琥珀の罠 ~冷徹社長は夜だけ淫らに求める~
【琥珀の罠 ~冷徹社長は夜だけ淫らに求める~】
失恋の痛みを忘れようと、バーで出会った謎めいた男と衝動的に一夜を共にした28歳の広告代理店勤務・加賀美栞里。翌朝、緊急招集された会社の会議で現れた新社長は、昨夜の相手その人だった。
公私混同は一切許さないと公言し、冷徹な若き実業家として名高い西園寺怜真は、栞里を完全に無視する。だが、安堵も束の間、仕事終わりに「今夜9時、来い」とだけ告げられ、高級ホテルへと呼び出される。そこでは、昼間の氷のような態度が嘘だったかのように、怜真は彼女を灼熱の抱擁で包み込む。
「お前を誰にも触れさせない」——強烈な独占欲を叩きつけられ、二人だけの危険な秘密の関係が始まる。昼は他人、夜は恋人。ほろ苦い情事に心を溶かす栞里。だが、怜真の残酷さは留まるところを知らず、皆の前で叱責するためだけにオフィスへ呼び出したかと思えば、その夜には優しく抱きしめる。
混乱のさなか、怜真の元婚約者で大株主の妖艶な美麗が現れ、衝撃の事実を暴露する。「彼は復讐のためにあなたを利用しているの」。栞里の亡き父が怜真の父を裏切った過去があり、会社を乗っ取った上で栞里を心身ともに支配する
琥珀の罠 ~冷徹社長は夜だけ淫らに求める~ - 涙色の夜、知らない男と——運命の朝礼
LINEの通知が、お昼休みの終わりを告げる五分前だった。
スマホの画面を見たまま、栞里は動けなくなった。
「好きな人ができた。ごめん」
北村からのメッセージは、たったその一行だけだった。三年間、一緒にいた。休みの日にはいろんなところに出かけたし、将来のことも話し合ってきた。
なのに、終わりはこんなにあっさりしている。
指先がかすかに震えた。
栞里はスマホを机に置いて、深呼吸をした。大丈夫、大丈夫と心の中で繰り返す。でも、胸の奥がじわりと冷たくなる感覚は、どうしても止められなかった。
午後一時。制作局39階のフロアに戻る。
パソコンを立ち上げて、クライアント向けの提案資料を開いた。文字を読もうとしたけど、頭に入ってこない。なんとか資料を完成させて提出したけど、自分のミスに気づいたのは、それから一時間後のことだった。
「加賀美!」
制作局長の三枝の声が、フロア中に響いた。
五十代の三枝は、顔を真っ赤にして栞里のデスクにやってきた。手には、栞里がさっき提出した資料が握られている。
「[angry]お前、日付を丸ごと間違えてるじゃないか!今日は六月七日だ。なのに資料は五月の日付になっている。こんな凡ミス、新人でもやらんぞ!」
「[scared]す、すみません……」
栞里は立ち上がって頭を下げた。
周りの同僚たちが、ちらちらとこちらを見ている。気まずい空気が、肌に刺さるようだった。
「[cold]お前はいつも注意力がゼロだ。もう少ししっかりしろ」
三枝の叱責は、それから五分も続いた。
エムズ・クリエイティブは西園寺グループに買収されてから、社内の空気がずっと重い。三枝みたいな旧経営陣派の人間と、新体制のグループ出向社員の間には、見えない亀裂が走っている。栞里はいつも、その板挟みの中で仕事をしていた。
それだけじゃない。
栞里の父、加賀美誠一郎は三年前、この会社の役員だった。背任疑惑で解任されて、その二ヶ月後に心筋梗塞で急死した。「裏切り者の娘」という目は、今も社内に残っている。だから栞里は、誰よりも真面目に働かなくちゃいけなかった。
なのに。
失恋のショックで、こんなミスをしてしまうなんて。
定時後、フロアに人はまばらになった。
栞里はデスクに突っ伏していた。涙が出そうになるのをこらえて、ぎゅっと目を閉じる。
(今夜だけ、一人でいたくない)
顔を上げて、荷物をまとめた。
どこに行くあてもなかったけど、家に帰る気にはなれなかった。
──
六本木五丁目の雑居ビル。
古びた看板が並ぶ中で、小さなプレートが一つ。『Larme - ラルム』。フランス語で「涙」を意味するその文字を見て、栞里は吸い込まれるように扉を押した。
カウンターが八席だけの、薄暗い空間だった。
低く流れるジャズ。檜のカウンターから、ほんのりと木の匂いがする。マスターの久我は、五十八歳の寡黙な男性だ。元広告マンだと、あとで知った。
「[gentle]何にしますか」
「[sad]ウイスキーを……何でもいいです」
久我は静かに頷いて、琥珀色の液体をグラスに注いだ。
栞里は一口含んだ。喉が熱くなって、少しだけ力が抜ける。
一杯目が半分ほど空いた頃だった。
隣の席に、長身の男が腰を下ろした。無言で、まるでずっとそこにいたみたいに自然な動作だった。栞里は横顔を盗み見る。
185センチはあるだろうか。スラリと伸びた背筋。高級感のある黒いスーツを、さらりと着こなしている。彫刻のような横顔。冷たい眼差しは、どこか遠くを見ていた。
「[serious]いつものを」
男が言うと、久我は黙って頷いた。常連なんだとわかる。
二人の間には、しばらく沈黙が続いた。
栞里はグラスを傾ける。男はじっと前を見ている。
グラスが空になった。
その瞬間、男が口を開いた。
「[gentle]もう一杯、彼女にも」
「[surprised]あ……ありがとうございます」
栞里が驚いて視線を向けると、男は短く言った。
「[serious]泣きそうな顔で一人で飲んでる。放っておけなかった」
その率直さに、栞里は拍子抜けした。
「[surprised]そ、そんな顔してました?」
思わずそう返すと、男の口元がほんの少しだけ緩んだ気がした。
それが、二人の最初の会話だった。
「[serious]名前は?」
「[gentle]……秘密です。今夜だけは、名乗らないでおこうと思って」
「[serious]そうか。それでいい」
男はそう言って、薄く笑った。
名前も、会社名も告げないまま、二人は話し始めた。
失恋の痛み。仕事の疲れ。誰かを信じることの怖さ。全部を抽象的な言葉で、お互いの孤独を削り合うみたいに話した。
「[sad]人を信頼するのが、怖くなるときがある」
「[gentle]……私もです」
栞里はグラスを傾けながら頷いた。
三杯目を終えた頃には、店内に残っているのは自分たちだけだった。
──
「[serious]もう少し、別の場所で話さないか」
男が立ち上がって、手を差し伸べた。
理性では、断るべきだと分かっていた。知らない相手だ。ついさっき会ったばかりなのに。でも、失恋のダメージが、判断力をぐずぐずに溶かしていた。
栞里は、その手を取った。
タクシーで向かったのは、西麻布の静かな住宅街だった。
生け垣の奥に隠れるように、一つの建物が見える。看板すら出ていない。それなのに、男は迷いなく中に入っていった。完全会員制の超高級ホテル、ヴァンベール東京。バトラーが無言で最上階へと案内を始めて、栞里はこの場所の意味を、直感で理解した。
プレジデンシャルスイート「月華」。
五十五平米の広い部屋。大きな窓の向こうには東京タワーが赤く光っている。
扉が閉まった瞬間、男の手が栞里の顎を持ち上げた。
深い口づけが降ってくる。
バスルームのガラス越しに、夜景が滲んで揺れていた。
「[whispers]嫌なら言え」
低い声に、栞里は首を横に振った。
男の唇が、首筋から鎖骨へとゆっくり辿っていく。ブラウスのボタンが一つ、また一つと外された。シャツの下から、白い肌が夜の空気に触れる。
胸の先端を、男の舌が丁寧に濡らした。
くすぐったいような、熱いような感覚に、栞里の背中が震える。
手首をそっと頭上でまとめられて、ベッドに沈められた。
「あ……っ」
小さな声が漏れた。
男の指が栞里のスカートの下に滑り込み、内腿をなぞった。ゆっくりと脚を開かせて、指が栞里の中心に触れる。そこはもう、とっくに濡れていた。
「[whispers]声を聞かせろ」
男の指が、ゆっくりと中に入ってくる。
異物感に、栞里は息を詰めた。だけど同時に、もっと触ってほしいという気持ちが、お腹の奥から込み上げてくる。
男は焦らすみたいに、栞里の中を慣らしていった。
十分にほぐれたのを確認してから、スラックスを下ろす。そそり立ったペニスが、東京タワーの光に照らされて浮かび上がった。
男は栞里の腰を持ち上げて、ゆっくりと体重を預けてくる。
ペニスの先端が、濡れた膣口にあてがわれた。
「あ……ああっ」
ずぶずぶと、奥まで入ってくる。
満たされていく感覚に、栞里の意識が白くなった。
「[whispers]深い……」
「[serious]逃げるな」
男は低く囁いて、腰を動かし始めた。
膣の中をペニスが擦るたびに、甘い痺れが全身に広がっていく。男の手が栞里の腰を掴んで、もっと深く、もっと強く、突き上げてきた。
一度目の絶頂は、すぐにやってきた。
腰がビクビクと震えて、声にならない声が喉から漏れる。なのに、男は止まらなかった。
体位を変えられて、正面から向き合う。
見つめ合いながら、再びつながった。男の指が、濡れたクリトリスを探り当てて、優しくこすり始める。
「やっ……あ、そこ、やめ……!」
二度目の絶頂が、さっきよりもずっと深く栞里を飲み込んだ。
「[whispers]もっと……ください」
自分の口が、そんなことを言っていた。
男の動きが一瞬止まって、その瞳に何かがよぎる。
孤独。
鎧の隙間から、ほんの少しだけ滲み出たような、深い影だった。
だけど、それを考える余裕はなかった。
三度目の波が全身を震わせて、栞里は何も考えられなくなった。
──
目が覚めたのは、夜明け近くだった。
隣に男の姿はない。
ベッドサイドに、一枚のメモだけが置かれていた。
『昨夜のことは誰にも言うな』
署名はなかった。
──
月曜の朝。
栞里は六本木ヒルズ森タワーのエントランスをくぐりながら、自分に言い聞かせていた。あれは魔が差した、たった一夜の過ちだ。これからはいつも通りに仕事をして、いつも通りに生きていく。
ところが。
九時五分前、社内連絡システムに緊急通知が走った。
『全社員、八時四十五分までに営業局フロアへ集合。新社長就任挨拶』
三十八階のフロアには、すでに大勢の社員が集まっていた。ざわざわとした話し声が、天井まで届くくらいに響いている。栞里も人の波に流されて、列の端に立った。
壇上に、スーツ姿の長身の男が上がってくる。
その瞬間、栞里の視界が止まった。
185センチの長身。彫刻のような横顔。冷たい眼差し。
あの男だ。
秘書の藤堂が、マイクに向かって告げる。
「[serious]西園寺グループ代表取締役兼、エムズ・クリエイティブ新社長、西園寺怜真様です」
頭の中で、金曜の夜の記憶が一気に逆流した。
声を聞かせろ。逃げるな。あの囁きが、今この瞬間、全社員の前で響く男の声と重なる。
「[serious]公私混同は一切許さない。個人的な情実も排除する。この会社を本来あるべき姿に戻す」
怜真の声は冷たく、重みがあった。
宣言の間、彼はフロア全体を見渡していた。やがて、栞里の列の前で視線が一瞬だけ止まった。
でもすぐに、滑るように次へ移っていく。
まるで最初から、栞里なんて存在しないみたいに。
チクリと胸が痛んだ。
「[whispers]新社長、超怖くない?目が全然笑ってないじゃん」
隣に立っていた辻村愛が、小声で囁いてきた。
愛は栞里の同期で、鮮やかな赤い髪をボブカットにした、小さなクリエイターだ。いつも明るくて、人懐っこい笑顔をしている。
「[nervous]そ、そうだね……」
栞里は、なんとかそれだけを絞り出した。
──
朝礼が終わって、デスクに戻った。
パソコンの画面を見つめながら、栞里はただ呆然としていた。
西園寺怜真。
検索すればすぐに出てくる。ハーバードMBAを最年少で取って、二十五歳でグループを継いだ男。お父さんが急に亡くなって、グループの中の派閥争いを勝ち抜いて、今の地位に就いたらしい。
このエムズ・クリエイティブを買収したのも、その怜真だ。
その怜真が。
金曜の夜、名前も告げずに自分と酒を飲んだ。
超高級ホテルで、一晩中、自分のことを抱いた。
事実が、どうしても上手く噛み合わない。
夕方になって、仕事を切り上げた。
帰りの電車に乗って、恵比寿駅で降りる。改札を抜けて、スマホを見た。
震えている。
非通知の番号から、ショートメッセージが届いていた。
『今夜21時、ヴァンベールに来い。拒否権はない』
送信者の名前はなかった。
でも、分かってしまう。分かりたくなかったけど、分かってしまう。
足が止まった。
行っちゃダメだ。絶対に行くべきじゃない。相手は上司で、自分は部下だ。一回きりの過ちで、終わりにしなくちゃいけない。
頭では分かってるのに。
気がつくと、栞里は西麻布行きのタクシーに乗っていた。
ドアが閉まって、車が動き出す。窓の外に、恵比寿の街灯りが流れていった。
(バカだな、私)
自分への呆れと、胸の奥で燻る熱が、同時に栞里を捕らえていた。
運転手が、ルームミラー越しに声をかけてくる。
「[gentle]お客さん、西麻布のどのあたりですか?」
「[sad]……ヴァンベール東京、まで」
その名前を口にした瞬間、もう後戻りはできないんだと、なぜかそう思った。