推しの親友は、元アイドルで隣の席
高校2年の春、地味で友達ゼロの磯貝タクト(16)は、超人気VTuber・氷月ユイの隠れガチ勢。学校では誰にも言わず、放課後はアーカイブ配信を観る日々。ある日、長期休学から復帰したばかりのクラスメイト・黒瀬まりあが、消しゴムを拾った拍子にタクトのスマホをチラ見する。画面に映っていたのは、氷月ユイの限定歌配信。まりあの目が輝く。
「ちょっと……ユイ推しなの?」
まりあの正体は、伝説の地下アイドルグループ『ネオポルテ』元メンバーで、解散後にVTuberへ転身した氷月ユイのリアル親友。まりあ自身も元アイドルだった。二人は秘密の共有者となり、まりあは「いつかユイに会わせてあげる」と約束する。しかし、まりあには声を奪う病でアイドルを辞めざるを得なかったという悲しい秘密があった。
そんな中、タクトの幼なじみで彼に密かに恋するギャル・宇佐美ルカが爆弾発言。「あんたの推しの事務所、うちの姉の元カレが運営してるんだけど」。ルカはタクトとまりあを引き裂こうと画策する。一方、無理に声を出し続け倒れたまりあに、タクトは「俺がまりあの声を守る」と誓う。だが、まりあの本当の病は呪いのようなものだった——誰かを
推しの親友は、元アイドルで隣の席 - 一緒にいるほど声を奪う——残酷な診断と黒い影の接近
保健室の白いカーテンが、風でふわりと揺れた。
磯貝 タクト(イソガイ タクト)は、ベッドに横たわる黒瀬まりあの顔を見下ろしていた。
さっきまで、まりあは多摩川の河川敷で倒れた。路上で一人、小さく震えながら。その手を握った時の冷たさが、まだタクトの指に残っている。
「……う、ん」
まりあが、ゆっくりとまぶたを開けた。目が合う。
「タクトくん……ここ、保健室?」
声はかすれていた。擦り切れた糸のように、細くて、今にも切れそうな声。
「ああ。お前、河川敷で倒れてたんだ。覚えてるか?」
まりあは少しの間、天井を見つめていた。それから、小さく頷く。
「……うん。ごめん、迷惑かけちゃって」
「別に、迷惑なんかじゃない」
タクトは近くの丸椅子を引いて、ベッドの横に座った。ぎし、と椅子が小さく鳴く。
保健室には二人きりだった。養護教諭は職員室に呼ばれていて、今はいない。窓の外から、部活の掛け声が遠くに聞こえる。
「……病院に行ったんだろ。先生、なんて言ってた」
まりあはしばらく黙っていた。長い黒髪が、白い枕の上に広がっている。
「……医者には、心因性のものだって言われたの」
まりあの声は、まるで誰かに秘密を打ち明ける時みたいに、ひどく小さかった。
「もっと具体的に言うとね……」
まりあは一度、言葉を切った。
タクトは黙って、彼女の続きを待った。
「私、誰かに……好きって気持ちが、強くなるほど、声が出なくなっちゃうんだって」
「……は?」
タクトは、意味がうまく頭に入ってこなかった。
「だから、その……タクトくんと、一緒にいることが……私の声を、奪ってるのかもしれないんだって」
まりあは目を伏せた。長いまつげが、かすかに震える。
タクトの頭が、真っ白になった。
(俺が……まりあの声を、奪ってる?)
心臓が、早鐘のように打ち始めた。
「おい、それじゃあ、俺といるといつか、まりあは完全に声が出せなくなるってことか」
「……かもしれない」
「ふざけんな……なんでだよ。なんで、好きになると声が出なくなるんだよ。そんな病、聞いたことねえ」
タクトは無意識に拳を握っていた。握りしめた爪が、手のひらに食い込む。
まりあはゆっくりと首を横に振った。
「ヴォーチェ・ロスト症候群……っていうんだって。国内で五十年前から十二件しか、確認されてない、すごく珍しい病気なの」
「なんだよ、それ……」
「声喰い、っていう通称もあるんだって。声を食べられちゃうの。好きな人への想いが、声を餌にして、どんどん、のどを閉じていくの」
まりあはそこまで言うと、小さく咳き込んだ。
「っ、げほっ……ごほっ」
「おい、無理に喋るな」
タクトは立ち上がり、近くに置いてあった紙コップに水を注いだ。
「ほら」
まりあは、細い指で紙コップを受け取った。少しの水を、こくこくと飲む。
「……ありがと」
まりあは、にこりと笑った。
その笑顔が、やけに痛々しかった。
「でもね、タクトくんのせいじゃないの。これは、私の心の問題。私の気持ちの問題。誰のせいでもないの」
「……そういう問題じゃねえだろ」
タクトは、再び椅子に座った。
「俺が近くにいるだけで、お前の声が消えていくってわかって、それでも笑ってられるのかよ。なんで、そんなに平気そうなんだよ」
まりあは、両手で紙コップを包み込んだ。
「平気そうに見える?」
まりあの声が、ふるふると震えた。
「本当は、すごく怖い。このまま声が出なくなったら、どうしようって、毎日、夢にまで見るの。歌えなくなったら、私、私じゃなくなるみたいで」
まりあの目から、一筋、涙がこぼれた。
「でも……それ以上に、タクトくんと会えなくなるほうが、ずっと、ずっと怖いの」
まりあの声は、かすれて、風に散るようだった。
「なんだよ、それ……」
タクトは俯いた。彼の膝の上で、両手が震えている。
「じゃあ、どうすればいい。俺は、どうすれば、お前の声を守れるんだよ」
まりあは答えなかった。ただ、静かに涙を流している。
保健室に、遠い運動部の掛け声だけが、ぼんやりと響いていた。
「……今日、放課後、時間あるか」
タクトは、ぎゅっと拳を握りしめた。
まりあは、涙を手の甲で拭いながら、小さく頷いた。
「病院が終わったら、多摩川の河川敷……お願い、来てほしいな」
「わかった。行く」
それだけを言うと、タクトは椅子から立ち上がった。
振り返らずに、保健室を出る。
廊下に一歩出た瞬間、壁に手をついた。
「……くそ」
タクトは、喉の奥から絞り出すように呟いた。
目の奥が、熱い。
(俺が、俺の存在が、まりあの声を殺してる)
拳で壁を、一度だけ、ごん、と殴った。
保健室のドア越しに、まりあが泣く声が、聞こえた気がした。
―――
夕暮れの多摩川河川敷。
土手の草が、風に揺れている。
もうすぐ日が沈む。空が、オレンジから紫に変わる、一番きれいな時間だった。
タクトは、河川敷の土手に座って、まりあを待っていた。
(なあ、俺はこれから、どうすればいいんだ)
小さな石を拾って、川に向かって投げる。
石は、しばらく転がって、水面に落ちた。ぽちゃん、と音がする。
「タクトくん」
振り返ると、まりあが立っていた。
病院帰りなのか、淡い水色のカーディガンを羽織っている。黒髪が、夕風にふわっと流れた。
「待ったか?」
「……いや、今来たとこ」
タクトは、土手の隣をぽんぽんと叩いた。
まりあは、タクトの隣に、ちょこんと座る。触れるか触れないかの、ほんの少しの距離。
「……きれいな夕陽だね」
まりあの声は、まだかすれていた。でも、昼間よりは、少しだけ、しっかりしている。
「ああ」
タクトは、茜色の空を見上げた。
多摩川の水面が、きらきらと光を反射している。
二人の間に、静かな時間が流れた。
「……なあ、まりあ」
タクトは、絞り出すように言った。
「俺、もう、お前に会わないほうがいいんだと思う」
まりあは、何も言わなかった。
「お前の声が、これ以上悪くなるのを見るのは、もう耐えられない。だから……今日で、最後にしよう」
声が震えていた。
タクトは、まっすぐ前を見たまま、言い切った。
(これでいい。これで、いいはずだ)
まりあは、少しの間、黙っていた。
それから、小さく、息を吸う音がした。
「……そんなの、いや」
まりあの手が、タクトの制服の袖を、ぎゅっと掴んだ。
「普通に話せる、ってわかってるのに。会いたい、って思ってるのに。今日で最後なんて、そんなの、私が納得できない」
「まりあ……」
「お願い。私、タクトくんと、一緒にいたい。声が出なくなるのは怖いけど、でも、タクトくんと会えなくなるほうが、ずっと怖いよ」
まりあの手が、袖を握る力を強めた。
消え入りそうな、でも、必死な声だった。
タクトは、ぎゅっと歯を食いしばった。
(だめだ。振りほどけない)
まりあの手を振りほどけなかった。
「……お前の声が、完全に消えたらどうする。歌、歌えなくなったらどうするんだよ。夢をあきらめろって言うのか。ユイに会いたいって、思わないのか」
タクトの声が、喉から絞り出される。
まりあの肩が、ぴくりと震えた。
「……ユイのことは、いいの」
「なにが、いいの、だ」
まりあは、俯いた。
「私、ユイに会いたい気持ちも、すごく強い。でも、今、私が一番、声に出して伝えたいのは、タクトくんに……あなたに、『一緒にいてほしい』ってことなの」
まりあの言葉が、タクトの胸に、深く、深く、突き刺さった。
「……なんで、俺なんだよ」
タクトは、ぬけたように言った。
「なんで、友達ゼロの、地味で、推ししか取り柄のない俺が……まりあに、そんなこと、言わせるんだよ」
まりあは、顔を上げた。
涙で濡れた瞳で、まっすぐに、タクトを見つめている。
「タクトくんは、友達ゼロなんかじゃないよ。今、こうして、私の隣にいる。それだけで、十分なの。私にとっては、オンリーワンの……特別な人なんだから」
まりあの声が、夕闇に溶けていく。
タクトの胸の奥で、何かが、音を立てて崩れた。
「……っ」
気がついたときには、タクトは、まりあの小さな体を、抱きしめていた。
まりあも、タクトの背中に腕を回してくる。
二人は、夕暮れの河川敷で、涙を流しながら、抱きしめ合った。
多摩川の風が、二人の間を、すり抜けていく。
「……タクトくん。私、あきらめないから。声が出なくなっても、私、タクトくんと、一緒にいたい。これが、私の答えなの」
まりあの声が、耳元で聞こえた。
その声は、確かに震えていた。
でも、どんな声よりも、強く、響いた。
「……ばか」
タクトは、まりあの背中に回した腕に、ぎゅっと力を込めた。
「勝手に、決めんな。俺が、まりあの声を守る。絶対に。あきらめるな。俺が……俺が、なんとかするから」
自分に言い聞かせるように、タクトは言った。
根拠なんて、何もなかった。
でも、そう言わずにはいられなかった。
まりあは、タクトの胸の中で、こくん、と小さく頷いた。
夕陽が、二人の影を、長く、長く、伸ばしていた。
―――
夜。
タクトは自室のデスクの前に座っていた。
部屋には誰もいない。静かで、暗い。
パソコンのモニターには、緋月ユイの限定歌枠アーカイブが再生されている。
透き通るような、美しい歌声。
『――♪』
ユイの歌声が、部屋に響く。
タクトは、新品のイヤホンを耳に押し込んで、耳を澄ませた。
(この声だ。俺が、毎晩聴いてた、推しの声)
今日のまりあの、消え入りそうな声が、耳の奥でリフレインする。
『タクトくんと一緒にいたい』
ユイの歌声が、まりあの声と、重なる。
『私、ユイには、ぜったい、知られたくないの』
(まりあは、ユイに、病のことを知られたくないって、言ってた)
(でも、ユイに会えば、もしかしたら、まりあの声は治るんじゃないか。ユイは、まりあの親友なんだから)
タクトは、モニターを見つめたまま、考えた。
『今度、ユイに、会わせてあげる』
まりあの言葉が、頭をぐるぐる回る。
(ユイに会いたい。でも、ユイに、まりあの病のことは、知られたくない)
(この矛盾を、どうすればいい)
何も、わからなかった。
気がつくと、頬が濡れていた。
涙が、止まらなかった。
初めてだった。
推しの配信を観ても、心が満たされない、というのは。
画面の向こうのユイは、今日も、完璧に美しい。
なのに、心は、まりあに、囚われたままだった。
タクトは、パソコンの電源を落とした。
暗い天井を見つめて、布団に潜り込む。
(俺は、どうすればいい)
(どうすれば、まりあを助けられる)
答えは、どこにも落ちていなかった。
―――
翌朝。
タクトは、ほとんど眠れないまま、家を出た。
朝の通学路。
駅へ向かう人々に混じって、タクトはとぼとぼと歩いていた。
(今日、学校で、まりあに、どんな顔して会えばいいんだ)
思考がまとまらない。
重い足取りで、ミナセ中央駅の方へ向かう。
その時だった。
駅前の交差点を、一人のスーツ姿の男が横切った。
一瞬、見覚えのある横顔。
「……あいつ」
タクトは、ぎくりと足を止めた。
あの日、コンビニで限定グッズを奪っていった男。
篠崎凱斗。
フォスライブの共同運営者。
ルカの姉の元カレ。
男は、駅から少し離れたオフィスビルの方へ、歩いていく。
「フォスライブ本社……って、ミナセサードビルだよな。駅から八分の」
タクトは、無意識に、篠崎の後を追っていた。
(まりあを守るためには、あいつの正体を、確かめなきゃいけない)
(あいつが、まりあに、何かしようとしてるなら、尚更)
心臓が、早鐘のように鳴る。
手に汗が、じわりと滲んだ。
篠崎は、人通りの多い駅前を、迷いなく進んでいく。
タクトは、数メートル後ろを、見失わないように歩いた。
オフィスビルが立ち並ぶ区画に入る。
「ミナセサードビル」と書かれた、四階建ての雑居ビル。
篠崎は、その入り口に向かって、まっすぐ歩いていった。
タクトは、通りの反対側の電柱の影に、身を隠した。
――が。
突然、篠崎が、ぴたりと足を止めた。
ゆっくりと、こちらを振り返る。
「……おや」
篠崎の、低く、耳に残る声が、静かな通りに響いた。
「朝から、えらく熱心なストーカーがいると思ったら、この前のコンビニの坊やか」
篠崎は、薄い笑みを浮かべたまま、電柱の影に隠れたタクトに向かって、ゆっくりと歩いてくる。
タクトの足が、すくんだ。
(ばれてた……)
「……あんた、篠崎凱斗だな」
タクトは、声を振り絞った。
「へえ、俺の名前を知ってるのか。宇佐美の妹にでも聞いた口か。それとも、まりあちゃん経由か?」
「まりあに……近づくな」
タクトの唇が、震えた。
篠崎は、くつくつと、喉の奥で笑った。
「なんだ、宣戦布告か? 高校生のガキが、大人のビジネスに、首を突っ込むんじゃねえよ」
篠崎は、一歩、また一歩と、タクトに近づく。
圧倒的な、大人の体躯。
「まりあちゃんはね、俺の商売に、ちょうどいい。元有名地下アイドル。緋月ユイの親友。声が出なくなった奇病持ち。……これを、コンテンツにしない手はないだろ」
「……ふざけるな。まりあの、何を知ってるんだ。彼女が、どれだけ苦しんでるか、知るはずがない」
タクトは、拳を握りしめた。
「知ってるさ。全部。ヴォーチェ・ロスト症候群。声喰い。好きな人を想うほど、声が出なくなる。……かわいそうにな。だが、それこそが、人を惹きつける。悲劇は、燃料になるんだよ」
篠崎の声は、愕然とするほど、冷たかった。
「お前には、関係ない。まりあは、お前の道具じゃない」
タクトは、精一杯の声で、言い返した。
篠崎は、鼻で笑った。
「道具? 違うな。彼女は、俺の最高の商品になる。お前みたいな、なんの取り柄もない陰キャガキに、口出しする権利はないんだよ」
篠崎は、タクトの肩を、ぐっと掴んだ。
「いてっ……」
骨が、軋む。
「お前如きが、まりあちゃんを守れるものなら、守ってみろ。だが、時間の問題だ。彼女の元仲間たちが、彼女の過去を、暴こうと動き出している。リオ、ナツキ、ヒナ……あの子たちは、まりあちゃんを、逆恨みしているのさ。地獄が、始まる前の、静かな朝だよ」
篠崎は、タクトの肩から手を離すと、背を向けた。
「せいぜい、足掻け。ガキの分際で、どこまで彼女の声を守れるか、見物してやろう」
篠崎は、ミナセサードビルの中へ、消えていった。
タクトは、その場に立ち尽くした。
肩が、じんじんと痛む。
そして、何よりも。
(俺は、何もできなかった)
(高校生の、俺は、ただ、突っ立ってることしか、できなかった)
くやしさで、涙が出そうだった。
(まりあの声を守るためには、もっと、強い手段が必要だ)
(俺ひとりの力じゃ、足りない)
タクトは、握りしめた拳を、力なく、開いた。
手のひらには、深く爪の跡が残っていた。Noveliaとは?
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