禁断の恋
ホグワーツ魔法魔術学校に進級した三年目の新学期初日、私は最悪の知らせを聞いた。アズカバン刑務所を脱獄した殺人犯、シリウス・ブラックが私を狙っているらしい。しかも彼は、私の両親を殺した犯人だった。
恐怖で眠れない夜、新しい闇の魔術に対する防衛術の教師が現れた。名前はリーマス・ルーピン。擦り切れたローブを纏い、疲れた顔をした年上の男性。でも彼の授業は、これまで受けたどんな授業よりも面白かった。ボガートを笑い飛ばす呪文、グリフィンドールの剣の扱い方、あらゆる実践魔法。気づけば私は彼の授業を楽しみにしていた。
ある満月の夜、私は偶然教授の秘密を知ってしまった。彼は人狼だった。満月のたびに理性を失い、怪物になる呪い。普通なら逃げ出すところだ。でも私の足は動かなかった。彼の瞳があまりにも悲しそうだったから。
「知ってしまったんだな」と教授は震える声で言った。私は首を振り、一歩近づいた。
「怖くないのか?」
「怖いです。でも、先生のほうがもっと怖いんでしょう?」
その夜から、私たちの秘密の時間が始まった。誰にも知られてはいけない関係。禁断の恋。生徒と教師。人間と人狼。決して越えてはならな
禁断の恋 - 虚偽の手紙——どん底の夜、死を思う
十月のホグワーツは、もう冬の入り口に片足を突っ込んでいた。
朝の大広間は冷え切っていて、石の壁から沁み出す寒さがローブの下にまで這い込んでくる。天井に映る空は低く垂れ込めた灰色で、今にも雨が降り出しそうだった。
フィアンナ・マクレガーはグリフィンドールの長テーブルの端に座り、温かいオートミールをスプーンで掬っていた。周囲の席は、いつも通り彼女を避けるように空いている。隣に座ろうとする者はいない。ここ数週間で、それはもう当たり前の光景になっていた。
(狼人間の血を引く女)
(ルーピン先生に色目を使う不純な女生徒)
セラフィナ・マルフォイが撒いた二つの噂は、あっという間に校内を駆け巡り、今ではフィアンナの名前と切り離せないものになっていた。廊下を歩けば嘲笑が聞こえ、寮に戻れば同級生たちが目を逸らす。昨日まで挨拶を交わしていた顔が、今日はもう知らんぷりだった。
(それでも、私は)
フィアンナは唇を引き結び、オートミールを口に運んだ。味はしなかった。
その時だった。
大広間の入り口付近、掲示板の前から、ざわり、と空気が波立つような気配がした。
「おい、これ見ろよ」
「なんだこれ……マクレガーが書いたのか?」
「ルーピン先生宛てだってよ。マジかよ」
フィアンナの手が止まった。
スプーンを置く。椅子を引く音が、やけに大きく響いた。
人だかりをかき分けるようにして、掲示板の前まで歩く。生徒たちが彼女に気づき、さっと道を開けた。その視線のすべてに、好奇と軽蔑と、薄ら笑いが浮かんでいる。
掲示板に、一枚の羊皮紙が貼られていた。
見覚えのある文字。
(……これは)
心臓が、ぎゅっと握り潰されたみたいに縮んだ。
『ルーピン先生へ。あなたの狼人間の呪いを治す方法を、一緒に探したいのです。あなたのすべてを知りたいの。フィアンナ・マクレガー』
書かれている内容も、文字の形も、すべてが彼女のものだった。
でも、書いた覚えはない。
「……違う。私、こんな手紙、書いてない」
声が震えた。スコットランド訛りが、恐怖で強く滲む。
「へえ、じゃあ誰が書いたんだよ。お前の筆跡だろ、これ」
「狼人間の呪いを治す? ルーピン先生が狼人間なのか? それとも、お前がそう思い込んでるだけか?」
「先生に色目使って、しかも狼人間扱いするって、どんだけ図々しいんだよ」
ざわめきが広がる。
「狼人間の呪いを治す?」
「ルーピン先生が?」
「マクレガーが先生に色目を使ったのか」
「気持ち悪い」
「最低」
声が、四方八方から降り注ぐ。
フィアンナは掲示板から手紙を剥がし、自分の手で握り潰した。羊皮紙の感触が、やけに生々しく手のひらに食い込む。
「これは、私が書いたものじゃない。誰かが、私の筆跡を真似たのよ」
彼女は周囲を見渡した。誰か、信じてくれる人はいないのか。
だが、返ってきたのは嘲笑だけだった。
「お前の字だろ。誰が信じるんだよ」
「孤児のくせに、先生に手を出すなんて身の程知らずもいいところだな」
「あのあざのせいで、化け物の血が騒ぐんだろ」
フィアンナは唇を噛み締めた。鉄の味がした。
(違う)
(違うのに)
(誰も、信じてくれない)
彼女は握り潰した手紙を胸に抱え、大広間を後にした。後ろから追いかけてくる嘲笑を、振り切るように。
午前の授業は、何ひとつ頭に入らなかった。
変身術の教室で、マクゴナガル先生が何かを講義していた。黒板に書かれた図も、先生の声も、すべてが遠い。
(あの手紙は、誰が)
(あの筆跡は、完璧だった)
(私の字を、あそこまで真似られる人間)
答えは、すぐに浮かんだ。
セラフィナ・マルフォイ。
あの女なら、やりかねない。いや、あの女以外にいない。
フィアンナは、教室の反対側に座るセラフィナを盗み見た。銀色がかったプラチナブロンドの髪は今日も完璧に手入れされ、氷のような青灰色の瞳は涼しげに前を向いている。優雅な横顔。
(あんたがやったのね)
視線に気づいたのか、セラフィナがゆっくりと振り向いた。
目が合う。
セラフィナは、ほんの少しだけ、口元を歪めた。
笑ったのだ。
フィアンナにだけ見える、毒のような微笑み。
(やっぱり)
(あんたなのね)
フィアンナは拳を握り締めた。爪が手のひらに食い込む。痛みで、かろうじて怒りを抑え込む。
昼休み。
フィアンナは職員室に呼び出された。
「座りなさい」
マクゴナガル先生の声は、いつも以上に冷たかった。
フィアンナは、職員室の硬い椅子に腰を下ろした。部屋の中には他に誰もいない。窓から差し込む昼の光が、マクゴナガル先生の銀縁眼鏡に反射して、表情を読み取らせない。
マクゴナガル先生は、机の上に一枚の羊皮紙を置いた。
朝、フィアンナが掲示板から剥がした手紙。握り潰した跡が、くっきりと残っている。
「これが、今朝、校内の三箇所に貼り出されていた。大広間の掲示板、グリフィンドール女子寮、そしてスリザリン共用室前」
フィアンナは、喉の奥が締まるのを感じた。
(三箇所も)
「この筆跡は、あなたのものと一致している」
「違います。私、書いてません。あれは、誰かが私の筆跡を真似たんです」
マクゴナガル先生の眉が、ぴくりと動いた。
「誰が、何のために」
「……セラフィナ・マルフォイです。彼女が、私を陥れるために」
沈黙。
マクゴナガル先生は、しばらくフィアンナを見つめていた。
「マルフォイ嬢が、あなたの筆跡を完璧に模写できると?」
「……できます。彼女なら」
「証拠は」
フィアンナは、言葉に詰まった。
証拠なんて、ない。
「あなたの状況は、私も把握している」
マクゴナガル先生の声が、一段低くなった。
「ここ数週間、あなたに関する不穏な噂が校内を飛び交っている。狼人間の血を引いているという噂。ルーピン教授との不適切な関係を疑う声。そして、この手紙だ」
彼女は、机の上の手紙を指先で叩いた。
「これは、教師への不適切な接触だ。虚偽の申し立てによる教授の名誉毀損とも取れる。もしこの手紙が本当にあなたのものでないなら、なぜあなたの筆跡と完全に一致するのか説明してもらいたい」
「……説明、できません。でも、書いてないんです。信じてください」
涙が、滲み出た。
(泣くな)
(ここで泣いたら、もっと疑われる)
でも、止まらなかった。
マクゴナガル先生は、深いため息をついた。
「マクレガー。これ以上嘘を重ねるなら、更なる処分を検討せざるを得ない」
「嘘じゃ、ありません」
「では、もう一つ聞く」
マクゴナガル先生の目が、フィアンナの左肩に注がれた。
「あなたの左鎖骨のあざについて、生徒たちが不穏な噂をしている。狼人間の呪いの証だ、と。本当なのか。正直に答えなさい」
フィアンナの全身が、凍りついた。
(あざの、意味)
(私にも、分からない)
三歳の頃から、ずっとあるあざ。孤児院のシスターたちは「生まれつきのものだ」と言っていた。でも、それが何を意味するのか、誰も教えてくれなかった。
「……分かりません。私にも、分からないんです」
マクゴナガル先生は、長い沈黙の後、静かに言った。
「下がりなさい」
フィアンナは立ち上がった。
足が、震えている。
「マクレガー」
背中に、声がかかった。
「私は、あなたのことをグリフィンドールの生徒として、誇りに思っていた。……今も、そう信じたい」
振り返ることができなかった。
フィアンナは、職員室の扉を開けて、廊下に逃げ出した。
放課後。
フィアンナは、自分の足がどこに向かっているのかも分からないまま、城の廊下を歩いていた。
(マクゴナガル先生にも、疑われた)
(あの人は、私を信じようとしてくれていたのに)
(それすら、もう)
廊下の窓から、冷たい風が吹き込む。十月の空は、朝よりもさらに暗く沈んでいた。雨が、ぽつりぽつりと降り始めている。
「おい、見ろよ。噂の狼女だ」
声。
フィアンナが顔を上げると、廊下の向こうからスリザリンの上級生が五人、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。
(まずい)
彼女は足を速めた。でも、相手の方が速かった。
五人が、フィアンナの前後左右を囲む。
「どこ行くんだよ、マクレガー」
「親のいない孤児が、先生に色目を使ってんじゃねえよ」
「化け物の血が騒ぐのか? 満月までまだあるぜ」
「あのあざ、呪いの証だろ。見せてみろよ」
フィアンナは、杖に手を伸ばした。
でも、多勢に無勢。それに、ここで魔法を使えば、余計に立場が悪くなる。
「……どいて。通してもらうわ」
声は、なんとか冷静さを保っていた。でも、心臓は早鐘を打っている。
「あ? なんだ、その目は」
上級生の一人が、フィアンナの胸元を突いた。
バランスを崩し、壁に背中を打ち付ける。
「教科書、持ってるよな。出せよ」
「……なんで」
「いいから出せ」
フィアンナの腕から、教科書が奪い取られた。
「こんなの、いらねえだろ。狼女に勉強なんて」
上級生が、教科書を床に叩きつけた。
バサッ、と音を立てて、ページが散る。
別の上級生が、それを踏みつけた。
「あーあ、汚れちまったな」
「グリフィンドールも、こんなの拾って可哀想によ。呪われた血の孤児を寮に入れるなんて、勇気と騎士道の精神も落ちたもんだ」
笑い声。
フィアンナは、壁に背中をつけたまま、踏みにじられる自分の教科書を見つめていた。
(反撃、したい)
(でも、できない)
(私が魔法を使えば、それは「狼人間の血が暴れた」ってことになる)
(もっと、追い詰められる)
杖を握る手が、震えていた。
その時だった。
廊下の反対側から、足音が聞こえた。
フィアンナは、反射的にそちらを見た。
リーマス・ルーピン先生だった。
古いローブを纏い、疲れた顔をした、あの温かい琥珀色の瞳の持ち主。
(先生)
助けて。
そう、叫びたかった。
でも、声は出なかった。
ルーピン先生は、フィアンナとスリザリン生たちの間で、一瞬、足を止めた。
その顔が、苦痛に歪む。
(先生、お願い)
(私を、見ないで)
(でも、助けて)
矛盾した想いが、胸の中でぐちゃぐちゃに絡み合った。
ルーピン先生は、何かを言おうとした。
口が、わずかに開いた。
でも、言葉は出なかった。
彼は、フィアンナから目を逸らした。
そして、何も言わずに、その場を去っていった。
足音が、遠ざかる。
フィアンナの目から、光が消えていった。
(先生も、私を)
(見捨てた)
スリザリン生たちの嘲笑が、遠くで聞こえる。
「あーあ、先生にも無視されてやんの」
「当然だろ。お前みたいなのが近づくから、先生も迷惑してるんだよ」
「ざまあみろ」
フィアンナは、壁にもたれたまま、ずるずると床に座り込んだ。
教科書は、泥だらけの靴跡をつけられて、ぐしゃぐしゃになっていた。
夜。
雨は、本降りになっていた。
フィアンナは、誰にも見つからないように城を抜け出し、暴れ柳の根元へと向かった。
(あそこなら、誰も来ない)
(あそこなら、一人になれる)
暴れ柳は、雨の中で狂ったように枝を振り回していた。でも、フィアンナは知っていた。根元の節くれを杖で突けば、柳は動きを止める。
(この前、見つけた)
(あの夜、逃げ込んだ場所)
彼女は震える手で杖を突き出し、柳を止めた。
そして、根元に開いた穴に、身を滑り込ませた。
地下トンネル。
冷たい。暗い。湿った土の匂い。
フィアンナは、壁に手をついて、奥へ奥へと進んだ。
(誰も、いない)
(ここには、誰も)
トンネルの突き当たり。
彼女は、壁にもたれて、ずるずると座り込んだ。
膝を抱える。
冷たい石の壁が、体温を奪っていく。
「……もう、誰も信じない」
声が、暗闇に反響した。
「誰も、愛さない」
涙が、止まらなかった。
「私、一人で生きていく」
(でも、本当は)
(一人は、嫌だ)
(寂しい)
(誰かに、そばにいてほしい)
(先生に、そばにいてほしい)
フィアンナは、左鎖骨のあざを、指でなぞった。
三日月の形。
冷たい。
(死にたい)
初めて、そう思った。
心の底から、本気で。
(もう、消えてしまいたい)
(誰の迷惑にもならないように)
(誰の目にも入らないように)
涙が、枯れるまで泣いた。
どれくらいの時間が経ったのか、分からない。
外では、雨がまだ降り続けているようだった。
(……でも)
フィアンナは、暗闇の中で、ふと顔を上げた。
(死ねない)
(だって、まだ)
(先生に、言いたいことがある)
(まだ、私の両親のことを、何も知らない)
(まだ、何も終わってない)
彼女は、震える足で、立ち上がった。
「……負けない」
小さな声。
「セラフィナにも、噂にも、この世界にも、負けない」
暗闇の中で、彼女の緑の瞳が、決意の光を宿した。
(私は、私の真実を知る)
(私のあざの意味も、両親の死の真相も、先生の秘密も、全部)
フィアンナは、トンネルの壁に手をついて、一歩踏み出した。
その時だった。
指先が、壁の表面の違和感に触れた。
(……何これ)
彼女は、暗闇の中で目を凝らした。
トンネルの奥深く。
壁の一部が、他とは違う。
表面が、わずかに滑らかで、そして——微かに光っている。
「ルーモス」
杖の先に、小さな光が灯った。
青白い光が、石壁を照らし出す。
そこには、古い魔法の刻印が刻まれていた。
「……なに、これ」
彼女は、光を近づけた。
四つの署名。
『ムーニー』
『ワームテール』
『パッドフット』
『プロングス』
そして、その下に。
『マローダーズ、ホグワーツを制覇せり』
フィアンナの指が、震えた。
(ムーニー)
(満月)
(狼人間)
心臓が、大きく跳ねた。
(これは、先生が……)
(ルーピン先生が、かつて使っていた)
(隠し通路の、手がかり)
彼女は、ローブの内ポケットに手を入れた。
狼人間の古文書の写し。
あの夜、禁じられた森の入り口で先生に渡そうとして、結局渡せなかったもの。
今は、自分で持っている。
フィアンナは、その羊皮紙を強く握りしめた。
「……先生が、どんな秘密を隠していても」
声が、暗いトンネルに溶けていく。
「私は、真実を知りたい」
杖の光が、石壁の刻印を照らし続ける。
四つの名前。
その中に、確かに、先生の面影があった。
外では、雨がまだ降っていた。
でも、フィアンナの心の中には、暗闇の中に差し込む一筋の光があった。
(これは、終わりじゃない)
(まだ、始まりなんだ)
彼女は、刻印に手を触れた。
冷たい石の感触。
でも、そこには確かに、かつて誰かが生きた痕跡があった。
(私も、いつか)
(ここに、自分の痕跡を残せるだろうか)
フィアンナ・マクレガーは、小さく息をついた。
雨音だけが、地下トンネルに静かに響いていた。Noveliaとは?
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