禁断の恋
ホグワーツ魔法魔術学校に進級した三年目の新学期初日、私は最悪の知らせを聞いた。アズカバン刑務所を脱獄した殺人犯、シリウス・ブラックが私を狙っているらしい。しかも彼は、私の両親を殺した犯人だった。
恐怖で眠れない夜、新しい闇の魔術に対する防衛術の教師が現れた。名前はリーマス・ルーピン。擦り切れたローブを纏い、疲れた顔をした年上の男性。でも彼の授業は、これまで受けたどんな授業よりも面白かった。ボガートを笑い飛ばす呪文、グリフィンドールの剣の扱い方、あらゆる実践魔法。気づけば私は彼の授業を楽しみにしていた。
ある満月の夜、私は偶然教授の秘密を知ってしまった。彼は人狼だった。満月のたびに理性を失い、怪物になる呪い。普通なら逃げ出すところだ。でも私の足は動かなかった。彼の瞳があまりにも悲しそうだったから。
「知ってしまったんだな」と教授は震える声で言った。私は首を振り、一歩近づいた。
「怖くないのか?」
「怖いです。でも、先生のほうがもっと怖いんでしょう?」
その夜から、私たちの秘密の時間が始まった。誰にも知られてはいけない関係。禁断の恋。生徒と教師。人間と人狼。決して越えてはならな
禁断の恋 - 真実の代償——狼の秘密と12年目の再会
夜が明ける前の、一番暗い時間だった。
ルーピンは乱れた息を整えながら、暴れ柳の根元に立っていた。昨日の夜から降り続いた雨はもう上がっている。地面はぬかるみ、冷たい泥の匂いが鼻をついた。
(ここだ)
太い根の一本が、昨夜の嵐で折れたように横たわっている。その下に、人が一人通れるだけの隙間があった。土の表面に、小さな指の痕が残っている。滑りながらも必死に潜り込んだ跡だ。
フィアンナが消えた。
夕食の時から姿が見えない。寮のベッドにも戻っていない。マクゴナガル先生は「心配ない、どこかで一人になっているだけだろう」と言ったが、ルーピンには分かっていた。あの子が行く場所は、一つしかない。
(なぜ、あんなことを言ってしまったんだ)
数日前、自分の口から出た言葉が、棘のように胸に刺さったままだった。
『君のためだ。もう、私に近づいてはいけない』
あの時のフィアンナの顔。深い緑の瞳が、見開かれて。唇が、何かを言おうとして、でも声にならなくて。
(私は、あの子を守るどころか、追い詰めてしまった)
ルーピンは古い杖を握りしめた。
「……頼む、無事でいてくれ」
彼は深く息を吸い込み、暴れ柳の根元の穴に身を滑り込ませた。
地下トンネルは、記憶よりもずっと狭く感じた。
冷たい石壁。湿った土の匂い。かがまないと頭がつかえてしまう。杖の先に灯した青白い光だけが、暗闇を切り取っていく。
(この道は、俺たちのものだった)
足を進めるたびに、記憶がよみがえる。
満月の夜、四人で駆け抜けたこのトンネル。先頭を走るシリウス。その背中を追いかけるジェームズ。ピーターはいつも最後尾で息を切らしていた。そして自分は、変身の痛みをこらえながら、それでも仲間がいることが嬉しかった。
「リーマス、お前のせいで毎月肝が冷えるんだよ」
「うるさいな。お前が勝手についてくるんだろ」
「当たり前だ。友達が一人で苦しむのを、黙って見てられるかよ」
ジェームズの声が、耳の奥で響く。
(あれから、十二年か)
ルーピンは足を止めた。
胸が、痛い。
シリウスが裏切った。ジェームズとリリーは死んだ。ピーターも死んだ。あの頃の自分たちは、もうどこにもいない。
それなのに、今、自分はこのトンネルを歩いている。あの頃と同じように。
(あの子を、見つけなければ)
ルーピンは再び足を動かした。
叫びの屋敷の地下は、記憶の中のままだった。
剥き出しの石壁。カビの匂い。天井から滴る水滴の音。そして、遠くから聞こえる風の音が、まるで誰かの泣き声のように響いている。
ルーピンは慎重に歩を進めた。杖の光を壁に這わせる。
そして、見つけた。
壁際に、小さく丸まっている影を。
「フィアンナ」
声をかけると、影がぴくりと動いた。
深い緑の瞳が、ゆっくりと持ち上がる。泣き腫らした目。乱れたダークブラウンの髪。制服は泥で汚れ、左の袖が破れている。
「……せん、せい」
声が、かすれていた。
ルーピンは胸が締めつけられる思いで、彼女に近づいた。
「大丈夫か。怪我はないか」
「……どうして、ここが」
「君を探していたんだ。寮にいないと聞いて、ここならと思った」
フィアンナは、壁に手をついて立ち上がろうとした。でも、足に力が入らないのか、その場に崩れそうになる。ルーピンは反射的に手を伸ばした。
「掴まって」
彼の手が、フィアンナの細い腕を支えた。
その時だった。
暗闇の奥から、足音が聞こえた。
違う。
足音じゃない。
爪の音だ。
石の床を、鋭い爪が擦る音。
ルーピンの体が、硬直した。
(この音は)
彼はフィアンナを背後に庇い、杖を構えた。青白い光が、暗闇を照らす。
そこに、いた。
大きな黒い犬。
痩せ細り、毛は汚れて絡まり、骨が浮き出ている。しかし、その灰色の瞳だけは、暗闇の中で異様な光を放っていた。
「……なに、この犬」
ルーピンは、声を失っていた。
(シリウス)
心臓が、激しく脈打つ。
その犬は、ルーピンをじっと見つめていた。
そして、次の瞬間。
犬の体が、ぐにゃりと歪んだ。
骨が鳴り、筋肉が蠢き、黒い毛が引っ込んでいく。四つ足が二本の脚に変わり、前足が腕に、獣の顔が人間の顔に変わっていく。
「なっ——」
フィアンナが息を呑む音がした。
そこに立っていたのは、一人の男だった。
ボサボサの黒い長髪。灰色が混じり、汚れているが、かつての面影は確かに残っている。落ち窪んだ灰色の瞳。左頬に深い傷。痩せ衰えた体を、ボロボロの囚人服が覆っている。
シリウス・ブラック。
「……久しぶりだな、リーマス」
低く、乾いた声だった。
ルーピンの手が、杖を握ったまま震えた。
「シリウス」
その名前を口にした瞬間、十二年分の感情が一気に押し寄せてきた。怒り。悲しみ。裏切り。そして、それでも消えない、友情の残骸。
「お前が、ここにいるとは思わなかった」
「俺もだ。まさか、お前がこの子の教師をやってるとはな」
シリウスの視線が、ルーピンの背後にいるフィアンナに向いた。
「お前が、フィアンナか」
フィアンナは、声を出せなかった。
目の前にいる男が、誰なのか。その意味が、頭の中でゆっくりと形になっていく。
アズカバンから脱獄した殺人犯。両親を殺した男。
「……来ないで」
声が震えた。スコットランド訛りが強く出る。
シリウスは、足を止めた。
「……怖がらなくていい。俺は、お前に危害を加えるつもりはない」
「嘘よ。あんたは、私の両親を殺したんでしょ」
シリウスの顔が、苦しげに歪んだ。
「……違う」
「違わない。みんな知ってる。あんたが、私の両親を殺したって」
「聞いてくれ。俺は、ジェームズとリリーを殺していない」
「信じられるわけない」
フィアンナは、ルーピンの背中に隠れながら、シリウスを睨みつけた。
「お前を殺したのは、ピーター・ペティグリューだ」
その言葉に、ルーピンの肩が震えた。
「ピーターは、死んだはずだ」
「死んでない。あいつは生きてる。十二年前、あの夜、あいつは自分がやったことを俺に押し付けて、姿を消した」
「何を言ってる」
「真実だ。俺は裏切ってない。秘密の守り人を、最後の瞬間にピーターに変えた。あいつが、ジェームズとリリーの居場所をあの男に売ったんだ」
シリウスの声が、震えていた。
「俺が守り人だと思われてたから、あいつは安全に逃げられた。俺は、ジェームズとリリーが死んだことを知って、ピーターを追いかけた。でも、あいつは通りを爆破して、十二人のマグルを巻き添えにして、自分はネズミに変身して逃げた。俺がやったことにされた」
「嘘をつくな」
ルーピンの声が、初めて鋭くなった。
「証拠はない。魔法省は、お前が裏切ったと判断した。お前はアズカバンに収監された。それが、事実だ」
「事実じゃない。俺は、十二年間、無実の罪でアズカバンにいたんだ」
「なら、なぜ今まで何も言わなかった」
「言えるわけないだろ。誰が、脱獄犯の言葉を信じる。俺は、真犯人を捕まえるために、ここに来た」
「真犯人だと? ピーターが、生きているとでも言うのか」
「ああ。この学校にいる」
沈黙。
ルーピンは、シリウスの目をじっと見た。
灰色の瞳。かつては、いたずらっぽく輝いていたその目は、今、深く落ち窪み、狂気と正気の間で揺れているように見える。
(本気で言っているのか)
(それとも、十二年で、お前は壊れてしまったのか)
「……リーマス。お前は、あの夜、俺が何をしたと思ってる」
「お前が、ジェームズとリリーを裏切ったと思っている」
「違う。俺は、ジェームズとリリーを、自分の命よりも大切に思っていた。お前も、知ってるはずだ」
「知らない。お前が何を考えていたのか、俺には分からない。あの頃から、お前は、どこか遠くを見ていた」
「リーマス」
「やめろ。その呼び方で俺を呼ぶな」
ルーピンの声が、低く震えた。
「お前は、俺の友達だった。でも、それも、もう終わったことだ」
シリウスは、しばらく黙っていた。
そして、小さく、息を吐いた。
「……そうか」
その声に、十二年分の疲労と孤独が、滲んでいた。
シリウスは、ゆっくりとフィアンナに向き直った。
「フィアンナ。お前の両親は、お前を愛していた」
突然の言葉に、フィアンナは戸惑った。
「何を」
「ジェームズは、お前が生まれた時、嬉しくて、一晩中泣きながら笑ってた。リリーは、お前を抱きながら、ずっと歌を歌ってた。お前は、愛されて生まれてきたんだ」
「……やめて。知らない。私、そんなの、知らない」
「知らなくていいことじゃない。お前は、孤児なんかじゃない。ジェームズとリリーの娘だ。由緒ある魔法族の血を引く、大切な子供だったんだ」
フィアンナの胸が、ぎゅっと締めつけられた。
孤児じゃない。
両親に愛されていた。
由緒ある魔法族の血。
「……嘘。私、孤児院で育ったの。誰も、私のことを、家族だって言ってくれなかった」
「それは、お前を守るためだったんだ。お前の両親が死んだ後、お前を危険から遠ざけるために、誰もが口を閉ざした。でも、お前は、確かに、ジェームズとリリーの娘なんだ」
涙が、フィアンナの頬を伝った。
「私の、お父さんとお母さんは」
「ジェームズ・ポッターと、リリー・エバンズだ。俺の、親友だった」
シリウスの声が、微かに震えた。
「二人は、俺を守って死んだ。俺が、守り人を辞退していれば。ピーターに、秘密の守り人を任せなければ。二人は、死ななかったかもしれない。お前は、孤児にならなかったかもしれない」
「……あんたの、せいなの」
「そうだ。俺のせいだ。俺が、もっと賢ければ。俺が、あいつを信じなければ。ジェームズとリリーは、今でも生きていた。お前は、両親と一緒に、幸せに暮らしていたはずだった」
シリウスは、自分の右手の甲を見つめた。そこには、古いタトゥーがあった。四つの点。マローダーズの四人を象徴する印。
「……俺は、お前に謝ることしかできない。本当に、すまなかった」
フィアンナは、涙でぐしゃぐしゃになった顔で、シリウスを見た。
(この人は、本当に、私の両親を知っている)
(私の知らない、お父さんとお母さんのことを)
(そして、この人は、十二年も、牢獄で)
フィアンナは、シリウスの痩せた体を見た。ボロボロの囚人服。骨と皮ばかりの手首。深い傷跡。
(この人も、苦しんできたんだ)
「……信じるの」
小さな声だった。
「……信じるの、私、この人が言ってること」
ルーピンは、答えられなかった。
「先生」
「……分からない」
「でも、この人の目、嘘をついてる目じゃない」
「フィアンナ」
「私、分かるの。この人、私のことを、本当に心配してる。私のお父さんとお母さんのことを、本当に大切に思ってた。そういう目をしてる」
シリウスは、フィアンナの言葉に、目を伏せた。
「……ありがとう」
その声は、かすれていた。
ルーピンは、杖を下ろした。
(何をしている。こいつは、脱獄犯だ。危険な男だ)
(でも)
(あの頃の、シリウスの笑顔を、俺はまだ覚えている)
「シリウス。お前は、これからどうするつもりだ」
「ピーターを捕まえる。あいつが、この学校にいる。必ず、見つけ出す」
「そして、どうする」
「真実を、明らかにする。俺は、無実だ。そして、あいつが、本当の裏切り者だ」
「そんなことが、簡単にできると思うか」
「簡単じゃない。でも、やらなきゃいけない。ジェームズとリリーのためにも、フィアンナのためにも」
シリウスは、フィアンナの方を向いた。
「お前は、ここにいてはいけない。あいつが、お前に気づく前に、安全な場所に行くんだ」
「嫌よ。私も、真実を知りたい」
「危険だ」
「危険でもいい。私の両親のことを、もっと知りたい。私が何者なのか、知りたい」
シリウスは、ルーピンを見た。
「リーマス。お前が、この子を守れ」
「何を」
「お前が、フィアンナを守るんだ。俺は、もう、ここにはいられない。魔法省が、俺を追ってくる。でも、お前なら、この子を守れる。お前は、ジェームズとリリーの友人だった。この子の、味方になれる」
「俺は、教師だ。生徒を守るのは、当然のことだ」
「そうじゃない。お前自身が、この子を守りたいと思うかどうかだ」
ルーピンは、答えられなかった。
(守りたい。守りたいと思う。でも、それは、教師としての責任だけじゃない。この子のそばにいたいと思う自分がいる。この子の笑顔を、見ていたいと思う自分がいる)
(それは、許されない感情だ)
「……分かった。私が、フィアンナを守る」
ルーピンは、静かに言った。
シリウスは、小さく頷いた。
「頼んだぞ」
そして、シリウスはフィアンナに向き直った。
「フィアンナ。お前の両親は、お前を愛していた。それは、絶対に忘れるな。お前は、愛されて生まれてきたんだ。一人じゃない。お前には、ジェームズとリリーの血が流れている。そして、俺がいる。リーマスがいる。お前は、一人じゃない」
「……うん」
フィアンナは、涙を拭いながら、小さく頷いた。
シリウスは、ルーピンに背を向けた。
「行く。時間がない」
「どこへ」
「分からない。でも、ピーターは、この近くにいる。必ず、見つけ出す」
「シリウス」
ルーピンは、去ろうとするシリウスの背中に、声をかけた。
シリウスが、足を止める。
「……もし、お前が本当に無実なら」
「信じてくれるのか」
「分からない。でも、お前の目を見て、昔のお前を思い出した。あの頃のお前は、仲間を裏切るような男じゃなかった」
シリウスは、振り返らなかった。
でも、その肩が、小さく震えていた。
「……ありがとう、リーマス」
そして、シリウスの体が、再びぐにゃりと歪み始めた。
骨が鳴り、黒い毛が生え、四つ足の獣の姿に変わっていく。
大きな黒い犬。
その犬は、一度だけフィアンナを振り返り、それから、暗闇の中へと消えていった。
地下トンネルに、静けさが戻った。
ルーピンは、杖の光を消した。
暗闇。
水の滴る音だけが、規則正しく響いている。
「……先生」
「大丈夫か」
「……分からない。頭が、ぐちゃぐちゃで」
ルーピンは、フィアンナに近づいた。
「座ろう。話を聞く」
二人は、冷たい石の壁に寄りかかって、並んで座った。
「私、孤児じゃなかったのね」
「ああ。君には、両親がいた。ジェームズ・ポッターと、リリー・エバンズ。二人とも、素晴らしい魔法使いだった」
「先生は、知ってたの」
「ああ。君が入学した時から、知っていた。君の顔が、あまりにも二人に似ていたから」
「……どうして、教えてくれなかったの」
「言えなかった。君を守るためには、秘密にしておく必要があった。でも、それは、私の弱さでもあった。君に、真実を伝える勇気がなかった」
「……私、ずっと、一人だと思ってた。誰にも愛されてない、孤児だと思ってた」
涙が、再び溢れてきた。
「違う。君は、愛されていた。今も、愛されている」
ルーピンは、フィアンナの手を握った。
冷たい指。
「私が、いる。君が望むなら、ずっと、君のそばにいる」
「……先生」
フィアンナは、ルーピンの胸に、顔を埋めた。
ルーピンは、彼女を強く抱きしめた。
「ごめん。ごめんな、フィアンナ。一人にして、ごめん。辛かったのに、気づけなくて、ごめん」
「……ううん。私の方こそ、ごめんなさい。先生に、迷惑かけて」
「迷惑なんかじゃない。君が、無事でいてくれて、本当に良かった」
ルーピンの腕の中で、フィアンナは声を上げて泣いた。
これまで、一人で耐えてきたすべての感情が、堰を切ったように溢れ出した。
寂しさ。悲しみ。怒り。そして、ほんの少しの安堵。
ルーピンは、彼女の髪を撫でた。
ダークブラウンの長い髪。泥で汚れているが、その下から、彼女の匂いがした。雨と、土と、それから、微かな花の香り。
(この子を、守りたい)
(教師としてじゃない。一人の人間として)
ルーピンの胸の奥で、何かが弾けた。
これまで、必死に押さえつけてきた感情が、音を立てて崩れていく。
(私は、この子を、愛している)
その事実を、初めて、認めた。
どれくらいの時間が経ったのか。
フィアンナの泣き声が、少しずつ落ち着いてきた。
彼女は、ルーピンの胸に顔を埋めたまま、彼の鼓動を聞いていた。
ドクン。ドクン。ドクン。
温かい。
(この人の胸は、温かい)
(この人の腕の中は、安全で、心地よくて)
(ああ、私、この人が、好きだ)
フィアンナは、目を閉じた。
(この人が、私の帰る場所だ)
その確信が、心の奥底から、じんわりと広がっていく。
「……先生」
「ん?」
「……ありがとう。私を見つけてくれて」
「ああ。見つけられて、良かった」
ルーピンは、彼女の髪を、もう一度、優しく撫でた。
外が、白み始めていた。
地下トンネルの入り口から、かすかに朝の光が差し込んでくる。
「夜が明けたな」
「……みたいね」
二人は、ゆっくりと立ち上がった。
「学校に戻ろう。君が無事だと、知らせなければ」
「うん」
フィアンナは、ルーピンの手を握った。
ルーピンは、少し驚いた顔をしたが、その手を振りほどかなかった。
二人は、手を繋いだまま、トンネルを歩き始めた。
その頃。
ホグワーツ城、スリザリン寮。
セラフィナ・マルフォイは、朝の光が差し込む談話室で、一枚の羊皮紙を前に座っていた。
氷のような青灰色の瞳が、細められる。
手にした羽ペンが、羊皮紙の上を滑っていく。
『スネイプ教授へ。
昨晩、わたくしは、グリフィンドールのフィアンナ・マクレガーが、脱獄犯シリウス・ブラックと、叫びの屋敷の地下で密会している現場を、目撃いたしました。
二人は、親しげに話し込んでおり、マクレガーは、ブラックに何かを渡しているようでした。
このままでは、学校の安全が脅かされます。
至急、魔法省にご連絡いただきますよう、お願い申し上げます。
スリザリン生 匿名』
セラフィナは、手紙を読み返し、完璧な微笑みを浮かべた。
(これで、あの女は終わり)
(シリウス・ブラックと通じている。そんな噂が立てば、いくらルーピン先生でも、あの女を庇いきれない)
(それに、あの女が、夜中に抜け出して、叫びの屋敷に行っていた。その事実だけで、退学は免れない)
セラフィナは、手紙を封筒に入れ、蝋で封をした。
「……下賤な女。わたくしの先生に、近づくからよ」
彼女は、封筒を手に、談話室を出た。
スネイプの研究室。
セラフィナは、黒いローブを着たスネイプ教授の前に、封筒を差し出した。
「教授。こちらを、お読みいただけますか」
スネイプは、無表情で封筒を受け取った。
蝋を剥がし、中身を読む。
その間、セラフィナは、優雅な微笑みを浮かべたまま、スネイプの反応を待っていた。
「……これは、事実か」
「はい。わたくし、この目で確かに見ました。マクレガーが、あの脱獄犯と、親しげに話しているところを」
「なぜ、お前が、そんな場所にいた」
「夜の散歩をしておりました。そうしたら、偶然、あの女が、暴れ柳の根元に消えていくのが見えまして。不審に思って、後を追ったのです」
スネイプは、しばらく手紙を眺めていた。
「……分かった。この手紙は、預かっておく」
「魔法省には、ご連絡いただけますの?」
「検討しよう」
「お願いいたします。あの女を、放っておけば、学校全体が危険ですわ」
スネイプは、セラフィナを一瞥した。
「マルフォイ。お前の目的は、学校の安全か。それとも、個人的な恨みか」
セラフィナの笑みが、一瞬、凍りついた。
「……何をおっしゃいますの。わたくしは、ただ、学校の安全を思って」
「そうか。なら、下がれ。この件は、私が預かる」
「……かしこまりました」
セラフィナは、一礼して、研究室を出た。
廊下に出た瞬間、彼女の顔から笑みが消えた。
(スネイプ教授は、あの女に甘い)
(でも、いいわ。あの手紙は、必ず、あの女を追い詰める)
セラフィナは、氷のような瞳で、廊下の先を見つめた。
その日の午後。
ルーピンの研究室。
フィアンナは、ルーピンが入れてくれた温かい紅茶を、両手で包み込んでいた。
「少しは、落ち着いたか」
「うん。ありがとう」
フィアンナは、まだ少し腫れた目で、ルーピンを見た。
「先生。私、決めたの」
「何をだ」
「私の両親のことを、もっと知りたい。そして、シリウス・ブラックが言ってたこと、本当かどうか、確かめたい」
「危険だ。君は、まだ生徒だ。危険なことに、首を突っ込むべきじゃない」
「でも、これは、私の問題よ。私の両親の死の真相。私が何者なのか。知る権利が、私にはある」
ルーピンは、フィアンナの目を見つめた。
深い緑の瞳。
そこには、もう、昨夜の怯えた少女の姿はなかった。
「……君は、強いな」
「強くなんかないわ。でも、逃げたくないの。もう、何も知らないまま、一人で怯えて生きていくのは、嫌なの」
「分かった。私も、協力する。君が、真実を知るために」
「……いいの?」
「ああ。君を、一人にしない。それが、私の役目だから」
フィアンナの胸が、温かくなった。
「ありがとう、先生」
その時だった。
コンコン、と、研究室のドアがノックされた。
ルーピンとフィアンナは、顔を見合わせた。
「誰だ」
「私だ。セブルス・スネイプだ」
ルーピンの顔色が、変わった。
「入れ」
ドアが開き、黒いローブを着たスネイプが入ってきた。
その鋭い目が、フィアンナを捉えた。
「マクレガー。ここにいたか」
「……はい」
「何か、用か」
「今朝、マルフォイから、ある情報が寄せられた」
スネイプは、一枚の羊皮紙を、ルーピンの机の上に置いた。
「マクレガーが、昨夜、シリウス・ブラックと密会していた、という情報だ」
フィアンナの心臓が、跳ねた。
(セラフィナ)
(あの女、見ていたのね)
「それは、誤解だ。フィアンナは、昨夜、一人でいた。私が、彼女を探しに行ったんだ」
「君が、なぜ、彼女を探しに行った」
「彼女が、寮に戻っていないと聞いたからだ。教師として、当然のことをしたまでだ」
「なるほど。では、ブラックは、どうした」
「ブラック? 何の話だ」
「とぼけるな。マルフォイは、マクレガーが、ブラックと親しげに話しているのを見たと言っている」
「マルフォイの見間違いだ。昨夜、フィアンナと一緒にいたのは、私だけだ。ブラックは、どこにもいなかった」
スネイプは、ルーピンの目をじっと見た。
「ルーピン。君は、何か隠しているな」
「隠してなどいない」
「そうか。なら、この件は、魔法省に通報する。マクレガーが、脱獄犯と接触した可能性がある以上、学校として、看過できない」
「待て。フィアンナは、無関係だ。彼女は、ただ、一人でいただけだ」
「無関係かどうかは、魔法省が判断する。私は、事実を報告するだけだ」
スネイプは、そう言って、背を向けた。
「スネイプ。頼む。彼女を、巻き込まないでくれ」
ルーピンの声が、震えていた。
スネイプは、足を止めた。
「……君は、あの女生徒に、肩入れしすぎだ。ルーピン。それは、教師として、危険なことだ」
それだけ言って、スネイプは、研究室を出て行った。
静寂。
フィアンナは、震える手で、机の上の手紙を拾い上げた。
『マクレガーが、シリウス・ブラックと密会していた』
セラフィナの、優雅な文字。
「……私のせいだ。私が、夜中に抜け出したりしたから」
「違う。君のせいじゃない。セラフィナが、君を陥れようとしているんだ。前から、ずっと」
「でも、魔法省が来たら、先生も、私も、終わりよ。先生は、私を庇ったことで、疑われる。私が、ブラックと会ってたって、バレたら」
「大丈夫だ。私が、何とかする」
「何とかって、どうやって」
ルーピンは、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……私の秘密を、公表する」
「え?」
「私が、狼人間だということを。そうすれば、私が、昨夜、君と一緒にいた理由も、説明できる。君が、私を探して、叫びの屋敷に来た。私は、君を追いかけて、そこに行った。ブラックは、いなかった。そういう筋書きにすれば、君を守れる」
「……ダメよ、そんなの。先生が、狼人間だってバレたら、学校にいられなくなる。みんなに、差別される。仕事も、失うかもしれない」
「構わない。君を守るためなら、そんなこと」
「ダメ。私、先生に、そんなことさせられない。私のせいで、先生が、傷つくなんて、嫌」
「フィアンナ」
「お願い。私のせいで、先生が、苦しまないで。私、自分で何とかするから」
ルーピンは、フィアンナの手を握った。
「君は、一人で戦う必要はない。私が、君の味方だ。君を守る。それが、私の決めたことだ」
「でも」
「大丈夫。私は、これまで、ずっと、この秘密を抱えて生きてきた。もう、隠し続けるのに、疲れていたんだ。君が、真実を知りたいと言ったように、私も、もう、逃げるのはやめたい」
ルーピンの目が、まっすぐにフィアンナを見つめていた。
その瞳は、悲しそうで、でも、どこか、清々しさもあった。
「……先生」
「私も、共に戦う。君のためじゃない。私自身のために」
フィアンナは、ルーピンの手を、強く握り返した。
「私も、戦うわ。先生の秘密も、私の秘密も、もう、誰にも奪わせない」
二人は、手を握り合ったまま、静かに見つめ合った。
外では、朝の光が、ホグワーツの塔を照らしていた。
しかし、その光の中に、黒い影が、静かに忍び寄っていた。
魔法省からの使者。
吸魂鬼の群れ。
そして、セラフィナの偽証。
二人の戦いは、まだ、始まったばかりだった。Noveliaとは?
Noveliaは、AIでライトノベルや二次創作を「読んで・数タップで作って・キャラクターと会話できる」プラットフォームです。挿絵つきの新作が毎日届き、無料で始められます。