推しの親友は、元アイドルで隣の席
高校2年の春、地味で友達ゼロの磯貝タクト(16)は、超人気VTuber・氷月ユイの隠れガチ勢。学校では誰にも言わず、放課後はアーカイブ配信を観る日々。ある日、長期休学から復帰したばかりのクラスメイト・黒瀬まりあが、消しゴムを拾った拍子にタクトのスマホをチラ見する。画面に映っていたのは、氷月ユイの限定歌配信。まりあの目が輝く。
「ちょっと……ユイ推しなの?」
まりあの正体は、伝説の地下アイドルグループ『ネオポルテ』元メンバーで、解散後にVTuberへ転身した氷月ユイのリアル親友。まりあ自身も元アイドルだった。二人は秘密の共有者となり、まりあは「いつかユイに会わせてあげる」と約束する。しかし、まりあには声を奪う病でアイドルを辞めざるを得なかったという悲しい秘密があった。
そんな中、タクトの幼なじみで彼に密かに恋するギャル・宇佐美ルカが爆弾発言。「あんたの推しの事務所、うちの姉の元カレが運営してるんだけど」。ルカはタクトとまりあを引き裂こうと画策する。一方、無理に声を出し続け倒れたまりあに、タクトは「俺がまりあの声を守る」と誓う。だが、まりあの本当の病は呪いのようなものだった——誰かを
推しの親友は、元アイドルで隣の席 - 黒い影、教室を飲む——篠崎凱斗の毒牙と潰えない奇跡の灯
朝の光がいつもより白く、冷たく感じられた。
磯貝タクトは前夜、ほとんど眠れていない。篠崎という男に肩を掴まれた感触が、まだ骨に残っていた。あの男が「地獄が始まる前の静かな朝だよ」と言い残した言葉が、頭の中でぐるぐる回る。
(まりあの声を守るって、誓ったのに)
(俺は何もできなかった)
枕に顔を押し付けてから、のろのろと体を起こした。洗面台の鏡に映る自分の顔は、ひどくやつれている。目の下にうっすら隈ができていた。
制服に着替え、カバンを手に取る。スマホの画面には、緋月ユイの限定歌枠のサムネイル。昨日の夜、何度も再生しようとして、指が止まった。今はあの歌声を聴ける気分じゃない。
家を出た。
五月の空は晴れているのに、どこか重苦しい。湿気が服にまとわりついた。通学路のコンビニ「エブリマート」の前を通りかかり、いつもの店員が「おはようございます」と声をかけてきたが、タクトは気づかないまま足を進めた。
都立ソラミネ高等学校の正門が見えてくる。
その時、タクトの足が止まった。
正門の前に、男が一人、立っていた。
黒いシャツに黒いスラックス。首元には銀のペンダント。短く整えた髪、切れ長の目、薄い唇。写真で見たより、実際はずっと背が高く、雰囲気が異様だった。
篠崎凱斗。
霧が立ちこめるように、男の周りだけ空気が淀んで見えた。
篠崎はこちらに気づくと、ゆっくりと口角を上げた。
「おはよう、磯貝くん」
タクトは呼吸を整えながら、カバンの肩紐を握りしめた。
「……あんた、何の用だ」
声が震えないように、腹に力を込める。
篠崎は笑みを崩さない。
「まあ、待っていたよ。まりあちゃんと一緒に登校するんだろう? 邪魔はしないから、安心しなよ」
篠崎の目が、タクトの背後を捉えた。
「……あ」
振り返ると、まりあが立っていた。
長い黒髪が、朝の光を受けて艶めいている。白い肌、紫がかった瞳。毎日見ているはずのその姿が、今朝はやけに脆く見えた。
まりあの顔色が、みるみる青ざめていく。
「まりあ、来るな」
タクトはまりあの前に立つと、両腕を軽く広げて篠崎から隠した。
篠崎は楽しそうに首を傾げた。
「これはこれは、お姫様の登場だ。相変わらず、二枚目な顔してるね。カメラの前で笑う準備はできてるかい?」
まりあは何か言おうとしたのか、唇が動いた。でも、声が出ない。喉の奥で、かすかな空気の音だけが漏れた。
「……まりあは、喋れないんだ。見てわからないのか」
タクトの言葉に、篠崎は大げさに肩をすくめた。
「おや、もうそんなに悪化してるの? 可哀想に。でも大丈夫だよ、まりあちゃん。俺が君を、国民的アイドルに戻してやるから。元ネオポルテ、伝説の歌姫、緋月ユイの親友——その価値、分かってるつもりだよ。声が出ない? それもドラマになる。悲劇の元アイドル、再起の物語だ」
まりあの肩が、小刻みに震えた。
タクトの胸の奥に、怒りが燃え上がる。でも、体が動かない。あの夜、肩を掴まれた時の骨の軋む音が、まだ耳に残っている。
「……黙れ」
やっとの思いで紡いだ言葉は、情けないほど小さかった。
篠崎はそれを聞いて、わざとらしく耳に手を当てた。
「ん? 何て? ハハ、聞こえないなあ。高校生の護衛ごっこは、三流映画より滑稽だよ、磯貝くん。君、何ができるの? 叩く? 殴る? どれもこれも、全部無駄。大人には敵わない」
篠崎が一歩、こちらに近づいた。
強い香水の匂い。タバコと混ざった、甘ったるい空気が鼻につく。
篠崎はタクトの制服の胸元を、指先で弾いた。パチン、と乾いた音。
「せいぜい、お守り役を続けることだね。その隙に、君の視聴時間も減るだろうけど」
そう言い残し、篠崎は背を向けた。歩き去る後ろ姿は、まるで勝利を確信した獣のようだった。
「……っ」
タクトは、その場にくずおれそうになるのをこらえた。
まりあが、うしろからタクトの袖を、そっと握った。
振り向くと、まりあの瞳は涙でいっぱいになっていた。白い頬を透明な粒が伝う。声にならない「ごめん」が、唇の形だけで伝わってくる。
「まりあ、謝るな。お前が謝ることなんて、何もない」
タクトはまりあの手を、そっと包んだ。
氷のように冷たい指先。そっと握り返すと、まりあは一度だけ、かすかな声で「……うん」と頷いた。
それが、精一杯の返事だった。
教室に入ると、ざわつきはすぐに始まった。
まりあの隣の席に座ったタクトは、周囲の視線がいつもと違うことに気づいた。
「ねえ、隣の席の子、元アイドルなんだって」
「マジ? 地下アイドルの? え、やばくない?」
「しかも緋月ユイって超人気VTuberの親友らしいよ。なんで学校来てるんだろ」
「声が出ないんだって。歌えなくなったから、クビになったんじゃない?」
聞こえよがしの声が、教室中に満ちていく。
タクトは拳を握った。
(まさか、昨日の内に流してやがったのか)
篠崎が言っていた。元ネオポルテの3人——リオ、ナツキ、ヒナ——を使い、まりあを孤立させる仕掛けを。
まりあは俯いたまま、教科書をカバンから取り出す。その横顔に、涙の跡が残っている。声が出ないから、何も言い返せない。何も、できない。
「まりあ」
タクトは小さな声で、まりあにだけ聞こえるよう言った。
「大丈夫だから。俺が、なんとかするから」
まりあは隣を見ず、黙ってうなずいた。その耳が、薄紅色に染まっていた。
放課後。
タクトは教室を飛び出し、一路、宇佐美ルカのクラスへ向かった。
ルカは廊下で友達と喋っている最中だった。タクトの姿を見つけると、一瞬だけ嬉しそうな顔をして、すぐに不機嫌そうな顔に変わる。
「……何よ、珍しく自分から来るなんて」
「話がある。二人きりで」
ルカの友達が、ひそひそと笑いながら去っていく。
空き教室に入ると、ルカは後ろ手でドアを閉めた。
「時間ないんだ。単刀直入に聞く。篠崎凱斗っていう男、知ってるな。お前の姉さんの元カレ。あいつについて、教えてほしい。ちょっとしたことでもいい。あいつが何をしてきたのか、どんな人間なのか」
ルカの目が、すっと細くなった。
「……また、あの女のため?」
「頼む」
「あんた、ほんとバカ」
ルカは壁に背を預け、長い髪をいじった。
「私の姉、サラ。あいつと付き合ってたの。結構真剣に。なのにあいつ、姉の配信用のアカウントを勝手に乗っ取って、自分の運営してる事務所の宣伝に使った。姉のフォロワーを全部、自分のビジネスに横流ししたのよ。振られてからも、姉のアカウントを壊して、自分は知らぬ顔。最低のクズ男」
タクトは、唇を噛んだ。
「それ、証拠は残ってるのか?」
「知らない。でも姉のスマホに、当時のやり取りのスクショが残ってるはず」
「協力してくれ」
タクトは頭を下げた。
ルカの手が、タクトの腕を掴んだ。
「やめてよ。お願い。あの女のために、命を張らないで」
声が、濡れていた。
顔を上げると、ルカの目が涙で揺れていた。いつもの強気なギャルの仮面が、剥がれ落ちている。
タクトの胸に、ちくりと痛みが走る。
「ルカ……お前、泣いてるのか」
「泣いてない。……あんたが、あの子を守りたいなら、私のことも少しは守ってよ。あんたが傷つくの、見たくないの」
腕を掴む力が、強くなる。
タクトは、振り払えなかった。
(まりあも、助けたい。でも、ルカも傷つけてる)
頭がぐらぐらした。
「……ごめん」
それしか、出てこなかった。
ルカは少しの間、タクトに寄りかかった。それから、自分から体を離すと、スマホを取り出した。
「姉のスクショ、送ったげる。でも……これきりにして。これで最後にして」
タクトのスマホに、ルカからのメッセージが届く。数枚の画像データ。篠崎がサラのアカウントにログインした形跡のスクリーンショットだった。
「ありがとう、ルカ」
「……勝手に死なないでよ」
ルカは言い捨てて、教室を出て行った。
残されたタクトは、しばらく一人で壁に寄りかかっていた。
夕方、カフェ「ルミナ」。
タクトは、篠崎を呼び出していた。
カフェの木のドアを開けて入ってくると、篠崎はあたりを見回し、壁の古いレコードジャケットを眺めた。
「随分とまあ、こぢんまりした店だね。値段もお手頃。学生のデートには持ってこいだ」
篠崎はタクトの向かいに腰を下ろした。
コーヒーが運ばれてくる。篠崎はカップに口をつけ、にっこり笑った。
「それで? 話ってなんだい、磯貝くん」
タクトは、スマホを取り出した。
画面に、サラのアカウントの不正ログインの証拠と、篠崎とサラのやり取りのスクリーンショットを表示させる。
篠崎の笑みが、一瞬だけ消えた。
「……へえ」
「あんた、フォスライブの共同運営者なんだろ。看板タレントの緋月ユイを抱えてる。もし、これが流出したら、あんたの事務所の信用はどうなる。VTuber事務所の運営者が、タレントのアカウントを不正利用してた。これ、世間に知られたら、ユイの活動にも影響が出る。あんた、それ黙ってられないはずだ」
タクトの声が少し震えた。震えを殺すために、テーブルの下で拳を握りしめる。
篠崎は、沈黙した。
そして、ゆっくりとコーヒーカップを回し始めた。
「君は、勘違いしている」
低い声だった。
「まりあちゃんの本当の価値は、彼女が失った声、そのものだ。ファンは、悲劇に金を払う。戻る可能性があるから、期待して待つ。もし、まりあちゃんが声を取り戻したら、それはそれは美しい再起の物語になる。もし、戻らなければ、それは永遠に語り継がれる伝説の悲劇になる。どちらに転んでも、俺は儲かる。お前の手元にある、女の子一人のアカウントの不正利用なんて、正直、どうでもいい。消してもらって構わないよ」
タクトは息を詰めた。
「俺は、まりあの病が恋愛感情で悪化することを知っている。で、お前も知ってるんだろ? まりあは、お前のことが好きだから、声が出なくなってるんだ。つまり、お前が近づくほど、彼女の声は死んでいく。なあ、磯貝。お前、さっきからマリアの『救世主』面してるけど、彼女を殺してるのは、お前なんだぜ」
篠崎は自分のスマホを取り出し、まりあの画像を表示した。
「この笑顔、お前、見たことある? 地下アイドル時代のまりあ。声が無くたって、写真だけでも人を惹きつける。かわいいだろ。この子がお前に恋をしたせいで、二度と歌えなくなる。それは悲劇だが、同時に——俺の商売としては、最高だ」
タクトは、テーブルに両手を突いた。
カタン、とカップが揺れる。
「やめろ……俺は、何があってもまりあを守る」
声が、情けないほど裏返った。
篠崎は小さく笑った。
「守れない者ほど、美しいんだよ。じゃあな、未来の救世主くん」
篠崎は席を立った。
店のドアが閉まる音が、やけに長く響いた。
タクトは、しばらくその場から動けなかった。
まりあの家の前を通りかかったのは、その夜遅くだった。
二階のまりあの部屋に、ぽつんと明かりが灯っている。
まりあは今、何をしているんだろう。
タクトはフェンスに手をかけ、しばらく窓を見つめた。
瞬間、スマホが震えた。
篠崎からのメッセージだった。
「明日、放課後、お前の教室でまりあの借用書と引き換えに返事を聞かせてくれ。返事次第では、彼女の配信アカウントと実家の住所をネットに流す」
タクトは、その場に立ちすくんだ。
血の気が引いていくのが、自分でもわかった。
まりあを守る手立てが、何もない。
家に帰ると、タクトは自室のデスクに座った。
机の引き出しから、緋月ユイの限定歌枠のチケットコードが書かれた紙切れを取り出す。
(ユイに相談すれば、まりあを助けられるかもしれない)
画面に、緋月ユイの配信アーカイブが並んでいる。
彼女の笑顔。透き通る歌声。毎晩、タクトの孤独を癒してくれた、画面の中の光。
でも。
まりあは、ユイに一番知られたくないと言っていた。
自分の病のこと。声が出ないこと。そして、タクトへの恋心を。
(ユイに伝えることは、まりあをさらに深く傷つける)
指が、震える。
タクトは、スマホを布団に叩きつけた。
ごす、と鈍い音。
布団に突っ伏す。
涙が、ほおを伝った。
声にならない叫びが、喉の奥で潰れた。
その頃、まりあのスマホには、三つのメッセージが届いていた。
「才能を捨てたあんたが、なんでユイと話せてるの。ふざけないで」
「私たちを捨てた歌姫は、どうして平気で生きてるの」
「あなたの声、もう聴きたくない」
まりあは、ベッドの上で膝を抱えた。
声を失くした喉を押さえ、携帯のメッセージ欄に、指で文字を打ち込む。
「みんなの前で、もう一度歌えたら」
送信ボタンには、触れない。
そのまま、指で文字を消した。
静かな夜だった。
窓の外から、風の音が聞こえる。
まりあは、一人、涙も出ないまま、喉の奥を押さえていた。Noveliaとは?
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