生存者のための遺書
近未来社会では、人類は支配する者と支配される者に分かれている。支配される者に権利はない。親のいない子供たちは施設で育てられ、成人すると使い捨ての資源として送り出される。支配階級の貴族であるヴェルナーは、こうした人々を使ったデスゲームを娯楽として主催している。予選は単純な消耗戦だ――何百人もが走り、生き残った者だけが本戦へ進む。本戦の勝者には「人権」が約束される。
カイトとレンは、ともに施設育ちで、別々の予選を運だけで生き延びた。本戦は砂時計都市と呼ばれる封鎖地区で行われる。参加者は全員、位置と所持アイテム数を観客に配信する装置を身につけている。支配者たちは賭けをし、脱落のたびに歓声を上げる。
カイトとレンは初めて出会い、すぐに互いを疑い合う。大所帯のグループに追われ、渋々手を組む。二人はそれぞれ独自に、同じ戦略を考え出していた。所持アイテム数ゼロのふりをするのだ。若い運用助手のサラは、淡々とルールを説明する。「指輪は六十個。生存ラインは三点。タイムアウトは即死」
しかし二人は同時に、ある抜け穴に気づく。未確認の指輪は装置に表示されない。確認するまで、自分の所持品を隠せるのだ。二人
生存者のための遺書 - 砂時計の街 ―― 抜け穴を拾う二人
スナドケイ区の空気は、昼を過ぎてもまだ冷たかった。
廃工場の群れがつくる影は長く伸びて、ひび割れたコンクリートの地面に黒い筋をいくつも描いている。カイトは、崩れかけた壁のくぼみに背中を預けて、じっとしていた。
呼吸は浅い。肩の力は抜けている。目だけが、絶えず動いていた。
遠くで、男の怒鳴り声がした。金属がコンクリートを叩く音。それから、何か重いものが倒れる音。
本選が始まって、まだ半日も経っていない。
それでも、スナドケイ区はもう、人が人を探す狩り場になっていた。
カイトは膝を抱えるようにして座り、腕輪型のリソース端末に目を落とした。
端末の表面には、所持指輪数が表示される小さな窓がある。今はそこに「0」と浮かんでいた。
タグと呼ばれるこの装置は、参加者全員の頸動脈に埋め込まれたマイクロ爆弾と連動している。時間切れ、または規則違反があれば、その場で起動する。外すことはできない。
位置情報は、観客にリアルタイムで配信されている。
つまり、ここにいる限り、自分がどこにいるのかは上層のホルダーたちに筒抜けだ。
だが、所持数だけは違う。
指輪を拾って、手にしなければ、端末は「0」を表示し続ける。
カイトは、この仕組みに気づいた瞬間から、自分を「無害な存在」として見せることを選んだ。
誰も信じない。誰にも見せない。
観客の賭けの対象にもならない。
ただの弱い参加者として、人混みから消える。
それが、カイトの選んだ戦法だった。
壁の向こうで、足音が近づいてきた。
二人分。いや、三人だ。
カイトは身じろぎしなかった。
足音は、カイトの隠れているくぼみの手前で止まった。
「おい、こっちにいなかったか」
「さあな。見てねえ」
「あのガキ、確かこっちに逃げたはずだろ」
「どうでもいいだろ。指輪持ってねえなら、追う価値もねえ」
三人の男たちは、それ以上探そうとしなかった。
彼らの会話は、カイトの耳に、はっきりと届いていた。
指輪を持っていない者には、価値がない。
このゲームでは、奪うものがなければ、殺す理由すら薄い。
カイトは、彼らが去っていくのを、壁の影から見送った。
男たちの背中が、崩れた工場の向こうに消える。
その直後だった。
「あーあ、物騒だねえ」
声は、真上から降ってきた。
カイトは顔を上げた。
錆びた太いパイプが交差する高さ二メートルほどの場所に、少年が座っていた。
茶色の癖毛。明るい琥珀色の瞳。頬にはそばかすが浮かんでいて、口元は、笑っているように見えた。
灰色の作業着の袖を、肘までまくっている。細い腕には、細かい古傷がいくつも走っていた。
カイトは、その少年に見覚えがあった。
本選開始直後、モニュメントの影から、人混みを離れて廃墟の奥へ消えていった、あの少年だ。
少年は、パイプの上で片膝を立てて座り、カイトを見下ろしていた。
その姿勢は、まるで古くからの知り合いにでも話しかけるかのように、力が抜けていた。
「あんた、さっきからずっとそこにいるじゃん」
カイトは答えなかった。
少年は、気にした様子もなく続けた。
「あの三人、あんたの目の前を通って行ったのに、全然気づかなかったみたいだね。すごい隠れ方だ」
カイトは、ゆっくりと立ち上がった。
壁に背中をつけたまま、少年から目を離さない。
「お前も、同じだろ」
声は、自分でも驚くほど平坦だった。
少年は、少しだけ首を傾げた。
その仕草は、わざとらしいほど無邪気に見えた。
「さあ? 俺はただ、上から見てただけだって」
「嘘だ」
カイトの声は、短く、乾いていた。
「お前、最初からあそこにいた。あの三人が来る前から、ずっと息を殺してた。気配を消すのが、うまい」
少年の笑みが、一瞬だけ、止まった。
ほんのわずかな間だった。
けれど、カイトの目は、その変化を逃さなかった。
少年は、パイプからひらりと飛び降りた。
着地の音は、ほとんどしなかった。
「へえ。あんた、面白いね」
少年は、カイトの正面に立った。
二人の距離は、およそ三歩分。
手を伸ばせば届く距離ではない。
互いに、相手の動きを見切れるだけの間合いだった。
カイトは、少年の目を見た。
明るい琥珀色の瞳。
その奥に、笑顔とは別の何かが沈んでいる。
カイトには、それがわかった。
この少年は、笑っている。
だが、目が笑っていない。
人懐こい笑顔を、武器として使う種類の人間だ。
「俺はレン。よろしく」
少年は、名を名乗った。
カイトは、それには応じなかった。
「名乗る意味があるのか」
「ないね。でも、呼び名がないと不便じゃん?」
「番号で呼ばれるのが、このゲームの規則だ」
「規則、ねえ」
レンは、笑った。
今度は、声に出して。
「あんた、規則を守るタイプには見えないけど」
「そうか」
カイトは、それだけ言って、壁から背中を離した。
「じゃあな」
踵を返す。
「待ってよ」
レンの声が、背中に追いかけてきた。
「あんた、指輪、持ってないでしょ」
カイトの足が、止まった。
振り返らない。
「お前もな」
沈黙。
風が、錆びたパイプの間を抜けて、かすかな金属音を立てた。
「そういうことに、しておこうか」
レンの声から、笑みが消えていた。
カイトは、肩越しに、ほんの少しだけ後ろを見た。
レンは、もう笑っていなかった。
無表情だった。
カイトがこれまで見てきた、どの参加者よりも、冷たい顔だった。
カイトは、何も言わずに、歩き出した。
レンも、それ以上、追ってはこなかった。
二人の間に、言葉はなかった。
だが、カイトの胸の奥には、一つの確信が残った。
あの少年は、同類だ。
そして、危険だ。
スナドケイ区の午後は、ゆっくりと傾いていった。
カイトは、区画の北側にある、崩れた工場の二階に身を隠していた。
窓ガラスはすべて割れていて、外の空気がそのまま流れ込んでくる。
床には、古い機械の部品や、折れたパイプの破片が散らばっていた。
壁には、かつて何かを吊るしていたらしい金具が、無数に突き出している。
カイトは、窓から外を眺めていた。
遠くに、砂時計型のモニュメントが見える。
高さ三十メートル。
区画の中央にそびえる、巨大な砂時計。
上部のガラス容器から、細い砂が、ゆっくりと落ち続けている。
あの砂が、すべて落ちきったとき、ゲームは終わる。
生存ラインは三点。
指輪は、全部で六十個。
カイトは、自分の端末に目を落とした。
表示は、まだ「0」のままだった。
指輪は、まだ一つも拾っていない。
このままでは、時間切れで死ぬ。
だが、今はまだ、動くべき時ではない。
参加者たちが、我先にと指輪を探して動き回っている間は、こちらも動けば目立つ。
殺し合いが始まるのは、指輪の所在が、ある程度、明らかになってからだ。
カイトは、窓から離れ、壁際に座り込んだ。
腹が、小さく鳴った。
最後に口にしたのは、投入前の配給ペーストだ。
灰色で、味のない、栄養だけを詰め込んだもの。
ソダテヤ第7で、毎日のように食べていた。
カイトは、作業着のポケットを探った。
何も入っていない。
食料は、支給されていない。
水もだ。
このゲームでは、生き延びるための手段を、すべて自分で見つけなければならない。
カイトは、目を閉じた。
眠るつもりはなかった。
ただ、無駄な体力を使わないために、体を休めているだけだ。
どれくらい、そうしていただろう。
外の空気が、わずかに変わった。
カイトは目を開けた。
遠くから、拡声器の音が聞こえてくる。
いや、拡声器ではない。
区画内に設置されたスピーカーだ。
朝、ルールを告げたのと同じ、女の声が、静かに流れ始めた。
「参加者の皆さん、こんにちは。運営補助のサラ・ノックスです」
カイトは、壁に背中をつけたまま、耳を澄ませた。
「これより、各区画を巡回し、規則の再確認を行います。皆さんの端末にも、同じ内容が通知されますので、ご確認ください」
声は、事務的で、感情が読めなかった。
「本選の会場は、スナドケイ区全域です。制限時間は、中央の砂時計が落ちきるまで。生存ラインは三点。会場内には、指輪が全部で六十個、隠されています」
カイトは、端末の画面を見た。
確かに、同じ内容の通知が届いている。
「指輪を手にすることで、所持数が確定し、端末に表示されます。所持数が三点に満たない場合、時間切れと同時に、頸動脈のマイクロ爆弾が起動します」
カイトは、息を吐いた。
知っている。
朝の宣告で、すでに聞いた。
だが、次の一言が、違った。
「なお、未確定の指輪は、端末に表示されません。拾わなければ、所持数は「0」のままです。ご注意ください」
カイトの指が、止まった。
未確定の指輪は、端末に表示されない。
拾わなければ。
つまり、隠し持てば。
カイトは、ゆっくりと顔を上げた。
観客にも、オッズマンにも、見えない。
スピーカーの声は、続いていた。
「規則ですので、確認してください。それでは、皆さんの健闘を祈ります」
スピーカーが、切れた。
カイトは、壁にもたれたまま、長い間、動かなかった。
頭の中で、一つの言葉が、繰り返し、響いていた。
未確定の指輪は、端末に表示されない。
拾わなければ、隠し持てば、誰にも見えない。
カイトは、自分の手のひらを見た。
指先の火傷痕が、薄暗い光の中で、白く浮かんでいた。
この手で、指輪を隠す。
誰にも知られず、誰にも奪われず、最後の瞬間まで。
カイトは、静かに、拳を握った。
夕暮れが、スナドケイ区に降りてきた。
空の色は、上層の照明板を通して、人工的な橙色に染まっている。
ケージには本物の空がない。
上層の居住区の底に張り巡らされた照明板が、昼と夜を作り出している。
カイトは、廃パイプの影を選んで移動していた。
日が落ちると、区画のあちこちで、参加者たちの動きが鈍る。
暗がりは、身を隠すには好都合だが、同時に、どこから襲われるかわからない危険も孕んでいる。
カイトは、足音を殺して歩いた。
靴底が、コンクリートの破片を踏む。
かすかな音。
それすらも、周囲の物音に紛れ込ませるように、呼吸を合わせる。
しばらく歩いたところで、カイトは足を止めた。
前方の廃パイプの影に、人影があった。
カイトは、身を低くした。
人影は、動かなかった。
座り込んでいる。
カイトは、ゆっくりと近づいた。
距離が、五歩分ほどに縮まったところで、人影が顔を上げた。
「よお」
レンだった。
カイトは、足を止めた。
「また会ったね」
レンは、廃パイプの根本に座り込み、膝を抱えていた。
口元には、あの笑みが戻っている。
「お前、ここで何してる」
「休んでる。見ての通り」
「一人でか」
「一人だよ。あんたもでしょ」
カイトは、答えなかった。
レンは、軽く肩をすくめた。
「ま、座りなよ。立ってると目立つって」
カイトは、レンから少し離れた場所に、腰を下ろした。
二人の間に、二歩分ほどの距離。
互いに、相手の手元と、周囲の気配を探れる間合いだった。
「あの放送、聞いた?」
レンが、静かに切り出した。
「聞いた」
「未確定の指輪は、端末に表示されないってやつ」
「ああ」
レンは、膝の上に置いた手を見つめながら、言った。
「あれ、わざわざ言う必要あるのかね。普通に考えたら、運営が教えるようなことじゃないじゃん」
カイトは、レンの横顔を見た。
レンは、笑っていなかった。
「規則の再確認、って言ってた。だから、規則の一部なんだろ」
「そうかもね」
レンは、顔を上げて、カイトを見た。
「でもさ、あれ、抜け穴だよね」
カイトは、レンの目を、まっすぐに見返した。
「拾わなければ、隠し持てば、観客にもオッズマンにも見えない。所持ゼロの弱い参加者として、最後まで泳ぎ切れる」
レンの声は、低く、静かだった。
「あんた、朝からずっと、そうするつもりだったんだろ」
カイトは、息を吐いた。
「お前もな」
レンは、少しだけ、口元を緩めた。
だが、目は笑っていなかった。
「まあね。だって、真っ向からやり合ったって、勝てる相手ばかりじゃないし」
レンは、膝を抱え直した。
「俺、予選で見たんだよ。死体の山を。その中に、指輪を何個も持ってた奴がいた。指、全部に嵌めてさ。それで、真っ先に殺されてた」
カイトは、黙って聞いていた。
「持ちすぎたら死ぬ。見せすぎたら死ぬ。だから、持ってないふりをする。それが一番、生き残れる」
レンは、そこで言葉を切った。
沈黙が、二人の間に落ちた。
風が、廃パイプの隙間を抜けて、低い音を立てた。
カイトは、レンの言葉を、頭の中で反芻していた。
この少年は、予選で、何を見たのか。
死体の山。
指輪を嵌めたまま殺された参加者。
カイトも、予選で、似たようなものを見た。
数百人規模の消耗戦。
走って、走って、生き残った者だけが、次へ進む。
最後は、くじ引きで生死が決まった。
選ばれた少女が、連行される間際に、振り返って笑った。
生きて。
唇の形で、そう言った。
カイトは、その記憶を、胸の奥に押し込んだ。
「あんた、予選で、何か見た?」
レンが、唐突に尋ねた。
カイトは、答えなかった。
「そっか。言いたくないか」
レンは、笑った。
今度は、声に出して。
「俺も、言いたくないことの方が多いから、気にしないで」
カイトは、レンの左手首に、ちらりと目をやった。
レンは、無意識のように、左手首の内側を、右手の親指でなぞっていた。
ゆっくりと、何かを確かめるように。
カイトは、その仕草を、ただ見ていた。
問わなかった。
レンも、自分がその仕草をしていることに、気づいていないようだった。
カイトの胸の奥に、小さな痛みが走った。
自分にも、同じような癖がある。
左眉の上の傷。
感情を消すために、自分でつけた傷。
カイトは、無意識に、指先でその傷をなぞりそうになって、やめた。
「なあ」
レンが、顔を上げた。
「明日から、本格的に動くことになる。多分、殺し合いが始まる。そうなったら、一人でいるより、二人でいた方が、目立たない」
カイトは、レンの目を見た。
「お前、俺を信用してるのか」
「してないよ」
即答だった。
「あんたも、俺のこと、信用してないでしょ」
「ああ」
「じゃあ、ちょうどいいじゃん。信用してない者同士、目立たないために、一緒にいる。それって、割と理にかなってると思うけど」
カイトは、黙った。
レンの言うことは、間違ってはいない。
一人でいるより、二人でいた方が、獲物には見えにくい。
ただし、相手が、いつ裏切るかわからない。
いや、それは、一人でいる場合も同じだ。
誰も信じられない。
だからこそ、利用できるものは、利用する。
「……そうだな」
カイトは、短く答えた。
レンは、嬉しそうに笑った。
だが、カイトには、その笑顔が、仮面のように見えた。
「決まり。じゃあ、今日はここで解散。夜に動くのは危険だし、明日の朝、またここで」
レンは、立ち上がった。
「あんた、名前は?」
カイトは、一瞬、迷った。
名乗る意味はない。
だが、呼び名がないと、不便なのも事実だ。
「……カイト」
「カイトね。よろしく」
レンは、手を差し出した。
カイトは、その手を、握らなかった。
レンは、気にした様子もなく、手を引っ込めた。
「明日も生きてたら、またここで」
レンは、そう言って、廃パイプの影から出ていった。
その声は、笑っていなかった。
カイトは、その後ろ姿を、見送った。
レンの背中が、夕暮れの橙色に溶けていく。
カイトは、立ち上がらなかった。
しばらく、その場に座り込んだまま、レンが消えていった方向を見つめていた。
明日も生きてたら。
その言葉が、耳の奥に残っている。
カイトは、自分の端末に目を落とした。
所持数は、まだ「0」。
未確定の指輪は、端末に表示されない。
この切り札を、カイトは、まだ誰にも明かしていない。
レンも、明かしていない。
二人は、同じ切り札を、それぞれの胸に隠したまま、別れた。
夜が来る。
スナドケイ区の照明が、ゆっくりと落ちていく。
監視ドローンのハエが、暗がりの中を、音もなく飛び回り始めた。
カイトは、ようやく立ち上がった。
明日、また、ここに来る。
それは、約束ではない。
だが、カイトは、来るつもりでいた。
レンも、来るだろう。
互いに、相手を信用していない。
それでも、二人は、明日も同じ場所に戻ることを、無言のうちに、決めていた。
カイトは、廃墟の暗がりへ、足を踏み出した。
夜のスナドケイ区に、冷たい風が吹き抜けていった。
遠くで、誰かの悲鳴が、かすかに聞こえた。Noveliaとは?
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