冷徹社長と秘密の夜〜キスは蜜より危険で〜
大手化粧品会社で働く平凡なOL、アマノ・ユイは、金曜日の会社の飲み会で泥酔してしまった。ふらふらとバーに迷い込んだ彼女は、そこで出会ったのは、信じられないほどハンサムだけど、少し怖い雰囲気の男性。銀色に輝く髪と冷たい青い瞳が印象的だった。「今夜だけでいい。何も聞かずに、君を抱かせてほしい」そう言われて、ユイの胸はおかしなほど高鳴った。普段なら逃げ出していた。でも、その日は少しだけ自暴自棄になっていたし、彼の瞳がひどく寂しそうに見えた。気がつけば、二人はホテルの一室にいた。彼のキスは、驚くほど熱くて、体の奥がきゅうっと疼いた。大きな手が服の下に滑り込んできて、ブラジャーのホックを外す手つきがあまりに手慣れていて、頭が真っ白になる。何度も名前を呼ばれて、ユイは人生で一番激しい夜を過ごした。翌朝、彼は夢のように消えていた。ところが、週明けの月曜日。社員総会で、新社長として皆の前に立ったのは、あの夜の男だった!「新しい社長のカザマ・レンだ」冷たい声でそう言った彼に、ユイは心臓が止まりそうになった。鋭い視線がユイを見つめる。けれど、あの夜の優しさは、かけらもない。「私とお前の関係は、社内では忘れ
冷徹社長と秘密の夜〜キスは蜜より危険で〜 - 真実の扉を開けて――君だけは違うの続きを聞いた夜
年が明けた。
一月四日、仕事始めの朝。中野のアパートの窓から差し込む光は白く冷たくて、暖房の効いた部屋の中でも、ユイの指先はずっとかじかんでいた。年末年始、実家にも帰らず、誰とも話さず、ただこの小さな部屋で膝を抱えていた。頭の中をぐるぐる回り続けるのは、エレベーターで聞いたあの声だ。
君だけは――。
その続きが、怖い。知りたいのに、怖い。退職届は鞄の底にある。何度も読み返して、少し皺がついた白い封筒。今日出すつもりでいたのに、朝、手に取ったまま、結局破れなかった。
会社に行けば、いつもと変わらない景色があった。六本木のガラス張りのビル。エントランスの受付嬢の「あけましておめでとうございます」という声。エレベーターの無機質なブザー音。八階の総務部フロアも、正月の静けさが嘘みたいに、挨拶回りやら年始の書類整理やらでざわついている。
「[gentle]ユイさん、今年もよろしくね」
サワダ先輩が、静かな微笑みで声をかけてきた。いつもの優しい目が、少しだけユイの顔を長く見つめている。年末に、あんな話をしたからだろう。逃げる前に、答えを確かめてほしいと言った。その言葉が、ずっとユイの背中を押している。
「[gentle]あ、はい。今年もよろしくお願いします」
ユイは小さく頭を下げた。声が震えていなければいいと思う。サワダは何か言いたそうだったけど、結局、「あまり無理しないで」とだけ言って自分の席に戻っていった。
レンの姿は、一度も見なかった。朝礼にすら現れず、役員フロアから降りてくることすらない。仕事をしているのかどうかすら、フロアの空気ではわからない。ユイはパソコンに向かいながら、画面の端に見える社内メッセンジャーのアイコンを、どうしても意識してしまった。
通知は、ない。
定時になった。帰り支度をして、重いコートを羽織る。今日はもう、何もなかった。それはそれで、胸の真ん中が冷たく痛む。諦めようとしているのに、諦めきれない自分がいる。
外に出ると、一月の夜風が頬を刺した。六本木の街路樹のイルミネーションはもう外されていて、街は年末の浮ついた熱をすっかり失っている。
歩き出そうとした時、スマホが震えた。
ポケットから取り出す。指先が冷えて、うまく画面をスワイプできない。
メッセージは、レンからだった。
【会ってほしい。丸の内のオフィスに来られるか】
たった一文。絵文字もなければ、「話したいことがある」という説明すらない。でも、いつもの「来い」という命令形じゃなくて、「会ってほしい」と言っている。
ユイは立ち尽くしたまま、画面を見つめた。
心臓が、うるさい。
(行けば、答えがわかる)
(続きを、聞けるかもしれない)
(それとも、全部終わりになるのかもしれない)
鞄の中で、退職届の封筒がかさりと小さく音を立てた気がした。ユイは唇をぎゅっと結んで、丸の内行きの電車に乗るために、六本木駅へと歩き出した。
――
丸の内の夜景は、六本木よりもずっと静かで、冷たく整っていた。超高層ビル群の窓から洩れる灯りが、夜の空気に溶けている。目指すビルはすぐにわかった。三十七階建ての、黒いガラス張りのタワーだ。一階のエントランスはもう閉まっていたが、レンからのメッセージに添付されていた一時アクセスコードを警備員に見せると、何も聞かれずに通された。
エレベーターが三十七階に到着するまでの時間が、やけに長く感じられた。扉が開くと、そこは静かな廊下で、突き当たりに一枚の重そうな木のドアがある。表札には「カザマ・ホールディングス」とだけ書かれていた。
ノックをしようとして、手が止まる。
(開けたら、もう戻れない)
(答えを、聞いてしまう)
震える指で、それでも強く、ドアを二度叩いた。
「[whispers]入れ」
中は、思っていたよりずっと広い部屋だった。壁一面が天井までの本棚になっていて、世界各国の背表紙が並んでいる。大きな窓の外には東京の夜景が広がり、デスクが一脚、そして革張りのソファが二脚。照明は暗めで、部屋の隅に静かな陰を作っていた。
レンは、立っていた。
珍しくスーツの上着を脱いで、白いシャツだけの姿だ。プラチナシルバーの髪は少しだけ乱れていて、いつもの完璧に整った社長の姿とは違う。窓の外の夜景を背に、彼の青い目は、いつもよりずっと深く見えた。
「[gentle]かけるといい」
レンが無言でソファを示す。ユイは小さく頷いて、ソファの端に腰掛けた。コートを脱ぐ余裕もない。指先が冷たい。膝の上には、鞄がある。
レンはしばらく窓の外を見ていた。遠くのビルの灯りが、彼の横顔に静かに点滅している。沈黙が、部屋を満たした。
(何か言わなきゃ)
そう思うのに、喉が張りついたみたいに動かない。
やがて、レンが口を開いた。
「[serious]前回の続きを、言う」
声は、いつもより低い。それでも、冷たいというよりは、何かを押し殺しているような響きだ。
「[serious]お前の言った通りだ。俺は最初、お前を利用しようとしていた」
ユイの体が、ぎくりと硬直する。
「[serious]八年前、ライズコスメティクスの製品で、俺の妹が傷つけられた。顔に、消えない傷が残った」
知っている。サワダから聞いた話だ。でも、レンの口から語られるそれは、事実以上の重みを持ってユイの胸に圧し掛かった。
「[sad]サヤは当時二十二歳だった。就職したばかりで、これからって時だった。会社は責任を認めず、被害者への補償も、謝罪も、何もなかった。サヤは……部屋から出られなくなった。ある夜、俺に言ったんだ。『お兄ちゃん、私もう外に出られない』と」
レンの声が、初めてかすれた。
「[sad]その時、決めた。この会社を、内側から壊す。復讐のために、五年かけて買収の準備をした。そして、買収が完了した。内部告発をさせて、旧経営陣の不正を暴く。そのための協力者を、社内の誰かに頼もうとしていた」
レンの指が、窓枠に触れた。長く、細い指。
「[scared]お前の写真が名簿にあったのは、その候補の一人としてリストアップしたからだ。総務部の一般職で、社内の情報にアクセスしやすく、かつ、……利用しやすいかどうかを、俺は、調べた」
つまり、やっぱり、最初は道具だった。
ユイの目が、じわりと滲む。
「[whispers]でも」
レンが、ゆっくりと振り返った。
窓からの夜景の灯りが、彼の髪に反射して、銀色に輝いている。その青い目が、まっすぐにユイを捉えた。
「[whispers]朝礼で、お前が気づいて震えているのを見た。そのあと、エレベーターで初めてお前を壁に押さえつけた時……お前が泣いた」
あの日のことが、生々しく蘇る。新社長就任の朝礼で、銀座の夜の男が現れた衝撃。そして、エレベーターの中で突然キスされて、恐怖と混乱と、それなのに感じてしまった熱に、涙が止まらなかった。
「[sad]あの涙を見てから、お前を道具にできなくなった。計画から外そうとした。なのに、離せなかった」
レンの眉が、歪んでいる。
痛みに耐えるような、その表情を、ユイは初めて見た。
「[whispers]名簿の写真は、消せなかった。あれが、俺がお前をただ利用しようとした証拠だった。消してしまえば、全部なかったことにできる。でも、そうしたら、俺は自分に嘘をつくことになる。だから、残したままにしていた」
ユイの視界が、涙で歪んだ。
全部、本当だった。利用しようとしたことも、それに苦しんだことも、ぜんぶ。
「[crying]なんで、早く言わなかったんですか」
声が震える。涙が勝手にこぼれて、膝の上で握りしめた拳を濡らした。
「[crying]あんなに、苦しかったのに。道具でもいいからって、何度も思ったのに」
レンは少しだけ、目を伏せた。
「[sad]お前が傷つくのが、怖かった」
短い言葉だった。でも、それで全部がわかった。この人は、復讐のために誰かを傷つけることを、厭わないと思っていた。でも、違う。彼は、ユイが傷つくことを、怖がっていたのだ。
ユイは、鞄を開けた。
白い封筒を取り出して、震える手で、テーブルの上に置く。
「[crying]退職届です。ずっと、これで終わらせようと思ってました」
レンの目が、封筒をじっと見つめる。
そして、ユイはその封筒を、両手で掴んで、破った。
ビリッ、という音が沈黙を裂く。二つに裂けた封筒と紙切れが、床に落ちた。
「[crying]私、もう流されません。自分で、決めます」
ユイは立ち上がった。涙でぐしゃぐしゃの顔で、それでもまっすぐに、レンを見上げる。
「[crying]あなたの復讐を、手伝わせてください」
頭を、深く下げた。
沈黙。
レンの靴音が近づく。
冷たい指が、ユイの頭の上に、そっと置かれた。
「[whispers]頭を上げろ」
声は、かすれていた。泣いているのかもしれないと思ったけど、ユイは顔を上げなかった。レンの手が、ゆっくりとユイの髪を撫でる。それはまるで、壊れ物に触れるみたいに、おそるおそるとした仕草だった。
「[whispers]ユイ」
名前を呼ばれた。昼間には決して聞けない、夜だけの、かすれた低い声。
「[whispers]もう迷わない。お前だけは、違う」
――お前だけは、違う。
あのエレベーターで途切れた言葉の続きが、静かに、でも確かに、今、完結した。
ユイは顔を上げた。涙で濡れた頬に、レンの青い目が、痛いくらい優しく映っている。
この夜、二人はただ並んでソファに座り、サヤの話とユイの話を交互に語り合った。レンは、妹が最初に傷を見て泣き崩れた日のことや、病院を何十件も巡ったこと、訴訟を諦めた時の母の顔のことを、静かに話した。ユイは、自分の家族のことや、流されて生きてきたことへの後悔、初めてレンに会った夜のどうしようもない寂しさを、正直に話した。
体を重ねる夜は、何度もあった。でも、心を重ねた夜は、初めてだった。
窓の外のビルの灯りが、少しずつ消えていく。
夜が更けて、明け方の気配が近づく頃、ユイは初めて、この人に対等にいられた気がすると感じた。
――
翌朝。
昼休み、ユイはサワダに呼ばれて、本社ビルから少し離れたカフェに来ていた。観葉植物が多くて、客の少ない、例の穴場の店だ。
席に着くと、そこにはもう一人、先客がいた。
「[cold]サワダか」
サワダが、静かにレンの向かいに座る。その表情は引き締まっていて、いつもの穏やかな微笑みはなかった。
「[serious]社長直々にお呼びとは、驚きましたよ」
「[cold]時間がない。単刀直入に言う」
レンはコーヒーに手をつけずに、テーブルにスマホを置いた。
「[serious]旧経営陣が毒性試験データを改ざんした、二〇一六年十月の取締役会の議事録がある。本社の旧サーバーの、総務部管轄の退避フォルダに、暗号化されてまだ残っている可能性が高い」
サワダの眉が、ぴくりと動いた。
「[serious]なぜ今まで気づかれなかったんです?」
「[serious]買収時にITベンダーが解析した時は、総務部のローカルパスワードで保護されていて開けなかった。お前なら、どうにかできないか」
サワダは数秒、目を閉じて考え込んだ。そして、顔を上げる。
「[surprised]……心当たりがあります。入社当時、前任の総務課長から引き継いだ古いファイル管理マニュアルに、緊急保存フォルダのパスワード原則が書いてありました。『設立年度+部長姓のローマ字』、と」
レンの目が、静かに光る。
「[serious]それなら、試す価値があるな。設立は一九八七年だ。当時の部長は……原川、だったか」
「[serious]『1987ハラカワ』……パスワードは、おそらくそれです」
三人の間に、張り詰めた沈黙が落ちる。
「[serious]私が、入ります」
ユイの声が、自分のものとは思えないほどはっきりと響いた。サワダが、目を大きく見開いてユイを振り返る。
「[worried]やめておきなさい、ユイさん。もし見つかったら、君は――」
「[serious]一般職のICカードで八階に入れて、旧サーバー端末のある資料室を知ってるのは、私だけです。それに、サワダ先輩、私、もう決めたんです」
ユイは、サワダの目をまっすぐに見つめた。サワダ先輩、信じてください、とその目で語っていた。
サワダは何かを言おうとして、口を開き、そして閉じた。拳を膝の上でぎゅっと握りしめている。眼鏡の奥の目の色が、ひどく苦しそうだった。
「[cold]決まりだ。今夜十一時、決行する」
レンの短い言葉で、作戦は決まった。
――
午後十一時。
六本木の本社ビルは、夜の闇にそびえ立つ黒い塔だった。一階の守衛室には警備員が一人いるだけで、エントランスは閉まっている。ユイはスーツではなく、動きやすい黒いニットとジーンズ姿だった。スタンリーカップの横に、小さなUSBメモリを忍ばせている。
「[gentle]ユイさん、忘れ物をした、という口実で入るんですよ。いいですね」
通話中のスマホから、サワダの声が聞こえる。彼は、非常階段の外で待機していた。
「[scared]はい」
ユイは震える手で社員証をかざし、通用口からビルに入った。廊下の非常灯だけが、薄暗く足元を照らしている。自分の足音だけが、異様に大きく響く。
八階の総務部フロアに着くと、ユイは誰もいないことを確認して、資料室へと急いだ。カギのかかったドアを、持ってきた合鍵で開ける。中は、古い書類の埃っぽい匂いがした。
旧サーバー端末は、部屋の隅にひっそりと置いてある。誰ももう使わない、埃をかぶった古いディスプレイ。
電源を入れる。起動音が、静かな部屋に、やけに大きく聞こえた。
指が震える。
パスワード入力画面が表示される。
一回目。
『1990タナカ』――違う。
二回目。
『1987ハラガワ』――違う。
(三回間違えたらロックされるかも)
呼吸が苦しい。汗がこめかみを伝う。
三回目。
『1987ハラカワ』――
認証しました。
フォルダが、開いた。
ユイはほとんど嗚咽しそうになりながら、目的のファイルを探す。二〇一六年十月、取締役会議事録。あった。
USBメモリを差し込んで、コピーを開始する。進捗バーが、ゆっくりと伸びていく。
――十分。
五十パーセント。
七十パーセント。
その時、廊下に足音がした。
ユイの心臓が、ドクリと大きく跳ねる。誰かいる。警備員だ。巡回の時間にはまだ早いはずなのに。
九十五パーセント。
足音が、近づいてくる。
――頼む、早く。
ドアノブが、カチリと音を立てて回るのを見た。ユイはとっさに椅子の下に身を縮ませ、手でディスプレイの画面を隠した。
ノブが、回りきる。
その瞬間――
「[loud]すみません!ちょっといいですか!」
廊下から、サワダの声がした。わざとらしいほど大きな、普段の彼からは考えられない慌てた口調だ。
「[loud]さっき階段のところで変な物音がしたんですが、ここ、警備の方ですよね!? ちょっと一緒に来て確認してもらえませんか!」
ドアノブから、手が離れた。
「え? あ、はい、わかりました」
警備員の声が遠ざかっていく。
コピーが、完了した。
ユイは震える手でUSBメモリを抜くと、ポケットの奥に押し込んだ。そして、音を立てないようにドアを開けて、廊下を確認し、そして非常階段へと駆け出した。
踊り場で、サワダが待っていた。
「[whispers]データ、取れましたか」
声は、落ち着いていた。でも、その顔は、ひどく青ざめている。
ユイは無言で、USBメモリを握りしめた手を、胸の前で握った。頷く。
「[sad]よかった……」
サワダは、ほっと息を吐いた。その手が、震えながら、ユイの肩をそっと押さえる。その手の温かさに、ユイの胸が一瞬、ぎゅっと揺れた。でも、その温かさは、今、考えてはいけないものだ。
――
深夜十二時過ぎ。
ユイはビルを出てすぐ、レンにメッセージを送った。
【取れました】
たった三文字。
数十秒後、着信。
【よくやった】
四文字が、滲んで見えるほど、ユイは泣いていた。
路地の隅で、冷たい壁にもたれて、大きく息を吐く。成功した。信じられなかった。ただ流されてきただけの私が、自分で決めて、動いて、成し遂げた。
胸の中心が、じわりと熱い。
翌朝。
ユイは社長室のある十六階へ向かった。周りに誰もいないことを確認して、ドアをノックする。
「[gentle]入れ」
中に入ると、レンはデスクに向かっていた。ユイはポケットからUSBメモリを取り出して、差し出す。
「[gentle]これに、全部入ってます」
レンの長い指が、USBを受け取ろうとする。
指先が、ユイの手に触れた。
一瞬、その指が、USBと一緒にユイの手全体を包み込む。一秒だけの、熱い、強い握り締め方だった。そして、すぐに離れる。
「[sad]ありがとう、ユイ」
レンは、ユイの目を見ずに、そう小さく呟いた。その声は、かすれていて、何よりも報酬のようにユイの胸に染み込んだ。
――
その夜。
丸の内の高層オフィスで、レンはUSBの中身を確認していた。二〇一六年十月の取締役会議事録。画面に映し出された文面を、冷たい青い目が上から下へと素早く走査する。
『……毒性試験の中間報告において、皮膚刺激性グレード三に該当する結果が含まれていたが、販売スケジュールを鑑み、当該試験結果の公表と最終報告への記載を留保するものとする』
議決。そして、当時の取締役たちのサインが、ずらりと並んでいる。
証拠は、揃った。
レンは静かに画面を閉じて、深くソファに身を沈めた。長い復讐の終わりが、ようやく、現実の形を持ち始めている。
しかし、彼の脳裏に浮かぶのは、会議室に叩きつけるべき罪状ではなく、昼間に社長室で見せたユイの、晴れやかな涙の顔だった。
――
一方、同じ夜。
ユイは本社ビルを出たところで、呼び止められた。
「[serious]ユイさん」
振り返ると、街灯の下にサワダが立っている。帰り道を見計らって、待っていたのだろう。
「[serious]君に、どうしても聞いておきたいことがあるんです」
サワダが、一歩近づく。
いつもの優しい茶色の目が、眼鏡の奥で、何か抑えきれない熱を帯びている。もはや、先輩としての心配だけではない。もっと別の、強い感情が、そこから溢れ出そうとしているのを、ユイは、初めてはっきりと自覚した。
「[whispers]本当に大丈夫ですか。あの人は、君を……」
彼は言葉を切って、拳を握りしめた。
言えない言葉を、必死に呑み込んでいる。
夜の街灯が、二人の長い影を地面に落としていて、それが、触れ合いそうで、決して触れ合わない距離に見えた。
ユイの胸は、まだ、レンに対する決意でいっぱいだ。でも、サワダの声に滲む苦しみは、彼女の心の別の場所を、確かに痛ませた。