ベルモンド・バンデラスは今日も店番
夢と現実のあわいに佇む、小さな喫茶店「トバリ亭」。
マスターのベルモンド・バンデラスは、見た目も声もとびきり渋いイケメン――なのに、中身はちょっとズレてる、お人好しで世話焼きなマスター。開店5億年(?)、来る者は拒まず、夢迷う誰かれともなく、コーヒーと不思議なドリンクでもてなしてきた。
静かすぎる金曜の夜、夢の最果てからただならぬ気配が近づいてくる。そして、ひとりでに開き始める扉――その向こうにいるのは、いったい誰?
にじさんじの仲間たちがふらりと訪れては、笑って、泣いて、たまに変なことに巻き込まれる。ダジャレと優しさと、ほんの少しの不思議でできた夢喫茶コメディ、開店です。
「いらっしゃい。おかわりは、まだまだいけるぜ」
今日もベルさんは、カウンターの向こうで誰かを待っている。
ベルモンド・バンデラスは今日も店番 - 笑い声がひらく朝
トバリ亭の天井が、また、ミシミシと音を立てた。
いや、もう天井はほとんどなかった。ナイトロアの黒い霧が、壊れた梁を突き破って、店の上でのたうち回っている。無数の目が、ぎょろり、ぎょろりと四人を見下ろしていた。
「いやぁ……いやぁ……!」
ユメは床に座り込んだまま、両手で耳を塞いで泣きじゃくっていた。肩までの黒髪が、汗と涙で額に張り付いている。深い紺色の瞳から、大粒の涙がとめどなくこぼれ落ちた。リュックにぶら下がった折り紙のうさぎも、粉をかぶって震えているように見える。
「わたしのせいで……みんな、わたしのせいで……」
その声は、か細く、闇に吸い込まれそうだった。
ジロウは、壁にもたれたまま、痛む足を押さえていた。くすんだ水色の髪の間から覗くオッドアイが、ユメを映して揺れる。
「違う!君のせいじゃないって、何度言ったら!」
「でも……でも……」
ユメは首を振るばかりだ。
その時だった。
ベルさんが、ゆっくりと動いた。
破れたエプロンを脱ぎ捨て、傷だらけの体で、ユメの正面に歩いていく。そして、その長い脚を折り、ユメと目線が同じ高さになるように、静かにしゃがみこんだ。
琥珀色の瞳が、ユメの紺色の瞳を、まっすぐに見つめる。
「ユメちゃん」
低く、深い声。
いつものように、落ち着いていた。
でも、どこか、違った。
「聞いてほしい話があるんだ」
ユメは、泣きじゃくりながらも、顔を上げた。
「俺はね、ずっと、この店に一人で立ってきた」
ベルさんの声は、静かだった。
「夢の領域ができた時から、ずっとだ。気が遠くなるような時間を、このカウンターの内側で過ごしてきた」
ナイトロアの黒い触手が、すぐ近くの床を這う。
でも、ベルさんは視線を動かさない。
「来訪者が来れば、ドリンクを作る。映画の話をする。ダジャレを言う。笑ってくれると嬉しい。スベると、まあ、これが俺の間合いだと楽しむ」
ベルさんは、少しだけ、口元を緩めた。
「でも、夜が明けて、みんなが目を覚ませば、店には俺一人だ。誰もいないカウンターを磨いて、誰も座らない椅子を直して、次の誰かが来るのを待つ」
「……ベルさん」
ユメの涙が、一瞬、止まった。
「壁の映画ポスターを見ながらな、思うんだ。ああ、この映画を、誰かと一緒に観られたらなって」
ベルさんの声が、ほんの少しだけ、震えた。
「本当は、誰かと一緒に、笑いたかった」
その言葉が、壊れた店内に、ゆっくりと染み込んでいった。
「笑いたくて、笑ってほしくて、ダジャレを言ってたんだ。でも、本当に笑いたかったのは、俺の方だったのかもしれない」
ベルさんは、照れくさそうに、後ろに撫でつけた漆黒の髪を、くしゃりと掻いた。
沈黙。
ナイトロアの唸り声だけが、低く響く。
アイシャが、金色の瞳を潤ませて、ベルさんの背中を見つめていた。銀色の髪が、ほこりで汚れている。
「ベルさん……」
アイシャの声が、震えた。
「うち、知らなかった。ベルさんが、そんな気持ちで……うち、ベルさんのダジャレ、いつも笑ってたのに、ごめん……ごめんなのじゃ……」
大粒の涙が、アイシャの頬を伝う。
「アイシャちゃんが謝ることじゃないよ」
ベルさんは、優しく笑った。
「君が笑ってくれたから、俺は救われてたんだ」
ジロウは、唇を噛みしめていた。
「……僕も、だ」
ジロウの声は、かすれていた。
「僕は、この店に来るのが、楽しみだった。ベルさんの映画の話も、ダジャレも。ここに来れば、一人じゃないって思えた」
ジロウは、オッドアイの両目から、静かに涙を流した。
「だから、ベルさん。君は、一人じゃない」
その言葉が、ユメの胸に、深く、深く、突き刺さった。
ユメは、自分の膝の上で、小さな拳をぎゅっと握った。
「……わたしも」
小さな、小さな声。
三人が、ユメを見た。
「わたしも、さみしかった」
ユメは、顔を上げた。
涙でぐしゃぐしゃの顔。
でも、その紺色の瞳は、まっすぐにベルさんを見ていた。
「ずっと、ずっと、さみしかったの」
ユメの声が、震えながらも、確かに響いた。
「学校で、一人でお弁当食べてた。休み時間も、一人で本を読んでた。帰り道も、一人。おうちに帰っても、一人。誰も、わたしの話を聞いてくれなかった」
ユメの涙が、また、あふれ出した。
「でも、言えなかった。さみしいって、言ったら、もっと嫌われちゃう気がして。わがままだって、思われるのが怖くて」
ユメは、声を絞り出した。
「だから、夢の中だけでも、誰かに会いたかった。そしたら、このお店に来て、ベルさんに会えた。おねえちゃんにも、おにいちゃんにも会えた」
ユメは、涙を拭おうともせず、続けた。
「ここは、あったかい。みんなが笑ってる。わたし、ここにいたい。みんなと、一緒にいたい」
「ユメちゃん……」
その瞬間だった。
ユメの胸の奥から、淡い、暖かな光が、ふわりとこぼれ落ちた。
まるで、朝日が差し込むように。
その光は、床に散らばっていた、くすんでひび割れた夢のかけらたちに、そっと触れた。
すると。
かけらたちが、一つ、また一つと、輝き始めた。
暖色の光。寒色の光。
楽しい夢。悲しい夢。
全部が、きらきらと、歌うように光り出す。
「う、うわっ!?」
ジロウが、驚きの声を上げた。
「夢のかけらが、光ってる……!」
店内に、淡い光が満ちていく。
すると。
「ギ、ギギ……ッ!?」
ナイトロアが、苦しみ始めた。
黒い霧の体が、光に焼かれるように、じゅうじゅうと音を立てて縮む。無数の目が、苦痛に歪む。
「光が、効いてる!」
ジロウが叫んだ。
「笑い声と、楽しい記憶の光。やっぱり、それが弱点なんだ!」
「なら、笑うのじゃ!みんなで笑うのじゃ!」
アイシャが、飛び上がった。
「いくぞ!せーの!」
ベルさんが、合図を送る。
「「「あははははは!!」」」
四人が、一斉に笑い声を上げた。
でも。
「……あ、あはは」
「……ふ、ふふ」
「……あは、は」
「……はは」
笑い声は、すぐにしぼんだ。
恐怖と緊張で、声が引きつっている。
作った笑いは、空気を震わせるだけで、光を生まない。
ナイトロアの縮みが、止まった。
「……だめだ、笑えない」
ジロウが、悔しそうに言った。
「こんな時に笑えるかよ!怖くて、痛くて、笑えるわけないだろ!」
「うぅ……うちも、笑えないのじゃ……涙が出ちゃう……」
アイシャも、目をこすった。
「……ごめん、なさい」
ユメが、うつむく。
「わたしのせいで、みんな、笑えなくなっちゃった……」
「ユメちゃんのせいじゃないよ」
ベルさんが、ユメの頭を、そっと撫でた。
「笑うって、難しいな。俺も、長いこと笑ってなかったから、忘れちまったのかもしれない」
ベルさんは、苦笑いした。
その時だった。
「よし!こうなったら、やけくそじゃ!」
アイシャが、突然、両手を大きく広げた。
「うちが、歌を歌うのじゃ!うちの、心からの、即興ソングを!」
「は?今、歌うの?」
ジロウが、目を丸くした。
「そうじゃ!笑えないなら、歌えばいいのじゃ!心のままに!魂のままに!」
アイシャは、目を閉じて、深く息を吸い込んだ。
そして、歌い始めた。
「♪あたたかい心が一番強い~♪」
アイシャの歌声は、正直、うまくなかった。
音程は外れ、リズムはバラバラ。
でも、なぜか、耳に残る、不思議な歌だった。
「♪さみしい気持ちも、笑い飛ばせ~♪」
アイシャは、壊れたテーブルの上に飛び乗った。
「♪黒いやつなんか、やっつけちゃえ~♪」
銀色の髪が、くるくると回る。
「♪みんなで笑えば、こわくない~♪」
アイシャは、びしっとナイトロアを指さした。
「♪だから、お前も、笑っちゃえ~!……って、違う!お前は笑うな!……あれ?どうすればいいんじゃ?」
アイシャが、首をかしげた。
その瞬間。
「歌うタイミングそこ!?っていうか、歌詞めちゃくちゃだよ君は!しかも最後、自分で混乱してどうするの!」
ジロウが、思わず、早口でツッコミを入れた。
その、あまりに必死なノリツッコミに。
「……ぷっ」
ユメが、吹き出した。
「あははっ!おにいちゃん、すごい顔してる!」
ユメが、声を上げて笑った。
その笑い声は、今までで一番、自然で、明るくて、心からのものだった。
「ははは!ジロウ、お前、最高だよ!」
ベルさんも、腹を抱えて笑い出した。
「あはははは!なんでそこで怒るんじゃ!おかしいのじゃ!」
アイシャも、涙を流しながら笑う。
「いや、笑い事じゃないんだけど!?っていうか、僕は真面目にツッコんだんだけど!?」
ジロウも、笑いながら反論する。
四人の笑い声が、重なった。
ユメとベルさんの笑い声が、ぴったりと、重なった。
その瞬間。
店内に、三日月色の光が、溢れた。
青白く、柔らかな、月の光。
ベルさんの指先が、銀色に輝き、その光が、ユメの笑い声と共鳴して、店中に広がっていく。
「ギャアアアアアア!!」
ナイトロアが、悲鳴のような声を上げた。
黒い霧が、急激に縮んでいく。
三メートル近くあった体が、二メートルに、一メートルに、そして、五十センチほどにまで、みるみる縮んでいく。
「やった!効いてる!笑い声が、光が、あいつを弱らせてる!」
ジロウが、叫んだ。
「このまま、一気にやっつけるのじゃ!」
アイシャが、身を乗り出した。
でも。
ナイトロアは、まだ、完全には倒れなかった。
小さくなった黒いかたまりは、床の上で、ぶるぶると震えている。
そして、次の瞬間。
にゅるり。
ナイトロアは、壊れた壁の隙間から、店の外へ、逃げ出そうとした。
「逃がすか!」
ジロウが、痛む足を引きずって、立ち上がる。
「待つのじゃ!黒いやつ!うちの歌はまだ終わってないのじゃ!」
アイシャが、テーブルから飛び降りる。
「……行こう、ユメちゃん」
ベルさんが、ユメに手を差し伸べた。
「うん!」
ユメは、その手を、ぎゅっと握った。
「おかわりは、まだまだいけるぜ」
ベルさんは、ニヤリと笑った。
「あいつに、俺たちの笑い声を、とくと味わわせてやろうじゃないか」
四人は、壊れたトバリ亭を飛び出した。
ナカツジの広場には、淡い三日月色の光が満ちていた。
逃げるナイトロアの黒い影を追いかけて。
四人は、走り出した。
まだ、夜は明けない。
でも、もう、闇は、彼らを飲み込めなかった。Noveliaとは?
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