極星寮・今日も平和(?)です!
日本一の料理学園・遠月茶寮料理学園。その片隅に建つ、築六十八年のおんぼろ寮「極星寮」――通称・変人の巣。
発酵食品を爆発させる先輩、風呂上がりは常にふんどし一丁の一色先輩、そして笑顔の奥に鬼を飼う寮母・文緒さん。そんな個性豊かな住人たちに囲まれて、創真の寮生活は今日も賑やかだ。
ある日突然言い渡された「部屋の掃除チェック」。最低評価には地獄の読書レポート十冊が待っている――はずが、創真の部屋は不用品と謎の食材に埋め尽くされた、もはや災害現場。
「この食材、まだ使えるんじゃね?」
掃除そっちのけで始まる新作料理への挑戦。北欧産の激臭缶詰、刃こぼれ包丁、謎の乾物たち。果たして創真は、一週間でこの惨状を切り抜け、文緒さんの逆鱗から逃げ切れるのか――?
騒がしくて、ちょっと美味しそうな寮生活コメディ、開幕!
極星寮・今日も平和(?)です! - 神の舌、悪臭にキレる
火曜日の朝。
極星寮の廊下に、昨日よりは少しマシになったけど、それでも鼻を刺すような変な匂いがまだ残ってた。
幸平創真は自分の部屋で、布団を頭からかぶって寝てる。
昨日あれから一色先輩と一緒に、窓を全開にして一晩中換気してたんだ。おかげで寝不足だ。
トントントン、と誰かが階段を上がってくる音がする。
でも創真は気づかない。
ぐっすりだ。
――ガラッ!
部屋のドアが勢いよく開いた。
「ちょっと! これはどういうことですの!」
創真は飛び起きた。
「うおっ!?」
目の前に立ってたのは、腰まである金髪を後ろで少し結んだ、紅紫色の大きな瞳の女の子だ。
白いブラウスに、遠月の制服のスカート。
左手の薬指には、キラリと光る薙切家の指輪がはまってる。
怒りで肩が震えてる。
きれいな顔が真っ赤だ。
「な、なんであんたがここに……」
創真は寝ぼけた頭で、彼女の名前を口にした。
「薙切……絵里奈?」
遠月茶寮料理学園で、一番すごい味覚「神の舌」を持つ女の子。
十傑評議会の第十席。
いつもは校舎で会うのに、なんで極星寮に?
「とぼけないでください! この悪臭! 寮の外まで漂ってきてますのよ! 登校前にあまりのひどさに立ち寄ってみれば――」
絵里奈は部屋の中をぐるりと見回した。
床には仕分け途中の段ボール箱。
壊れたフライパンや包丁の山。
それから、開けられた缶詰。
絵里奈の目が、缶詰で止まった。
「こ、これは……私が取り寄せた北欧産の発酵ニシン缶じゃありませんこと!?」
絵里奈の声がひっくり返る。
「え、お前のかよこれ」
「そうですわ! スウェーデンの職人が三年かけて発酵させた研究用の貴重なサンプル! 一缶三千五百円もしたんですのよ! なんであなたが開けてるの!?」
絵里奈が早口でまくしたてる。
髪をかき上げる仕草が、よほど怒ってるのを示してた。
「いや、部屋にあったから。珍しい食材かなと思って」
「開ける前に確認しなさい! ラベルにスウェーデン語で『開封注意』って書いてあったでしょう!」
「スウェーデン語なんて読めるかよ」
「な、なですって……!?」
絵里奈は言葉に詰まった。
確かに、普通の高校生はスウェーデン語なんて読めない。
「だいたい、なんでお前の研究サンプルが俺の部屋にあるんだよ。管理が甘いんじゃねえの」
創真が反撃に出た。
「そ、それは……」
絵里奈の顔が赤から青に変わる。
そうだ。
なんで自分の缶詰が、創真の部屋にあるんだろう。
研究室に保管してたはずなのに。
心当たりが――ある。
(アリス……)
従妹の薙切アリスの顔が頭に浮かんだ。
あの笑顔。
「実験」と称して、平気で人のものを隠したりする。
でも、ここでアリスの名前を出すわけにはいかない。
薙切家の恥になる。
「と、とにかく! 管理の問題は後で調べますわ! それより弁償です! 缶詰の代金と、研究データの損失分を――」
絵里奈が話を戻そうとしたときだった。
「やあ、朝からにぎやかだね」
声のした方を見ると、ふんどし姿の一色慧先輩がドア枠にもたれかかってた。
風呂上がりなのか、濡れた茶髪が額に張り付いてる。
細身の体には、今日も派手な赤いふんどし。
「な、なにあの方!? ふんどしですの!?」
絵里奈が悲鳴を上げた。
「僕は一色慧。極星寮の二年生だよ。薙切さん、はじめまして」
「はじめましてじゃありませんわ! 服を着なさい!」
「うん? でもこれが一番落ち着くんだ」
一色は全く気にせず、部屋の中に入ってきた。
「それで、何の話かな。缶詰の代金と研究データの損失を弁償しろって聞こえたけど」
「そうですわ! この男が勝手に開けて――」
「金はない。でも代わりに、その臭いを使った新料理を開発してやるよ」
創真が突然言った。
「……は?」
絵里奈が固まる。
「なあ、よく考えてみろよ。こんなに強烈な発酵食品、普通は手に入らないぜ。これで何か作れるかもしれないだろ。やってみなきゃわからない!」
創真の琥珀色の目がキラキラしてる。
頭をガシガシかきながら、もうすでに料理のことを考えてる顔だ。
「あ、あんた……何言ってるの!? 低俗な定食屋の発想で私の研究を汚さないでください!」
「定食屋の発想、悪いかよ。美味いもんは美味いんだ。お前の神の舌だって、美味いものには正直なんだろ?」
「な……ッ」
絵里奈は言葉に詰まった。
図星だ。
どんなに高飛車に言っても、自分の舌は嘘をつけない。
創真の型破りな料理に、いつも心のどこかで興味を持ってる自分がいる。
「面白いね。神の舌で、この悪臭の活用法を研究するのも、新しい味覚の可能性かもしれないよ」
一色がニコニコしながら言った。
「な、なにを勝手なことを……!」
「それとも薙切さんは、この未知の食材を、分析もせずに捨てるのかい? それは料理人として、どうなんだろうね」
一色の目が、一瞬だけ真剣になる。
絵里奈はギリッと唇を噛んだ。
(……この人、ただの変態じゃない)
一色の言葉は、料理人のプライドをくすぐる。
負けられない。
「……分かりましたわ! 協力してさしあげます! でも、これは私の研究のためです。あんたのためじゃありませんから!」
絵里奈が、髪をかき上げながら宣言した。
「よし、決まりだな!」
「いいね、話がまとまって」
その時だった。
廊下で、小さな足音がした。
「あ……あの……」
声の主は、田所恵だった。
肩までの青みがかった黒髪を、花柄のピン止めでとめてる。
手にはモップとバケツを持ってた。
「掃除、手伝おうと思って……でも、なんだかすごいことになってて……」
恵は部屋の中の言い争いを、廊下からこっそり覗いてたらしい。
「恵、大丈夫だ。今、会議が終わったとこだ」
「会議……?」
恵がきょとんとする。
その拍子に、髪から花柄のピン止めが落ちた。
――カチャン。
小さな音。
でも、誰も気づかない。
絵里奈は缶詰の分析に夢中だし、一色はふんどし姿でニコニコしてるし、創真は壊れたフライパンを手に取って何か考え込んでる。
恵は急いでモップとバケツを置いて、その場を離れた。
顔が真っ赤だ。
「ああ……ピン止め、落としちゃった……」
廊下の角で、恵は一人で頭を抱えた。
あのピン止め、三ヶ月前になくしたやつだ。
どうして創真くんの部屋にあったんだろう。
(もしかして……前に料理の相談で部屋に行ったとき……?)
思い出して、余計に恥ずかしくなる。
でも、今あの部屋に取りに戻る勇気はなかった。
――その頃、部屋の中では。
「まず、炭を細かく砕いて。それを部屋の四隅に置きますわ」
絵里奈が指示を出してた。
「炭?」
「臭いの成分は硫化水素。炭の表面の小さな穴が、その分子を吸着しますの。それから、酢を水で薄めたものを霧吹きで撒いて。酸がアンモニア系成分を中和するわ」
絵里奈の説明は、まるで化学の授業みたいだ。
「さすが神の舌だな。匂いだけで成分が分かるのか」
「当たり前ですわ。あなたの適当な舌とは違いますの」
でも、絵里奈の口元がちょっとだけ緩んでるのに、創真は気づいてなかった。
(本当は……ちょっと面白いかも)
絵里奈は心の中でそう思ってる自分に気づいて、あわてて首を振った。
「さあ、さっさと片付けますわよ! 一色先輩も手伝ってください!」
「はいはい。ふんどし姿で失礼するよ」
「だから服を着なさい!!」
三人で掃除を始める。
炭を砕いて置いて、酢水を撒いて。
窓を全開にして換気扇も回す。
一時間ほどで、部屋の匂いはだいぶマシになった。
でも、その代わりに現れたのは――。
「……なんですの、この壊れた調理器具の山」
床のゴミをどかした下から、柄の折れたフライパンが五枚。
刃こぼれした包丁が四本。
歪んだ泡立て器が六本。
それから、何に使うのか分からない変な形の器具も。
「これが彼の『レベル』ってやつさ」
一色が面白そうに言う。
「呆れましたわ……こんなに壊れたものばかり集めて、どうするつもりですの?」
「直すか、別の使い道を考えるか。どっちにしろ、捨てるのはもったいないだろ」
創真は真顔で答える。
「そうだね。壊れたものほど、面白い使い道があるものさ。僕はそう思うよ」
一色がフォローを入れる。
絵里奈はそれ以上、何も言えなくなった。
確かに、捨てるだけが正解じゃない。
それは、料理人なら分かるはずだ。
「……でも、掃除チェックまでに全部片付くとは思えませんわね」
絵里奈はため息をついた。
部屋の片付けは、まだ半分も終わってない。
一週間の猶予も、もう三日が過ぎた。
「やってみなきゃわからないだろ」
創真は相変わらずの笑顔だ。
「その根拠のない自信はどこから来ますの……」
絵里奈は呆れながらも、少しだけ笑った。
それから、ふと真剣な顔になる。
「……あの缶詰の件。誰かが意図的に、あなたの部屋に置いた可能性がありますわ」
「え?」
「心当たりはありますの? 最近、あなたの部屋に誰か来たとか」
創真は考え込んだ。
先輩や同級生はよく来る。
でも、わざわざ缶詰を隠すようなやつがいるだろうか。
「いや……ちょっと分からないな」
「……そう。まあいいですわ。とにかく、気をつけなさい。これは悪戯では済まないかもしれないから」
絵里奈はそれだけ言うと、部屋を出ていった。
――頭の中では、アリスの名前を思い浮かべながら。
創真は一人、部屋の真ん中に立った。
床には、恵のピン止めが落ちてる。
でも、まだ気づかない。
「……面白くなってきた」
小さく呟いて、創真は窓の外を見た。
学園の森の向こうに、薙切家の大邸宅がちらりと見える。
あの日――缶詰を開けた瞬間から、何かが動き始めてる。
掃除チェックまで、あと四日。
床にはまだ、大量の壊れた調理器具と、謎の段ボール箱が残ってる。
それから、誰のものか分からない小さなピン止め。
そして部屋の奥には、極秘書類――十傑評議会の資料が眠ってる。
まだ誰も、そのことに気づいていなかった。
窓から吹き込む風が、カーテンを揺らす。
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