふわふわのスポンジケーキだ。
「……お菓子の、家」
立香は、呆然と呟いた。
「うわああああ! 壁が、クッキーになってる!」
「ちょっと、これ、食べられるの!? めっちゃ、いい匂い!」
「うわ、床、ふわふわ! なにこれ、スポンジケーキ!?」
「キャンディの窓、舐めたら、甘いのかな!?」
生徒たちの悲鳴と、歓声が、入り混じる。
「……これは、僕が拾った聖杯のせいだ」
立香の顔から、血の気が、さあっと引いていく。
「僕のせいで、学園を、めちゃくちゃにした」
立香は、がっくりと膝をついた。
スポンジケーキの床が、立香の体重で、ふにゃりと沈む。
「……僕の、せいだ」
立香は、スポンジケーキの床に、爪を立てた。
その時だった。
校舎の屋上から、金色の光が、降り注いだ。
あまりにも眩しい、金色の光。
立香は、顔を上げた。
光の中から、一人の男が、降りてくる。
金色の鎧を身にまとい、金色のツンツンした髪を、風になびかせて。
赤い瞳が、縦長の瞳孔で、立香を、じっと見下ろしていた。
「ふん、雑魚どもが、揃いも揃って、騒がしいな」
ギルガメッシュが、スポンジケーキの床に、音もなく着地した。
「ギルガメッシュ……!」
「この聖杯は、本来、俺の宝物庫に収まるべきもの。お前ごときが、持っていていい代物じゃない」
ギルガメッシュは、立香を見下ろしながら、ゆっくりと、右手を差し出した。
「お前は、俺のものだ。聖杯ごと、な」
「……意味が、わからない!」
立香は、叫んだ。
「意味など、必要ない。俺が、そう決めた。それだけだ」
ギルガメッシュは、にやり、と笑った。
「立香さんから、離れてください!」
マシュが、盾を構えて、立香の前に立った。
「マスターに、手を出すな!」
アルトリアも、見えない剣を構えて、立香を庇う。
「はっ、面白い。お前たちも、まとめて、相手をしてやろう」
ギルガメッシュの背後に、金色の光が、無数に浮かび上がる。
光の中から、剣が、槍が、斧が、無数の武器が、その切っ先を、立香たちに向けた。
「さあ、始めるぞ。この混沌を、さらに、混沌に変えてやる」
ギルガメッシュの声が、お菓子の家と化した学園に、高らかに響き渡った。
マシュが盾を掲げ、アルトリアが剣を構える。二人の背中が、立香の視界を塞いだ。
ギルガメッシュが、指を鳴らした。
雨のように、武器が降った。
マシュの盾が、桜色の光を弾いて、二振り、三振りと受け止める。だが、四振り目で、彼女の膝が、スポンジの床に沈んだ。五振り目が、盾の縁をかすめて、マシュの肩口を裂いた。桜色の光が、ぶつり、と途切れる。
「マシュ!」
「まだ……です!」
マシュは、歯を食いしばって、立ち上がろうとした。その背中に、槍が一本、突き立った。
「あ……!」
マシュの体が、前に傾ぐ。盾が、床に落ちて、スポンジにめり込んだ。
「マシュ!!」
立香が、手を伸ばした。指先が、マシュの指に触れるか触れないかの距離で、アルトリアの剣が、ギルガメッシュの斧とぶつかり合う音が、鼓膜を破るように響いた。
「マスター! 下がれ!」
アルトリアが、叫ぶ。その声は、かすれていた。金色の風が、もう、彼女の周りを巻いていない。見えない剣を握る腕が、細かく震えている。
「アルトリア、お前、もう……」
「まだだ! 私は、まだ、戦える!」
アルトリアが、踏み込む。剣を振り上げる。
ギルガメッシュは、その剣を、自分の武器で受けることすらしなかった。ただ、宝物庫から、新しい剣を一本、取り出して、アルトリアの振り上げた腕を、肘の上から、すとん、と落とした。
「――っ!」
アルトリアの腕が、クッキーの壁に、跳ね返るように落ちる。剣を握る手が、開いた。
「アルトリアさん!!」
マシュが、床に伏せたまま、叫ぶ。
「ふん。案外、呆気ないものだな」
ギルガメッシュが、立香の前に立った。見下ろす赤い瞳に、立香の顔が、映っている。
「もう、誰も、お前を守らんぞ」
立香の喉が、ひくり、と鳴った。
「……マシュ。アルトリア」
立香は、二人の名前を呼んだ。返事は、なかった。マシュは、肩で息をしている。アルトリアは、片腕を押さえて、床に膝をついている。
ギルガメッシュの手が、立香の右手首を掴んだ。
「聖杯ごと、貰い受ける」
その手を、立香は、振り払おうとした。指が、ギルガメッシュの甲を、かすめた。それだけだった。
ギルガメッシュの指が、立香の手袋を、するり、と剥いだ。
手袋の下から、聖杯の紋様が、金色に光って、露出する。
「これだ。これが、欲しかった」
ギルガメッシュの親指が、紋様を、なぞった。
ドクン、と、立香の胸の奥で、何かが、脈打った。
「あ……!」
立香の視界から、色が、抜けていく。クッキーの壁の茶色が、飴の窓の赤や緑が、スポンジの床の白が、全部、金色の光に、塗り潰されていく。
「立香さん!!」
マシュの声が、遠く、聞こえる。まるで、水の底から、誰かが叫んでいるみたいに。
「マスター! マスター!!」
アルトリアの声も、遠い。
立香は、ギルガメッシュの手を、もう一度、払おうとした。でも、自分の腕が、自分のものじゃないみたいに、動かなかった。
「よい。よく、馴染む」
ギルガメッシュの声だけが、はっきりと、立香の耳に届いた。
立香の視界が、金色で、埋め尽くされる。
最後に、立香が見たのは、スポンジケーキの床に、爪を立てたままの、自分の指先だった。その指先が、自分の意志とは、関係なく、ぴくり、と動いた。
指先が、スポンジを、掴む。
立香の口が、勝手に、開く。
「――あ」
立香の声が、出た。でも、その声は、立香のもので、立香のものじゃ、なかった。
ギルガメッシュが、笑っている。
「さあ、新しい主人に、挨拶をしろ。人形」
立香の体が、立香の意志とは、無関係に、ギルガメッシュの方を、向いた。
立香の口が、勝手に、動く。
「……はい。ご主人様」
マシュの盾が、スポンジの床の上で、ぴくり、とも、動かなかった。
アルトリアの膝が、がくり、と、床に落ちた。
クッキーの壁の、チョコチップが、ひとつ、ぽとり、と、床に落ちた。
立香の視界の、端っこで。
「立香さん……!」
マシュの涙が、スポンジに、しみ込んで、染みを、広げた。
立香は、それを見ていた。見ていることしか、できなかった。
立香の右手が、勝手に、ギルガメッシュの指に、絡みつく。
自分の指が、自分の意思じゃない動きで、ギルガメッシュの手を、握り返す。
「――――」
立香の喉の奥で、声にならない音が、鳴った。
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