甘い嘘と苦い本音
カリスマデザイナー・飴村亂數、24歳。幼い外見と無邪気な笑顔でシブヤの若者たちを魅了する彼には、誰にも言えない秘密があった——中王区の極秘プロジェクトが生み出した、感情を持つクローン人間だということを。命をつなぐ特製飴が尽きたとき、追手の影が忍び寄る。天才医師・神宮寺寂雷だけが知る、彼の本当の姿。甘い笑顔の裏に隠された苦い本音が、静かに胸を締めつける。これは、嘘と本音のあいだで生き続ける一人の男の物語。
甘い嘘と苦い本音 - 嘘が下手な僕と、優しすぎる馬鹿と、黒い影の夜
シブヤの空は、夕方になってもまだ明るさを残していた。
だが、地下へ降りる階段を一歩踏み入れた瞬間、その残光は嘘のように消える。
シブヤ・アンダーグラウンド。中王区の監視が届きにくい、シブヤの地下に広がる全長約8キロの地下街。その2層に、Fling Posseの隠れ家はあった。
元は廃墟だった倉庫を改修した、広さ約80平方メートルの秘密基地。入口は三箇所、すべて隠し扉。
飴村亂數は、その隠れ家の扉を開けた。
「ただいまー!お土産買ってきたよー!」
ピンク色のふわふわした髪を揺らして、いつもの明るい声を張り上げる。白いパーカーに、オーバーサイズの薄いブルーのシャツ。首元のキャンディのネックレスが、地下の薄暗い照明を弾いて小さく光った。
「おかえり、乱数。今日は早かったね」
部屋の奥、古いソファに腰掛けて本を読んでいた夢野幻太郎が、顔を上げた。黒髪の長めの髪を後ろで軽く結び、書生のような風貌。知的で落ち着いた濃い紫色の瞳が、乱数の顔をじっと見つめる。
「だって、早く帰りたかったんだもん!幻太郎、何読んでるの?」
乱数は小走りに幻太郎のそばへ寄ると、手に持っていた紙袋をテーブルの上に置いた。
「昔の探偵小説だよ。……君は、今日も可愛らしいね。でも、少し顔色が悪いんじゃないかい?」
幻太郎の言葉に、乱数の指先が、ほんの一瞬だけ止まった。
(……バレてる)
心の中で舌打ちする。でも、表情は崩さない。
「えー、そう?僕、すっごく元気だよ!ほら、ぴょんぴょん!」
乱数はその場で軽く跳ねてみせた。
だが、着地した瞬間、膝が、かくん、と笑った。
「っと……あはは、ちょっと足がもつれちゃった!」
乱数は笑ってごまかした。
幻太郎は、本を閉じた。
「乱数。君は嘘が下手だね。僕にはわかるよ」
静かな声だった。
乱数の笑顔が、張り付いたように固まる。
「何が?僕、嘘なんてついてないよ?」
「そうやって、無理に明るく振る舞うところ。……飴、もう残っていないんだろう?」
幻太郎の紫色の瞳が、乱数のポケットを見た。
乱数は、とっさにポケットを押さえた。
(こいつ、どこまで見てるんだ)
特製飴。乱数の体を維持するために必要な、命綱。神宮寺寂雷の研究室でしか作れない、月に約20粒の飴。
その瓶は、もう空だった。
最後の一粒は、昨日、萬屋ヤマダで一郎に渡してしまった。
「……違うよ。まだ、ちょっとだけ残ってる」
乱数は、高い声で、そう言った。
幻太郎は、何も言わずに、乱数の顔を見つめていた。
「あーあ、幻太郎ってば、心配性なんだから!僕は大丈夫だってば!」
乱数は、わざと明るく笑った。
その時。
「おーい、乱数!帰ってたのか!」
隠し扉の一つが開いて、有栖川帝統が入ってきた。茶髪の無造作ヘアは相変わらず寝癖がついたままで、明るい茶色の瞳がキラキラと輝いている。
「帝統!遅かったねー。どこ行ってたの?」
乱数は、ほっとしたように帝統へ駆け寄った。幻太郎の追及から逃れられる、そう思った。
「パチンコだよ。今日はツイててな、五千円勝ったぜ!」
帝統は、ポケットからくしゃくしゃの札束を取り出して、自慢げに見せた。
「へえ、すごいじゃん!じゃあ、そのお金で何か奢ってよ!」
「おう、いいぜ!……って、お前、なんか顔色悪くないか?」
帝統が、乱数の顔を覗き込んだ。
「えー、帝統まで?僕、全然元気だよ!」
「今日の乱数、サイコロの目が悪いぜ。俺の勘がそう言ってる」
帝統は、ポケットからサイコロを取り出して、手のひらで転がした。
「帝統の勘なんて、いつも外れてるでしょ!」
「失礼な!俺の勘は当たるんだよ。……まあ、なんかあったら賭けに持ち込むぜ。俺の運は、まだまだ尽きてねえからな」
帝統は、乱数の肩を軽く叩いた。
その軽さが、今は、ありがたかった。
「うん、ありがとう。でも、本当に何もないよ」
乱数は、笑った。
(ごめん、帝統。ごめん、幻太郎)
胸の内で、二人に謝る。
(本当のことは、言えないんだ)
自分が、中王区に追われているクローン人間だなんて。飴が切れれば、細胞が崩壊して死ぬ体だなんて。
そんなこと、仲間に言えるわけがない。
巻き込むわけにはいかない。
乱数は、笑顔を保ったまま、心の中で、静かに息を吐いた。
その夜。
幻太郎と帝統が帰り、隠れ家には乱数一人が残っていた。
乱数は、自分の休息室のベッドに、仰向けに倒れ込んでいた。
天井のシミを、ぼんやりと見つめる。
(……疲れた)
体が、重い。
飴が切れてから、もう半日以上が経っていた。
指先が、時々、自分のものじゃないみたいに震える。心臓が、時々、妙にゆっくりと脈打つ。
(寂雷のところへ行けば、新しい飴がもらえる)
分かっていた。
でも、シンジュクへ行くのは危険だった。
この前、萬屋ヤマダを出た後、アジトの入口に近づく掃除屋の姿を監視カメラで確認した。
中王区の粛清局。社会浄化執行部。通称「掃除屋」。
黒ずくめのスーツを着た、中王区のエージェント。感情を持つクローンである乱数を、非合法に処理するために追ってくる者たち。
(もう、ここも嗅ぎつけられたかも)
乱数は、体を起こした。
ポケットから、空の飴瓶を取り出す。
カラカラ。
何も入っていない。
(……大丈夫。まだ、動ける)
乱数は、自分に言い聞かせた。
その時。
ピリリリリ。
スマホが、けたたましく鳴った。
乱数は、反射的にスマホを手に取った。
画面に表示されたのは、隠れ家の入口に設置した監視カメラからの通知。
「……来たか」
低い声。地声が、喉の奥から漏れた。
画面には、隠し扉の前に立つ、黒ずくめの男たちの姿。
一人、二人、三人。
掃除屋。
乱数は、ベッドから飛び降りた。
だが、足が、もつれた。
「くっ……」
床に手をつく。
体が、鉛のように重い。
(動け。動けって!)
心の中で叫ぶ。
でも、指先から力が抜けていく。
ゴン。
隠し扉を、外から破る音が響く。
「対象の確保。飴の残量ゼロを確認」
無機質な声。
「特殊音響兵器、起動。精神干渉波、照射開始」
その瞬間。
キィィィィン。
耳をつんざくような、高周波の音が、部屋中に響き渡った。
「ああっ……!」
乱数は、頭を抱えて、床に崩れ落ちた。
頭の中を、無数の針が刺し貫く。
思考が、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられる。
(やめろ……やめろ……!)
声にならない悲鳴。
視界が、白くぼやける。
「対象の精神、崩壊開始。このまま無力化する」
黒ずくめの男が、乱数の腕を掴んだ。
「やだ……離して……」
乱数は、もがいた。
でも、体が、動かない。
指一本、動かせない。
(誰か……)
心の奥底で、叫んだ。
(誰か、助けて……)
その時。
ガァァァン!!
隠し扉が、内側から吹き飛んだ。
「てめえら、何してやがる!!」
怒号。
黒髪に赤いメッシュの男が、部屋に飛び込んできた。
山田一郎。
イケブクロ・ディビジョン代表、Buster Bros!!!のリーダー。
一郎は、掃除屋に向かって、拳を叩きつけた。
「ぐあっ!」
黒ずくめの男が、壁に叩きつけられる。
「お前ら、中王区の犬か!よくも乱数に手を出したな!」
一郎は、もう一人の掃除屋に、回し蹴りを叩き込む。
「がはっ!」
男が、床に転がった。
「勝手にいなくなるつもりかよ!」
一郎は、乱数のそばに駆け寄った。
そして、乱数を横抱きに抱え上げる。
「……いち、ろう……」
乱数は、ぼんやりとした視界で、一郎の顔を見た。
「お前の居場所はここだろ。勝手に消えるな」
一郎は、怒りを込めた声で言った。
でも、その腕は、乱数を壊れ物のように、優しく抱いていた。
「……助けて」
乱数の唇から、小さく、声が漏れた。
初めて、誰かに助けを求めた。
一郎は、乱数のその言葉を聞いて、目を丸くした。
そして、すぐに、強く笑った。
「ああ、来たぞ」
一郎は、乱数を抱えたまま、非常口へと走り出した。
「逃がすな!追え!」
後ろから、掃除屋の声が追いかけてくる。
一郎は、地下街の狭い通路を、全速力で駆け抜けた。
乱数は、一郎の腕の中で、揺られていた。
(あったかい)
一郎の体温が、冷え切った乱数の体に、じんわりと染み込んでくる。
(……なんで、この人は)
乱数は、一郎の顔を見上げた。
真っ直ぐ前を見て、走る一郎の横顔。
(なんで、俺のために、ここまで)
乱数の胸の奥で、何かが、きゅっと音を立てた。
一郎のバイクが、シブヤの夜の街を疾走していた。
シブヤ川沿いの遊歩道。
川面に、街のネオンが、ゆらゆらと反射している。
一郎は、シブヤ川沿いのベンチに、乱数を座らせた。
「……悪い、急に抱えて。大丈夫か?」
一郎は、乱数の顔を覗き込んだ。
「……うん。大丈夫。ありがとう」
乱数は、小さく頷いた。
体は、まだ痺れていた。
でも、さっきよりは、だいぶマシだった。
「お前、あいつらに何されてたんだ?あの黒い服の連中は、一体……」
一郎が、真剣な顔で尋ねた。
乱数は、答えられなかった。
(言えない。言えるわけがない)
乱数は、顔を背けた。
その時。
ブブッ。
乱数のスマホが、震えた。
乱数は、ポケットからスマホを取り出した。
画面に表示されたのは、差出人不明のメッセージ。
『The Dirty Dawg崩壊工作の録音データは預かっている。明日朝、シブヤの街頭ビジョンで公開する。お前の居場所を奪ってやる』
乱数の顔から、さあっと血の気が引いた。
指先が、震える。
「……なんだ、そのメッセージ」
一郎が、乱数のスマホを覗き込もうとした。
乱数は、とっさにスマホを胸に抱いた。
「……なんでもない。僕が昔、やらかしたことだよ」
乱数は、絞り出すように言った。
(The Dirty Dawg)
かつて、一郎と、碧棺左馬刻と、神宮寺寂雷と、乱数の四人で結成していた伝説のチーム。
そのチームを、中王区の命令で、乱数が崩壊させた。
マインドハックという、精神を操る技術で。
(一郎には、知られたくない)
乱数は、心の底から、そう思った。
一郎は、乱数の顔を、じっと見つめていた。
「……そうか。なら、明日、一緒に止めに行くぞ」
一郎の言葉に、乱数は、顔を上げた。
「……え?」
「そのデータとやらが、街頭ビジョンで流れるんだろ?なら、それを止めればいい」
「なんで……なんであんたはそうやって……」
乱数の声が、震えた。
「困ってる奴を放っておけないだけだ」
一郎は、笑った。
八重歯が見える、いつもの笑顔。
乱数は、その笑顔を見て、胸が、ぎゅう、と痛くなった。
(やめてくれ。そんな風に、優しくしないでくれ)
(俺は、お前を裏切ったんだぞ)
(お前の大切なチームを、俺が壊したんだぞ)
言いたいことは、山ほどあった。
でも、口から出たのは、別の言葉だった。
「……ばか」
乱数は、小さく呟いた。
一郎は、乱数の頭に、ぽん、と手を置いた。
「よく言われるぜ」
一郎の手が、温かかった。
乱数は、その温かさに、泣きそうになった。
でも、泣けなかった。
乱数は、震える手で、ポケットの飴瓶を探った。
カラカラ。
一粒も、残っていない。
(……明日まで、もつかな)
乱数は、一郎に見つからないように、空の瓶を、ぎゅっと握りしめた。
夜風が、シブヤ川の水面を撫でていく。
街の喧騒が、遠くで聞こえる。
でも、乱数の心は、冷たい闇の底に、沈んでいくようだった。
(明日、俺の全てが、終わる)
乱数は、一郎の体温を感じながら、静かに目を閉じた。Noveliaとは?
Noveliaは、AIでライトノベルや二次創作を「読んで・数タップで作って・キャラクターと会話できる」プラットフォームです。挿絵つきの新作が毎日届き、無料で始められます。