推理文芸部活動中
佐志須佐男は、高校一年生。みんなと同じことをするのが大嫌い。幼なじみのプッカ――本名・葉比富有香――は、彼とエッチな話題で盛り上がるのが大好きだが、中学時代のグループとのトラブルから、保健室登校をしている。そんな二人は、部長の館翼が立ち上げた推理文芸部に入部する。部員は一年生が四人だけ。中国と日本のハーフで少林寺拳法を得意とする揚野望、紅茶にブランデーを入れるのが好きな変わり者の部長・マーブル、そしてやる気ゼロの顧問・逢坂亜由先生。六月の梅雨時、騒動の火種がくすぶり始める。サッカー部の二年生が暴力事件で謹慎処分となり、やる気をなくしたチームメイトたちが他の部活に喧嘩を売り始めたのだ。そんな中、推理文芸部の部室が荒らされ、部誌の原稿が消えてしまう。マーブルは犯人の捕獲を宣言するが、佐志須佐男はためらっていた――なぜなら、その原稿には葉比富有香の官能小説が密かに載っていたからだ。彼女を守るため、佐志須佐男と揚野望は独自の調査を開始する。三日後、サッカー部の一年生・真田が体育館裏で倒れているのが見つかり、「原稿は盗んでない」と呟いていた。やがて彼らは、サッカー部の顧問・滝沢が黒幕だと突き止め
推理文芸部活動中 - 梅雨明けの告発——ひねくれ者の晴れ舞台
雨音が、静かに遠ざかっていた。
京ノ杜市を覆っていた厚い雲が、夜の闇の中でゆっくりと切れ始めている。市の中心を流れる京ノ杜川の水面も、昨日までの濁りが少しずつ引いてきていた。県立京ノ杜高等学校の校舎は、雨上がりの湿った空気の中に沈み、窓ガラスに街灯の明かりがぼんやりと滲んでいる。
佐志須佐男は、自室のベッドに仰向けに寝転がっていた。
黒髪のクールカット。切れ長の目。浅黒い肌。左手の甲には、中学時代のハンドボール部でつけていたテーピングの跡が、うっすらと残っている。天井を見つめながら、右手に握ったスマートフォンを耳に当てていた。部屋の空気は生ぬるく、扇風機が首を振るたび、カーテンが小さく揺れた。
(今日の聴取は、負けだった)
生徒会室での出来事が、頭の中で何度も繰り返される。滝沢の薄い笑み。真田が震えながら証言を撤回した瞬間。生徒会長の冷たい声。『証拠が不十分です』。その言葉が、耳の奥で何度も反響した。
「須佐男、聞こえてるか?」
スマホのスピーカーから、館翼の声が聞こえた。推理文芸部の部長。赤茶色の長い髪を後ろで一つに束ねた、背の高い少女。声には、普段の張り切りようとは違う、かすかな沈みがあった。
「聞こえてるよ。で、何の電話だ。夜中に」
須佐男は、ぶっきらぼうに答えた。声が、思ったより乾いていた。
「夜中って、まだ九時よ。それより、ヤンヤンから連絡があったの。あの後、学校に残って調べものしてたんだって」
「僕も今、須佐男の家の近くまで来てるよ。コンビニの駐車場。ここ、Wi-Fiが強いんだ」
スピーカーから、揚野望の明るい声が割り込んできた。少林寺拳法をやっているだけあって、夜遅くでも声に張りがある。
「お前、なんで俺の家の近くに来てんだよ。帰れよ」
須佐男は、呆れたように言った。
「まあまあ、気にするな。それより聞いてくれよ。面白いものを見つけたんだ」
揚野望の声が、少し低くなった。
須佐男は、体を起こした。ベッドのスプリングが、きしんだ。
「何を見つけた」
「滝沢先生が、体育館の倉庫の鍵を借りた記録だよ。管理表が職員室の鍵箱の横に置いてあるんだ。で、そこに、滝沢先生の直筆サインが二回分載ってた。事件の前日と、当日の二回」
須佐男は、スマホを握る手に力を込めた。
(二回)
真田のメモにあった言葉が、頭の中で点滅する。『倉庫の鍵、滝沢が二本持っている』。
「二回とも、滝沢の直筆か」
「うん。筆跡は、職員室の提出書類と見比べたから間違いないよ。それと、もう一つ」
「何だ」
「消火栓の裏。あのファイルがあった場所だよ。今日、もう一度よく探したら、地面に落ちてたんだ。小さなビニール袋。中に、原稿の切れ端が入ってた」
須佐男の呼吸が、一瞬止まった。
「ビニール袋だと?」
「そう。透明の、小さなやつ。それに、指紋が付いてた。まだ鑑定はしてないけど、たぶん、滝沢先生の指紋だと思う。消火栓の裏にファイルを隠した時に、落としたんじゃないかな」
須佐男は、目を閉じた。
頭の中で、バラバラだったピースが、かちり、かちりと音を立ててはまっていく。
(窓の内側からの傷)
(消火栓裏のファイル)
(真田のメモ)
(倉庫の鍵、二本)
(そして、滝沢の指紋が付いたビニール袋)
「須佐男、聞いてる?」
館翼の声が、須佐男を現実に引き戻した。
「ああ。聞いてる」
須佐男は、ゆっくりと息を吐いた。肺の底に溜まっていたものが、抜けていく。
「これで、物証の線が繋がった。窓は内側から開けられた。合鍵を使った内部犯の証明だ。消火栓裏のファイルは、滝沢が真田に隠させた動線。そして、倉庫の鍵の二本と、管理表の直筆サイン。これが、物証の決定打になる」
須佐男の声は、自分でも驚くほど冷静だった。
感情ではなく、観察で、全てを組み直す。
(俺は、人と同じことをしない)
(だから、真実も、俺のやり方で見つける)
プッカの言葉が、胸の奥で静かに響いた。
「明日、もう一度、生徒会に掛け合ってみるわ。私が直接、生徒会長に話をつける。滝沢先生を呼んで、再審の場を設定してもらうの」
館翼の声に、強い決意が宿った。
「大丈夫かよ。お前、今日の聴取で結構ダメージ食らってたろ」
須佐男は、思い出していた。聴取の後、館翼が唇を噛みしめて俯いていた姿を。彼女は、自分の正義が空回りしたことに、誰よりも傷ついていたはずだ。
「私は部長よ。部員がこれだけ頑張ってるのに、私だけ落ち込んでられないわ。それに、明日は私の役割があるの。任せて」
館翼の声は、震えていなかった。
「須佐男、明日は君が仕切ってくれ。君のやり方で、滝沢を追い詰めてほしい」
須佐男は、スマホを握りしめた。
(俺が、仕切る)
人と同じことをしない、ひねくれ者の自分が。
「……わかった。俺がやる」
須佐男は、短く答えた。
「よし! じゃあ、明日は三人で行こう! 僕が証拠を全部持ってくからね!」
揚野望の明るい声が、夜の空気に響いた。
「お前、今から帰れよ。コンビニの駐車場で通話してるとか、通報されるぞ」
「大丈夫大丈夫、店員さんに許可取ってるから」
須佐男は、思わず苦笑いした。
通話を終えた後、須佐男は再びベッドに仰向けになった。
天井を見つめる。
スマホが、短く震えた。
プッカからのメッセージだった。
『あんたのやり方でやって』
たった一行。
須佐男は、その文字を、何度も読み返した。
(俺のやり方で)
中学時代、ハンドボール部で、誰にも見てもらえなかった。地味な競技で、補欠で、応援席にも親は来なかった。
(俺は、人と同じことをするのが嫌いだった)
(それは、逃げだった)
(でも、今は違う)
須佐男は、スマホを胸の上に置いた。
自分のひねくれを、初めて武器として、胸に据えた。
(明日、全部終わらせる)
雨音は、もう聞こえなかった。
代わりに、夜風が、開いた窓から静かに流れ込んできた。
梅雨明け前の、生ぬるい風だった。
朝が来た。
京ノ杜高校の校舎に、久しぶりの薄日が差している。雲の隙間から、白い光が漏れて、濡れたアスファルトを銀色に光らせていた。空気はまだ湿っているが、昨日までの重苦しさはない。
須佐男は、保健室の前に立っていた。
コンコン、とノックをする。
「入っていいか」
「おう、入れよ。朝から何の用だ」
須佐男は、保健室の扉を開けた。
消毒液の匂い。白いカーテン。ベッドが二台。簡易キッチンの横のソファに、葉比富有香が座っていた。
茶色のショートボブ。左耳側をヘアピンで留めている。大きな茶色の目は、ややつり目がち。小柄な体をソファに沈めて、膝の上に一冊のノートを置いている。
「昨日はひどい顔してたのに、今日は少しマシだな。寝れたのか」
「まあな。お前こそ、朝から何読んでんだ」
須佐男は、プッカの向かいの椅子に座った。
プッカは、膝の上のノートを、須佐男の前に差し出した。
「これ、あんたに渡そうと思ってた」
須佐男は、ノートを受け取った。
表紙は、無地の茶色。厚みのある、手作りのノートだ。以前、プッカが「エロ小説の元になったやつ」と言って見せてくれたものだった。
「これ、あんたが責任持って処分して。私の書いたものだけど、あんたが守ろうとしたものだから」
プッカの声は、静かだった。
須佐男は、ノートを見つめた。
プッカが、どれだけの時間をかけて、これを書いたのか。中学時代のいじめの中で、保健室で一人、このノートに言葉を綴っていたのか。
(守る)
(俺が、守ろうとしたもの)
須佐男は、ノートを胸に抱えた。
「いや、処分はしねえ」
プッカが、顔を上げた。
「え?」
「今回は、守るんじゃなくて、正しい形で表に出す」
須佐男は、プッカの目をまっすぐに見た。
「お前が書いたって事実を、ちゃんと残す。カットされる部分はあっても、お前の名前と、お前が書いたってことは、消えない形にする」
プッカは、一瞬、目を見張った。
それから、ゆっくりと、笑った。
「あんた、そういうこと言えるやつだったんだ」
プッカの笑顔には、いつものえくぼができていた。
「うるせえよ。俺だって、たまには真面目なこと言うんだよ」
須佐男は、照れ隠しに、ぶっきらぼうに言った。
「ありがとう、須佐男」
プッカの声が、少しだけ震えた。
須佐男は、ノートを胸に、立ち上がった。
「行ってくる。今日で、全部終わらせる」
「うん。あんたのやり方で、やってこい」
プッカは、須佐男の背中に、そう言った。
保健室を出る時、須佐男は、自分の足取りが、初めて重くないことに気づいた。
胸の中に、プッカのノートの重みがあった。
それは、重荷ではなく、武器だった。
放課後。
特別棟の空き教室に、三人は集まっていた。
黒板には、チョークで消し残った数式がうっすらと残っている。机と椅子が整然と並ぶ教室の中央で、館翼が二人に向き直った。
「再審の段取り、つけたわ。生徒会長に直接話して、滝沢先生を呼んでもらうことになった。放課後、生徒会室で」
館翼の赤茶色の髪が、夕日に照らされて金色に光っている。彼女の声には、昨日の沈みはなかった。
「よくやったな。どうやって説得したんだ」
須佐男は、机に腰を下ろしながら聞いた。
「正直に話したわ。私が中学時代、サッカー部の補欠で、一度も公式戦に出られなかったこと。『雰囲気作り要員』って言われてたこと。私の正義は、その時の屈辱の裏返しなんだって」
館翼は、窓の外を見ながら言った。
「生徒会長は、ちゃんと聞いてくれた。それで、こう言ったの。『館さん、あなたの正義は空回りするかもしれない。でも、空回りしないやり方を持つ人が、あなたの部にはいるんでしょう?』って」
須佐男は、黙って聞いていた。
「だから、須佐男。今日は、あんたが仕切って。私の正義は空回りする。でも、あんたのやり方は空回りしない。私は、あんたの後ろで、部長として部員を守る」
館翼が、須佐男の目をまっすぐに見た。
須佐男は、館翼の目を見返した。
(部長に、頼られてる)
人と同じことをしない、ひねくれ者の自分が。
「わかった。俺が仕切る。お前は、生徒会長の隣で、俺の補佐をしてくれ」
「任せて! 私、今日は絶対に泣かないから!」
館翼が、拳を握って言った。
「泣いてもいいよ。その時は、僕がハンカチを貸すから」
揚野望が、笑いながら言った。
「それから、ヤンヤン。証拠は全部持ってるか」
須佐男は、揚野望に向き直った。
「任せろ。窓の写真、消火栓裏のビニール袋、管理表のコピー、全部持ってるよ」
揚野望は、背負っていたリュックをポンと叩いた。
「それと、これ。昨日、須佐男の家の近くのコンビニで印刷したやつ。証拠の一覧表。俺が作った」
揚野望は、一枚の紙を須佐男に渡した。
須佐男は、紙を受け取った。
丁寧に整理された、証拠の一覧表。窓の傷、ファイル、メモ、鍵、管理表、ビニール袋。それぞれの証拠が、何を証明するのかが、箇条書きでまとめられている。
「お前、こういうの得意だな。意外だわ」
「まあ、気にするな。僕は、君の相棒だからね。君が仕切るなら、僕はそれを支えるだけだよ」
揚野望は、白い歯を見せて笑った。
「……ありがとうな、二人とも」
須佐男は、小さく呟いた。
(俺は、一人じゃない)
(ここが、俺の居場所だ)
推理文芸部。
人と同じことをしない、自分の居場所。
須佐男は、胸の奥で、初めてその意味を自覚した。
「行こう。生徒会室で、全部終わらせる」
須佐男は、立ち上がった。
三人は、空き教室を出た。
廊下の窓から、夕日が差し込んでいる。
雨は、もう、どこにもなかった。
生徒会室。
本館二階の奥にある、重厚な扉の部屋。長机を囲むように椅子が並び、壁には歴代の生徒会役員の写真が飾られている。空気は冷たく、静かだった。
須佐男は、長机の中央に立っていた。
左手に、証拠の一覧表。右手に、プッカのノート。
向かい側には、滝沢が座っている。
サッカー部顧問。四十代半ばの、がっしりとした体格の男。短く刈り込んだ髪、鋭い目。口元には、相変わらず薄い笑みを浮かべている。
その隣に、生徒会長。
さらに、副会長、書記、会計。生徒会役員たちが、神妙な面持ちで須佐男を見つめている。
部屋の隅には、館翼と揚野望が立っていた。
「やあ、佐志君。また会ったね。今日は、どんな面白い話を聞かせてくれるのかな」
滝沢が、須佐男を見上げて言った。
「面白い話、か。あんたにとっては、面白くない話になるだろうな」
須佐男は、滝沢の目を見下ろした。
「始めてもよろしいですか、生徒会長」
須佐男は、生徒会長に向き直った。
「ええ。始めてください。今日は、滝沢先生にも同席していただいています。佐志君、君の主張を、証拠と共に聞かせてください」
生徒会長は、メガネの奥の目を細めて、須佐男を見た。
須佐男は、一覧表を机の上に置いた。
「まず、部室の窓の傷についてです。窓ガラスは外側から割られていましたが、鍵の部分には内側から開けられた痕跡があります。これは、犯人が外から窓を割ったのではなく、合鍵を使って内側から侵入したことを示しています」
須佐男は、写真を一枚、机の上に置いた。
「部室の鍵は、顧問の逢坂先生が管理しています。合鍵を作れる立場にあったのは、職員室に出入りできる教員だけです」
滝沢の笑みが、わずかに硬くなった。
「次に、消火栓裏のファイルです。体育館裏の消火栓の裏から、部誌のファイルが発見されました。この場所は、体育館倉庫の死角になっています。そして、このファイルの近くに、これが落ちていました」
須佐男は、透明のビニール袋を机の上に置いた。
「ビニール袋です。中には、部誌原稿の切れ端が入っていました。この袋には、指紋が付着しています。鑑定はこれからですが、おそらく、ファイルを隠した人物の指紋でしょう」
滝沢の目が、ビニール袋に釘付けになった。
「そして、これが決定的な物証です」
須佐男は、管理表のコピーを机の上に広げた。
「体育館倉庫の鍵の管理表です。滝沢先生、あなたは事件の前日と当日の二回、倉庫の鍵を借りています。直筆サインが残っています」
須佐男は、滝沢の顔を見た。
「倉庫の鍵は、通常、一本しかありません。しかし、あなたは二本持っていた。真田が残したメモにも、そう書かれていました。『倉庫の鍵、滝沢が二本持っている』と」
須佐男は、ぐしゃぐしゃになったメモ用紙を、机の上に置いた。
生徒会室が、静まり返った。
「……なるほど。ずいぶんと、よく調べたね。だが、それはすべて、君の推測に過ぎないんじゃないかな?」
滝沢が、ゆっくりと口を開いた。
「窓の傷は、君が後からつけたのかもしれない。ビニール袋の指紋は、君が私の指紋を付けたのかもしれない。管理表のサインは、私が倉庫を使ったというだけで、事件とは関係ない。そして、真田のメモ——あれは、脅されて書かされたものだろう?」
滝沢は、須佐男を見上げて、薄く笑った。
「君は、真田を脅して、私に罪をなすりつけようとしている。そうだろう?」
須佐男は、滝沢の目を見返した。
(ここからだ)
(俺の、本当の一手は)
須佐男は、ゆっくりと息を吸った。
「なら、先生。一つだけ、聞かせてください」
須佐男の声が、生徒会室に響いた。
「真田が体育館裏で倒れていた日、あなたは、なぜ最初に体育館裏に来たんですか。誰も通報していないのに」
滝沢の笑みが、凍りついた。
「真田が倒れているのを発見したのは、俺とヤンヤンです。その直後、あなたが現れた。あの時、誰があなたに連絡しました? 誰が、真田が倒れていると知らせました?」
須佐男は、一歩、滝沢に近づいた。
「誰もいないはずだ。なぜなら、あなたは最初から、真田がそこに倒れていることを知っていたからだ。あなたが、真田をそこに連れて行ったからだ」
滝沢の顔から、血の気が引いていく。
「真田に、原稿を盗ませた。そして、罪をなすりつけるために、体育館裏で倒れさせた。あなたは、自分が真田にやらせたことを、あたかも俺がやったかのように見せかけた。違いますか」
須佐男の言葉が、一つ一つ、滝沢の胸に突き刺さる。
「違う! 私は……私は、サッカー部を守るために……」
滝沢が、立ち上がった。
「サッカー部を守るためなら、何が悪い! あの部は、私が十年かけて育ててきたんだ! 二年生の暴力事件で、出場停止になって、部員たちはやる気を失って、他部からも笑われて……私が、私が守らなければ、誰が守るんだ!」
滝沢の声が、生徒会室に響き渡った。
須佐男は、滝沢の目を見続けた。
「あなたが守ろうとしたのは、部員じゃない。自分の面子でしょ」
館翼が、部屋の隅から、静かに言った。
「あなたは、サッカー部の顧問としての自分の立場を守りたかっただけ。部員たちは、あなたの道具にされただけよ。真田君も、他の部員たちも」
館翼の声は、震えていなかった。
「黙れ! お前みたいな小娘に、何が分かる! お前は、サッカー部の補欠だったんだろう? 一度も公式戦に出られなかった、役立たずの……」
滝沢が、館翼に向かって怒鳴った。
「ええ、そうよ。私は補欠だった。一度も試合に出られなかった。でも、だから分かるの。あなたがしていることは、部を守ることじゃない。部を自分のものにしようとしているだけだって」
館翼は、滝沢をまっすぐに見つめた。
「滝沢先生、あなたは、サッカー部を守るためなら、他の部がどうなってもいいと思った。だから、他部との対立を煽り、部室を荒らし、原稿を盗ませた。そして、真田君に罪をなすりつけ、須佐男を陥れようとした。それは、教育者のすることじゃない」
滝沢は、口を開いたまま、言葉を失った。
「滝沢先生、お座りください」
生徒会長が、静かに言った。
滝沢は、力なく椅子に座り込んだ。
「佐志君、続けてください」
須佐男は、頷いた。
「真田を、ここに呼んでください。彼は、あなたに脅されて、証言を撤回しました。でも、本当は、全部知っています。あなたが、彼に何をさせたのかを」
須佐男は、生徒会長に言った。
「真田君は、すでに隣の教室に待機しています。呼びましょう」
生徒会長が、書記に目で合図をした。
しばらくして、真田が、生徒会室に入ってきた。
サッカー部の一年生。小柄で、おどおどした少年。体育館裏で倒れていた時の傷が、額にうっすらと残っている。
「真田、大丈夫だ。俺がついてる。お前の知ってることを、全部話せ」
須佐男は、真田の肩に手を置いた。
真田は、須佐男の顔を見上げた。
それから、震える声で、話し始めた。
「……僕が、部室の原稿を盗みました。滝沢先生に、やれと言われたからです。鍵は、先生が合鍵をくれました。窓は、内側から開けました。外から割ったように見せるために、後から石を投げました」
真田の声は、涙で濡れていた。
「ファイルは、体育館裏の消火栓の裏に隠しました。それも、先生の指示です。でも、僕は、怖くなって……先生に、もうやめたいって言ったんです。そしたら、先生は、僕を体育館裏に連れて行って……」
真田は、言葉を詰まらせた。
「『お前がやったことにすれば、お前のサッカー部での居場所は守ってやる。逆らったら、お前も家族も、この学校にいられなくなるぞ』って……」
真田は、泣き崩れた。
生徒会室に、重い沈黙が降りた。
「滝沢先生、これで、全て分かりました」
須佐男は、滝沢を見下ろした。
滝沢は、うつむいたまま、動かなかった。
「滝沢先生、生徒会として、あなたの処分を職員会議に諮ります。本日は、ここまでとします」
生徒会長が、立ち上がった。
滝沢は、何も言わずに、生徒会室を出て行った。
その後ろ姿は、小さく、縮んで見えた。
生徒会室を出た後、須佐男たちは、廊下で真田を囲んだ。
「よく話したな。お前は、悪くない。滝沢に利用されただけだ」
須佐男は、真田に言った。
「すみません……僕、須佐男さんに、ひどいことを……」
真田は、涙を拭いながら言った。
「気にすんな。お前が残してくれたメモが、俺を救ってくれたんだ」
須佐男は、真田の頭を、軽く叩いた。
「真田君、これからは、自分のためにサッカーをしなよ。君は、誰かの道具になるために、サッカーをやってるわけじゃないんだから」
揚野望が、真田の背中をポンと叩いた。
真田は、涙でぐしゃぐしゃの顔で、小さく頷いた。
数日後。
生徒会から、滝沢への処分が下った。
サッカー部顧問の辞任。そして、職員会議での厳重注意。
さらに、部誌の扱いが議題に上がった。
「部誌の原稿についてですが、滝沢元顧問の指示で、一部の過激な表現がカットされた形で発行されることが、正式に決定しました」
生徒会室で、須佐男は、その決定を聞いた。
(カットされるのか)
須佐男は、ポケットの中の、プッカのノートに触れた。
「佐志君、君が預かっている、葉比さんの原稿ノートを、編集委員会に提出してください。カットされる部分を確認するためです」
須佐男は、ノートを取り出した。
「……分かりました。でも、一つだけ」
須佐男は、生徒会長の目を見た。
「カットされるのは、俺が守りたかった部分じゃない。あいつが書いたって事実です。それだけは、消さないでください」
須佐男の声は、静かだった。
生徒会長は、須佐男の目を見返した。
「……分かりました。葉比さんの名前と、彼女が執筆したという事実は、部誌に明記します」
須佐男は、ノートを差し出した。
(これでいい)
(俺が守りたかったのは、あいつの書いた言葉じゃない)
(あいつが、書いたって事実だ)
須佐男は、胸の奥で、そう呟いた。
梅雨明けの放課後。
特別棟三階の推理文芸部部室。
窓ガラスは新しいものに交換され、夕日がまっすぐに差し込んでいる。机の上には、製本された部誌の初稿が置かれていた。
須佐男は、窓際の席に座り、部誌を手に取った。
「やったー! 部誌が出せる! 本当に出せるんだ!」
館翼が、部室の中央で、飛び跳ねていた。
「部費も出るってよ。来月から、活動費が増えるらしい」
揚野望が、書類を手に、笑いながら言った。
「うるさいな。まずは一冊、ちゃんと作れよ」
須佐男は、呆れたように言った。
「それで、次号の企画は? もう考えてある?」
館翼が、目を輝かせて須佐男に聞いた。
「知るかよ。まだ一冊目も完成してねえのに」
須佐男は、部誌のページをめくった。
プッカのエロ小説は、カットされていた。
代わりに、須佐男が書いた事件の記録が掲載されている。
『部室原稿盗難事件 調査報告書』
人と同じことをしない、ただ一人の探偵の記録。
須佐男は、窓の外を見た。
青空が、どこまでも広がっていた。
中学時代、ハンドボール部で、誰にも見てもらえなかった自分。
地味な競技で、補欠で、応援席にも親は来なかった。
(あの頃の俺は、人と同じことをするのが嫌で)
(でも、それは、逃げだった)
須佐男は、部誌を閉じた。
「須佐男」
振り返ると、プッカが、部室の入り口に立っていた。
「お前、ここに来て大丈夫なのかよ」
須佐男は、驚いて言った。
プッカは、保険室登校の身だ。教室には行けない。でも、部室は、別だった。
「大丈夫。部室は、私の居場所だから」
プッカは、笑って、須佐男の隣に座った。
「あんた、ほんと人と同じことしないよね」
プッカは、部誌を見ながら言った。
「ああ、だから、ここにいるんだよ」
須佐男は、窓の外の青空を見上げた。
(俺のひねくれは、逃げじゃない)
(俺の、武器だ)
(そして、居場所を生んだ)
須佐男は、静かに、そう噛みしめた。
部室に、四人の笑い声が響いた。
梅雨明けの空の下、推理文芸部は、本当の意味で、始まった。Noveliaとは?
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