推しの親友は、元アイドルで隣の席
高校2年の春、地味で友達ゼロの磯貝タクト(16)は、超人気VTuber・氷月ユイの隠れガチ勢。学校では誰にも言わず、放課後はアーカイブ配信を観る日々。ある日、長期休学から復帰したばかりのクラスメイト・黒瀬まりあが、消しゴムを拾った拍子にタクトのスマホをチラ見する。画面に映っていたのは、氷月ユイの限定歌配信。まりあの目が輝く。
「ちょっと……ユイ推しなの?」
まりあの正体は、伝説の地下アイドルグループ『ネオポルテ』元メンバーで、解散後にVTuberへ転身した氷月ユイのリアル親友。まりあ自身も元アイドルだった。二人は秘密の共有者となり、まりあは「いつかユイに会わせてあげる」と約束する。しかし、まりあには声を奪う病でアイドルを辞めざるを得なかったという悲しい秘密があった。
そんな中、タクトの幼なじみで彼に密かに恋するギャル・宇佐美ルカが爆弾発言。「あんたの推しの事務所、うちの姉の元カレが運営してるんだけど」。ルカはタクトとまりあを引き裂こうと画策する。一方、無理に声を出し続け倒れたまりあに、タクトは「俺がまりあの声を守る」と誓う。だが、まりあの本当の病は呪いのようなものだった——誰かを
推しの親友は、元アイドルで隣の席 - まりあの声を守ると誓った日、幼馴染が爆弾を落とす
週末、ミナセ中央駅前の通りには、部活帰りの学生や買い物客がのんびりと行き交っていた。五月の空気は湿り気を帯び始め、薄いシャツ一枚では少し汗ばむくらいだった。
タクトは駅前の家電量販店を出たところで、小さな白い箱を片手に持ち、満足そうに息を吐いた。
「新しいイヤホン、ついに買っちまった……耳元でユイの声が完璧に再現される……マジで尊い」
箱を開けたい衝動をこらえ、タクトは駅の南口へと歩き出した。
(今日は昼から新作の歌ってみたがアップされるんだ。早く帰って視聴環境を整えなきゃ)
心の中でそんなことを考えながら歩いていると、カフェ「ルミナ」の角を曲がったあたりで、ふと足が止まった。
「……え」
カフェの裏手、ひっそりとした路地の奥に、一人の女子が立っていた。
黒髪。ぱっと見ただけで作り物みたいな、つやつやの黒髪。
まりあだった。
学校で見る制服姿ではなく、淡いブルーのワンピースを着て、白い小さなバッグを肩にかけている。まるでどこかの映画から抜け出してきたみたいだった。
でも、その姿はどこか痛々しかった。
まりあは壁に片手をつき、目を閉じて、何かを口ずさんでいる。
「……♪」
かすかな鼻歌。聞いたことがあるメロディ。
緋月ユイの限定歌枠で歌われた曲だ。
その声は、か細くて、遠くて、時々ひゅっと裏返った。
まりあは自分の声が出なくなるたびに、唇を噛みしめた。肩が小さく震えている。何度も、何度も、同じフレーズを繰り返す。
タクトは動けなかった。
(まりあ……こんなところで、なにしてんだ)
声をかけるべきか迷っているうちに、まりあは高音を出そうとして、激しく咳き込んだ。
「げほっ、ごほっ……っ!」
細い体がくの字に折れ、その場に膝をつく。バッグが地面に落ちた。
「まりあ!」
タクトは無我夢中で駆け寄っていた。
「は……、タクト……くん?」
まりあが顔を上げる。その瞳はうっすらと潤んでいて、苦しそうだった。
「大丈夫か、立てるか?」
タクトが手を差し出すと、まりあは一瞬ためらってから、細い指を重ねた。
氷みたいに冷たかった。五月の昼下がりだっていうのに、彼女の手だけが真冬みたいに冷えている。指先が、微かに震えていた。
タクトの胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
「……ごめん、大丈夫。ちょっと、むせただけだから」
まりあは笑おうとした。けれどその声は擦り切れたみたいにかすれていて、聞き取るのもやっとだった。
「なんでもない。ほんと、平気」
ふるふると首を振るまりあ。言葉の途中で何度も声が途切れる。まるで、のどが悲鳴を上げているみたいだった。
タクトの頭の中で、緋月ユイの美しい歌声と、まりあの消え入りそうな声が、同時に響いた。
(うそだ。こんなの、平気なわけない)
タクトは落ちていたバッグを拾い、まりあを支えて近くのベンチまで連れて行った。
「……座ってろ」
「うん」
まりあは素直に頷き、小さく身を縮こまらせた。
タクトは近くの自動販売機まで走り、温かいお茶を二本買って戻った。
「ほら」
まりあに一本を差し出す。
「……ありがと」
まりあは両手で缶を受け取り、一口、ゆっくりと飲んだ。細い首が動く。長いまつ毛が、かすかに震えている。
「声、出しにくいの、知ってた?」
突然の言葉に、タクトは息を呑みそうになった。
「……いや、でも、前にカフェで喋ってた時、ちょっと苦しそうだなって」
「そっか。……あのね、私、昔から歌うのが好きで。ネオポルテにいた時は、喉のことを気にしたことなんて一度もなかったの。でもね、最近は……自分の気持ちが強くなると、声が閉じちゃうの」
まりあは缶を両手で握りしめたまま、足元を見つめた。
「気持ちが強くなると……?」
どういう意味なのか、タクトにはまだよくわからなかった。
「……好きって思うと、声が出なくなるの」
まりあの声は、風に消えてしまいそうなくらい小さかった。
タクトは、缶のお茶を持ったまま固まった。
好きって思うと、声が出なくなる。
(それって……)
「風邪とかじゃないのか?」
タクトは軽い気持ちで言った。
まりあの瞳が、一瞬だけ曇った。
「……私の声、治らないかもしれないの」
かすれた声で、まりあが言った。
タクトは、しまった、と思った。自分がすごく無神経なことを言ってしまった気がした。
「ごめん、俺……」
「謝らないで。……タクトくんが謝ること、なにもないから」
まりあの細い肩が、寂しそうに揺れた。
その肩を抱きしめたい衝動に駆られた。でも、タクトにはできなかった。代わりに、缶のお茶をぎゅっと握りしめた。缶が少しへこんだ。
夕暮れが近づくにつれ、通りには少しずつオレンジ色の光が降りてきた。
まりあは、しばらく黙ってお茶を飲んでいたが、やがて立ち上がった。
「家まで、送ってくれる?」
「……もちろん」
まりあの足取りはおぼつかなくて、タクトは何度も手を貸そうか迷った。結局うまく手を差し出せず、二人は並んで、ゆっくりと歩いた。
沈黙が続いた。でも、嫌な沈黙じゃなかった。
「ねえ、タクトくん。ユイの曲、一曲だけ歌ってみていい?」
まりあが急に言った。
「え、でも喉が……」
「一曲だけ。……うまく歌えるかわからないけど、聴いてほしいの」
タクトは、こくりと頷いた。
まりあは深呼吸して、歌い始めた。
緋月ユイの代表曲。タクトが何百回も聴いた歌。
最初の一音が出た瞬間、タクトの全身に鳥肌が立った。
まりあの声は、かすれていて、震えていて、決して完璧ではなかった。
でも、心の奥の一番やわらかい場所に、直接触れてくるような声だった。
「……っ」
まりあの声が、高音の手前で、ぷつりと途切れた。
それ以上、声が出なかった。
まりあは、歌えなかった。
「……うまく、歌えないや」
まりあは、泣き笑いみたいな顔をした。
タクトは、胸の奥が熱くなるのを感じた。言葉が出てこなかった。
(この人の声を、なくしたくない)
夕焼けに染まった通学路に、二人の影が長く伸びていた。
やがて、まりあの家の前に着いた。
木造の一戸建て。築三十二年の、古いけれど手入れの行き届いた家。小さい花壇には、白い花が咲いていた。
玄関のドアが、ガラリと開いた。
「あら、まりあ。おかえりなさい」
中から出てきたのは、まりあの祖母、黒瀬芳江だった。小柄で、白髪を後ろで一つにまとめた、やさしそうなおばあさんだ。
芳江はまりあとタクトを交互に見て、にっこり笑った。
「まあまあ。まりあが男の子を連れてくるなんて、何年ぶりかしらねえ」
タクトは顔が一気に熱くなって、ぺこりと頭を下げた。
「ど、どうも、お邪魔しましたっ」
まりあがくすっと笑った。
「また学校でね、タクトくん」
「お、おう」
タクトは逃げるようにその場を後にした。心臓が、ドクドクと早鐘を打っている。
(ばあちゃん、完全に誤解してるよな……)
歩きながら、耳の奥にまりあの歌が残っていた。
帰り道、タクトは足を多摩川の河川敷に向けた。
夕日が、川の水面をオレンジ色に染めている。河川敷にはジョギングする人や、犬の散歩をする人がちらほらいた。
タクトは河川敷の階段に腰を下ろした。
(まりあの声、守りたい)
心の中で、言葉にした。
画面越しの推しにスパチャを投げた夜、名前を読んでもらって泣いてしまった自分。あれが、今までの人生で、誰かのために行動した最初で最後だった。
でも今日は、違う。
現実の、目の前にいる人のために、何かをしたいと思った。
「……俺が、まりあの声を守る」
誰にも聞こえないくらいの、小さな誓いだった。
その時、後ろから声がした。
「ちょっと、タクト!」
振り返ると、立っていたのは宇佐美ルカだった。
腰まである明るい茶髪。耳にはじゃらじゃらと光るピアス。今日は黒のキャミソールに花柄のロングスカートという、ラフだけど派手な格好だ。
ルカは息を切らせていた。額にうっすら汗をかいている。
「はあはあ……探したんだけど」
「ルカ? なんでここに……」
「そっちこそ、なにしてんの。あんた、昨日の放課後、女の子と二人でカフェから出てきたでしょ」
ルカはタクトの正面に立つと、腕を組んで見下ろした。
「見てたのかよ」
「見てたんじゃなくて、たまたま見えたの。で、あの黒髪の女、誰?」
ルカの声は、夏の夕暮れの空気にやけに突き刺さった。
「……クラスの子だよ」
タクトがそう答えると、ルカは目を細めた。
「それ、隣の席の不登校帰りでしょ。黒瀬まりあって子」
タクトは言葉に詰まった。
「なんで名前まで知って……」
「あんたのこと、昔から見てればわかるんだよ。あんた、ああいう黒髪ロングの、おとなしそうな子がタイプなんでしょ」
「はあ!? ち、ちがうだろ」
ちがうと言いかけて、緋月ユイのことを思い出し、黙った。ユイはたしかに黒髪ロング寄りだった。
「……図星じゃん」
ルカがじとっとした目でにらむ。
「私ね、あんたのこと、幼馴染として心配してるの。ここ最近、あんた、なんか変だもん。学校で急に女の子と仲良くなって、いつものあんたらしくない」
ルカの声に、初めて怒りが混ざった。
「……ルカには関係ないだろ」
タクトは、少しイラっとして言い返した。
「あるの。大ありなの」
ルカは、一歩踏み出した。
「あんたの推しの緋月ユイがいる箱……あれ、私の姉の元カレが運営してるんだ」
タクトの頭が、一瞬、真っ白になった。
「……は? なに言って……」
「フォスライブって事務所。姉の元カレ、篠崎って奴が共同運営者。姉を踏み台にして芸能関係のコネ作った、最低な男」
フォスライブ。
タクトの心臓が、さっきとは別の意味で騒ぎ始める。
緋月ユイの所属事務所。おれが毎日お世話になっている、あの配信の裏側。
「どういうことだよ、なんでお前の姉の元カレがユイの事務所と……」
タクトはルカに詰め寄った。
「それ以上はあんたには言わない。……ただ、言えるのは一つだけ。あの黒瀬まりあって子とあんたが関わると、面倒なことになるよ」
ルカの声は、ひどく真剣だった。
「面倒なことって、なんなんだよ」
「しつこいなあ。だから詳しくは話さないって言ってるでしょ。……あんたが、まりあと近づけば近づくほど、ろくなことにならない。これは忠告だから」
「……忠告って」
「ねえ、タクト。お願い。あの子に、これ以上近づかないで」
ルカの声が、突然、泣き出しそうな震え方をした。
その時のルカの顔を、タクトは今まで見たことがなかった。
いつもは強気で、自信満々で、すぐにタクトをからかってくるルカ。
そのルカが、泣き出しそうな顔で、懇願するように見つめてくる。
タクトは一瞬、たじろいだ。
でも、それでも。
まりあの、消え入りそうな声が、頭の中で響いた。
『タクトくんの前では、歌えなくなった』
『私の声、治らないかもしれないの』
あの、かすれた声。苦しそうな細い肩。真っ白な指。
タクトは、静かに息を吸った。
「誰が何と言おうと、俺は……まりあの声を守るから」
タクトの声は、自分でも震えているのがわかった。
ルカの目が、大きく見開かれた。
「……そっか」
絞り出すような声だった。
「そっか。……わかった」
ルカは一歩後ろに下がった。
「ルカ……」
「じゃあね」
それだけ言うと、ルカはくるりと背を向け、走り去っていった。
背中が、夕暮れの光の中で、どんどん小さくなっていく。
タクトは、その後ろ姿を、ただ見ていることしかできなかった。
(ルカ、泣いてた……?)
どうしてルカが泣くのか、タクトにはわからなかった。
女心には、とことん鈍感なタクトだった。
河川敷に、夕闇が静かに降りてきた。
タクトは、しばらくその場に座り込んでいた。
篠崎。
ルカの姉の元カレ。フォスライブの共同運営者。
あのコンビニで、限定グッズを横取りしていった男。
あいつの顔が、頭に浮かんだ。
まさか、あんなやつが……。
まりあに、何かしようとしているんだろうか。
胸の奥に、じんわりと嫌な予感が広がる。
いや、考えすぎかもしれない。
でも、ルカがあそこまで言うからには、何かある気がする。
タクトは、握りしめた缶のお茶を見た。
まりあが飲んだのと同じ、温かいお茶。
(俺、どうすればいい)
夜が、深くなっていく。
家に帰ったタクトは、自室のデスクに座った。
机の上には、今日買った新品のイヤホン。
丁寧に箱を開け、タクトはイヤホンを耳に装填した。
スマホで、緋月ユイの過去の歌枠アーカイブを再生する。
透き通るような、美しい歌声。
耳の奥で、今日のまりあの声と重なる。
『♪————』
まりあの歌は、確かにユイの歌と似ていた。
歌い方も、息継ぎの場所も、声の質も。
だから、初めて会った時、驚いたんだ。
タクトは再生を止め、布団に潜り込んだ。
まりあの声が、完全に消えてしまったら。
そう考えると、怖くて、胸が苦しくて、体を丸めた。
まりあは、ユイに会わせてくれると約束してくれた。
でも、それでまりあの病状がもっと悪くなったら。
もしかしたら、ユイに会わせようとすることが、まりあの声を奪うことにつながるんじゃないか。
ぐるぐる、ぐるぐる、同じことばかり考える。
(明日から、俺にできることを探そう)
タクトは、暗い天井を見つめながら、ちいさく拳を握った。
窓の外から、かすかに風の音がする。
耳の奥には、まだまりあの消え入りそうな歌が残っていた。
その夜、タクトはほとんど眠れなかった。Noveliaとは?
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