白い旋律、青き密約~ふたりだけの放課後レッスン~
演技がロボット以下と罵られたオーディション通過直後のヒロイン。冷酷なイケメン俳優が、密室で彼女に教える「恋」のレッスン。それは、愛を知らない少女が、恋を知り、女になっていく、危険な放課後の秘密。
スタジオ・ゼノンの冷たい廊下で、シラハマ・マシロはアオヤギ・レンと出会う。彼は事務所から「恋人役専属契約」を結ばされた、鎖付きの王子様。恋愛禁止の契約を抱えながら、彼女の演技に欠けた「感情」を教えるためにやってきた。
「逃げたら、お前の役は、俺が降ろす」
そう告げた冷たい瞳の奥に、彼は何を隠しているのか。母のスパルタ教育に縛られ、友達も恋も知らないまま育った少女が、初めて触れる「心」の熱。棒読みロボットだった彼女が、彼との二人だけのレッスンで、少しずつ変わっていく。
これは、完璧な体を持つ少女と、完璧な演技を持つ青年が、ふたりだけの放課後に紡ぐ、白い旋律と青き密約の物語。
白い旋律、青き密約~ふたりだけの放課後レッスン~ - ロボットヒロイン、立つ
夏の終わり。スタジオ・ゼノンの廊下は、ひんやりとした空気に包まれていた。
外の暑さがうそのみたいに、冷房がききすぎている。シラハマ・マシロは、腕をさすりながら歩いていた。緊張で、指先がかじかんでいた。
(大丈夫。きっと、大丈夫)
自分に言い聞かせる。
でも、心臓はバクバク鳴っている。うるさいくらいだ。
今日は、初めての本読みテスト。
ヒーロークロニクル――毎週日曜の朝にやってる、特撮ヒーロー番組。子どもに大人気のその番組の、新しいシリーズのヒロイン役。約3200人のオーディションを受けて、マシロはその役を勝ち取った。
事務所はステラプロモーション。港区の青山にある、芸能事務所だ。所属タレントは120人くらい。若手の育成に力を入れていることで有名で、特に特撮やドラマに強い。
でも、所属タレントへのルールは厳しい。恋愛禁止とまではいかないけど、異性と二人で出かけるだけでも事前に申告しなきゃいけない。パーソナルコンダクト条項っていうルールなんだって。
マシロはまだ入ったばかりだから、詳しくは知らないけど。
Bスタジオの重い扉の前に立つ。
中からは、もう人の声が聞こえていた。
「……よし」
小さく息を吸って、マシロは扉を開けた。
スタジオの中は、思ったより広かった。天井は高くて、壁には大きな鏡がはめこんである。部屋の真ん中には長机が置かれていて、台本を手にしたスタッフが何人も座っている。
そして、いちばん奥に。
白髪まじりの短い髪。寝ぐせがついたままで、いつものキャップもかぶっていない。充血した目がギラギラ光っている。ヒーロークロニクルの監督、ツキシマ・ゴウだ。
「お、来たな。シラハマ。早速始めるぞ」
低くて、ざらついた声。
マシロは、こくんとうなずいた。声が出なかった。
「台本は覚えてるな。じゃあ、3ページのクライマックスシーンからだ。クロノブレイヴに告白するシーン。相手役は――まあ、本番じゃないからスタッフでやる。行くぞ」
マシロは台本を開いた。ページの端が、もう汗でふやけている。何度も何度も読み返したシーンだ。
全部、頭に入っている。
大丈夫。
自分に言い聞かせる。
「始め!」
ツキシマ監督の声が響いた。
マシロは顔を上げた。相手役の若いスタッフが、真面目な顔でうなずく。
大きく息を吸う。
そして、言った。
「クロノブレイヴ、大好きです。あなたが……あなたがいなきゃ、私、だめなんです」
スタジオが、静まり返った。
――え?
マシロは、自分でもわからなかった。
セリフは、ちゃんと言えたはずだ。練習通りに。朝も、電車の中でも、ずっと繰り返し練習した。なのに。
なんで。
なんで、みんな黙ってるんだろう。
「……ぷっ」
誰かが、小さく吹き出した。
照明スタッフの若い男だった。口を押さえて肩を震わせている。その隣の女性スタッフも、顔を伏せて笑いをこらえていた。
(なんで笑うの)
マシロは体が固まった。
なにがおかしいの。ちゃんとセリフ、言ったのに。
「てめえ――」
ツキシマ監督の低い声で、笑い声がぴたりと止んだ。
監督はゆっくりと立ち上がる。顔が真っ赤だった。
「ダメだ!全然ダメだ!お前なあ、それでよくヒロインになろうと思ったな!」
声が、スタジオ中に響き渡る。
マシロの肩がビクッと跳ねた。
「なんだそのメリークリスマスみたいな棒読みは!ロボットかお前は!感情を込めろ、感情を!好きなんだろ、クロノブレイヴが!命をかけて戦うヒーローに、愛を伝えるシーンだぞ!それがなんで『コピー機の説明書を読んでます』みたいな声になるんだよ!」
怒鳴り声が、耳の奥でキンキン響く。
マシロは、拳をぎゅっと握りしめた。つめが手のひらに食い込む。
痛かった。
でも、それよりも。
胸の奥が、なんにも感じないみたいに、冷たくなっていく。
「……もういい。今日はそこまでだ。シラハマ、明日から本気でやってくれよ。このままだと、降ろすからな」
監督は、大きなため息をついて部屋を出ていった。
後に残されたマシロは、動けなかった。
スタッフたちが、ちらちらとこっちを見ながら出ていく。さっき笑った若い男が、気まずそうに頭をかいたけど、なにも言わないで通り過ぎた。
――降ろす。
その言葉だけが、頭の中をぐるぐる回る。
台本を握りしめたまま、マシロはその場に立ち尽くしていた。
誰もいなくなったスタジオの隅で、マシロは小さくうずくまっていた。
冷たい床に座り込んで、ひざを抱えている。
目からは、いつの間にか涙があふれていた。
「……なんで」
声が震える。
「私、ちゃんと……練習したのに。何回も何回も、やったのに」
うまくできない。
いつもそうだった。
幼い頃から、マシロには母のスパルタ教育が待っていた。
――朝、6時。
まだ外が暗い時間に起こされて、バレエのレッスン。足のつま先が血まみれになっても、母は許してくれなかった。
――学校の後。
アクション教室に通わされて、バク転やワイヤーアクションを覚えた。体はすぐに覚えた。体を動かすのは好きだったから。
――夜、10時。
台本の朗読。母の前で、同じセリフを100回。ちょっとでも間違えたら、やり直し。
母は元舞台女優だった。
自分の夢を、マシロに託した。
「あなたは私の夢を叶えるの」
それが口ぐせだった。
友達と遊ぶ時間なんてなかった。クラスメイトの誕生日会に誘われても、母が断った。放課後はいつもレッスン。土日もレッスン。
気がついたら、ひとりだった。
部屋には、ぬいぐるみだけが増えていった。
友達の代わりだった。今では、50体を超えている。
「……お母さんに、言わなきゃ」
マシロはスマホを見た。
画面に、『母』の文字。
着信が2件、入っていた。
でも、出る勇気がなかった。
(なんて言えばいいの。監督に、ロボットって言われた。降ろされるかも)
言えるわけがなかった。
スマホをカバンにしまいこむ。
マシロは、台本を胸に抱きしめた。
「……私、なんでできないんだろう」
涙が、台本の表紙にシミを作った。
スタジオの窓の外では、夏の終わりの風が吹いていた。
その夜。
ツキシマ監督は、誰もいないBスタジオの片隅で、煙草をふかしていた。
ドアが開く音がして、長身の男が入ってくる。
やや長めの黒髪を無造作に後ろに流した、クールな雰囲気の男。182センチの長身。涼しげな一重の黒目は、なにを考えているのかまるで読めない。
アオヤギ・レン。
ステラプロモーション所属で、芸歴7年の俳優だ。深夜ドラマで主演を張って賞を取ったこともある、実力派だった。
でも、今は。
事務所との間で、ちょっと特殊な契約を結んでいる。
恋人役専属契約。
将来の主演候補に対して、事務所が恋愛ドラマや映画の恋人役を優先的にまわす代わりに、私生活での恋愛をぜんぶ禁止するっていう取り決めだ。スキャンダルが起きたら、即契約解除と3000万円の違約金。業界じゃ『鎖付き王冠』って呼ばれている。
レンは、その契約を結んでいる3人のうちの1人だった。
表情ひとつ変えず、無言で監督の前に立つ。
「おお、来たか。待ってたぞ」
監督は、タブレットを机の上に置いた。
画面には、若い女の子の映像が映っている。
「見てくれ。これが今日のテストだ」
再生ボタンが押される。
画面の向こうで、マシロが泣きそうな顔をしながら棒読みのセリフを言っていた。
レンは、無表情でそれを見つめる。
「……最悪だな」
短く言った。
「だろ?でもな、これを見ろ」
監督は別の映像を再生する。今度はオーディションの時のアクションテスト。
画面の中のマシロは、別人みたいに動きがキレていた。バク宙からの着地。まったくブレない。流れるような連続バク宙。武器を振り回す動き。すべてが完璧だった。
レンは、少しだけ目を細めた。
「……体はすごいな」
「そうだ!あの子のアクションは本物だ。体に魂が宿ってる。でも、心が空っぽなんだ。棒読みロボットだ。だがな――俺はあのオーディションで確信したんだよ。あのギャップは化ける」
監督は、レンの目をじっと見つめた。
「お前しかいない。レンの演技で、あの子の氷を溶かしてやってくれ」
そして、深く頭を下げる。
48歳のベテラン監督が、23歳の若手俳優に。
レンは、映像をじっと見ていた。
画面のマシロは、完璧なバク宙を決めたあと、一瞬だけ無防備な顔で立っている。その目の奥が、なんていうか。
――虚ろだった。
心ここにあらず、っていう感じ。
(……なにか、あるんだろうな)
レンは、そう思った。
「……わかりました」
短く答える。
「やってくれるか!」
「やるだけやります。期待はしないでください」
それだけ言って、レンはスタジオを後にした。
監督は、レンの背中を見送りながら、小さく笑った。
「……やっぱりお前しかいねえよ」
その夜、マシロは電車に揺られながら、杉並の家へと向かっていた。
車内はがらがらだった。窓の外の街の明かりが、流れていく。
ポケットの中でスマホが震えた。
画面を見る。
『母』
まただ。
マシロは唇をかみしめて、着信を無視した。
(ごめんなさい、お母さん。今は、ムリ)
震えが止まらなかった。
家に着いて、真っ暗なリビングを通り抜ける。母はもう寝ているみたいだった。
自分の部屋に入って、ドアを閉める。ベッドに倒れこむと、クマのぬいぐるみが視界に入った。
「ゆきみ」
真っ白なウサギのぬいぐるみ。小学生の時、初めて自分で買った、ただひとりの友達。
マシロは、ゆきみをギュッと抱きしめた。
「……今日ね、監督に怒られちゃった。ロボットって。私、やっぱりダメなのかな」
声が震える。
「どうしたら……ちゃんと、気持ちを込められるんだろう。好きって、なんなんだろう」
窓の外で、小さな花火が上がった。遠くの空で、パチパチと光っている。夏の終わりを告げる、寂しい音だった。
マシロは、ぬいぐるみを抱いたまま、ベッドにうずくまった。
部屋の中は、50体のぬいぐるみたちが、じっと彼女を見つめていた。
翌朝。
スタジオ・ゼノンの廊下は、昨日と同じように冷えていた。
マシロは、重い足を引きずるようにして歩いていた。
(今日、監督になんて言おう)
ほとんど眠れなかった。目の下には、うっすらクマができている。
廊下の角を曲がった瞬間、マシロは足を止めた。
壁にもたれて、長身の男が立っていたからだ。
黒い髪を後ろに流して、腕を組んでいる。無表情で、じっとマシロを見下ろしていた。
――誰、この人。
マシロの心臓が、ドクリと跳ねる。
見たことある気がする。たぶん、同じ事務所の。
「シラハマ・マシロだな」
低い声だった。感情がまったく感じられない。
「……は、はい」
「俺はアオヤギ・レン。監督命令で、今日からお前の演技の家庭教師をする」
――えっ。
マシロは、目をパチクリさせた。
レンは、つまらなそうに続ける。
「放課後、Bスタジオに来い。いいか、逃げたら――」
一歩、近づいてきた。
背が高い。見上げる形になるマシロの目を、じっと見下ろす。その涼しげな一重の目が、妙に冷たく光っていた。
「お前の役は、俺が降ろす」
――え。
マシロは息をのんだ。
体が凍りつく。
(降ろすって……今、なんて)
「いいな」
有無を言わさない口調だった。
マシロは、小さくうなずくことしかできなかった。
「……はい」
声がかすれた。
それだけ言うと、レンは背を向けて歩き出した。
遠ざかっていく冷たい背中を、マシロはただ見つめる。
胸の奥で、なにかがチクリと痛む。
(……怖い人)
それなのに、どうしてだろう。
心臓が、うるさいくらいにバクバク鳴っている。
マシロは、無意識に自分の二の腕をギュッとつかんでいた。感情が高ぶった時、いつもやってしまう癖だ。
そのまま、レンの姿が廊下の向こうに消えるまで、じっと立ち尽くしていた。
窓から差し込む朝の光が、冷たい廊下に、長い影を落としていた。Noveliaとは?
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