手品しかもらえなかった異世界召喚者、女神と共に最強のクズを転がし倒す
異世界に召喚されたのに、授かった権能はまさかの「手品」。
高校生・リョウは、ある日突然、女神ルーシェの儀式に巻き込まれて異世界召喚されてしまう。顔も声も変わり、戦闘力はゼロ、持っているのはトランプとコインとロープだけ。おまけに儀式を失敗した女神ルーシェは神力の八割を剥奪され、人界へ道連れにされる始末。
「あんたが協力すれば、私の神力も回復する。そうすれば元の世界に帰してあげる」
高慢ちきな女神と、手品しか能のない異世界人。噛み合わないはずの凸凹コンビが、頼れるのは互いだけという状況で歩き出す。
戦えない男に何ができるのか——。しかしその手品は、やがてこの世界に巣食う「最強のクズ」たちを騙し、崩し、転がし倒すための武器になっていく。
剣も魔法も要らない。必要なのは、観客を信じ込ませる一瞬の嘘と、諦めない心だけ。
女神と元・平凡男子高校生が繰り広げる、ノーダメージ異世界詐欺師道、ここに開幕。
手品しかもらえなかった異世界召喚者、女神と共に最強のクズを転がし倒す - 手品師と女神、最後の一枚——思い込みを裏切る十センチ
市場の広場に、朝の光が落ちていた。
石畳の上を、リョウはゆっくりと歩いていく。足の裏から伝わる硬い感触。昨日までの痛みが、まだ体のあちこちに残っていた。
胸ポケットには、ミーナからもらった新品のトランプ。指先で触れると、まだ誰の手にも馴染んでいない、硬い紙の感触がした。
「……大丈夫。いける」
自分に言い聞かせるように、小さく呟いた。
隣を歩くルーシェが、ちらりとこちらを見た。銀色の長い髪が、朝の風に揺れている。金色の瞳は、いつも通り不機嫌そうに細められていた。
「あんた、声震えてるわよ」
「……バレた?」
「バレバレよ。手も震えてるし、顔色も悪いし。これで勝つ気なの?」
リョウは、自分の手を見た。確かに、指先がかすかに震えている。
「勝つ気っていうか、勝たなきゃいけないんだよ」
「勝たなきゃいけないから勝てるわけじゃないわ。現実を見なさいよ」
「現実は見てるよ。見た上で、やるんだ」
ルーシェは、ふん、と鼻を鳴らした。
「……まあ、いいわ。私の残り神力、あと一回分だけよ。これが最後の奇跡になる。あんたが倒れたら、私も終わり」
「それ、プレッシャーかけてる?」
「かけてるわよ。当たり前でしょ。あんたのせいで私まで消えるんだから」
「僕のせい?」
「あんたのせいよ」
即答だった。
リョウは苦笑いした。ルーシェの毒舌は、いつも通りだ。でも、その声に、いつもの刺々しさだけじゃない何かが混じっている気がした。
(こいつ、本当は心配してくれてるんだろうな)
口に出したら怒られるので、言わない。
二人は、市場の広場へと足を踏み入れた。
――――――――――――――――――――
広場には、すでに大勢の人が集まっていた。
いつもの賑やかな市場の雰囲気はない。商人たちは店を閉め、通りすがりの者たちが、遠巻きに広場の中央を見つめている。誰もが、息を潜めていた。
広場の中央に、ガレスが立っていた。
茶色がかった短髪は寝癖がついたままだ。細い目が、じっとりとリョウを捉えている。平凡な顔立ちなのに、笑うと口元が歪み、目つきが異常に鋭くなる。
右腕には、豪腕王の腕輪。それが、朝日を受けて、赤黒く鈍く光っていた。
「……来たか」
ガレスの声が、静かな広場に響いた。
リョウは、ガレスの正面に立った。
「ああ。来たよ」
「てめえ、よく逃げずに来たな。この前の借り、たっぷり返してやるぜ」
ガレスの細い目が、ぎらりと光る。
群衆の中から、小さな悲鳴が聞こえた。誰かが、口を手で押さえている。
リョウは、背筋を伸ばした。
(怖い。すごく怖い)
膝が笑いそうになるのを、必死で抑える。
(でも、逃げるわけにはいかない)
胸ポケットのトランプを、指先でそっと撫でた。
「あら、あんたも震えてるじゃない」
ルーシェが、リョウの隣に並んだ。
「震えてないよ」
「嘘つき。手、見てみなさいよ」
リョウは、自分の手を見下ろした。指先が、かすかに震えている。
「……これは、武者震いってやつだよ」
「へえ、手品師にも武者震いなんてあるんだ」
「あるよ。これでも男だからね」
二人の掛け合いに、群衆の何人かが、ほんの少しだけ表情を緩めた。
その中に、ミーナの姿があった。茶色のくせっ毛を三つ編みにした小柄な少女。明るい茶色の目が、不安そうにリョウを見つめている。右手首には、祖母からもらったという幸運のお守り。
ミーナの隣には、サングがいた。情報屋の男は、唇を噛みしめ、拳を握りしめている。
二人の視線が、リョウに突き刺さっていた。
――――――――――――――――――――
ガレスが、一歩、前に出た。
「てめえ、女連れか。いいご身分だな」
「ルーシェは、僕の相棒だよ」
「相棒だと? ふざけんなよ。てめえみたいな顔だけのクズが、調子に乗ってんじゃねえ!」
ガレスの右腕が、赤熱し始めた。腕輪が、じゅうじゅうと音を立てるように輝く。
空気が、震えた。
群衆が、一斉に後ずさる。
「俺は、力でここまで来たんだ。てめえは、顔でチヤホヤされてきただけだ。その差を、思い知らせてやる」
ガレスの言葉に、リョウは静かに首を振った。
「僕は、顔でチヤホヤされたかったわけじゃない。手品で、みんなを笑顔にしたかった。それだけだ」
「笑顔だと? 笑わせて何になる! この世界は、力がなきゃ生きていけねえんだよ! お前みたいな、何も持ってない奴が、笑顔だけで生きていけるわけねえだろ!」
ガレスの声が、広場に響き渡る。
リョウは、ガレスの目を真っ直ぐに見た。
「力がなきゃ生きていけないなら、僕はとっくに死んでる。でも、生きてる。手品で、笑顔を作って、ここまで来た。それが、僕の力だ」
「手品が力だと!? 笑わせんな! 紙切れ一枚で、何ができんだ!」
ガレスが、右腕を振り上げた。
豪腕王の権能が、完全に発動する。腕輪が赤黒く輝き、周囲の空気が、びりびりと震えた。
「これが本物の力だ! 食らえええええ!!」
――――――――――――――――――――
「今よ!」
リョウは、震える手で、胸ポケットからトランプを一枚抜いた。
新品のカード。まだ硬い。指先に、紙の感触が伝わる。
(これで、全部決まる)
リョウは、ガレスの左側——本人の死角になる位置——へ向けて、トランプを投げた。
たった十センチの紙切れが、空を切って舞う。
ひらり、ひらり。
朝の光を受けて、カードがきらめいた。
ガレスの視線が、一瞬だけ、左側を舞うトランプに吸い寄せられた。
「なめるな!」
ガレスが、怒号を放つ。
だが、その一瞬が、隙だった。
ルーシェの金色の瞳が、ほんのりと光を放つ。
「風よ」
小さな突風が、巻き起こった。
風は、トランプの軌道を変えた。カードが、ガレスの視界の端を、するりと横切る。
ガレスの注意が、完全に左側へ逸れた。
その拍子に、振り上げた腕の角度が、わずかにずれる。
ほんの数センチ。
「ぶっ潰れろおおおお!!」
ガレスの拳が、放たれた。
――――――――――――――――――――
轟音。
石畳が砕けた。
ガレスの拳は、狙ったリョウの頭上を外れ、自分の足元の地面へと炸裂した。
ドォォォン!!
土煙が舞い上がる。
砕けた石の破片が、周囲に飛び散った。
群衆から、悲鳴が上がる。
「ぐあっ!?」
ガレスの体が、大きく傾いだ。
右腕の腕輪が、火花を散らす。
バチバチバチッ!!
赤黒く輝いていた腕輪が、ひび割れていく。
ガレスは、膝をついた。
「な、なんで……俺の一撃が……!」
ガレスの顔が、苦痛と混乱で歪む。
土煙が、ゆっくりと晴れていく。
その中に、立っているリョウの姿があった。
無傷だった。
リョウは、血の滲む指で、新品のトランプを握りしめていた。
指の震えは、もう止まっていた。
「あんたが信じてたのは、力じゃない。思い込みだ」
リョウの声が、静かな広場に響いた。
「俺が何もできないって、思い込み。手品は何も生み出さないって、思い込み。そして——自分の力は絶対に外れないって、思い込み。全部、思い込みだ」
「黙れ……黙れえええ!! 顔だけのクズが……!」
ガレスが、吠えた。
でも、体は動かない。反動ダメージで、指一本動かせないようだった。
「僕は、確かに戦う力なんてない。でも、人を騙す力ならある。思い込みを、裏切る力なら」
リョウは、握りしめていたトランプを、ゆっくりとガレスに見せた。
「これが、僕の力だ。たった一枚の紙切れで、あんたの最強の一撃を、あんた自身に当てた。これが、手品だ」
ガレスの顔が、屈辱で真っ赤に染まった。
「ふざけんな……ふざけんなよ……俺は、こんなもんじゃねえ……俺は……!」
ガレスは、地面に拳を叩きつけた。
でも、その拳は、もう誰も怖がらせなかった。
――――――――――――――――――――
静寂。
広場にいた誰もが、動けなかった。
ガレスが、膝をついている。
リョウが、立っている。
その光景を、誰もが信じられない目で見つめていた。
やがて、群衆の中から、一人の男が、ぽつりと呟いた。
「勝った……のか?」
その声を皮切りに、広場の空気が、少しずつ動き始めた。
「あのガレスに……?」
「紙切れ一枚で……?」
恐怖で逸らしていた目が、今度は、好奇心と驚きでリョウを見つめる。
一人、また一人と、視線が集まっていく。
ミーナが、小さく呟いた。
「リョウさん……」
ミーナの目に、涙が浮かんでいた。
サングが、拳を握りしめたまま、震えていた。
「……やったんだな」
サングの声は、かすれていた。
――――――――――――――――――――
ルーシェが、肩で息をしながら、リョウの隣に立った。
銀色の髪が、汗で額に張り付いている。神力を使い果たしたせいか、体が、ほんの一瞬、半透明に透けた。
「……手品って、何も生み出さないくせに、一番ズルいわね」
ルーシェは、仏頂面で呟いた。
でも、その口元は、少しだけ緩んでいた。
リョウは、苦笑した。
「ズルいって言うなよ。でも、あんたの風がなかったら、誰も笑ってなかった」
「当たり前でしょ。私がいなかったら、あんたなんて、最初の一撃で地面にめり込んでたわよ」
ルーシェは、鼻を鳴らした。
でも、その声は、どこか照れ隠しのようだった。
リョウは、笑った。
「……ありがとう、ルーシェ」
「はぁ!? なんで私があんたにお礼言われなきゃなんないのよ! 私は、自分のためにやっただけよ! 勘違いしないでくれる!?」
「はいはい」
「はいはいじゃないわよ! 本当に、あんたってやつは……!」
ルーシェが、怒りながらも、リョウの隣から離れない。
その距離が、二人の関係を物語っていた。
――――――――――――――――――――
「勝った……勝ったんだ!!」
誰かが、叫んだ。
その声を合図に、広場に、歓声が溢れた。
「すごい! あの紙切れで!」
「手品って、すごいんだな!」
拍手が、起こった。
最初はまばらだった拍手が、どんどん大きくなっていく。
子供たちが、リョウの元へ駆け寄ってきた。
「お兄ちゃん、すごい!」
「あのトランプ、どうやったの!?」
リョウは、子供たちに囲まれて、困ったように笑った。
「秘密だよ。手品の種は、教えられないんだ」
「えー! 教えてよー!」
「教えたら、手品じゃなくなっちゃうからね」
リョウの周りに、人が集まってくる。
昨日まで、リョウから目を逸らしていた人たちが、今は、笑顔でリョウを見ている。
ミーナが、人混みをかき分けて、リョウの前に来た。
「リョウさん……! よかった……本当によかった……!」
ミーナの目から、涙がこぼれていた。
「ミーナちゃん、泣かないで。ほら、勝ったよ」
「だって……だって、わたし、リョウさんが死んじゃうんじゃないかって……!」
ミーナは、エプロンで顔を拭いた。
サングが、ミーナの後ろから、ゆっくりと近づいてきた。
「……リョウ。すまなかった」
サングは、深く頭を下げた。
「俺は、お前を裏切った。家族を守るためだったとはいえ、お前を危険に晒した。本当に、すまなかった」
リョウは、サングの肩を軽く叩いた。
「もういいよ。あんたが情報をくれたから、勝てたんだ。反動の情報がなかったら、無理だった」
「だが……」
「だから、もう謝らないで。それより、これからだよ。ガレスがいなくなった後の街を、どうするか」
サングは、顔を上げた。
その目に、決意が宿っていた。
「ああ。俺にできることがあるなら、何でもする」
「じゃあ、まずは、みんなの不安を取り除くのを手伝ってよ」
「分かった」
――――――――――――――――――――
ガレスは、倒れたまま、地面に拳を叩きつけていた。
「くそ……くそ……! なんでだ……なんで俺が……!」
ガレスの声は、誰にも届かなかった。
人々は、ガレスを避けて、リョウの周りに集まっていた。
「見るな……見るんじゃねえ……! 俺は……俺は……!」
ガレスは、悔しさで、歯を食いしばった。
でも、もはや誰も、彼の力を恐れていなかった。
――――――――――――――――――――
「……あれ?」
ミーナが、広場の中央を指さした。
ガレスの一撃で砕けた地面の下から、何かが覗いていた。
石畳の下の土の中に、古い石版が、半分だけ顔を出している。
「なに、これ……?」
リョウが、石版に近づいた。
表面には、見慣れない紋章が刻まれている。渦を巻くような、複雑な模様。
「ルーシェ、これ……」
リョウが呼ぶと、ルーシェが、石版を覗き込んだ。
その瞬間、ルーシェの顔色が、変わった。
「……これ」
ルーシェの声が、震えていた。
「歪んだ召喚の痕跡よ。召喚陣の一部が、地中に埋め込まれてたの」
ルーシェは、恐る恐る、石版に指先を触れた。
紋章が、かすかに光った。
「誰かが、意図的に、この街の下にこれを仕込んだ。私の失敗も……偶然じゃなかったのかもしれない」
リョウは、石版を見つめた。
「じゃあ、次はそいつを探すってことか」
リョウは、静かに言った。
ルーシェは、リョウを呆れた顔で見上げた。
「ええ。でもその前に——あんた、そのボロボロの体で何言ってんのよ」
「痛いんだよ、本当に。立ってるのもやっと」
「なら、さっさと宿に戻って休みなさいよ。次の戦い、あんたが倒れたら、私が困るんだから」
「はいはい。そうするよ」
リョウは、笑った。
――――――――――――――――――――
広場には、温かい拍手が、いつまでも続いていた。
子供たちが、リョウの手品をもう一度見せてと、袖を引っ張る。
商人たちが、店を開け始め、笑顔で客を呼び込む。
ガレスの支配は、終わった。
街に、日常が戻ってくる。
リョウは、朝の光の中に立っていた。
体はボロボロで、指は血が滲んでいて、立っているのもやっとだった。
でも、心は、晴れやかだった。
(やったんだ)
リョウは、空を見上げた。
青い空。白い雲。遠くから、トラン河のせせらぎが聞こえる。
「……ルーシェ。次の戦い、もっと強くなってるよ、僕」
「手品で? 笑わせないでよ」
「手品で。だって、手品しかないから」
「……バカね。本当に、バカ」
ルーシェは、そう言って、リョウの隣を歩き出した。
その口元は、やっぱり、少しだけ緩んでいた。
――――――――――――――――――――
広場の片隅で、ガレスは、倒れたまま動かなかった。
右腕の腕輪は、ひび割れ、光を失っている。
ガレスの細い目が、リョウとルーシェの背中を、じっと見つめていた。
「……まだだ。まだ、終わってねえ」
ガレスの唇が、かすかに動いた。
「俺は、こんなもんじゃねえ。俺は……」
その声は、誰にも聞こえなかった。
だが、ガレスの瞳の奥で、何かが、まだ燻っていた。
――――――――――――――――――――
夜が来た。
グランヴェルドの街に、静かな夜が訪れる。
広場の石畳の下では、古い石版が、月明かりを浴びて、かすかに光っていた。
その紋章は、まるで、何かを呼んでいるかのように。
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