ベルモンド・バンデラスは今日も店番
夢と現実のあわいに佇む、小さな喫茶店「トバリ亭」。
マスターのベルモンド・バンデラスは、見た目も声もとびきり渋いイケメン――なのに、中身はちょっとズレてる、お人好しで世話焼きなマスター。開店5億年(?)、来る者は拒まず、夢迷う誰かれともなく、コーヒーと不思議なドリンクでもてなしてきた。
静かすぎる金曜の夜、夢の最果てからただならぬ気配が近づいてくる。そして、ひとりでに開き始める扉――その向こうにいるのは、いったい誰?
にじさんじの仲間たちがふらりと訪れては、笑って、泣いて、たまに変なことに巻き込まれる。ダジャレと優しさと、ほんの少しの不思議でできた夢喫茶コメディ、開店です。
「いらっしゃい。おかわりは、まだまだいけるぜ」
今日もベルさんは、カウンターの向こうで誰かを待っている。
ベルモンド・バンデラスは今日も店番 - 迷子のユメとこわれた夢
店の扉が、ゆっくりと開いた。
ベルさんはカウンターから顔を上げた。夜の終わりが近い時間帯。いつもなら、そろそろ現実の誰かが夜明けを迎えて、夢の領域から一人、また一人と帰っていく頃だ。
「いらっしゃい」
低くて、かっこいい声。でも、その声はすぐに空気に溶けた。
扉の向こうには、誰もいなかった。
いや、正確には、誰かが立っていた。
でも、その誰かは、店の中に入ってこなかった。
ベルさんは首をかしげた。
「おや」
エプロンを掛け直して、カウンターから出る。革靴の底が、木の床を静かに鳴らした。
店の外、ナカツジの広場。淡い藍色に光っていた石畳が、今は少し色を変えている。
灰色に近い、くすんだ青。
誰かが、すごく悲しい気持ちで、この広場に立っている。石畳は来訪者の気分で色が変わる。今の色は、そういう色だった。
ベルさんは、広場の南端を見た。
迷子石。
夢の領域で迷った者が、無意識にたどり着く大きな丸石。
その石の前に、小さな影がうずくまっていた。
「……あれは」
ベルさんが一歩踏み出そうとした、その時。
「見つけたーーーーっ!!」
銀色の髪が、夜の空気を切り裂くように走ってきた。
腰まで届く銀髪。ところどころに青いメッシュ。星の髪飾りが、いくつも、走るたびにキラキラ揺れている。左足首の星のアンクレットも、シャラシャラと音を立てた。
アイシャ・ミスティ。
にじさんじの仲間で、自称・夢路の案内人。思いついたら即行動。猪突猛進。自分が信じた道を突き進む、困ったムードメーカーだ。
「おぬし、こんなところで何しとるんじゃー!」
アイシャは、迷子石の前の小さな影に、ぴたりと止まった。
そして、金色の瞳を、まんまるに見開いた。
「……女の子?」
ベルさんも、ゆっくりと近づいた。
迷子石の前にうずくまっていたのは、小さな女の子だった。
肩までの黒髪を、ふたつ結びにしている。少しだけ寝癖がはねていた。深い紺色の瞳は、涙でいっぱいで、星が反射したようにきらきら光っている。身長は118センチくらい。リュックには、折り紙のうさぎがぶら下がっていた。
「いっしょにいてくれてありがとう」と、小さな字で書かれた折り紙のうさぎ。
女の子は、声を出せずに、ただ、涙をこぼしていた。
「……え、えっと、うちはアイシャ・ミスティ!夢路の案内人じゃ!」
アイシャは、しゃがみこんで、女の子の顔をのぞき込んだ。
「おぬし、名前は?」
女の子は、答えなかった。
唇が、小さく震えている。声を出そうとして、でも、出せなくて、そのたびに涙がぽろぽろこぼれた。
「……うぅ」
かすかな、しゃくりあげるような声。
アイシャは、一瞬だけ困った顔をした。
でも、次の瞬間には、もう笑っていた。
「よし!わかった!うちが守ってあげる!」
アイシャは、女の子の手を、ぎゅっと握った。
「こわい夢も、迷子も、ぜーんぶうちに任せなさい!うちは強いんじゃぞ!」
女の子は、びっくりして、涙が止まった。
でも、すぐにまた、涙があふれてきた。
今度は、少しだけ、違う涙。
「……ありがとう、おねえちゃん」
小さな、小さな声だった。
アイシャは、金色の瞳をさらに輝かせた。
「どういたしまして!さあ、寒いじゃろ。店に入るぞ!」
アイシャは女の子の手を引いて、トバリ亭へ向かって歩き出した。
ベルさんは、その様子を、静かに見ていた。
「……アイシャ」
「おお、ベルさん!聞いてくれ!この子、迷子石の前で泣いとったんじゃ!」
アイシャは、女の子の手を離さないまま、ベルさんの前でぴょんぴょん跳ねた。
「うちがこの子を守るって約束した!いいじゃろ、ベルさん!」
ベルさんは、小さく笑った。
「ああ、いいとも。よくやったな、アイシャ」
「えへへ!さすがうちじゃろ!」
三人は、トバリ亭の中に入った。
店内は、ほのかにコーヒーと柑橘の香りが漂っていた。壁には、色あせた映画のポスターや、貝殻、小さなぬいぐるみ。来訪者が置いていった品々が、静かに並んでいる。
女の子は、店内を見回して、小さく息を呑んだ。
「……きれい」
「そうじゃろ!ここはベルさんのお店、トバリ亭じゃ!」
アイシャは、女の子をカウンターの椅子に座らせた。
「このお店はな、夢の領域の交差点ナカツジの真ん中にあるんじゃ。現実のどこからでも、眠りさえすれば来られる、ふしぎな場所なんじゃぞ」
女の子は、こくりと頷いた。
ベルさんは、カウンターの中に入った。
そして、女の子の前に、静かにしゃがみこんだ。
目線を、合わせる。
女の子の深い紺色の瞳を、琥珀色の瞳で、まっすぐに見つめた。
「俺はベルモンド・バンデラス。この店のマスターだ。みんなからは、ベルさんって呼ばれてる」
女の子は、小さく頷いた。
「……ベルさん」
「そう。よろしくな」
ベルさんは、にっこり笑った。
「君の名前、聞いてもいいかい?」
女の子は、少し迷ってから、口を開いた。
「……ユメ」
「ユメちゃんか。いい名前だな」
ユメは、また、涙をこぼした。
「……わたしの、夢が、こわれちゃったの」
小さな声。
でも、その言葉は、店内に、はっきりと響いた。
アイシャが、息を呑んだ。
ベルさんは、静かに頷いた。
「……そうか。それは、つらかったな」
ベルさんは、カウンターの後ろの棚に手を伸ばした。
銀色の瓶。虹色のビン。金色の粉末。
「ちょっと待ってな。君のために、特別なドリンクを作るよ」
ベルさんは、手際よく、材料を揃え始めた。
三日月の雫。記憶サイダーの原液。ナカツジの石畳の粉末ひとつまみ。
「このドリンクはな、ムーンライト・ラムネって言うんだ。飲むと、心の奥にある夢が、きらきらの結晶になって出てくる」
ベルさんは、シェイカーを振りながら、ユメに説明した。
「材料は、三日月の雫と、記憶サイダーの原液と、ナカツジの石畳の粉末。これ、ぜんぶ夢の領域で採れるんだ。作れるのは、俺だけ」
「すごい……!」
アイシャが、目を輝かせた。
「うちも飲みたい!ベルさん、うちの分も!」
「お前はまた今度な」
「えー!けち!」
「これはユメちゃんのためのドリンクだ。特別なやつだからな」
ベルさんは、グラスに、月光色に輝く炭酸飲料を注いだ。
シュワシュワと、細かい泡が弾ける。
「はい、どうぞ」
ユメは、両手でグラスを受け取った。
「……きれい」
「飲んでごらん。冷たくて、甘くて、ちょっとだけ、月の味がする」
ユメは、こくりと一口飲んだ。
その瞬間。
ユメの頭の上から、ぽろぽろと、光る球体がこぼれ落ち始めた。
ビー玉大の、光る夢のかけら。
暖色の光。楽しい記憶。
「わあ……!」
アイシャが、歓声を上げた。
ユメの頭の上から、次々と、夢のかけらがこぼれ落ちる。
暖かいオレンジ色の光。柔らかいピンク色の光。
かけらの中には、映像が浮かんでいた。
公園で遊んだ記憶。お母さんと手をつないだ記憶。アイスクリームを食べた記憶。
楽しい夢が、店内を、ふわりと照らした。
「……きれい」
ユメは、涙で濡れた顔のまま、笑った。
初めて見せた、笑顔。
「すごいぞユメ!おぬしの夢は、こんなにきれいなんじゃな!」
アイシャも、嬉しそうに笑った。
でも。
ベルさんは、笑わなかった。
琥珀色の瞳が、一点を、じっと見つめていた。
暖色の光の影に、一つだけ、違う色のかけらが混ざっていた。
黒くくすんだ、ひび割れた夢のかけら。
それは、他の光るかけらとは違って、重たげに、ゆっくりと落ちてきた。
そして。
床に落ちた瞬間。
その黒いかけらは、小さく、うごめいた。
「……!」
ベルさんは、目を細めた。
黒いかけらは、床の上で、ゆっくりと形を変え始めた。
まるで、生き物のように。
「なにこれ!?」
アイシャが、黒いかけらに駆け寄った。
「かわいい!こわいけど、なんかかわいい!」
アイシャは、しゃがみこんで、黒いかけらに手を伸ばした。
「ちょっと触ってみてもいいか!?」
「アイシャ、やめろ!」
ベルさんの声が、店内に響いた。
今まで聞いたことのない、強い口調だった。
アイシャは、びくっとして、手を止めた。
「……ベルさん?」
「それは、触らない方がいい」
ベルさんは、真剣な表情で、アイシャを見た。
「……なんで?」
アイシャの金色の瞳が、初めて、不安そうに揺れた。
ベルさんは、答えなかった。
代わりに、カウンターの下に目をやった。
おやすみ壺。
青い陶器の壺が、かすかに震えていた。
中のナイトシードが、共鳴している。
床の上の黒いかたまりと。
「……そうか」
ベルさんは、小さく呟いた。
これは、ナイトロアの卵だ。
こわい夢の実体化。
ユメの夢が壊れた時、その心の痛みと恐怖が、この黒いかたまりになった。
「ユメちゃん」
ベルさんは、ユメの方を向いた。
ユメは、黒いかたまりを見て、体を震わせていた。
「……わたしの、せい」
小さな声。
「わたしのせいで、あんな、こわいのが……」
ユメの深い紺色の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「違うよ、ユメちゃん」
ベルさんは、ユメの前にしゃがみこんだ。
「君のせいじゃない。君の心が、深く傷ついたから、その痛みが、あんな形になって出てきたんだ」
「……でも」
「でも、じゃない。君は、何も悪くない」
ベルさんは、ユメの頭を、そっと撫でた。
「あれは、君の心の奥にある、さみしさや、こわさが、固まったものなんだ。君が弱いからでも、君が悪いからでもない」
ユメは、しゃくりあげながら、ベルさんの顔を見た。
「……ほんと?」
「ほんとだよ。マスターが嘘つくか?」
ベルさんは、いたずらっぽく笑った。
「……うん」
ユメは、少しだけ、涙が止まった。
その時。
「ベルさん!」
アイシャが、黒いかたまりを指差した。
「これ、どうするんじゃ?うち、ペットにしようと思うんじゃけど!」
ベルさんは、呆れた顔で、アイシャを見た。
「お前、さっきまで不安そうな顔してなかったか?」
「うん!でも、よく見たら、なんか愛着わいてきた!名前も考えたんじゃ!『くろまる』はどうじゃ!」
「くろまる……」
「かわいいじゃろ!それか『こわこわ』!どっちがいいと思う?」
「どっちも却下だ」
「えー!なんで!?」
「あれはペットじゃない。ナイトロアの卵だ。放っておくと、でかくなって、店を壊すぞ」
「なに!?店を壊す!?そいつはまずい!」
アイシャは、大げさに飛びのいた。
「でも、まだ卵だ。今のうちなら、なんとかなる」
ベルさんは、黒いかたまりを見つめた。
黒いかたまりは、床の上で、ゆっくりと形を変えている。
まだ小さい。
でも、確実に、動いている。
「……くくっ」
突然、ユメが、小さく笑った。
「……くろまる」
ユメは、涙で濡れた顔のまま、口元を緩ませた。
「……くろまる、かわいい」
その瞬間。
黒いかたまりが、一瞬、縮んだ。
ほんの少し。
でも、確かに、縮んだ。
ベルさんは、それを見逃さなかった。
(笑い声が、効いてる……)
心の中で、そう思った。
「……ユメちゃん、もう一回、笑ってみて」
「え?」
「ほら、アイシャが、くろまるって名前つけたの、おかしいだろ?」
「おかしいって!ひどい!うちは真剣に考えたんじゃぞ!」
アイシャが、頬を膨らませた。
「……ふふっ」
ユメが、また笑った。
黒いかたまりが、また、少し縮んだ。
「……なるほどな」
ベルさんは、確信した。
ナイトロアの弱点は、笑い声。
そして、楽しい記憶の光。
今、この店には、ユメの楽しい夢のかけらが、まだ、ふわりと漂っている。
「アイシャ」
「なんじゃ?」
「お前、面白いこと、もっとやってみろ」
「え!?急に!?」
「急で悪いな。でも、お前ならできるだろ」
アイシャは、一瞬きょとんとしたが、すぐに、にやりと笑った。
「ふっふっふ……ベルさん、うちの真の実力を、見せてやる時が来たようじゃな!」
アイシャは、くるりと回って、ポーズを決めた。
「見よ!これが夢路の案内人、アイシャ・ミスティの十八番!『かえるのうた』の替え歌じゃー!」
アイシャは、でたらめな音程で、歌い始めた。
「かえるのうたが~♪きこえてくるよ~♪ゲロゲロゲロゲロ~♪ゲロゲロゲロゲロ~♪」
「……それ、ただのかえるのうただな」
「まだまだ!ここからが本番じゃ!」
アイシャは、さらにテンションを上げた。
「かえるのうたが~♪きこえてきたら~♪にげろ!にげろ!にげろ~♪」
「なんで逃げるんだよ」
「だって、かえるの大群が押し寄せてくるんじゃもん!」
「どんな歌だよ」
「……ぷっ」
ユメが、声を上げて笑った。
「あははっ!おねえちゃん、へんなの!」
ユメの笑い声が、店内に響いた。
その瞬間。
黒いかたまりが、目に見えて、縮んだ。
さっきまで、うごめいていたのに。
今は、小さく、震えるだけ。
「……効いてる」
ベルさんは、静かに呟いた。
「ユメちゃん、ありがとう。君の笑顔が、あれを小さくしてるんだ」
「……わたしの、笑顔?」
「ああ。君の笑顔は、すごい力があるんだよ」
ユメは、照れたように、俯いた。
「……えへへ」
その時。
店の外で、風が吹いた。
ハテノカスミの方向から、冷たい風が。
不安定な空気が、店内に流れ込んでくる。
「……ちっ」
ベルさんは、窓の外を見た。
ナカツジの広場の石畳が、また、色を変えている。
灰色。
薄い紫。
不安定に、チカチカと明滅。
「ベルさん、どうしたんじゃ?」
「……いや、なんでもない」
ベルさんは、笑顔を作った。
でも、心の中では、警戒していた。
(ハテノカスミが、ざわついてる……)
黒いかたまりは、まだ、床の上で、小さく震えている。
まだ、動き出さない。
でも、確実に、何かが近づいている。
「……ユメちゃん」
ベルさんは、ユメの方を向いた。
「今日は、この店に、ゆっくりしていきな。何も心配しなくていい。俺と、アイシャが、ついてるから」
「うん!うちもついてるぞ!」
アイシャが、ユメの肩を、ぽんと叩いた。
ユメは、こくりと頷いた。
「……ありがとう、ベルさん、おねえちゃん」
ユメの深い紺色の瞳に、また、涙が浮かんだ。
でも、今度の涙は、悲しい涙じゃなかった。
「……よし」
ベルさんは、立ち上がった。
「アイシャ、ユメちゃんを、奥の座敷に連れて行ってくれ。毛布も出してやる」
「了解じゃ!さあ、ユメ、こっちじゃ!」
アイシャは、ユメの手を引いて、奥の小上がり座敷へ向かった。
ベルさんは、カウンターに戻った。
そして、床の上の黒いかたまりを、じっと見つめた。
(こいつは、まだ卵だ。でも、いつ孵化してもおかしくない)
ベルさんは、カウンターの下のおやすみ壺に、手を置いた。
壺は、まだ、かすかに震えている。
「……おやすみ」
ベルさんが、静かに声をかけると、壺の蓋が、少しだけ開いた。
でも、まだ、黒いかたまりを封じるには、早すぎる。
「……焦るな。まだ、お前の出番じゃない」
ベルさんは、壺の蓋を、そっと閉じた。
黒いかたまりは、床の上で、ゆっくりと、形を変え続けている。
まだ、小さい。
でも、その中に、確かな悪意が、渦巻いている。
ユメの心の奥の、深い傷。
その傷が、この黒いかたまりを、育てている。
「……君の夢は、必ず、取り戻してやる」
ベルさんは、黒いかたまりに、そう語りかけた。
低くて、かっこいい声。
でも、その声は、誰にも届かない。
店内には、ユメの楽しい夢のかけらが、まだ、ふわりと漂っていた。
暖色の光が、ベルさんの横顔を、静かに照らしていた。
「……おかわりは、まだまだいけるぜ」
ベルさんは、呟いた。
それは、彼の口癖。
なにか困ったことがあっても、これで乗り切る。
でも、今は、その言葉が、少しだけ、重く感じられた。
黒いかたまりが、一瞬、ぴくりと動いた。
まるで、その言葉に、反応したかのように。
ベルさんは、琥珀色の瞳を、細めた。
「……上等だ」
ベルさんは、カウンターに手をついて、前を見た。
店の外では、ハテノカスミの霧が、ゆっくりと、うねっていた。
何かが、動き始めている。
でも、ベルさんは、動じなかった。
5億年、この店を守ってきた男。
「……さて、と」
ベルさんは、エプロンを締め直した。
「今日は、長い夜になりそうだな」
その声は、静かで、落ち着いていた。Noveliaとは?
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