灰の星に咲く問い
地球は完全に廃墟と化し、人々はいくつかの丸いドーム状の都市で暮らしていた。
19歳のアレク・ハーティンは、そのドーム内で壊れた機械を修理する天才的なリーダーだった。誰もが彼に頼り、彼自身も自分の才能に自信を持っていた。彼の唯一の心の支えは、幼馴染で親友のサイラス・ヴェインだった。
しかしある日、生命維持装置の重要な機械を修理している最中、アレクは恐ろしい罠にかかってしまう。ドームの空気が漏れ、爆発が起こり、気がつくと彼は死の荒野へと一人追放されていた。これは誰かの故意の仕業だった。そして、彼はそれが親友のサイラスにしかできないことだと悟る。
裏切りへの怒りと悲しみに満ちたアレクは荒野を彷徨い、古代の衛星を操作する装置を偶然見つける。それは宇宙から地上を強大な力で攻撃できる最後の兵器だった。アレクはその装置を使いこなし、次々と襲いかかる無法者たちをまるで魔法のように撃退する。『空の魔術師』の噂は瞬く間に荒野中に広まり、やがてドームのサイラスの耳にも届く。
その力を手に入れたアレクはついにサイラスのいるドームへと戻る。町の人々は衝撃と恐怖に包まれながらも、どこか温かく彼を迎え入れる
灰の星に咲く問い - 守るという意志——空の魔術師の噂はドームの外へ
上層区画の移送執行場は、ドーム・ヴァロスの心臓部からほど近い、無機質な広間だった。壁はくすんだ銀色の合金板で覆われ、天井からは白く冷たい光が降り注いでいる。普段は物資の仕分けに使われるこの場所が、今日ばかりは違った。
広間の中央に、小さな影が一つ。
リィナ・ソル。まだ十四歳の少女だ。薄い茶色の髪は汗で額に張り付き、青ざめた顔は恐怖で強張っている。両腕は後ろで硬い拘束具に固定され、細い足首にも枷が嵌められていた。彼女の周囲には、上層部直属の警備兵が五人。全員が黒い防護服を身にまとい、手には電磁パルス棍棒を握っている。
「動くな」
先頭の男が、リィナの腕を乱暴に掴んだ。
「いや……お願い、やめて……私は、なにも悪いことしてない……」
リィナの声は、涙で震えていた。か細い声は、広間の冷たい空気に吸い込まれて消えていく。
「選別対象者番号四十七番、リィナ・ソル。耐性検査の結果、外部移送が決定した。逆らえば、さらに重い処分が下るぞ」
警備兵の言葉に、リィナはびくりと体を震わせた。
その時だった。
広間の入り口の重い扉が、轟音とともに吹き飛んだ。
ガァァァン!!
合金製の扉が、蝶番ごと引きちぎられて床に叩きつけられる。舞い上がる粉塵。警備兵たちが一斉に振り返る。
「……その手を、離せ」
粉塵の向こうから、アレク・ハーティンが歩み出た。無造作に伸びた漆黒の髪。透き通るような青い瞳が、警備兵たちを真っ直ぐに射抜いている。その手には、観測所潜入時に確保していた警備用パルス棍棒が一本。腰には、旧軍用の閃光弾が二つ。
「誰だ、お前は!」
警備兵の一人が、棍棒を構えて叫んだ。
アレクは答えない。ただ、一歩、また一歩と、リィナに近づいていく。
「選別対象者の移送を、上層部の命令で執行している。邪魔をすれば、お前も同罪だぞ!」
「知るか」
アレクの声は、氷のように冷たかった。
「面倒くせぇ。お前らが何を執行しようが、俺には関係ない。だが、その子に触るなら、話は別だ」
アレクの左手が、無意識に胸元へ伸びた。布越しに、オルビタ・キーの青い光が、ほのかに漏れている。
(使えば、一瞬だ)
(空から光が降って、こいつらを焼き払える)
(でも、それじゃ、俺も同じだ)
(選別する側に、なる)
アレクは、ゆっくりと手を下ろした。
その動作を、警備兵たちは見逃さなかった。
「かかれ!」
五人の警備兵が、一斉に動いた。
先頭の二人が、左右から挟み込むように棍棒を振り下ろす。電磁パルスが空気を裂く音。
アレクは、身を低く沈めた。
棍棒が、髪をかすめて空を切る。次の瞬間、アレクの右手が、懐から閃光弾を引き抜いていた。
「目を閉じろ!」
アレクの声が、広間に響いた。
同時に、閃光弾が床に叩きつけられる。
バァァァン!!!
視界を覆い尽くす、まばゆい白い光。警備兵たちの視界が、一瞬で奪われる。
「ぐあっ! 目が!」
「見えん! どこだ!」
悲鳴と怒号が、入り乱れる。
アレクは、その隙を逃さなかった。
低い姿勢のまま、最初の一人の懐に飛び込む。パルス棍棒を、鳩尾に叩き込んだ。
ゴッ。
鈍い音。警備兵の体が、くの字に折れ曲がる。アレクは、倒れ込む男の腕から棍棒を奪い取ると、すかさず二本目を、もう一人の膝裏に打ち込んだ。
「がはっ!」
膝が砕ける音。警備兵が、悲鳴を上げて崩れ落ちる。
三人目が、目をこすりながら棍棒を振り回した。でたらめな攻撃。アレクは、それを紙一重でかわし、首筋に一撃。
ドスッ。
警備兵は、白目を剥いて倒れた。
残り二人。視力を取り戻した警備兵が、アレクを睨みつける。
「この……選別対象者を守るというのか! お前は、ドームの秩序を壊す気か!」
「秩序だの選別だの、知るか」
アレクは、棍棒を握り直した。
「俺が守るのは、あの子一人だ。邪魔するなら、お前ら全員、叩き伏せる」
その声には、揺るぎない意志が宿っていた。
警備兵二人は、一瞬、顔を見合わせた。
「……く、くそっ! 増援を呼べ!」
一人が、壁の通信機に駆け寄る。
アレクは、それを許さなかった。
手にした棍棒を、全力で投擲する。棍棒は、空気を裂いて飛び、通信機の前で男の後頭部に直撃した。
ガッ!
警備兵が、壁に顔をぶつけて倒れる。
最後の一人は、恐怖で後退った。
「ひ、ひぃ……!」
「立てるか」
アレクは、リィナの拘束具を外しながら、静かに言った。
「……お、お兄ちゃん……アレクお兄ちゃん……」
リィナの目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「もう大丈夫だ。俺が連れて行く」
アレクは、リィナの手を握った。小さな手は、氷のように冷たかった。
その時、広間の周囲に、人々の姿があることに気づいた。
移送執行場の周囲には、いつの間にか、大勢の一般住民が集まっていた。彼らは、固唾を飲んで、アレクの戦いを見守っていたのだ。
(見られていた)
(俺が、力を使わずに、自分の手で戦う姿を)
アレクは、住民たちの視線を感じた。
恐怖でも、好奇でもない。何か、もっと深い感情が、彼らの目に宿っていた。
(これが、噂になる)
(空の魔術師は、選別しない、と)
アレクは、リィナの手を引いて、広間を後にした。
その後ろ姿を、住民たちは、いつまでも見つめていた。
---
上層区画の一角。人気のない倉庫の陰。
アレクは、リィナを安全な場所に隠すと、二人の人物を呼び出した。
サイラス・ヴェイン。そして、ラナ・ヴィンセント。
サイラスは、拘束の痕が残る手首をさすりながら、静かに立っていた。柔らかな茶色の巻き毛は乱れ、深い琥珀色の目には、疲労の色が濃い。しかし、その立ち姿は、昔と変わらず優雅だった。
ラナは、片側だけ刈り上げた黒髪を揺らし、切れ長の灰色の瞳でアレクを見た。左耳のピアスが、冷たい光を反射する。感情を表に出さない、いつもの無表情。
「二人とも、話は聞いたな」
アレクの声は、硬かった。
「選別第二段階が、動き出した。上層部は、もう止まらない」
ラナが、淡々と言った。
「……君は、僕たちを許さない。それでいい。でも、君は、僕たちを必要としている。違うかい?」
サイラスの声は、柔らかかった。しかし、その瞳は、真剣だった。
アレクは、二人を交互に見た。
(許すつもりはない)
(でも、切り捨てることも、しない)
(こいつらには、こいつらにしかできないことがある)
アレクは、深く息を吸った。
「サイラス。お前は、上層部に残れ」
サイラスが、わずかに目を見開いた。
「選別制度の根幹を、内部から壊せ。お前が最高議席にいるなら、それができるはずだ」
「……君は、僕を、上層部に戻すというのか。僕が、君を追放した場所に」
「そうだ。お前がやったことの意味を、お前自身で終わらせろ」
サイラスは、しばらくアレクの目を見つめていた。
それから、静かに微笑んだ。
「……君は、僕を許していない。だが、信じるかどうかは、別の話だな」
その言葉に、アレクは何も答えなかった。
(許していない)
(それでも、信じる)
(矛盾している)
(でも、それでいい)
アレクは、ラナに向き直った。
「ラナ。お前は、名簿から外した人間を、ボトムキャンプへ移送するルートを確保しろ」
ラナの灰色の瞳が、わずかに揺れた。
「……あんた、本気で言ってるのか。ボトムキャンプは、ラスト・クレバスの谷底にある。そこまでの道のりは、デッドランドのど真ん中だ。無事に着ける保証はない」
「それでも、ここにいるよりマシだ。選別の対象になるくらいなら、外で生きる道を選ばせる」
ラナは、しばらく黙っていた。
それから、小さくため息をついた。
「……まあ、仕方ない。あんたがそう決めたなら、私がやる」
「頼んだ」
アレクは、ラナの目を真っ直ぐに見た。
「お前が密会で受け取っていた封筒。あれは、選別名簿から外した人間のリストだったんだな」
ラナは、一瞬、目を伏せた。
「……ああ。私は、上層部にいた頃から、選別の実態を知っていた。だから、せめて、少しでも多くの人間を救おうとした。あんたを利用したのも、そのためだ」
「知ってる」
アレクの声は、静かだった。
「だから、お前に任せる。自分の贖罪だと思って、やり遂げろ」
ラナは、顔を上げた。
その灰色の瞳には、初めて、かすかな感情の色が浮かんでいた。
「……分かった。必ず、ルートを確保する」
サイラスが、一歩前に出た。
「では、僕は上層部に戻る。君の期待に、応えられるかは分からないが……最善を尽くす」
「ああ」
サイラスは、アレクに背を向けて歩き出した。
その背中を、アレクは見送った。
(こいつは、また、あの場所へ行く)
(今度は、選別を壊すために)
(俺は、こいつを許していない)
(でも、信じることにした)
ラナも、踵を返した。
「ボトムキャンプへの連絡は、私がつける。準備ができたら、あんたの隠れ家に知らせる」
「頼む」
ラナは、一度だけ振り返った。
「……アレク。あんたは、変わったよ。荒野で会った頃とは、別人だ」
そう言って、ラナは、上層区画の奥へと消えていった。
アレクは、一人、倉庫の陰に立っていた。
(変わった、か)
(自分では、よく分からない)
(でも、確かに、荒野にいた頃とは違う)
(守りたいものが、できた)
アレクは、胸元のオルビタ・キーに触れた。
青い光が、指先を照らす。
(この力は、もう、恐れられるためのものじゃない)
(守るためのものだ)
---
夜。
中層区画の廃棄区画。アレクの隠れ家。
リィナは、粗末な毛布にくるまって、静かな寝息を立てていた。
アレクは、壁にもたれて座り、リィナの寝顔を見つめていた。
(守った)
(この子を、自分の手で)
(力に頼らず、自分の意志で)
胸の奥に、静かな満足感があった。
でも、同時に、別の思いもあった。
(この子は、これから、どこで生きていくんだ)
(ドームの中に残せば、また選別の対象になる)
(外に出せば、有毒大気と、軍用ドローンが待っている)
(ボトムキャンプが、唯一の希望だ)
(でも、その安全は、保証されない)
アレクは、唇を噛んだ。
守るということは、戦い終えることではない。終わらない不安を、引き受けることだ。
その重さを、今、初めて知った。
「……アレク」
ハンスが、隠れ家の入り口から顔を出した。刈り上げた金髪は砂埃で汚れ、鋭い緑色の目は、どこか疲れているように見えた。
「ハンス。どうした」
「上層部の無線機から、傍受した情報がある。聞いた方がいい」
ハンスは、手にした無線機を、アレクの前に置いた。
「ドーム外のダストウォーカー・クラン、ゴーストトレイルが、ヴァロスへ接近している」
アレクの表情が、引き締まった。
「ゴーストトレイル……テッサ平原を移動する、交易クランだな。穏健派のはずだ」
「ああ。だが、奴らは、空の魔術師の噂を追っている。お前の噂だ」
アレクは、黙った。
(俺の噂が、荒野に広がっている)
(空の魔術師。衛星の力で、敵を焼き払う男)
(恐れられるための噂が、今、俺の元に、外の世界を連れてくる)
「それだけじゃない」
ハンスは、無線機を弄りながら、続けた。
「偵察に出た時、西の地平線に、複数の炎を確認した」
「炎?」
「ああ。燃えている。何かが、燃えている。方角は……ゼフィラ・ドームだ」
アレクは、言葉を失った。
ゼフィラ・ドーム。通信途絶から六十年。北西四百キロに位置する、人口約五千人のドーム都市。
(ゼフィラが、動いている)
(六十年の沈黙を破って)
(あの炎は、何だ)
(戦いか、崩壊か、それとも)
「……どうやら、俺たちの知らないところで、世界は動き出しているらしい」
ハンスの声は、重かった。
アレクは、立ち上がった。
隠れ家の小さな窓から、外を見る。
ドームの外壁の向こうに、広がる暗闇。その先に、西の地平線がある。
(守るべきものの輪郭が、広がっていく)
(ドームの中から、外へ)
(一人の少女から、世界へ)
アレクは、胸元のオルビタ・キーを握りしめた。
青い光が、指の隙間から漏れる。
「……ハンス。俺は、この力を、選別する側のために使わない」
ハンスが、アレクを見た。
「守るべき誰かのために、使う。それだけだ」
ハンスは、しばらくアレクの顔を見ていた。
それから、口元を、ほんの少しだけ緩めた。
「……お前らしいな。まったく、手間ばかりかけさせやがる」
アレクは、窓の外を見続けた。
荒野で、空の魔術師として恐れられていた自分。
今は、守る者として、この力と向き合い始めている。
その意識の変化が、何を生むのか。
まだ、分からない。
でも、確かに、一歩を踏み出した。
---
翌朝。
隠れ家の入り口で、ハンスがアレクを待っていた。
「詳しい情報が入った」
ハンスは、地図を広げた。
「ゴーストトレイルの接近は、単独行動じゃない。複数のクランが、同じ噂を聞きつけて、動き出している。レッドマスクも、スカイピラー周辺で動きを活発化させている」
「……つまり、ドーム・ヴァロスは、外からも監視され始めた、ということか」
「ああ。空の魔術師がドームに戻ったという噂が、荒野のクランたちを刺激している。奴らにとって、お前は、恐れであり、同時に、希望でもあるんだろう」
アレクは、地図を見つめた。
ヴァロスを中心に、荒野が広がっている。テッサ平原、ラスト・クレバス、ステーション・ナイン。そして、遠く、ゼフィラ。
(世界が、俺を中心に、動き出している)
(いや、違う)
(俺が、世界と向き合う時が来たんだ)
アレクは、顔を上げた。
「ラナには、ボトムキャンプへの先行連絡を頼む。サイラスには、上層部の外部監視体制を強化させろ」
「了解だ」
「俺は、リィナを連れて、次の選別対象者を守る準備に入る」
アレクの声には、迷いがなかった。
ハンスは、その声を聞いて、満足そうに頷いた。
「……空の魔術師の噂は、もう、ドームの中だけでは終わらない」
ハンスの言葉が、隠れ家の静かな空気に染み込んでいく。
アレクは、窓の外を見た。
朝の光が、ドームの外壁を照らしている。
その先に、広がる世界。
荒野で恐れられた男が、今、守る者として、空を見上げる。
「……ああ。分かってる」
アレクは、静かに、そう答えた。
その青い瞳には、初めて、外の世界へ向かう強い意志が、宿っていた。Noveliaとは?
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