追放された無能の魔導士、真実の力で復讐を果たす
紋級一級――それはこの世界で「無能」の烙印を押される数字。カイルは三年間、パーティー「暁の牙」の囮として迷宮に縛りつけられ、笑われ続けてきた。手首に食い込む縄、焼けつくような火傷の痕、そして「無能は荷物だ」と吐き捨てるリーダー・ゲイルの声。それでも彼は怒らなかった。怒れば、もっと悪くなるから。ただ静かに、心の奥底で何かを澱ませながら耐えていた。
だが、五頭のシャドウハウンドに囲まれたその瞬間、カイルの胸の奥で「何か」が脈打つ。薄く消えた紋の痕の真下で、栓をされた力がほんの僅かに目を覚ました――。
これは、捨てられた男が「真実の力」で復讐を果たす物語。だがその復讐は、単なる逆襲ではない。彼を信じ、涙を流した一人の治癒師の存在が、凍りついた心を少しずつ溶かしていく。迷宮の闇に隠された、もう一つの真実とは。そして、カイルの紋に隠された秘密とは――。
読み始めたら最後、続きを止められない。王道ファンタジー復讐譚、ここに開幕。
追放された無能の魔導士、真実の力で復讐を果たす - 紋を分け与える夜 ―― 封印が砕けるとき
夜の森は、まだ深かった。
封紋の塔の前。土の上に倒れたままのカイルの体を、冷たい空気が包んでいた。黒に近い濃紺の髪が泥に汚れ、灰色の瞳は半開きのまま、何も映していない。継ぎ接ぎだらけの魔導士ローブは、封印紋の発動で焼け焦げ、あちこちが破れていた。
指先の感覚は、もうなかった。
手足の先から、体温が抜けていく。まるで自分の体が、土に溶けていくような感覚。耳の奥で、ゲイルの高笑いがまだ響いている。セラフィナの微笑みが、まぶたの裏に焼きついている。
(これで、俺は)
(本当に、無能になった)
心の中で、そう呟いた。声にはならなかった。喉が張りついて、息をすることさえ重い。
(リゼットは、助かった)
(それで、いい)
(それだけで、いいはずだ)
そう思おうとした。でも、胸の奥の、もっと深い場所で、何かが静かに叫んでいた。
(違う)
(俺は、無能じゃなかった)
(俺の紋は、薄くなんてなかった)
(俺は、力を、封じられていた)
(そして、今、その力は、本当に消えた)
(ゲイルの手で)
(セラフィナの笑顔の前で)
カイルの目から、涙が溢れた。声もなく、静かに、涙だけが頬を伝って土に落ちた。
——その時だった。
「カイルさん!」
叫び声。かすれた、悲痛な声。
土を踏む足音。よろめきながら、何かが近づいてくる。栗色の三つ編みが、夜の闇の中で揺れていた。大きな茶色の瞳が、涙で濡れている。治癒師の法衣は、泥と薬草の汁で汚れ、袖口が破れていた。右のこめかみの古傷が、月明かりに白く浮かぶ。
リゼットだった。
解毒の副作用で、足元がふらついている。それでも彼女は、カイルの傍らに崩れるように膝をついた。
「カイルさん……カイルさん!」
リゼットの震える手が、カイルの頬に触れた。温かい手だった。凍えかけていたカイルの肌に、その温かさが染み込んでいく。
「……リゼット」
カイルの唇が、かすかに動いた。声は、空気を震わせるのがやっとだった。
「よかった……目が、覚めたんですね。私、私、あなたが倒れてるのを見て……もう、心臓が止まるかと思いました」
リゼットの涙が、カイルの頬に落ちた。温かい。その温かさだけが、カイルを現実に繋ぎ止めていた。
「……リゼット。お前、体は、もう」
「私は大丈夫です。解毒は、済んだんです。それより、カイルさん。あなたの体が……紋が、紋がどこにも……」
リゼットの指が、カイルの首筋をなぞった。
そこには、何もなかった。
三年間、確かにあったはずの、薄く消えた紋の痕。首筋から鎖骨にかけて走っていた、かすかな凹凸。それが、きれいに消え去っていた。
「カイルさん……あなた、私のために、自分の紋を……全部、差し出したんですか」
カイルは、答えなかった。答える力が、残っていなかった。
リゼットの指先が、カイルの首筋を、何度も、何度もなぞる。消えた紋の痕を、確かめるように。
(この人は、私のために)
(自分のすべてを、差し出した)
リゼットの胸の奥で、何かが、激しく脈打った。
(私が、毒なんかに倒れたから)
(私が、弱かったから)
(この人は、自分の力を、全部、失った)
リゼットは、唇を噛んだ。血の味がした。
(違う)
(私が、守らなきゃ)
(今度は、私が、この人を守る番だ)
リゼットの指先が、カイルの首筋の一点で、ぴたりと止まった。
月明かりの下、カイルの皮膚の上に、かすかな刻印が浮かび上がっていた。
封印の痕。
王宮魔導院の意匠。
螺旋と直線が組み合わさった、複雑な紋様。カイルの首筋に、白く、消えない烙印のように残っている。
「これ……王宮魔導院の、封印刻印……」
リゼットは、息を止めた。
治癒師としての知識が、その刻印の意味を告げていた。
(この刻印は、ただの封印じゃない)
(王宮魔導院が、正式な手続きで、この人の紋を封じた証)
(なぜ、カイルさんに、こんなものが)
リゼットの頭の中で、疑問が渦巻いた。
(カイルさんは、紋量計で「一」と出る、最低の紋だって言われてた)
(でも、王宮魔導院が、わざわざ封印を施す相手なんて)
(紋が薄いだけの、ただの無能な冒険者に、こんな刻印を刻むはずがない)
リゼットは、カイルの顔を見た。
灰色の瞳は、虚ろに空を見つめている。何も映していない。何も語らない。
「カイルさん……あなた、いったい、何者なんですか。どうして、あなたの首筋に、王宮魔導院の封印が……」
カイルは、答えなかった。
答えられなかった。
(俺は、何者だ)
(俺は、誰なんだ)
カイル自身にも、分からなかった。
リゼットは、しばらくカイルの顔を見つめていた。
そして、ゆっくりと、首を振った。
「……いいえ。今は、そんなことより」
リゼットは、カイルの体を、そっと抱き起こした。
カイルの体は、驚くほど軽かった。骨と皮ばかりで、筋肉が落ちている。三年間、囮として使い潰されてきた体。ろくに食事も与えられず、回復魔法も後回しにされてきた体。
(この体で、よく生きてきた)
(この体で、私を、守ろうとした)
リゼットの胸が、締めつけられるように痛んだ。
「カイルさん。私、今から、あなたに、私の紋を分け与えます」
リゼットの声は、震えていなかった。
カイルの目が、わずかに動いた。
「……リゼット。何を、言ってる」
「治癒師の紋は、薄いです。戦闘にも、攻撃魔法にも、向いていません。でも、一つだけ、誰にも真似できないことがあるんです」
リゼットは、自分の胸元に手を当てた。
「治癒師の紋は、他者に分け与えることができる。自分の命を削って、他人の命を繋ぐことができる。それだけが、治癒師の、唯一の力なんです」
「……やめろ。お前の紋を削れば、お前の寿命が」
カイルの声は、かすれていた。
「知っています。紋を削れば、寿命が縮む。治癒師の紋は、消耗が激しくて、寿命を縮めると言われてる。……でも、それでも」
リゼットは、カイルの手を握った。
「カイルさん。あなたは、私のために、自分の紋を全部、差し出した。あなたの力のすべてを、私の命と引き換えに、失った。……だったら、今度は、私の番です」
リゼットの瞳は、まっすぐにカイルを見つめていた。
大きな茶色の瞳が、涙で潤みながらも、強い意志を宿している。
「……リゼット。お前、本気で」
「本気です。私、一度決めたことは、曲げません」
リゼットは、微笑んだ。
「カイルさん。あなたは、私を信じてくれました。私が毒に倒れた時も、私を助けるために、自分のすべてを差し出してくれました。……だから、今度は、私があなたを信じる番です。私の紋を、あなたに分け与えます。そうすれば、あなたの中の封印が、砕けるはずです」
「……なぜ、そう思う」
「分かるんです。治癒師としての勘、と言えばいいのかな。あなたの首筋の封印刻印は、まだ完全には消えていません。王宮魔導院の封印は、外から強い魔力を流し込めば、内側から砕けることがあるんです。……私の紋は薄いけど、分け与えることだけは、誰にも負けません」
リゼットは、カイルの首筋に、そっと掌を当てた。
封印刻印の上に、リゼットの温かい掌が重なる。
「いきます。……少し、痛いかもしれません。でも、我慢してください」
リゼットは、目を閉じた。
(私の紋を、削る)
(私の命を、削る)
(それで、カイルさんが助かるなら)
(それで、カイルさんが立ち上がれるなら)
(私の命なんて、惜しくない)
リゼットの掌が、淡い光を放ち始めた。
温かい、黄金色の光。治癒師の紋が、リゼットの胸元から、ゆっくりと浮かび上がる。
リゼットの胸元の紋が、光の粒となって、カイルの首筋の封印刻印に流れ込んでいく。
「……リゼット、やめろ。お前の紋が、消える」
「大丈夫です。紋は、削っても、また少しずつ戻りますから。……治癒師の紋は、そういう風にできてるんです」
リゼットの声は、優しかった。
でも、その顔色は、みるみる青ざめていく。
(嘘だ)
(治癒師の紋が、削って戻るなんて、聞いたことがない)
カイルは、心の中で叫んだ。
(リゼットは、自分の寿命を、俺に分け与えている)
(俺のために、自分の命を、削っている)
カイルの目から、涙が溢れた。
「……リゼット。もう、やめてくれ。俺なんかのために……」
「カイルさんは、俺なんか、じゃないです。カイルさんは、私が、信じた人です。私が、守りたい人です」
リゼットの掌から、光が、さらに強く流れ込む。
カイルの首筋の封印刻印が、その光を吸い込んでいく。
刻印が、熱い。
焼けるように、熱い。
「……ぐっ」
カイルの体が、跳ねた。
封印刻印が、内側から、軋む。
(何かが、来る)
(俺の中の、奥深くで、何かが、動き出す)
カイルの胸の奥で、栓をされていた何かが、音を立てて、ひび割れていく。
「カイルさん! そのまま、受け止めて! 私の紋を、あなたの封印に、ぶつけます!」
リゼットが、叫んだ。
瞬間。
リゼットの掌から、黄金色の光が、爆発した。
光が、カイルの首筋の封印刻印に、深く、深く、突き刺さる。
——パキン。
何かが、砕けた。
カイルの体内で、封印紋が、砕け散った。
(ああ)
(これは)
(俺の中に、ずっと、あったものだ)
カイルの胸の奥から、魔力が、噴き上がった。
栓をされていた、三年分の、いや、もっと長い年月の、膨大な魔力。
それが、一気に、解き放たれた。
「うわっ!」
リゼットの体が、吹き飛ばされた。
カイルの体から溢れ出した魔力の波が、周囲の空気を、激しく震わせる。
地面が、揺れた。
塔の周囲の枯れ木が、一斉に、芽吹いた。
茶色く枯れ果てていた枝から、新緑の葉が、次々と開いていく。
石畳に、亀裂が走った。
カイルの魔力が、地面を這い、石を割り、土を耕し、生命を呼び覚ましていく。
「……ああ、あああああっ!」
カイルは、叫んだ。
体中を、魔力が駆け巡る。
熱い。
痛い。
でも、気持ちいい。
封じられていたものが、自分の体の中に、戻ってくる。
(これが、俺の、力)
(これが、俺の、紋)
(俺は、無能なんかじゃ、なかった)
カイルは、地面に手をついて、ゆっくりと、立ち上がった。
足が、震える。
体が、まだ、言うことを聞かない。
でも、立てる。
自分の意志で、立てる。
三年間、囮として使い潰され、本物の無能にされた男が、今、自分の足で、立っていた。
「カイルさん……」
リゼットは、地面に倒れたまま、カイルを見上げていた。
顔色は、紙のように白い。
紋を削った代償に、体力も、生命力も、大きく消耗している。
それでも、リゼットは、笑った。
「よかった……。カイルさん、立てたんですね。……よかった」
リゼットの笑顔は、今にも消えそうだった。
カイルは、リゼットの傍らに、ふらふらと歩み寄った。
「……リゼット」
カイルは、リゼットの手を取った。
リゼットの手は、冷たかった。
さっきまで、あんなに温かかったのに。
「……ありがとう」
カイルの声は、震えていた。
「……どういたしまして。カイルさん。あなたは、私の、恩人ですから」
リゼットは、カイルの手を、握り返した。
弱々しい力だった。
でも、確かに、温かさが、残っていた。
「……リゼット。俺は、これから、ゲイルのところへ行く」
カイルは、静かに言った。
「……え?」
リゼットの目が、見開かれた。
「ゲイルと、セラフィナに、俺が三年間、囮にされてきた記録を、突きつける。依頼書も、置き去りにされた場所の地図も、お前が毎回、俺に回復をかけてくれた痕跡も、全部、揃える」
カイルの声は、淡々としていた。
怒りに震えているわけでも、復讐に燃えているわけでもない。
ただ、静かだった。
「……でも、カイルさん。ゲイルさんは、剣士です。セラフィナさんは、紋が濃い魔導士です。今のあなたの状態で、正面から戦っても……」
「戦わない。俺は、攻撃なんてしない。俺がやるのは、記録を、ギルドの受付に突きつけることだ。それだけだ」
カイルは、リゼットの手を、しっかりと握った。
「ゲイルは、紋の弱い奴の言い分なんて、誰が信じるって、笑うだろう。でも、記録があれば、話は別だ。依頼書に残された、囮の役割。置き去りにされた場所の地図。そして、お前の治癒の痕跡。……証拠は、揃ってる」
カイルの灰色の瞳が、まっすぐに、夜の闇を見つめていた。
「……カイルさん。あなたは、強い人ですね」
リゼットは、微笑んだ。
「私、あなたを信じて、本当に良かった」
リゼットの声は、かすかに震えていた。
カイルは、リゼットの手を、そっと離した。
「リゼット。お前は、ここで休んでろ。俺が、終わらせてくる」
「いいえ。私も行きます。私、治癒師です。カイルさんに、何かあったら、すぐに回復をかけられるように、そばにいます」
リゼットは、ふらふらと立ち上がった。
足元が、おぼつかない。
カイルは、リゼットの肩を、支えた。
「……無理するな」
「無理してません。私、カイルさんと一緒に行きます。……行きましょう、タルヴァの町へ」
リゼットの瞳は、まだ青白い顔の中で、力強く輝いていた。
カイルは、小さく、うなずいた。
二人は、封紋の塔を背に、タルヴァの町へ向かって、歩き出した。
夜明け前の森は、静かだった。
カイルの足元で、踏みしめた草が、芽吹いていた。
——
タルヴァの町に着いたのは、空が白み始めた頃だった。
アッシュ川の支流に沿って建てられた交易町は、まだ眠っていた。朝の市場も、露店も、まだ開いていない。石畳の道を、二人の足音だけが、静かに響いていく。
カイルは、ギルドの支部へ向かって歩いた。
冒険者ギルド「アルカス同盟」の支部。
その扉の前で、カイルは足を止めた。
手には、一束の羊皮紙。
三年間、カイルが囮として使われてきた記録。
依頼書。置き去りポイントの地図。リゼットが毎回、回復に駆け寄った痕跡の記録。
カイルは、それらを、ギルドの受付に突きつけるために、ここに来た。
「……行くぞ」
カイルは、リゼットに、小さく声をかけた。
リゼットは、カイルの隣で、こくりとうなずいた。
カイルが、ギルドの扉に手をかけた。
その時だった。
「あら、カイルさん。おはようございますわ」
甘い声。
カイルの背筋を、冷たいものが走った。
振り向く。
ギルドの入り口の柱の影から、銀色の長い巻き髪を揺らした女が、ゆっくりと現れた。
切れ長の紫の瞳。左の鎖骨に、深く濃い紋。常に薄く笑っている、その笑顔のまま、目だけが笑っていない女。
セラフィナ。
「……セラフィナ」
カイルは、静かに、女の名を呼んだ。
「まあ、怖い顔。せっかくの朝ですのに、そんなに睨まないでくださいな。……あら、リゼットさんもご一緒ですのね。お体は、もうよろしいんですの?」
セラフィナは、リゼットを一瞥した。
その瞳には、嘲笑の色が、ちらりと浮かんでいる。
「……お前には、関係ない」
カイルは、低く言った。
「まあ、つれないですわね。……でも、カイルさん。あなた、何か、変わりましたわね。……ええ、分かりますわ。私、魔導士ですもの。魔力の気配には、敏感なんですのよ」
セラフィナの笑顔が、深くなった。
「あなたの中に、とても強い魔力が流れている。昨夜までは、あんなに空っぽだったのに。……一体、何があったんですの? ねえ、教えてくださいな。あなたのその、首筋の、刻印のことも」
セラフィナの紫の瞳が、カイルの首筋を、ねめつけるように見た。
カイルは、首筋に手をやった。
封印刻印は、まだ、そこにある。
リゼットの紋を受け取った後も、王宮魔導院の意匠は、白く、消えずに残っていた。
カイルは、刻印を隠すように、魔導士ローブの襟を、引き寄せた。
「……お前には、話すことなんて、何もない」
カイルは、ギルドの扉に、再び手をかけた。
「あら、そう。……でも、カイルさん。あなた、これからギルドの中で、何をするおつもりですの? まさか、ゲイルさんのことでも、訴えるおつもりじゃなくて?」
セラフィナの声が、わずかに、低くなった。
「やめておいた方が、よろしくてよ。紋の薄い、いえ、紋のない、ただの無能の男の言い分なんて、誰も信じませんわ。……それに、あなたのその手に持っているもの。それが何かは、だいたい想像がつきますの。でも、そんなものを出したところで、あなたが余計に傷つくだけですわよ」
セラフィナは、カイルの手に持った羊皮紙の束を、見つめた。
「……どいてくれ」
カイルは、静かに言った。
声は、張っていなかった。
でも、その声には、昨夜までにはなかった、確かな力が、込められていた。
セラフィナの笑顔が、一瞬、凍った。
「……あら」
セラフィナは、カイルの目を、まじまじと見た。
灰色の瞳。
昨夜まで、虚ろに、何も映していなかった瞳。
今、その瞳は、まっすぐに、セラフィナを見据えていた。
「……お前が、何を企んでるかは、知ってる。リゼットに毒を盛ったのも、俺の紋を奪おうとしたのも、全部、お前だ。……でも、今は、それどころじゃない。俺は、記録を、ギルドに突きつける。お前が何をしようと、俺は、やる」
カイルの声は、淡々としていた。
でも、その一言一言が、セラフィナの笑顔を、少しずつ、削っていく。
「……カイルさん。あなた、本気ですのね」
セラフィナの笑顔が、消えた。
「でしたら、私も、考えを改めなければなりませんわね。……あなたのその、首筋の刻印。王宮魔導院の封印。……あれが、何を意味するのか。あなた、ご自分では、ご存じないのでしょう?」
セラフィナの紫の瞳が、カイルの首筋を、射抜くように見た。
「あの刻印は、王宮魔導院が、正式な手続きで、あなたの紋を封じた証。……つまり、あなたは、魔導院に、目をつけられている。あなたのその、溢れ出した魔力。あれは、魔導院が、封じようとしたもの。……あなた、これから、とんでもないところに、足を踏み入れようとしているんですのよ」
セラフィナの声は、低く、甘く、しかし冷たかった。
「……だから、何だ」
カイルは、セラフィナの目を、見返した。
「魔導院が、俺を封じた。俺の紋を、薄く見せた。……それで、俺は、三年間、無能と笑われて、囮にされた。……だったら、俺は、その魔導院とやらにも、いずれ、問いたださなきゃならない。……でも、今は、その前だ。まずは、ゲイルと、お前に、けじめをつける」
カイルの声は、静かだった。
でも、その静けさが、かえって、恐ろしかった。
セラフィナは、一歩、後ろに下がった。
「……カイルさん。あなた、変わったわ。昨日までのあなたとは、別人のようですわ」
セラフィナの声に、初めて、わずかな動揺が混じった。
「……俺は、何も変わってない。ただ、自分の足で、立つことを、思い出しただけだ」
カイルは、そう言って、ギルドの扉を、押し開けた。
ギィ、と、蝶番が軋む。
朝の光が、ギルドの中に、差し込んだ。
「……カイルさん」
リゼットが、カイルの袖を、そっと引いた。
「私、あなたの隣にいます。何があっても、あなたを信じます」
リゼットの声は、小さかった。
でも、確かに、カイルの胸に、届いた。
カイルは、リゼットの手を、そっと握り返した。
「……ああ。行こう」
二人は、ギルドの中へ、踏み出した。
セラフィナは、その後ろ姿を、じっと見つめていた。
笑顔は、もう、なかった。
「……面白くなってきましたわね。カイルさん。……あなたのその、封印の刻印。王宮魔導院が、放っておくはずがありませんわ。……ええ、そうよ。私が、教えて差し上げましょう。あなたが、何者なのかを」
セラフィナは、そう呟くと、ギルドの前から、ゆっくりと、離れていった。
朝の町に、銀色の巻き髪が、消えていく。
——
ギルドの中は、静かだった。
朝早く、まだ、冒険者たちは、ほとんど来ていない。
受付のカウンターには、支部長のミレーヌが、一人で座っていた。
赤毛の女性。三十代半ば。鋭い目つきで、カイルとリゼットの姿を、じっと見た。
「……お前ら、朝早くから、何の用だ」
ミレーヌの声は、低かった。
カイルは、ミレーヌの前に、ゆっくりと歩み寄った。
手に持った羊皮紙の束を、カウンターの上に、置いた。
「……これを見てほしい」
カイルは、静かに言った。
「何だ、これは」
ミレーヌは、羊皮紙の束を、手に取った。
「俺が、三年間、暁の牙で、囮として使われてきた記録だ。依頼書。置き去りにされた場所の地図。治癒師が、毎回、俺に回復をかけた痕跡。……全部、揃ってる」
カイルの声は、淡々としていた。
ミレーヌは、羊皮紙を、一枚、一枚、めくっていった。
その顔色が、少しずつ、変わっていく。
「……これは、本当なのか」
ミレーヌの声が、低くなった。
「本当だ。俺は、三年間、無能と呼ばれて、魔物の前に、縛りつけられてきた。……紋が薄いから、それで、当然だって、笑われてきた。……でも、それは、違う。俺は、囮にされたんだ。暁の牙の、ゲイルと、セラフィナに」
カイルは、ミレーヌの目を、まっすぐに見た。
「……証拠は、ここにある。俺の首筋には、王宮魔導院の、封印の刻印が、残ってる。……俺の紋は、最初から、薄くなんてなかった。封じられてたんだ。……それを、ゲイルたちは、知ってて、俺を、囮にした」
カイルは、魔導士ローブの襟を、少し、ずらした。
首筋の、白い刻印が、朝の光に、浮かび上がる。
ミレーヌは、刻印を見た。
「……王宮魔導院の、封印刻印。……本物だな。……お前、いったい、何者なんだ」
ミレーヌの目が、カイルを、探るように見た。
「……俺にも、分からない。……でも、今は、それより、この記録を、受け取ってほしい。暁の牙が、何をしてきたか。それを、ギルドとして、どう扱うか。……それを、決めてほしい」
カイルの声は、静かだった。
ミレーヌは、しばらく、羊皮紙の束を、見つめていた。
そして、ゆっくりと、うなずいた。
「……分かった。この記録は、預かる。ギルドとして、正式に、調査を始める。……カイル。お前、よく、生きて帰ってきたな」
ミレーヌの声が、わずかに、震えた。
「……別に、気にするな」
カイルは、小さく、そう言った。
リゼットが、カイルの隣で、静かに、涙を流していた。
——
ギルドを出ると、朝の光が、町を包んでいた。
市場の露店が、少しずつ、開き始めている。
果物の匂い。焼きたてのパンの匂い。川の水の匂い。
タルヴァの町が、目を覚ましていく。
カイルは、ギルドの前で、立ち止まった。
「……リゼット」
「はい、カイルさん」
リゼットは、涙を拭いて、カイルを見上げた。
「……お前の紋を、もらった。お前の寿命を、削って、俺は、立ち上がった。……だから、俺は、これから、お前の分まで、生きる。お前が、俺に、分け与えてくれた、その命を、無駄にしない」
カイルの声は、静かだった。
でも、その言葉は、重かった。
リゼットは、微笑んだ。
「……はい。私も、カイルさんの隣で、生きていきます。……あなたが、何者であっても、あなたを信じます。……だから、カイルさん。あなたも、私を、信じてくださいね」
リゼットの声は、柔らかかった。
カイルは、リゼットの手を、そっと握った。
「……ああ。……信じるよ」
カイルの声は、小さかった。
でも、その言葉には、昨夜までなかった、確かな温かさが、込められていた。
朝の光が、二人を、静かに照らしていた。
カイルの首筋の刻印が、光の中で、白く、静かに、輝いていた。
それは、まるで、これから始まる、何かの、始まりの印のように。Noveliaとは?
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