乾杯タイムは、まだ二度目
乾杯の合図とともに配信を始める青年・赤城ウェン。旅と料理をこよなく愛する彼の夜の配信は、どこか静かで、どこか寂しい。祖母から受け継いだ出汁の味、一人分の食卓、カメラ越しに繋がる視聴者たち――そんな穏やかな日々の中で、彼はふと零す。「美味しいものは、誰かと食べた方がもっと美味しいんだろうな」と。
その一言をきっかけに、ウェンは配信で"旅の相棒"を募集することに。半ば勢いだった呼びかけに応えたのは、まさかの学園の人気配信者・三森ミコトだった。ギャルらしい明るさの奥に、彼女もまた何かを抱えているようで――。
出汁の香りとカメラのレンズ、ふたつのグラスで交わす二度目の乾杯。すれ違いながらも少しずつ近づいていく、不器用な配信者と人気者の、旅と料理と恋のものがたり。
「乾杯」は、まだ始まったばかり。
乾杯タイムは、まだ二度目 - 山から来た弟子と、海への強制連行
アサヒ商店街のアーケードに、昼前の光がやわらかく差し込んでいた。魚屋の氷が溶け始め、精肉店からは揚げたてのコロッケの匂いが流れてくる。赤城ウェンは市場の入口に立ち、首から下げた木製スプーンのペンダントを指先で転がしながら、行き交う人々をぼんやりと眺めていた。
(シオハマ、か)
あの夜、ミルヴューに届いた匿名のDM。『シオハマの古い食堂が、土地ごと売りに出されている。あの町の出汁が失われる前に、一度行ってみるといい。』
差出人は分からない。フォロワーゼロ、投稿ゼロの作りたてのアカウント。それなのに、ミコトが食卓で口にした町の名前と、ぴったり一致していた。
「ウェン、お待たせ!」
明るい声が飛んできた。振り向くと、ふわふわのギャル巻きヘアを揺らした三森ミコトが小走りに近づいてくる。白いミニスカート、淡いブルーのカーディガン。左耳の星形ヘアピンが、光を受けてちかりと瞬いた。
「うん、俺も今来たところだよ」
「それ、前も聞いたわ。絶対待ってたでしょ」
ミコトは右の八重歯を見せて笑い、ウェンの顔を下から覗き込んだ。大きなヘーゼル色の瞳が、今日はやけにきらきらしている。
「え、なんで分かったの?」
「ウェン、嘘つくときペンダント触るじゃん。今もずっと触ってたし」
ウェンは慌てて指を離した。そんな癖があったのか。ミコトはけらけら笑っている。
「お前、またミコトと二人で会ってたのかよ」
低い声が背後から刺さった。振り返ると、真田ハルトが眉間に深いしわを寄せて立っている。短く刈り上げた黒髪、やや釣り上がった一重の目。今日は黒のパーカーにジーンズ姿で、手にはコンビニの袋を提げていた。
「ハルトくん、おはよう。二人っていうか、三人の約束だったじゃないか」
「だからって先に二人で喋ってる必要ある!? 俺が来るまで待ってろよ!」
「ハル、あんた遅刻してきたくせに何キレてんのー」
「だって、寝坊したんだよ……ミコトに連絡したら、もう着いてるって言うし……」
ハルトの声がみるみる涙声になっていく。ミコトは呆れたように肩をすくめ、ウェンは苦笑いを浮かべた。
「まあまあ、三人揃ったし、歩きながら話そうよ」
三人はアーケードをゆっくりと歩き出した。八百屋の店先には朝採れのトマトが並び、鮮魚店の前では店主が威勢のいい声を張り上げている。
「それで、シオハマの話なんだけど」
ウェンは少し声を落とした。
「調べたんだけど、ネットに情報が少なくてさ。人口三千人くらいの小さな町で、漁港があって、あとは民宿が何軒か。観光地ってわけでもないみたいなんだ」
「海の町なら配信映えするじゃん! 夕陽とか漁港とか、絶対映えるって! あたし、海の配信したことないから楽しみ!」
ミコトは両手を胸の前で組んで、ぴょんと跳ねた。
「おい、ウェン。お前、まさかミコトと二人で行くつもりじゃないよな」
ハルトが鋭い目つきでウェンを睨む。
「え、いや、ハルトくんも来るんでしょ? この前、自分も行くって言ってたじゃないか」
「当たり前だろ! 俺が行かなかったら、お前とミコトが二人きりになるんだぞ! そんなの絶対に許さない!」
ハルトの声が裏返る。目がうるんで、鼻の頭が赤くなってきた。
「ハル、あんたどんだけ心配性なの。あたしがウェンに何かされるわけないじゃん」
「分かんないだろ! こいつ、料理で女を落とすタイプかもしれないし!」
「料理で女を落とすって、なにそれ」
ウェンは思わず吹き出しそうになった。ハルトは本気で心配しているらしい。
(シオハマか……)
笑いながらも、ウェンの胸の奥には、あのDMの不気味さがこびりついていた。
『あの町の出汁が失われる前に』
どうして、出汁なんて言葉が出てくるのか。まるで、ウェンの配信をよく知っている人間の書き方だ。
三人が市場の中ほどまで差し掛かった時だった。
「——赤城ウェン先生ですね」
静かな、それでいてよく通る声が、三人の足を止めさせた。
声の主は、いつの間にか目の前に立っていた。
大きなリュックを背負った少女。黒に近い焦げ茶色のロングヘアを、高い位置でポニーテールにまとめている。すっきりとした額。やや垂れ気味の大きな瞳は黒目がちで、感情が読み取りにくい。腰には小さな包丁袋が提げられていた。
「え……あの、君は?」
「申し遅れました。私、霧島レナと申します。山奥から、先生の配信を全部見て来ました」
レナは深々と頭を下げた。ポニーテールがさらりと揺れる。
「全部……?」
「はい。乾杯タイムから始まる雑談配信も、旅先の料理動画も、出汁の取り方の解説も。全て拝見しました」
レナは顔を上げると、真っ直ぐにウェンを見つめた。その瞳の奥に、静かな炎のようなものが揺れている。
「ちょっと待って! あんた、誰なの!? いきなり現れてウェンに何の用!?」
ミコトがウェンの前に一歩踏み出した。
「私は、ウェン先生の旅の相棒になるべき者です」
レナは淡々と言い放った。
「はあ!? 何言ってんの!? ウェンの相棒はあたしだし!」
「あなたが三森ミコトさんですね。配信で見ました。ゲーム実況と雑談が中心で、料理は壊滅的だとご自身でおっしゃっていましたね」
「なっ……! あたしの配信も見てるの!?」
「ウェン先生と関わりのある配信者様ですので、一通り確認しました」
レナはミコトを一瞥すると、わずかに首をかしげた。
「ウェン先生の旅の相棒にふさわしいのは、きちんと出汁を取れる女だと思います」
その言葉に、ミコトのこめかみがぴくりと動いた。
「あたしだって、出汁くらい取れるし! コンビニの出汁パックなら使ったことあるわ!」
「出汁パックは出汁ではありません」
レナの声が、すっと温度を下げた。
「え……?」
「あれは出汁風味の調味料です。昆布と鰹節から、時間をかけて旨味を引き出してこそ、本当の出汁と呼べるのです」
レナは一歩、ミコトに近づいた。
「基本ができていない者は二流です。あなたに、ウェン先生の隣に立つ資格はありません」
「なっ……に、二流って……!」
ミコトの大きな瞳が、みるみる潤んでいく。唇が震え、ネイルの施された指がぎゅっと握りしめられた。
「おい、お前! ミコトに何てこと言うんだよ!」
ハルトがレナの前に立ちはだかった。眉が吊り上がり、声が上ずっている。
「あなたは、どなたですか」
「俺は真田ハルト! ミコトの幼なじみだ!」
「なるほど。では、あなたもウェン先生の旅には不要です」
「なんでだよ!」
「出汁を取れない上に、旅先で役立つ技能が何もないように見えるからです」
「うっ……! お、俺だって、ミコトを守るっていう大事な役目が……!」
「邪魔なだけです」
レナは、ぴしゃりと切り捨てた。
「なんだと……!」
ハルトの顔が真っ赤になり、目に涙が浮かぶ。ミコトも負けじとレナを睨みつけている。三人の間に、一触即発の空気が張り詰めた。
「ちょ、ちょっと待って! みんな、落ち着こう?」
ウェンが慌てて間に入る。しかし、レナはおもむろに腰の包丁袋に手を伸ばした。
「問題ありません。少し、感覚を確かめるだけです」
レナは包丁袋から、一本の包丁を取り出した。
刃渡り二十センチほどの、よく手入れされた和包丁。銀色の刃が、アーケードに差し込む光を反射して、ぎらりと光った。
「おいおいおい! 何してんだお前!」
ハルトが悲鳴のような声を上げた。
「周囲に危険がないことは確認済みです。私は、出汁の匂いを嗅ぎ分ける感覚が鈍らないように、毎日素振りをしているんです」
レナは淡々とそう言うと、包丁を正眼に構えた。
「すっ」
刃が空気を裂く。
「はっ」
もう一振り。
「ひぃっ! や、やめろ! 人を切る気か!」
ハルトは真っ青になって後ずさりした。
「ハル、あんた何逃げてんのー! ただの素振りじゃん!」
ミコトが笑いながら、ハルトのパーカーの裾を掴んだ。
「だって、刃物持ってるんだぞ! 危ないだろ!」
「大丈夫だって! あの人、ちゃんと周り見てから振ってるし!」
「ミコト、離せって! 俺は本気で怖いんだよ!」
ハルトがじたばたと暴れる。ミコトがバランスを崩した。
「きゃっ!」
二人はもつれ合うようにして倒れ込み、その勢いで、近くの青果店の店先に積まれていたコンテナに激突した。
ガシャァァン!!
派手な音を立てて、空のコンテナが倒れる。中に入っていた新聞紙やビニール袋が散らばり、通りがかりの主婦たちが悲鳴を上げた。
「こらああああ!! 何やってんだお前らああああ!!」
青果店の奥から、白い割烹着を着た小柄な老人が飛び出してきた。頭は薄くなり、顔は日焼けで真っ赤。これが丸嶋青果店の店主、丸嶋トシオだ。
「うちのコンテナに何してくれとんじゃ! 野菜は無事か! ああ、大根が一本、傷ついとるやないか!」
トシオは倒れたコンテナを起こしながら、怒りに任せてまくし立てた。
「す、すみません! 俺たちが悪いんです!」
ハルトは地面に座り込んだまま、涙目で謝った。ミコトも隣で小さくなっている。
「あの、おじいさん、お店の野菜、大丈夫でしたか……?」
ウェンが駆け寄って、散らばった野菜を拾い集める。
「大丈夫なわけないやろ! この大根、折れとるがな! 売り物にならんわ!」
「その大根、俺が買います。あと、傷ついた野菜も全部」
「は……? お前、何言うとるんじゃ」
「捨てるのはもったいないですし、折れた大根も、煮物にすれば十分美味しいですから」
ウェンはにこりと笑った。トシオはぽかんとした顔で、ウェンの顔を見つめる。
「お前……料理、するんか」
「ええ、配信で料理をしています。赤城ウェンっていいます。ここの野菜、いつも新鮮で、配信でもよく使わせてもらってるんです」
「おお……! お前がウェンくんか! 配信にうちの店が映ったって、孫が騒いでおったわ!」
トシオの表情が、怒りから一転して嬉しそうに輝いた。
「そうだったんですか。ありがとうございます」
「そうかそうか! あの時のトマト、美味かったか?」
「すごく甘くて、あれは配信でも反響が大きかったですよ」
二人が和やかに話し始めたその時だった。
「こらああああ!! あんたたち、そこで何を騒いでるんだい!!」
雷のような一喝が、アーケード中に響き渡った。
全員がびくりと肩を震わせる。
声の主は、買い物袋を提げた初老の女性だった。白髪交じりの髪をきっちりと後ろで束ね、紺色の着物に黄色い割烹着を着ている。背筋がぴんと伸び、目つきは鋭い。
「あ……あんたは……」
トシオの声が小さくなる。
「丸嶋さん、あんたもあんたよ。店の前で何を揉めてるんだい。通行人の邪魔になるだろうが」
「いや、これは、わしのせいじゃなくて……」
トシオがしどろもどろになる。どうやら、この女性には頭が上がらないらしい。
「あんたたち、そこに正座しなさい」
フミはウェンたち四人を順番に指さした。
「え……?」
「え、じゃないよ。市場のど真ん中で騒いで、店の物を壊して、挙句に包丁まで振り回す。正座して、話を聞かせてもらうよ」
「あの、包丁を振り回したのは私です。この方たちは関係ありません」
レナが静かに申し出た。
「あんたも正座。全員、そこで並びな」
フミの有無を言わせない迫力に、四人はアーケードの端に並んで正座した。通りすがりの買い物客たちが、何事かと遠巻きに眺めている。
「あの、すみません。俺たち、ちょっと話がこじれちゃって……」
ウェンが申し訳なさそうに頭を下げた。
「それで、何があったんだい。順番に話しな」
フミは腕を組んで、四人を見下ろした。
「私が、ウェン先生の旅の相棒にふさわしいのは自分だと主張したところ、そちらの女性が反論し、その連れの男性が私に噛みついてきたのです」
レナが淡々と説明した。
「噛みついてない! ミコトを守っただけだ!」
「あたしがウェンの相棒なんだから! あんたが勝手に割り込んでくるのがおかしいのよ!」
「出汁も取れないのに、よくそう言えますね」
「出汁出汁うるさいわね! 出汁が取れれば相棒になれるわけ!?」
「最低条件です」
「なにそれ! 意味わかんない!」
「おい、ウェン! お前からも何とか言えよ!」
ハルトが涙目でウェンに助けを求めた。
「え、俺……?」
ウェンは正座したまま、三人の顔を順番に見た。
(どうしてこんなことになってるんだろう)
旅の相棒を探していただけなのに、いつの間にか三人の人間が、自分の隣を巡って争っている。
「はあ……あんたたち、面白いねえ」
フミが突然、声を上げて笑った。
「え……?」
「旅の相棒を巡って、出汁がどうの包丁がどうの。若いってのは、まったく、何にでも全力だねえ」
フミは笑いながら、ウェンの顔をじっと見た。
「あんた、ウェンくんっていうのかい」
「はい、赤城ウェンです」
「あんた、料理ができるんだってね。この丸嶋さんが、さっきまで嬉しそうに話してたよ」
「ええ、まあ、少しだけ」
「なら、ちょうどいい。あんたたち、海沿いの町、シオハマに行きな」
フミは、こともなげに言った。
「シオハマ……!?」
ウェンの胸が、どきりと跳ねた。
あのDMに出てきた町の名前。
「あの、どうしてシオハマを……?」
「シオハマにはね、古い食堂があるんだよ。潮風食堂っていってね、もう百年も続いてる店なんだ。今は、若い娘さんが一人で守ってる」
「潮風食堂……」
ウェンは息を呑んだ。
『シオハマの古い食堂が、土地ごと売りに出されている』
あのメッセージの言葉が、フミの口から語られた内容と、あまりにもぴったり重なる。
「あんたたち、ちょうど四人いるんだ。そこで、食堂の手伝いでもしてきな。料理の腕も、少しは役に立つだろうよ」
「え、ちょっと待ってください。俺たち、まだ何も決めてなくて……」
「決まってるじゃないか。あんたは料理ができる。そこのギャルの子は、あんたの相棒になりたい。そこの泣き虫は、ギャルの子を守りたい。そこの包丁娘は、あんたの弟子になりたい。四人で行けば、ちょうどいい」
「誰が泣き虫だ!」
「泣き虫じゃないか。今も目がうるんでるよ」
「うるさい! これは、その、汗だ!」
「ハル、あんた汗って顔から出るタイプだったっけ」
「うるさいな! もう!」
ウェンは、フミの言葉を反芻していた。
(潮風食堂……古い食堂……土地ごと売りに出されている)
あのDMの送り主は、このことを知っていた。そして、ウェンがシオハマに行くように仕向けた。
偶然だろうか。
いや、違う。
ウェンの背筋を、冷たいものが走った。
(誰かが、俺をシオハマに連れて行こうとしている)
「そういえば、シオハマでは最近、マサキという男が土地を買い漁っていると、知人が言っていました」
レナが、静かに口を開いた。
「マサキ……?」
「はい。町おこしコンサルタントを名乗っているそうですが、実際は土地を安く買い叩いているだけだと。地元の人は、みんな警戒しています」
「土地を買い漁る……?」
「なんだよ、それ。やばい奴じゃん」
ミコトとハルトが顔を見合わせた。
ウェンは、頭の中で情報がつながっていくのを感じた。
シオハマ。古い食堂。土地売却。マサキ。
単なる観光では、済まないかもしれない。
「……行こう」
ウェンは、静かに言った。
「ウェン?」
「シオハマに行って、自分の目で確かめたい。あの町で、何が起きているのかを」
ウェンの声には、いつもののんびりした響きがなかった。
「いいじゃん! あたし、ウェンと一緒に海の町行きたい!」
ミコトがぱっと表情を明るくした。
「俺も行く。ミコトを一人で行かせるわけにはいかないからな」
「私は、ウェン先生に同行します。出汁の修行のためです」
レナは、真っ直ぐにウェンを見つめた。
「決まりだね。じゃあ、明日の朝一で行くといい。民宿は、私が予約しておいてやるよ」
フミは、にこりと笑った。
「あの、フミさん。民宿って……」
「あたしは久保田フミ。シオハマで、ナミマって民宿をやってるんだよ。あんたたち、うちに泊まりな。素泊まり三千五百円、一泊二食付きで七千円。若い子には、ちと高いかもしれないけどね」
「え……! フミさん、シオハマの民宿の女将さんだったんですか!?」
「そうだよ。今日は、こっちに買い出しに来てたんだ。まさか、市場でこんな面白い若者たちに出会うとは思わなかったけどね」
フミは、からからと笑った。
「それでは、明日の朝、シオハマ駅でお待ちしています。駅から民宿までは徒歩十分です。道に迷ったら、駅前のタクシーに乗るといいでしょう」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
ウェンは、深々と頭を下げた。
「では、私はこれで失礼します。明日の朝、またお会いしましょう」
フミはそう言って、背筋を伸ばしたまま、アーケードの向こうへと歩いていった。
その背中を見送りながら、ウェンは思った。
(これで、シオハマ行きが決まった)
それは、自分が望んだことだ。
でも、何かが引っかかる。
あのDM。フミの登場。レナの報告。
すべてが、まるで仕組まれたかのように、ぴったりと噛み合いすぎている。
「ウェン先生」
レナが、ウェンの袖を軽く引いた。
「え、なに?」
「結局、ウェン先生の隣に立つのは、調理がわかる女です。私は、その座を譲るつもりはありません」
レナは、ミコトの方を見ながら、はっきりと言った。
「はあ!? あんた、まだ言う!? あたしだって、これから覚えるし!」
「では、覚えてから出直してください」
「むっかー! もう、あたし、あんたに料理勝負を申し込む! どっちがウェンの相棒にふさわしいか、料理で決めようじゃん!」
ミコトは、レナの鼻先に指を突きつけた。
「面白いですね。受けて立ちます。ただし、あなたに勝ち目はありませんが」
「やってみないと分かんないでしょ!」
「お、俺も! 俺も参戦する! ミコトのために、俺が勝つ!」
ハルトが、涙を拭いながら叫んだ。
「あなたは調理ができるのですか」
「うっ……で、できないけど……でも、気合いで……!」
「無理ですね」
「なんでだよ! やる前から決めつけんなよ!」
三人が、また騒ぎ始める。
「ああ……また、面倒なことになった……」
ウェンは、小さくため息をついた。
でも。
(明日、四人で旅に出る)
その事実が、ウェンの胸の奥で、小さな灯のように温かく光っていた。
一人で旅をしてきた。一人で料理をしてきた。一人で乾杯をしてきた。
それが、明日からは、四人になる。
騒がしくて、理不尽で、出汁がどうの包丁がどうのと喧嘩ばかりしている四人。
でも、そんな朝を迎えられることが、ウェンには、少しだけ、嬉しかった。
「ねえ、ウェン! 明日、何時に駅集合にする?」
ミコトが、ウェンの顔を覗き込んだ。
「そうだな。朝八時でどうかな。シオハマまでは、特急とローカル線で三時間くらいかかるから」
「了解! 寝坊しないように、今から準備する!」
「俺も、ミコトの家まで迎えに行くから、絶対に待ってろよ」
「ハルは心配性だなあ。大丈夫だって」
「私は、始発で向かいます。駅のホームで、出汁の勉強をしながら待っていますので」
「始発……。君、本当に真面目なんだね」
「当たり前です。ウェン先生の弟子ですから」
レナは、わずかに頬を染めた。
(弟子、か)
ウェンは、レナの言葉を胸の中で転がした。
「じゃあ、明日。みんな、よろしくね」
ウェンは、三人に笑いかけた。
「よろしく!」
「お前こそ、ミコトに変なことすんなよ」
「よろしくお願いします、ウェン先生」
三人の声が、アーケードに響く。
その声を聞きながら、ウェンは、空を見上げた。
アーケードの隙間から、青い空がのぞいている。
明日は、きっと晴れる。
海の町、シオハマ。
古い食堂、潮風食堂。
そして、マサキという男。
旅の目的は、もう、単なる観光ではない。
ウェンは、ペンダントをぎゅっと握りしめた。
(何が起きているのか、確かめに行こう)
胸の奥で、あのDMの文字が、静かに、しかし確かに、脈打っていた。Noveliaとは?
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