極星寮・今日も平和(?)です!
日本一の料理学園・遠月茶寮料理学園。その片隅に建つ、築六十八年のおんぼろ寮「極星寮」――通称・変人の巣。
発酵食品を爆発させる先輩、風呂上がりは常にふんどし一丁の一色先輩、そして笑顔の奥に鬼を飼う寮母・文緒さん。そんな個性豊かな住人たちに囲まれて、創真の寮生活は今日も賑やかだ。
ある日突然言い渡された「部屋の掃除チェック」。最低評価には地獄の読書レポート十冊が待っている――はずが、創真の部屋は不用品と謎の食材に埋め尽くされた、もはや災害現場。
「この食材、まだ使えるんじゃね?」
掃除そっちのけで始まる新作料理への挑戦。北欧産の激臭缶詰、刃こぼれ包丁、謎の乾物たち。果たして創真は、一週間でこの惨状を切り抜け、文緒さんの逆鱗から逃げ切れるのか――?
騒がしくて、ちょっと美味しそうな寮生活コメディ、開幕!
極星寮・今日も平和(?)です! - 缶詰地獄とふんどし参謀
月曜の放課後。
部屋のドアを開けた幸平創真は、六帖の和室にそびえ立つ段ボールの山を見て、大きくため息をついた。
「よし、やるか」
まず一番手前の段ボールを開ける。
中から出てきたのは、黄色く変色したドリアンの真空パック。それから、ラベルの剥がれた瓶詰めが三個。蓋を開けようとしたら、中から黒い何かが――
「うわっ!」
思わず瓶を落としそうになる。中身は乾燥した何かの幼虫だった。たぶん、食用。たぶん。
「誰だよこんなもん押し付けたの……」
頭をガシガシかきながら、創真は次の段ボールに手を伸ばす。
窓の外からは、遠くで運動部のかけ声が聞こえていた。遠月学園には千人の生徒がいるが、卒業できるのは百人程度という超エリート校だ。食戟と呼ばれる料理勝負で全てが決まる、実力至上主義の世界。
そんな過酷な学園の中で、極星寮は特別な場所だった。
築六十八年の木造二階建て。定員は三十人なのに、今は十人くらいしか住んでいない。その十人も、夜中に発酵食品を爆発させるやつとか、ふんどしでうろつく先輩とか、とにかく変わり者ばかり。
でも、創真はこの寮が好きだった。
ここではみんな、料理のことだけを考えていられる。身分も家柄も関係ない。ただ美味いものを作ったやつが偉い。
そんな極星寮の絶対権力者が、寮母の大御堂文緒だ。
小柄で、いつもニコニコしていて、普段は本当に優しい。でも部屋の掃除チェックになると人が変わる。最低評価を取ったやつには、課題図書十冊分の読書レポートが課される。一冊四百ページの専門書を十冊。原稿用紙百枚分だ。
(あれだけは絶対にゴメンだ)
創真は気合を入れ直し、三つ目の段ボールを開けた。
中から出てきたのは、歪んだ泡立て器が五本。柄の折れたフライパンが三枚。刃こぼれした包丁が二本。
「これ、俺がもらったやつか……?」
思い返せば、この数ヶ月で先輩や同級生から「創真なら直せるだろ」「使い道あるだろ」って押し付けられたものばかりだ。捨てられずに、そのまま段ボールに突っ込んで、床に積み上げて、今に至る。
確かに、一色先輩の言った通りだ。
床が見えない。
その時だった。
「やあ、頑張ってるね」
振り返ると、ふんどし一丁の一色慧が、にこやかにドア枠にもたれかかっていた。風呂上がりらしく、濡れた茶髪がしっとりと額に張り付いている。細身の体に、やけに派手な赤いふんどしが眩しかった。
「一色先輩、服を着てくださいって言いましたよね」
「うん? でもこれが一番落ち着くんだ」
一色は全く気にした様子もなく、創真の部屋にずかずかと入ってくる。そして、床に積まれた段ボールを見渡して、嬉しそうに笑った。
「なかなか壮観だね。どれ、僕も手伝うよ」
「え、マジすか。助かります」
「もちろんだとも。同じ寮の仲間じゃないか」
そう言うと一色は、一番近くにあった段ボールを開け、中身を床にぶちまけた。ガサガサと音を立てて、乾燥ハーブと謎の粉末が畳の上に広がる。
「ちょっと! なにしてんすか!」
「仕分けだよ。これは使える。こっちはゴミ。ああ、でもこの粉末は面白い匂いがするね。何の香辛料だろう」
「だからって床にぶちまけなくても!」
「大丈夫大丈夫。掃除ってのはね、まず全部出すのが基本なんだよ」
一色は全く悪びれずに、次の段ボールも開ける。今度は真空パックの何かが飛び出して、窓際まで転がっていった。
創真は頭をかきむしった。
(手伝う気あるのか、この人)
でも、一色のこういう「ゆるさ」は、今に始まったことじゃない。高等部二年で料理の腕はピカイチ。でもいつもふんどしでうろついて、掃除の邪魔をして、なぜか最終的にみんなを笑顔にする。
極星寮一の変わり者。
でも、創真はこの先輩を嫌いになれなかった。
「創真くん、これは?」
一色が一番奥の段ボールの底から、無表示の缶詰を取り出した。銀色のシンプルな缶。ラベルはない。でも妙に重い。
「ああ、それか。昨日も一個見つけたんすよ。スウェーデンの缶詰で、くっさいやつ」
「へえ。それと同じかな? 開けてみよう」
「は? いやいや、やめといた方が」
でも一色はすでに缶切りを手に取っていた。創真の机の上にあったやつだ。
「珍しい食材かもしれないよ。それに、掃除中に面白いものがあったら、試さない手はない」
「面白いって……前回は部屋中が臭くなったんすけど」
「それもまた経験さ」
一色が缶に小さな穴を開けた。
プシュッ。
――次の瞬間。
「うわっ!!!」
強烈な匂いが部屋中に充満した。昨日の缶詰の比じゃない。
例えるなら、魚が腐って下水に浸かって三ヶ月経ったような匂い。それが鼻の奥を突き抜けて、目にまでしみる。
「なんだこれ! 昨日のよりひでえ!」
創真は鼻をつまみ、窓に駆け寄った。でも窓を開けても、匂いは全然逃げていかない。むしろ外の風で部屋中に拡散してる。
一色も一瞬だけ表情を歪めた。でもすぐに、
「これはすごい。スウェーデン産のシュールストレミング。発酵ニシンの缶詰だよ。かなり高級品だ」
「感心してる場合すか! これ、廊下にも漏れてますって!」
創真の言う通りだった。
匂いは換気扇を通って廊下に流れ、さらに隣の部屋へと広がっていった。
隣の部屋に住んでいるのは、イサミ・アルディーニだ。
普段は明るくて、恰幅のいいイタリア人留学生。兄のタクミと一緒に極星寮に住んでいる。昼寝が趣味で、この時間はいつも部屋で寝ているはずだった。
――ドサッ。
廊下で何かが倒れる音。
「な、なんだこの匂いは……気持ち悪い……」
飛び出してみると、イサミが廊下に倒れていた。顔面蒼白で、口を押さえている。
「イサミ! 大丈夫か!」
「ゆ、幸平……お前の部屋から……うっ」
イサミはそのまま気を失った。
「おい! イサミ! くそっ、誰か――」
「何をしたんだ、幸平創真ああああっ!!!」
階段を駆け上がってきたのは、イサミの兄、タクミ・アルディーニだ。
銀色の髪をなびかせ、青い目を怒りに燃やしている。弟思いの熱血漢で、イタリアンレストラン「トラットリア・アルディーニ」の看板息子。
「イサミ! イサミ、目を覚ませ!」
タクミは弟の無事を確認すると、異様な悪臭に気づいて創真の部屋を覗き込んだ。
そして、部屋の中央に置かれた開封済みの缶詰を見つける。
「お前……シュールストレミングを開けたのか!? しかも部屋の中で!?」
「いや、正確には一色先輩が……」
「やあ、タクミくん。いい匂いだろう」
一色がふんどし姿で手を振る。
タクミは額に青筋を浮かべた。
「いい匂いなわけあるか! イタリアにも魚の発酵食品はあるが、ここまで酷くはない! それに、これを密閉された空間で開けるなんて、正気か!? このままだと寮全体が数日間使えなくなるぞ!」
「マジすか」
「マジだ! 幸平、お前はこの大惨事をどうするつもりだ!?」
タクミの剣幕に、創真は思わず一歩下がる。
確かに、ただの掃除のはずが、今や「寮全体を危険にさらした男」になっていた。廊下ではイサミが倒れてるし、他の寮生も異変を感じて部屋から顔を出し始めている。
「なんだ、この匂い……」
「幸平の部屋からだ!」
「またあいつ、何かやったのか……」
寮生たちのささやきが聞こえる。
創真は唇を噛んだ。
(やべえ。完全に俺が悪い)
でも、その時だった。
「みんな、落ち着いて」
一色がゆっくりと廊下に出る。なぜか、そのふんどし姿には妙な落ち着きがあった。
「確かに匂いは強烈だ。でもね、これは我々極星寮に与えられた試練だと思わないかい?」
「「「は?」」」
寮生たちが声を揃える。
「掃除チェックは一週間後。だが、今我々の前に立ちはだかっているのは、単なるゴミの山じゃない。この悪臭こそが、掃除の真の敵だ。そうだろう?」
「……なんの話だ?」
「つまり、この匂いを除去すること。それ自体が料理と同じなんだよ。素材の匂いを理解し、適切な処理を施す。我々は料理人だろう? この程度の匂い、克服できなくてどうする」
一色の言葉に、寮生たちが顔を見合わせる。
最初は意味不明だったのに、なぜかちょっと納得しそうになる。
「……まあ、確かに料理人は匂いとの戦いではあるな」
「そうだろ? 創真くんも分かってきたじゃないか」
「とにかく、この匂いをどうにかしないと話にならん」
タクミが溜息をつく。
「イタリアでは、炭と重曹を使う。うちの実家でも、魚を扱った後の手の匂い消しに使ってたんだ。幸平、お前の部屋にも炭を置け。それから窓を全開にして、換気を最優先だ」
「お、さすがタクミ! 詳しいな!」
「褒められても嬉しくない! これはお前の尻拭いだ!」
その時、倒れていたイサミが目を覚ました。
「うう……兄貴……」
「イサミ! 大丈夫か?」
「……換気扇、倉庫に大きいのがあったはず」
「え? お前、気絶してたのに、それ考えてたのか?」
「だって……このままじゃ寮の飯がまずくなる」
イサミはふらふらと立ち上がると、倉庫に向かって歩き出した。その後ろ姿を見て、タクミが苦笑する。
「あいつは、食いしん坊だからな。でも、それがいい」
「よし! じゃあ俺は炭を探してくる! タクミ、場所はどこだ?」
「学園の実習棟にあるはずだ。俺が案内する」
「僕は寮の他の部屋を確認してくるよ。匂いが広がってないか、チェックしないとね」
気がつけば、みんなで役割分担ができていた。
さっきまで「寮の空気を汚染した男」だった創真も、今はチームの一員になっている。
(一色先輩のあの変な話、効いたのか?)
創真は自分でもよく分からなかったが、とにかく動き出した。
――三時間後。
窓という窓を全開にして、大型換気扇を四台も回し、さらに部屋中に炭を置きまくった結果。
なんとか匂いは「息ができるレベル」まで回復した。まだちょっと魚っぽいけど、気絶するほどではない。
「ふう……なんとかここまで来たか」
創真が汗を拭いながら部屋を見渡す。
そして、気づいた。
――掃除の進捗、ゼロ。
むしろ、匂い対策のために段ボールを廊下に積み上げたりしたせいで、部屋は最初より散らかっている気がする。
「……マジか」
創真はがっくりと肩を落とした。
月曜の放課後から始めたのに、気がつけばもう夜の十時だ。一週間の猶予のうち、初日がこれで終わった。
「創真くん、落ち込んでるのかい?」
いつの間にか、一色が背後に立っていた。相変わらずふんどし姿だ。
「一色先輩……俺、今日一日で何もできてないです。むしろ状況が悪化したような」
「そんなことはないよ。今日の最大の敵はゴミじゃなくて、悪臭だった。それを見事に撃退したじゃないか」
「……まあ、そうっすけど」
「それにね、掃除ってのは一日で終わらせるものじゃない。少しずつ、毎日やるものなんだ」
一色が部屋の奥を指さす。
そこには、壊れた調理器具の山がそびえ立っていた。
柄の折れたフライパン。刃こぼれした包丁。歪んだ泡立て器。それから、何に使うのか分からない変な形の器具も。
今日はまだ、手をつけられていない。
「あれが、次の壁だね。壊れたものは、捨てるだけじゃない。直せるか、別の使い道があるかを見極める必要がある」
「直す……でも、俺、道具の修理は素人っすよ」
「いいや、君ならできるさ。料理人ってのは、道具と食材を最もよく理解している人間だからね。それに――」
一色が、畳の上に転がった缶詰を見つめる。匂いの元凶だ。
「あの缶詰、誰のものか調べたほうがいいよ」
「え?」
「ラベルが剥がされている。わざわざ隠す理由があったのかもしれない。スウェーデン産の高級品が、なぜ君の部屋に?」
言われてみれば、確かに変だ。
昨日見つけた缶詰も、今日の缶詰も、同じ種類のものだ。海外の珍しい食材が、普通の学生の部屋にある理由。
「……誰かがわざと置いたってことすか?」
「さあね。でも、心当たりがあるなら、早めに聞いておいた方がいい」
一色はそう言い残すと、ふんどし姿のまま部屋を出ていった。
創真は一人、部屋の真ん中に立つ。
周りには、仕分け途中の段ボール。強烈な匂いの残り香。そして、これから立ち向かわなければならない壊れた調理器具の山。
「……面白くなってきた」
小さく呟く。
掃除はまだ何も進んでいない。むしろ、問題は増えた。
缶詰の持ち主は誰なのか。なぜ俺の部屋にあるのか。壊れた器具をどうするか。一週間で本当に片付くのか。
でも、
「やってみなきゃわからない、だろ!」
創真は拳を握りしめる。
今日の戦いは終わった。でも、明日からまた新しい戦いが始まる。
窓の外には、遠月学園の広大な森が広がっている。
その森のどこかに、薙切家の大邸宅があることを、創真はまだ知らなかった。そしてその邸宅で、ある少女が大事な研究サンプルを探していることも。
――三日目の朝が来るまで、あと七時間。
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