逆行の海賊——消えた命をもう一度
ワンピースの世界。エースは死んだ。
ルカ・D・タイガ――公式には存在しない兄弟――はその光景を見届けた。エースは炎の中に倒れた。ルフィは叫んだ。熱さは耐え難かった。その瞬間、タイガの心は砕け散った。
年月が過ぎた。タイガは一人、海を漂いながら強くなっていった。しかし、なぜ戦うのか、その理由を見失っていた。エースはもういない。ルフィは新世界へと進んだ。タイガには帰る場所がなかった。
嵐の夜、謎の渦潮が彼を丸呑みにする。
目を開けると――そこは三年前。エースが死ぬ前の世界だった。
タイガは震えた。「変えられる。」
彼はエースを救わなければならない。しかし過去を書き換えることは、思い出すこととはまったく違った。マリンフォード――世界の頂点で繰り広げられる戦争――は、巨大な力同士の激突だ。一人で止められるものではない。
彼には仲間が必要だ。誰がいつ死ぬかを知っている。それが彼の強みだ。しかし未来を知ることと、それを変えることは全く別の問題だった。
タイガはまた秘密を抱えている。彼の内に燃える炎は、エースのメラメラの実に似ているが不安定で、感情に直結している。エースが死んだ日、タ
逆行の海賊——消えた命をもう一度 - 逆行の炎——コフィア島、2週間の孤独
エースが、死んだ。
その映像が、また頭の中で流れた。
炎。叫び声。血の匂い。倒れていく背中。
タイガは目を開けた。
岩だった。固くて黒い、火山性の岩礁。打ち付ける波の音。潮の匂い。空は灰色で、雲が重く垂れ下がっていた。
(ここは……)
起き上がろうとして、体がおかしいと気づいた。
軽い。
腕が、細い。
タイガは自分の手を見つめた。16歳の頃の手だ。19歳まで使い込んで、傷だらけになって、硬くなったはずの手じゃない。まだ少しだけ、子供の柔らかさが残っている。
左腕から胸にかけて、火傷の瘢痕が走っているのだけが、あの日の記憶と同じだった。
ゆっくりと、頭が追いついてきた。
「[whispers]……戻れた」
声が、若い。
震える手を握りしめた。夢じゃない。岩の冷たさが、リアルだ。波しぶきの塩気が、リアルだ。
嵐の夜。炎が暴走した。渦が生まれた。気づいたら、ここにいた。
グランドライン。偉大なる航路の前半域——通称「楽園」。レッドラインとグランドラインが世界を4つの海に切り分けて、イーストブルー・ウエストブルー・ノースブルー・サウスブルー。その境界線を越えた先に広がる、危険な海域だ。海軍と海賊と革命軍が三つ巴でぶつかり合い、悪魔の実の能力者が普通に歩き回っている世界。そこに今、タイガは一人で放り込まれた。16歳の体で。ログポースもなしで。
「[serious]……やるしかないんだよな」
誰もいない岩礁に、声だけが落ちた。
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島の名前はわからなかった。
直径8kmくらいの、火山性の岩礁。木は少ない。砂浜は少しだけある。人の気配はゼロだ。
腹が減った。
まず水だ、とタイガは動き始めた。19歳の記憶と、16歳の体。脚力が落ちているのを感じながら、急な斜面を登る。息が上がる。情けないくらい早く息が切れる。
「はあ、はあ……マジかよ」
山頂近く、岩の割れ目から水が染み出していた。湧き水だ。タイガは手で掬って口をつけた。冷たくて、きれいだ。喉が痛いくらい乾いていたのに、今まで気づかなかった。
生きてる、と思った。
変な感覚だった。エースが死んで、2年間、生きることにあまり意味を感じていなかった。でも今は、水を飲んで、ちゃんと生きたいと思っている。
それだけエースを取り返したい、ということだ。
海岸に戻って、岩の間に取り残された海藻を集めた。小さな潮だまりで魚を追いかけた。何度か逃げられた。4回目でようやく1匹捕まえた。生で食べた。まずかった。でも食べた。
夕方、岩に背中を預けて空を見上げた。
エースのことを、思い出した。
幼い頃、3人で盃を交わした日のことを。エースとルフィとタイガ、3人の義兄弟。酒なんてなかったから、麦茶を使った。エースが「これで俺たちは本物の兄弟だ」と言って、ルフィが「あたりまえだろ!」と怒鳴って、タイガは笑っていた。くだらない記憶だ。でも、ずっと忘れられない。
エースが白ひげの船から手を振った日のことも。
2番隊隊長になったエースが、「俺はお前たちを絶対に守る」と言っていたことも。
そしてマリンフォードで——エースが炎に包まれて、倒れていったことも。
タイガは目を閉じた。その映像だけは、鮮明すぎて消えない。
(止める。今度こそ、止める)
砂浜に降りた。流木の枝を拾って、砂に文字を書き始めた。時系列だ。記憶が薄れる前に、残しておかないといけない。
「バナロ島の決闘——約2年半後」
「マリンフォード頂上戦争——約3年後」
エースが黒ひげ——マーシャル・D・ティーチと激突するのが、バナロ島だ。そこでエースが負ける。捕まる。海軍に引き渡される。そしてマリンフォードで、公開処刑になる。
全部わかってる。全部、知ってる。
でも——知ってることと、止めることは全然ちがう。
タイガは枝を砂に突き刺した。
一人じゃ無理だ。絶対に無理だ。バナロ島でエースと黒ひげの間に割り込むには、エースを止められるだけの力か信頼か、あるいはその両方が必要だ。マリンフォードの頂上戦争なんて、もっと話にならない。
仲間がいる。
戦える人間。航海できる人間。裏社会を知る人間。
「[serious]まず船と仲間だ」
声に出すと、少しだけ現実になった気がした。
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3日経った。
島を探索しながら、タイガは食料の確保と地形の把握を続けた。火山性の岩礁だから、平らな場所が少ない。洞窟がいくつかある。雨をしのぐには使えそうだ。
4日目に、少し大きな洞窟を見つけた。
奥まで入ってみると、暗い。タイガは左手に炎を小さく灯した——カゲロウの炎だ。悪魔の実の能力じゃない。出自もわからない。でも昔から体の中にある、タイガだけの炎。平常時は拳や足に纏わせて戦闘に使える。オレンジ色の、揺らぐ炎だ。
その炎に照らされた壁に、刻印があった。
タイガは足を止めた。
古代文字、みたいなものだ。見慣れない記号が並んでいる。その中に——炎を模した形があった。
揺れる形。カゲロウの炎と同じ、あの不安定な揺らぎ。
「[surprised]……なんで」
声が洞窟に吸い込まれた。
なぜここに、この形が。誰が刻んだ。いつ。何のために。
答えは出ない。洞窟は何も答えない。タイガはしばらく壁を見つめていたが、結局わからないまま外に出た。
夜、岩に背を預けて空を見ていたら、またエースの映像が来た。
今度は鮮明だった。炎。倒れる背中。ルフィの叫び声。血。
「——っ」
左腕から炎が噴き出した。
制御できていない。感情が乱れると、炎が暴れる。これがカゲロウの炎の一番怖いところだ。平常時は拳に纏わせる程度だが、強い喪失感や怒りが引き金になると、半径50mを焼き尽くす暴走を起こす。その時、タイガ自身の体も灼ける。
左腕と胸の瘢痕は、過去にそれをやらかした痕跡だ。エースが死んだあの瞬間、感情が爆発して、炎が制御できなくなった。その暴走が、多分、時間の渦を生み出した。
「[angry]落ち着け……!」
自分に言い聞かせる。岩を握りしめる。冷たい。硬い。今ここにある、この感触に集中する。
炎が、ゆっくり引いた。
左腕に焦げた跡が残っていた。岩壁も少し黒くなっている。
タイガは長く息を吐いた。
(感情を乱したらダメだ。炎は武器であると同時に爆弾だ)
わかってる。でも、エースの映像が来るたびに、それが難しくなる。
空を見上げた。星がきれいだった。波の音が一定のリズムで聞こえる。タイガはしばらくその音を聞いていた。何もしなかった。ただ、聞いていた。
それで少し、落ち着いた。
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2週間が経った。
海岸に、小舟の残骸が流れ着いていた。嵐で壊れたんだろう。板材とロープが散らばっている。使える部品もある。
タイガは3日かけて、舟を組み直した。
完璧じゃない。隙間から水が染みる。でも、動く。それで十分だ。
出航の前、タイガはもう一度砂浜の時系列を見た。棒で書いた文字は、波に半分消されていたけど、まだ読める。
「バナロ島の決闘——約2年半後」
2年半。長いようで、短い。
ログポースがない。グランドラインでは、ログポースがないと方角すら定まらない。でもタイガには未来の記憶がある。カラビナ港町——グランドライン前半のログポースルート上にある、人口1万2千の港町。大まかな方角は、南東だ。星の位置を頼りに行く。それしかない。
(仲間が必要だ)
タイガはもう一度、頭の中で繰り返した。
戦える人間。航海できる人間。裏社会を知る人間。一人では何も変えられない。この2週間、ずっとそれを痛感し続けた。
「[serious]行くぞ」
誰もいない海岸に、声だけが落ちた。
舟を押して、波に乗せた。
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最初の数時間は穏やかだった。
オールを漕ぐ。リズムよく。波に合わせて。空は晴れていて、星がよく見えた。タイガは星の位置を確認しながら、南東へ向かった。
でも、夜中を過ぎた頃から雲が増えた。
風が変わった。
波が、高くなった。
「[scared]まずい……」
エルグリム海峡。ポルト・ネイラとカラビナの間に広がる、海流が異常に激しい海峡だ。幅30km。熟練の航海士でも通過に半日かかる。そこに、タイガの修理した小舟が飲み込まれ始めていた。
波が舟を叩いた。隙間から水が入ってくる。オールを漕いでも、流れに逆らえない。渦潮が右に見えた。あの中に入ったら終わりだ。
「[scared]くそ……っ!」
恐怖で、胸の奥が締め付けられた。
その瞬間——左腕が熱くなった。
炎が、出た。
暴走じゃない。でも、抑えきれていない。嵐の海の上で、炎が一瞬だけ、橙色の光を放った。
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カラビナ港町。
港に面した小屋の中で、レイナ・ヴェラールは古い海図を広げていた。
17歳とは思えない落ち着いた目。白銀のロングヘアを後ろでひとつにまとめていて、日焼けした肌に細い傷が一本、頬をよぎっている。身長は165cm、細身だが、航海士の仕事で鍛えた体だ。今日も白いシャツの袖をまくり上げて、ペンで海図に書き込みをしていた。
エルグリム海峡の地図だ。岩礁の位置、渦潮のポイント、安全な通過ルート。レイナはこの海峡の全てを頭に入れていた。入れるしかなかった。3年前、この海峡で弟を失ったから。
(ベロ、お前が死んだこの海峡を、私はもう誰にも殺させない)
そう思いながら、水先案内の仕事を続けていた。バロッサ商会——グランドライン前半の裏社会を仕切る武器商人のネットワーク——が、この海峡での事故に関わっていると、レイナは確信している。でもまだ証拠がない。仲間もいない。だから今は、稼いで、待っている。
夕方、宿屋「波音亭」に立ち寄った。
食事付き5000ベリー。レイナには少し高いが、ここの女将のポーラが作る魚のスープが好きだった。カウンターに座って、スープを一口飲んだ。温かい。
隣のテーブルから、老水夫の声が聞こえた。
「……未来を知る男がいるらしいぜ」
「どこの話だ」
「ポルト・ネイラだ。バロッサ商会が情報を売ってるって話だ」
レイナの手が止まった。
ポルト・ネイラ。バロッサ商会の本拠地。嫌な名前だ。
「未来を知る男」というのが何を意味するのか、レイナにはわからない。でも——バロッサ商会が動いているなら、何かがある。何か、大きなものが。
スープを飲み干して、外に出た。
港の風が冷たかった。海峡の方向を見る。今夜は嵐が来る。
レイナは感じ取れた。潮の匂いが変わっている。風の向きが変わっている。
(もう出てる船があったら、まずいな)
水先案内の仕事は夕方で終わっていた。でも、レイナは小型船を出した。
習慣だ。嵐の前に海峡を確認する。誰かが助けを必要としているかもしれない。弟を救えなかったレイナには、それだけが今できることだった。
望遠鏡で海面を流していたとき、見えた。
渦の中で、転覆しかけている小舟。
そして——炎。
嵐の中で、一瞬だけ橙色の光が瞬いた。炎だ。誰かが炎を出している。こんな嵐の、こんな海の中で。
レイナは望遠鏡を下ろした。
青い瞳で、海峡の中心を見つめた。
(あんな嵐の中で炎を出す人間がいる)
ひとつ、深呼吸した。
舵を切った。嵐の中心へ向かって。
波が高い。風が強い。レイナは構わず進んだ。エルグリム海峡の流れも岩礁も渦潮の位置も、全部頭の中に入っている。この海峡で誰よりも多くの時間を過ごしてきた。怖くないわけじゃない。でも、行かないという選択肢がレイナにはなかった。
橙色の炎が、また一瞬、嵐の中で光った。