生存者のための遺書
近未来社会では、人類は支配する者と支配される者に分かれている。支配される者に権利はない。親のいない子供たちは施設で育てられ、成人すると使い捨ての資源として送り出される。支配階級の貴族であるヴェルナーは、こうした人々を使ったデスゲームを娯楽として主催している。予選は単純な消耗戦だ――何百人もが走り、生き残った者だけが本戦へ進む。本戦の勝者には「人権」が約束される。
カイトとレンは、ともに施設育ちで、別々の予選を運だけで生き延びた。本戦は砂時計都市と呼ばれる封鎖地区で行われる。参加者は全員、位置と所持アイテム数を観客に配信する装置を身につけている。支配者たちは賭けをし、脱落のたびに歓声を上げる。
カイトとレンは初めて出会い、すぐに互いを疑い合う。大所帯のグループに追われ、渋々手を組む。二人はそれぞれ独自に、同じ戦略を考え出していた。所持アイテム数ゼロのふりをするのだ。若い運用助手のサラは、淡々とルールを説明する。「指輪は六十個。生存ラインは三点。タイムアウトは即死」
しかし二人は同時に、ある抜け穴に気づく。未確認の指輪は装置に表示されない。確認するまで、自分の所持品を隠せるのだ。二人
生存者のための遺書 - 砂時計の街 ―― 死体が語る貼り替えの癖
夜が明ける前、スナドケイ区はしばらく静かだった。
カイトは廃工場の二階、窓枠の外れた開口部から外を眺めていた。冷えた空気が頬を刺す。東の空はまだ暗く、星も見えない。区画を照らすのは、ところどころに残った非常灯の青白い光と、監視ドローン「ハエ」の小さな明滅だけだった。
遠くで、誰かが咳き込む音がした。
カイトは動かなかった。背中を壁につけ、膝を抱えるようにして座っている。作業着の布は薄く、コンクリートの冷たさが直接、骨まで届いてくるようだった。
(昨日、レンと別れてから、一睡もしていない)
眠らなかったのではない。眠れなかったのだ。
目を閉じると、あの少年の笑顔が浮かぶ。人懐こくて、軽くて、それでいて、奥に何かが沈んでいる笑顔。カイトは、ああいう笑い方を知っている。自分も同じように笑えるからだ。
感情を隠すための笑顔。
ソダテヤ第7で、カイトはそれを覚えた。正確には、覚えさせられた。職員たちは感情を表に出す子供を嫌った。泣く子は殴られ、怒る子は食事を抜かれ、笑う子は——笑う子だけは、なぜか少しだけ、扱いが良かった。
だから皆、笑うようになった。
本心とは関係なく、口元だけを上げる。目の奥は死んだままで。
カイトは、自分の左手首を見た。作業着の袖口が擦り切れている。その下の肌には、火傷の痕がいくつも重なっていた。施設の機械作業でついたものだ。熱い金属に触れるたび、痛みとともに「自分はまだ生きている」と感じた。
(生きている、か)
端末に目を落とす。腕輪型のリソース端末、通称タグ。表面の小さな窓には「0」と表示されている。所持指輪数ゼロ。
だが、それは嘘だ。
カイトは、作業着の胸ポケットに手をやった。布越しに、硬い小さな輪が三つ、指先に触れる。
指輪。
未確定の指輪。拾ったが、まだ「手にしていない」状態のもの。端末には表示されない。観客にも、オッズマンにも、他の参加者にも、見えない。
これが、カイトの切り札だった。
(レンも、同じものを持っている)
確信はなかった。だが、あの少年の動きを見ていれば、なんとなくわかる。レンは、自分と同じ種類の人間だ。
カイトは、ゆっくりと息を吐いた。
白い息が、暗い空気に溶けていく。
——そのときだった。
遠くで、悲鳴が上がった。
男の声だった。いや、女かもしれない。悲鳴はすぐに途切れ、代わりに金属がコンクリートを打つ音が、壁伝いに響いてきた。
カイトは、目だけを動かした。
窓の外、崩れた工場の壁の向こう。暗がりの中で、二つの影がもつれ合っている。片方が倒れ、もう片方が何度も、何度も、手にしたもので倒れた影を殴りつけていた。
鈍い音。
水っぽい音。
やがて、殴っていた影も動きを止め、倒れた影の上に膝をついた。何かを探っている。指輪を、奪っているのだ。
カイトは、それ以上見なかった。
(始まった)
本選の、本当の殺し合いが。
空が、ゆっくりと明るくなってきた。
スナドケイ区の朝は、静かだった。静かすぎるほどに。
カイトは廃工場を出て、崩れた壁の隙間を縫うように歩いていた。足音を立てない。影から影へ。監視ドローンの動きを、目で追いながら。
区画のあちこちから、微かな物音が聞こえる。
足音。
息遣い。
時折、短い怒号。
そして、端末が震える。カイトは腕輪を見下ろした。画面に、小さな文字が浮かんでいる。
「脱落者 17名」
昨日の時点では、まだ十数名だったはずだ。一晩で、さらに増えた。参加者は全部で三十数名。つまり、もう半分近くが死んでいる。
カイトは、数字を頭の中で転がした。
(三十数名中、十七名脱落。残りは……二十を切っているか)
殺し合いは、カイトが予想していたよりも速く、激しく、進行していた。
実力ではない。
運と、位置取り。
それだけが、生死を分けている。
カイトは、崩れた建物の角で立ち止まった。目の前の路地に、死体が一つ、転がっていた。
若い男だった。作業着は血で黒く濡れ、顔は判別できないほどに腫れている。手には何も握られていない。指輪は、奪われた後だ。
カイトは、死体の近くにしゃがみ込んだ。
(……違う)
何かが、違う。
カイトは、死体の位置と、周囲の状況を観察した。
男は、路地の真ん中で倒れていた。壁際でも、物陰でもない。逃げようとしたのなら、もっと壁に近い場所を走るはずだ。物陰に隠れようとしたのなら、倒れる位置も違う。
まるで、ここで何かを待っていたかのような。
いや。
ここに、おびき出されたのか。
カイトは、死体の手首を見た。タグはまだ作動している。画面には「1」と表示されていた。指輪を一つ、持っていた。それが目当てで殺された。
(なぜ、こいつはここにいた?)
カイトは、路地の奥に目を向けた。
崩れた壁の向こうに、小さな階段が見える。その先に、何かが落ちていた。
カイトは立ち上がり、階段に近づいた。
落ちていたのは、紙切れだった。いや、紙ではない。薄いプラスチックのシート。表面に、何かが印刷されている。
「指輪の在り処」
そう書かれていた。地図と、矢印。そして、この路地を示す印。
カイトは、シートを裏返した。
(これは……)
印刷の色が、微妙に違う。矢印の部分だけ、インクの濃度が異なっていた。まるで、後から貼り替えたかのような。
いや、貼り替えたのではない。
最初から、そういう風に作られているのだ。
カイトは、シートを地面に戻した。
(運営が、偽の指輪情報を撒いている)
これは、誘導だ。
参加者を特定の場所に集め、殺し合わせるための。
カイトは、周囲を見回した。同じようなシートが、あちこちに落ちている。壁に貼られたものもある。どれも、指輪の在り処を示している。
(だが、全部が偽物とは限らない)
中には、本物の情報もあるかもしれない。いや、本物と偽物を混ぜることで、参加者たちは疑いながらも、確かめずにはいられなくなる。
それが、運営の狙いだ。
カイトは、もう一度、死体を見た。
(こいつは、この情報を信じて、ここに来た)
そして、待ち伏せていた誰かに、殺された。
(指輪を一つ持っていたから)
いや、違う。指輪を持っていたからではない。指輪を探しに来たからだ。この場所に来たこと自体が、罠だった。
カイトは、ゆっくりと息を吐いた。
(危ない)
自分も、もう少しで同じ罠に掛かるところだった。
昼前、カイトは再び、昨日レンと別れた廃パイプの影に戻っていた。
約束はしていない。だが、なんとなく、来るだろうと思っていた。
予想は当たった。
「お、来た来た」
声が、上から降ってきた。
カイトが顔を上げると、錆びたパイプの上に、レンが座っていた。相変わらず、茶色の癖毛を揺らして、そばかすの浮いた頬に笑みを貼りつけている。作業着の袖は、今日も肘までまくられていた。
「おはよう。よく寝れた?」
カイトは答えず、レンを見上げた。
「寝てないな」
「あんたもでしょ」
レンは、ひらりとパイプから飛び降りた。着地の音は、やはりほとんどしなかった。
「一晩で、ずいぶん減ったね」
「ああ」
「十七人だって。端末に通知来てた」
「見た」
レンは、壁に背中を預けて、カイトを見た。琥珀色の瞳が、朝の光を受けて、猫のように細くなる。
「このペースだと、今日中に半分以下になるかもね」
「そうだな」
カイトは、レンの表情を観察していた。
笑っている。
だが、昨日と同じで、目が笑っていない。いや、昨日よりも、さらに奥の何かが冷えているように見える。
(こいつは、死体を見てきた)
それも、一つや二つではない。
死を見慣れた者の間合い。カイトには、それがわかる。レンの立つ位置、視線の動かし方、呼吸の浅さ。すべてが、殺し合いの空気に適応している。
素人ではない。
カイトは、確信した。
「で、あんた、何か見つけた?」
レンの声は、軽かった。
カイトは、少しだけ間を置いてから、口を開いた。
「偽の指輪情報が、あちこちに撒かれてる」
レンの笑みが、一瞬、止まった。
「……へえ」
「死体があった。路地の真ん中で、指輪一個持ったまま殺されてた。近くに、指輪の在り処を示すシートが落ちてた」
「ふうん」
レンは、腕を組んだ。
「そのシート、どんな感じだった?」
「地図と矢印。指輪の在り処って書いてあった。矢印の部分だけ、印刷の色が違ってた」
「色が違う」
「ああ。後から貼り替えたみたいに、インクの濃度が違う」
レンは、しばらく黙った。
笑みは消えていない。だが、その奥で、何かを計算しているのがわかった。
「……それ、多分、貼り替えじゃないよ」
カイトは、レンを見た。
「最初から、ああいう作りなんだ。矢印の部分だけ、別の工程で印刷してる。色が違うのは、インクの種類が違うから」
「どうして、そんなことを」
「偽物と本物を、見分けさせるため」
レンは、壁から背中を離した。
「運営は、参加者に指輪を探させたい。でも、簡単に見つかりすぎても面白くない。だから、偽物と本物を混ぜて、どっちが本物か考えさせる。そうすれば、参加者は疑いながらも、確かめずにはいられない。……で、確かめに行った場所で、待ち伏せしてる奴に殺される」
カイトは、黙って聞いていた。
レンの説明は、カイトの推測と、ほぼ同じだった。
だが、一つだけ、引っかかる。
「お前、どうしてそこまでわかる」
レンは、にこりと笑った。
「予選で、似たようなことあったから」
「予選で」
「うん。予選の会場でも、運営が偽のヒントを撒いてたんだ。指輪じゃなくて、水とか食料の在り処とか。で、みんな、それに釣られて集まって、殺し合いになって」
レンの声は、相変わらず軽い。
「そのとき、死体の位置と、偽ヒントの貼り替えパターンを覚えた。死体はいつも、ヒントが示す場所の、ちょっと手前で倒れてる。待ち伏せの位置が、だいたい決まってるんだ」
「……お前、それで死体の位置から、罠を見抜いたのか」
「まあね」
レンは、肩をすくめた。
「死体がどこに倒れてるかを見れば、どこに罠があるか、だいたいわかる。今回も同じ。死体の周りに、偽ヒントが落ちてる。つまり、運営はまだ、参加者を誘導してる」
カイトは、レンの顔をじっと見た。
(こいつは、予選で、どれだけの死体を見てきた)
その数は、カイトの想像を超えるかもしれない。
「……お前、予選で何人殺した」
カイトの声は、低く、静かだった。
レンの笑みが、消えた。
ほんの一瞬。
だが、カイトには、はっきりと見えた。
「……さあ、何人だろうね」
声のトーンが、変わった。
軽さが消え、底冷えのするような、平坦な響きに。
「数えてないよ。いちいち」
カイトは、それ以上、何も聞かなかった。
聞く必要はなかった。
レンは、カイトが思っていた以上に、深い場所に立っている。
二人は、廃工場の二階に移動した。
窓の外から差し込む光が、埃の舞う空気を白く浮かび上がらせている。床には、壊れた機械の部品や、砕けたガラスの破片が散らばっていた。
カイトは、窓際に立ち、外の様子を窺っていた。
レンは、部屋の中央で、しゃがみ込んで床に何かを描いている。指先で、埃の上に地図を。
「で、これからのことなんだけど」
レンは、顔を上げずに言った。
「このまま二人で動く? それとも、別々に?」
カイトは、窓の外から視線を外さなかった。
「二人で動いた方が、目立たない」
「だよね」
レンは、床の地図に、いくつかの印をつけた。
「俺、さっきまで区画の東側を回ってたんだけど、あっちはもう、グループができてる。三人組が二つ。あと、単独が何人か。西側は、まだ静か。でも、偽ヒントが集中してるのは、西側なんだ」
「東側は」
「東側は、本物の指輪が、いくつか見つかってる。多分、運営が、わざと東側に本物を置いて、西側に偽物を撒いてる。参加者を西に集めて、殺し合わせるつもりなんだ」
カイトは、レンの言葉を頭の中で整理した。
「つまり、西側は危険。東側は、本物の指輪がある分、奪い合いが激しくなる」
「そう。どっちにしても、安全な場所なんてない」
レンは、顔を上げて、カイトを見た。
「でも、二人でいれば、多少はマシになる。一人より、狙われにくい。あと、片方が寝てる間、もう片方が見張れる」
カイトは、レンの提案を、黙って受け入れた。
理にかなっている。
信用はしていない。
だが、利用できるものは、利用する。
「わかった。二人で動く」
「決まり」
レンは、立ち上がって、埃を払った。
「じゃあ、まずは西側の様子を見に行こう。偽ヒントが集中してるってことは、運営が何か仕掛けてる。それを確認すれば、今後の動きも決められる」
カイトは、頷いた。
西側へ向かう道中、二人は、ほとんど喋らなかった。
レンが、たまに軽口を叩く。カイトは、短く返す。
それだけだった。
だが、カイトは、レンの動きを、常に視界の端で捉えていた。
レンの歩き方。
足音を立てない歩法。
物陰を通る際の、視線の配り方。
角を曲がる前の、一瞬の間。
すべてが、訓練された者の動きだった。
(こいつは、施設で、誰かに戦い方を教わった)
いや、違う。
(生き延びる中で、自分で覚えた)
カイトは、自分の動きと、レンの動きを比べた。
似ている。
いや、ほとんど同じだ。
二人とも、同じ場所で、同じように育った。
ソダテヤ第7。
下層百三十五層の、灰色の施設。
カイトは、レンの横顔を盗み見た。
(こいつも、あそこで)
レンは、カイトの視線に気づいたのか、振り返って笑った。
「どうしたの? 俺の顔、なんかついてる?」
「別に」
「そっか。ま、いっか」
レンは、また前を向いた。
カイトは、それ以上、何も言わなかった。
西側の廃工場に着いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
建物は、東側のものよりも、さらに崩れていた。壁は大きくひび割れ、天井の一部は落ちて、鉄骨がむき出しになっている。
二人は、建物の外から、中の様子を窺った。
「……いるね」
レンが、声を潜めて言った。
カイトも、頷いた。
建物の中に、人影が三つ。
二階の、窓のない部屋。
三人の男たちが、何かを囲んで立っていた。
「あれ、指輪だよ」
レンが、顎で指した。
男たちの足元に、小さな箱が置かれている。蓋が開いていて、中に、金属の輪がいくつか見えた。
指輪だ。
しかも、三つ。
「ちょうど三人分。あいつら、もう三点確保してる」
カイトは、男たちを観察した。
体格は、三人とも大きい。作業着の上からでも、筋肉のつき方がわかる。武器は、パイプやバールを持っているようだった。
「どうする?」
カイトは、答えなかった。
男たちは、指輪を箱から取り出し、それぞれのポケットにしまった。
そのとき、端末が震えた。
カイトは、腕輪を見下ろした。
画面に、通知が表示される。
「指輪の確定を確認しました。所持数が更新されます」
男たちの端末にも、同じ通知が届いたようだ。彼らの腕輪が、同時に光った。
「確定した。あいつら、もう三点持ってるのが、観客にバレた」
レンの声は、冷静だった。
「あの三人、この後、狙われるよ。三点持ってるってわかれば、奪おうとする奴が出てくる」
カイトは、男たちが建物から出てくるのを、物陰から見ていた。
男たちは、警戒しながらも、どこか安心したような表情で、廃墟の道を歩いていく。
(あいつらは、もう終わりだ)
カイトは、そう思った。
三点持っている。
それは、このゲームにおいて、最も危険な状態だった。
男たちは、廃工場の間を縫って、北へ向かっていた。
カイトとレンは、距離を取りながら、その後を追った。
「あんた、気づいてる?」
レンが、隣で囁いた。
「あの三人、もう尾けられてる」
カイトは、頷いた。
男たちの後方、崩れた壁の影に、別の人影が二つ。
いや、三つだ。
さらに、建物の上にも、一人。
「四人か。あいつら、さっきからずっと、あの三人を狙ってた」
「指輪が確定したのを見て、動き出した」
「そう。観客にもバレたし、もう隠せない。あの三人、ここで終わるかもね」
レンの声は、事実を淡々と述べるだけだった。
カイトは、男たちと、尾行者の動きを、同時に観察していた。
(尾行者の方が、動きがうまい)
男たちは、警戒しているが、素人だ。
尾行者は、違う。
物陰から物陰へ、音もなく移動している。
殺し慣れている。
——次の瞬間。
「うわああああ!!」
男の一人が、悲鳴を上げた。
尾行者の一人が、建物の上から飛び降り、男たちの一人に襲いかかったのだ。
金属が、肉を打つ音。
骨が砕ける音。
男が、倒れた。
「てめえら!!」
残った二人が、武器を構える。
だが、尾行者は三人。
数の上では互角。だが、実力が違った。
尾行者たちは、無言で、正確に、男たちの急所を狙って攻撃を仕掛けた。
バールが、男の頭を横薙ぎに払う。
頭蓋骨が、鈍い音を立てて陥没した。
血と、白いものが、飛び散った。
「ひっ……!!」
最後の一人が、逃げ出そうとした。
だが、足がもつれて、転んだ。
尾行者が、その背中に、ナイフを突き立てた。
「がああああ!!」
断末魔が、廃墟に響いた。
カイトとレンは、物陰から、その光景をじっと見ていた。
カイトは、無表情だった。
レンも、無表情だった。
二人とも、何も言わなかった。
尾行者たちは、死体から指輪を奪い取ると、素早くその場を離れた。
残ったのは、三つの死体と、血溜まりだけだった。
「……行こう」
カイトは、立ち上がった。
レンも、黙って続いた。
その後、二人は、西側の区画を慎重に移動した。
レンは、時折、立ち止まっては、死体の位置や、壁に貼られた偽ヒントのシートを確認していた。
「……やっぱり、貼り替えのパターンが、予選と同じだ」
レンが、壁に貼られたシートを指でなぞりながら言った。
「ここ。矢印の色が、他と違う。このタイプは、偽物。で、こっちのシートは、矢印の色が、地図と同じ。これは、本物」
「本物の指輪の在り処が、こんなところに?」
「うん。でも、本物のシートが貼られてる場所には、必ず、近くに偽物のシートも貼られてる。だから、どっちが本物か、見分けるのが難しい」
レンは、シートから手を離した。
「運営は、本物の情報を、わざと偽物に混ぜてる。そうすることで、参加者を混乱させて、殺し合わせる」
カイトは、レンの説明を聞きながら、別のことを考えていた。
(こいつは、このパターンを、予選で見抜いた)
そして、今、本選でも、同じパターンを見抜いている。
(こいつは、頭がいい。そして、目がいい)
カイトは、レンの横顔を見た。
レンは、真剣な表情で、シートを見つめている。
その横顔は、いつもの笑顔とは、まったく違って見えた。
夕方近く、二人は、廃工場の二階で休憩を取っていた。
窓の外では、夕日が、崩れた建物の影を長く伸ばしている。
カイトは、壁に背中を預けて座り、目を閉じていた。
眠るつもりはなかった。
だが、体は正直で、瞼が重い。
「寝ていいよ。俺が見張ってる」
レンの声が、隣から聞こえた。
「寝ない」
「寝た方がいいって。この先、いつ休めるかわかんないよ」
「お前こそ、寝ろ」
「俺は、昨日、少し寝たから」
「嘘だ」
カイトは、目を閉じたまま言った。
「お前も、一睡もしてない」
レンは、少しだけ黙った。
「……なんでわかるの?」
「目の下の隈。呼吸の浅さ。あと、さっきから、瞬きの回数が減ってる」
「へえ。観察力すごいね」
「お前も、俺のことを観察してるだろ」
「してるよ。あんたの、左眉の上の傷。あれ、自分でつけたんでしょ」
カイトは、目を開けた。
レンが、こちらを見ていた。
琥珀色の瞳が、夕日に照らされて、金色に光っている。
「あの傷の形、自分でやるには、ちょっと変な角度なんだ。壁にでも、拳を打ちつけたんじゃない?」
カイトは、答えなかった。
「あと、指先の火傷。あれ、機械の作業でついたやつでしょ。ソダテヤの作業場の、加熱炉の跡だ」
「……お前、ソダテヤを知ってるのか」
「知ってるよ。俺も、そこで育ったから」
カイトは、レンの目を見た。
レンは、笑っていた。
だが、その笑顔の奥に、カイトは、初めて、はっきりとした「何か」を見た。
「第7だよ。あんたもでしょ?」
カイトは、しばらく、レンの顔を見つめていた。
(こいつは、やはり、あの施設で育った)
「……そうだ」
カイトは、短く答えた。
「だよね。なんとなく、わかってた」
レンは、窓の外に目を向けた。
「ソダテヤの人間は、皆、同じ目をする。感情を隠すのが、うまい。あんたも、俺も、そうでしょ」
カイトは、何も言わなかった。
否定は、しなかった。
日が沈み、スナドケイ区に、また夜が来ようとしていた。
カイトとレンは、廃工場の二階で、身を潜めていた。
外では、時折、悲鳴や怒号が聞こえる。
端末が、また震えた。
「脱落者 21名」
残りは、十数名。
カイトは、通知を見て、静かに息を吐いた。
「……半分、切ったね」
レンの声は、暗闇の中で、小さく響いた。
「ああ」
「この調子だと、明日には、一桁になるかも」
「そうだな」
二人は、しばらく、黙っていた。
カイトは、レンの気配を、隣に感じていた。
(こいつは、今、何を考えている)
カイトには、わからなかった。
いや、わからないように、しているのだろう。
レンは、感情を隠すのが、うまい。
カイトと同じように。
「……ねえ、カイト」
レンが、突然、カイトの名前を呼んだ。
「あんた、何のために、このゲームに参加してるの?」
カイトは、暗闇の中で、レンの顔を見た。
輪郭だけが、ぼんやりと見える。
「生きるためだ」
カイトは、嘘をついた。
いや、嘘ではない。
だが、本当の理由は、それだけではなかった。
「そう。俺もだよ」
レンは、小さく笑った。
「生きるために、人を殺して、指輪を集める。……馬鹿みたいだよね」
レンの声は、自嘲するように、かすれていた。
カイトは、何も言わなかった。
その夜、カイトは、夢を見た。
いや、夢ではなかった。
記憶だった。
ソダテヤ第7の、廃棄通路。
カイトが十六歳になる、少し前のことだった。
施設の地下には、壊れた機械や、使えなくなった部品が捨てられる通路があった。子供たちは、そこに近づくことを禁じられていた。
だが、カイトは、時々、そこに忍び込んでいた。
誰にも見つからず、一人でいられる場所は、そこしかなかったからだ。
その日も、カイトは、廃棄通路の奥で、膝を抱えて座っていた。
天井のパイプから、水滴が落ちる音が、規則正しく響いている。
カビと油の匂いが、鼻についた。
——そのとき。
「カイト」
声がした。
カイトは、顔を上げた。
暗がりの中に、男が立っていた。
顔は、見えなかった。
フードを被っていて、目元だけが、かすかに光っている。
「お前が、カイトだな」
カイトは、立ち上がらなかった。
身構えることも、しなかった。
「俺は、クサビの者だ」
クサビ。
リソース解放を目指す地下組織。
カイトは、その名前を、噂で聞いたことがあった。
「お前に、頼みがある」
男の声は、低く、抑揚がなかった。
「お前は、もうすぐ、トケイバコの予選に送られる。知っているな」
カイトは、黙っていた。
「予選を生き延びろ。そして、本選に進め。本選では、可能な限り、参加者を生かせ。これが、組織の方針だ」
「……なぜ、俺に」
カイトは、初めて口を開いた。
「お前は、死ぬことを恐れていない。違うか」
カイトは、答えなかった。
「お前は、自分が生きることに、意味を見出していない。だから、他人のために死ねる。組織は、そういう人間を必要としている」
男の言葉は、冷たかった。
だが、カイトの心には、不思議と、何も響かなかった。
「お前が生き残ることは、最優先ではない。わかっているな」
カイトは、頷いた。
「……いい返事だ」
男は、それだけ言うと、暗がりの中に消えた。
カイトは、その後も、しばらく、その場に座り込んでいた。
(他人のために死ねる、か)
そうかもしれない。
いや、違う。
カイトは、他人のために死のうとしているのではない。
ただ、生きる理由が、見つからないだけだ。
——予選最終盤。
カイトは、生き残っていた。
数百人いた参加者は、数十人に減っていた。
そして、運営は、最後の選抜方法を告げた。
「くじ引き」
生き残った者たちの中から、くじで、本選に進む者が選ばれる。
理不尽だった。
だが、このゲームは、最初から理不尽だった。
カイトは、くじを引いた。
結果は、本選進出。
隣にいた少女は、落選だった。
少女は、連行されていった。
本選に進めなかった者は、その場で「処理」される。
カイトは、少女の背中を見ていた。
そのとき、少女が、振り返った。
そして、笑った。
声は、聞こえなかった。
だが、唇の形で、わかった。
「生きて」
少女は、そう言った。
自分が死ぬのに。
カイトは、その笑顔を、今でも覚えている。
——目が覚めた。
カイトは、ゆっくりと、目を開けた。
天井が、見えた。
ひび割れた、コンクリートの天井。
(眠っていた)
カイトは、体を起こした。
隣で、レンが、壁に寄りかかって座っていた。
目は開いている。
「おはよう。よく寝てたね」
カイトは、レンを見た。
「お前、寝てないのか」
「寝たよ。ちょっとだけ」
「嘘だ」
レンは、笑った。
「まあ、あんたよりは寝たかな」
カイトは、立ち上がった。
外は、まだ暗い。
夜明け前の、最も深い闇。
そのときだった。
カイトの目が、レンの手元を捉えた。
レンが、無意識に、左手首の内側を、親指でなぞっていた。
ゆっくりと、何かを確かめるように。
カイトは、その仕草を、じっと見た。
(あれは——)
左手首の内側。
親指で、円を描くように、なぞる。
その位置。
その形。
カイトは、知っていた。
クサビの構成員が、身につける隠し印。
(こいつ、まさか)
カイトは、表情を変えなかった。
視線を、ゆっくりと、レンの手首から外した。
レンは、カイトの視線に気づいていない。
いや、気づいていないふりをしているのかもしれない。
「どうしたの?」
レンが、顔を上げた。
「別に」
カイトは、短く答えた。
(レンが、クサビの人間?)
確証はない。
隠し印に似た仕草をしているだけだ。
だが、カイトの胸の奥に、小さな棘が刺さった。
(もし、そうなら)
(こいつは、俺と同じ任務を帯びている)
(可能な限り、参加者を生かせ)
(だが、それなら、なぜ、互いに素性を隠す?)
カイトは、レンを見た。
レンは、いつもの笑顔を浮かべている。
だが、その笑顔の奥で、レンもまた、カイトの沈黙の質を、探っているように見えた。
「……カイト、あんた、何か隠してるでしょ」
レンが、突然、言った。
声は、軽かった。
だが、目は、笑っていなかった。
「お前もだろ」
カイトは、レンの目を見返した。
「まあね」
レンは、肩をすくめた。
「でも、今は、それを追及しない。追及したら、多分、二人とも、ここで終わるから」
カイトは、黙っていた。
レンの言う通りだった。
互いの秘密を暴けば、協力関係は、終わる。
いや、もっと悪いことになる。
「……明日も、同じ場所で落ち合おう。夜明け前に、ここで」
レンが、言った。
「わかった」
カイトは、短く答えた。
二人は、それ以上、何も言わなかった。
夜明け前の闇が、廃工場を包んでいた。
外では、監視ドローンのハエが、青白い光を点滅させながら、音もなく飛び回っている。
カイトは、胸ポケットに手をやった。
未確定の指輪が、三つ。
レンも、同じように、自分の胸に手を当てていた。
互いに、何を持っているかは、言わない。
だが、互いに、相手が何を持っているかは、なんとなく、わかっていた。
「じゃあ、Noveliaとは?
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