セレス・ファウナのまいにちが、ちょっとだけへんな日
並行世界のあわいに浮かぶ、隠された楽園「ヴェリタス・コモンズ」。
時間の神も、死の使い手も、海の騎士も——元の世界ではすごい肩書きを持つ17人の住人たちが、ここでは洗濯や料理をする、ただの共同生活者。
自然を司るファウナは、世界樹エルダ・マグナの世話をしながら、今日も彼らの「ちょっと変」をなんとか収めようと奮闘中。
タイムマシンを改造する発明少女、ルール違反に目くじらを立てる時間の神、推しのアニメに命を懸ける死の使い手——。
平和な朝のはずが、気づけば時間に亀裂が入り、未来からスイーツ(?)が降ってきて、挙句の果てには異世界のドラゴンまで顔を出す始末。
それでも、花は今日も綺麗に咲いている。
ちょっとだけへんで、ちょっとだけ愛おしい。そんな日々を、のんびり笑ってお届けします。
――さて、明日はどんな「ちょっとへん」が待っているのでしょうか?
セレス・ファウナのまいにちが、ちょっとだけへんな日 - 砕け散る仮面と孤独の夜
夜明け前のコモンズは、怖いくらいに静かだった。
風が止まっている。エルダ・マグナの葉擦れの音もしない。いつもならどこかから聞こえてくるアメリアの工房の爆発音も、クロニイの怒鳴り声も、グラのはしゃぐ声も、全部消えていた。
ポタジェの大きなテーブルに、冷めたスープがそのままになっている。
「やっぱり……あたしなんて」
アメリアは椅子に座ったまま、両手で顔を覆っていた。肩が小刻みに震えている。腰まで届くブロンドの髪が、涙で濡れて顔に張り付いていた。
「全部、お前のタイムマシンのせいだ!」
クロニイはテーブルを拳で叩いた。カップが倒れ、冷めた紅茶がこぼれる。彼の銀色の髪は乱れ、金色の瞳は秒針のように細かく震えていた。眉間のシワが、いつもよりずっと深い。
「うるさい!あんたのその生真面目な顔、前からムカついてたんだよ!」
アメリアは顔を上げて叫んだ。いつもは好奇心でキラキラしている青い瞳が、今は怒りと悲しみでにじんでいる。右頬の油のシミも、涙で濡れていた。
「いつもいつも、十七ヶ条がどうの、時間がどうのって……あんたは何にもわかってない!」
「何がわかるっていうんだ!お前のせいで俺は何度も時間の歪みを修復してきた。俺のオーラリー・スパイアの砂時計が何度砕けそうになったか——」
クロニイは言葉を詰まらせた。
「あんたに迷惑かけてることくらい、わかってるよ!」
アメリアの声が、震えた。
「わかってる……わかってるんだ。あたしが発明するたびに、誰かが困ってるって。タイムマシンを作るたびに、クロニイが怒鳴り込んでくるって。でも、それでも——」
彼女は左手首の腕時計型タイムマシンをぎゅっと握りしめた。決して外さない、自作の装置。指が白くなる。
「でも、やめられなかった。みんなを驚かせたいって、すごいって言われたいって、ずっと思ってたから!」
「……驚かせるだと?そんなものはただの自己満足だ。お前はこのコモンズで何度も何度も——」
「わかってるよ!あたしはただの迷惑なやつだよ!それでもここにいたかったんだ!」
涙が、テーブルに落ちて弾けた。
クロニイは唇を噛み締め、そして——
「俺だって、お前に何度言ってもわからないから……もう疲れてたんだ」
彼の声が、いつもよりずっと小さかった。
「ファウナ以外には、正直、イライラしてた。ガウルの無邪気すぎる行動も、カリオペのネタバレ騒ぎも、ナノメアの無言の圧力も、そして何より——お前の、無責任な発明が」
「やめて!」
ファウナは二人の間に割って入った。緑がかった金髪が揺れる。左耳の上の小さな木の芽が、かすかに光っていた。
「やめて。お願い。こんなこと、言うために石の力があったんじゃないのよ」
でも、二人は彼女を見なかった。
「……もういい」
アメリアは立ち上がった。椅子が倒れる。ガシャン。
「どうせあたしは、ティッカー・ハウスで一人で機械をいじってる方がお似合いなんだ」
彼女は振り返らずに、ポタジェを出て行った。いつもはしっぽみたいに揺れているコートの裾が、今はただ垂れ下がっている。
「……ちっ」
クロニイも立ち上がった。いつもは右手に持っている砂時計型の杖を、今は力なく引きずっている。彼の通った後だけ空気がピリッと張り詰める、といういつもの緊張感も、今は感じられなかった。
静かになったポタジェ。
ファウナは一人、立ち尽くしていた。
(——私の声は、誰にも届かない)
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。自然の力でエルダ・マグナと共鳴しても、植物を成長させても、石の力は止められない。言葉も届かない。
「……私、調律師なのに」
彼女はうつむいた。
——ガシャン。
——ドサッ。
遠くから、何かが壊れる音がした。アメリアの工房の方角じゃない。もっと別の場所だ。
———
タイドプール・コーヴの波音が、西の端から響いている。
ガウル・グラは入り江の岩場に座り込み、膝を抱えていた。頭のてっぺんのサメのひれ飾りが、しょんぼりと垂れている。腰にぶら下げた小さな碇が、波に濡れてキラリと光った。
「もう、いやだ」
彼女は涙をぬぐおうともせず、アクアブルーの瞳から大粒の涙をこぼしていた。猫のように縦に細くなった瞳孔が、悲しみで揺れている。
「あたしの石が、みんなをおかしくした。あたしがここに来たから、みんながケンカした——」
波が、足元を濡らす。
「やっぱりあたしは、一人でよかったんだ。深海で、クラゲと話してた方がよかったんだ」
「グラ」
ファウナは岩場を滑らないように歩きながら、彼女のそばに膝をついた。
「ファウナ……ごめんなさい。あたし、もう、海に帰る。ここにいると、また誰かを傷つける」
彼女は立ち上がって、波の方へ足を踏み出そうとした。
ファウナは、その小さな体を後ろから抱きしめた。
「行かないで」
「でも……!」
「あなたが石を持ってきたのは、仲直りがしたかったからでしょ。友だちになりたかったからでしょ。それは間違ってない。間違ってなんかないのよ」
グラの体が、びくっと震えた。
「でも、あたしが石を拾わなきゃ……あたしがここに来なければ……」
「そうかもしれない。でも、あなたが来なかったら、私はあなたに会えなかった。それは、すごくさみしいことだと思う」
グラは声を上げて泣き出した。
「さみしかった……!ずっと、さみしかった……!でも、誰かといると、いつも、ダメになる……!あたしのせいで、みんな、困る……!」
(——私も、同じだ)
ファウナは胸の中でつぶやいた。
調律師として、優しくしなきゃいけない。しっかりしなきゃいけない。誰にも弱音を吐いちゃいけない。
ずっと、そう思ってた。
でも。
(本当は、私も——助けてほしい)
涙が、こぼれそうになるのを、必死でこらえた。
———
ブルーム・サークル。
ファウナが最も大切にしている花園だ。直径100メートルの円形庭園には、多元世界から集めた300種以上の花が植えられている。
今は、ほとんどがうつむいていた。
昨日のカリオペの死の力で枯れた花はまだ元に戻らず、モヤモヤ石の影響でコモンズ全体が不安定になったせいか、根が弱っている。青い月明かり草は色がくすみ、金色の太陽花は花びらが縮れ、紫色の星屑草は地面に崩れ落ちていた。
ファウナはエルダ・マグナの太い根元に、モヤモヤ石を置いた。
拳大の半透明な石。表面に淡い光の渦が、絶え間なく回転している。
「お願い」
両手を石にかざす。周囲の花たちが、わずかな光を放って石を囲んだ。
「どうして、私だけがあなたの影響を受けないの?どうして私の声は、みんなに届かないの?」
石は、沈黙している。
ただ、渦巻く光の中で、ファウナの顔を映し出すだけ。
「……お願い。教えて」
風が吹いた。
でも、石からの返事はない。
彼女は地面に手を当て、自然の力で植物の根を操った。土の中から細い根っこが伸びて、石を包む。
——無理だ。
石の力は、まったく動じない。むしろ、根が石に触れた瞬間、ぴりっとした痛みが指先に走った。
「……やっぱり、私の力じゃダメなの?」
ファウナは座り込んだ。
月が、雲に隠れる。
暗くなった花園で、彼女は一人、考え始めた。
アメリアは、あんなに泣いていた。本当は、迷惑をかけていることをずっと気にしていた。いつもは「失敗もネタになる!」と笑っているのに、心の奥ではずっと傷ついていた。
クロニイは、あんなに怒っていた。本当は、もっと怒りたかったのに、十七ヶ条がどうのって自分を縛っていた。ファウナ以外にはイライラしてた——そんな本音を、絶対に口にしないはずのクロニイが、叫んでいた。
グラは、独りがいいと言った。一番寂しがり屋のあの子が。
(みんな、本当の気持ちを隠してたんだ。ずっと。私の知らないところで)
「私も——」
声が、かすれた。
「私も、同じだ」
涙が、一筋、こぼれた。
「調律師として、しっかりしなきゃって。みんなのお世話をしなきゃって。誰よりも優しく、誰よりも強くあらなきゃって」
涙が、頬を伝う。
「本当は、私だって——大変だって、言いたかった。助けてって、言いたかった。アメリアみたいに、好き勝手に発明して、クロニイに怒られてみたかった」
声が、震える。
「グラみたいに、さみしいって、誰かに抱きついて泣きたかった。クロニイみたいに、本当は私以外の人にもイライラしてるって、正直に言ってしまいたかった」
涙が、止まらない。
「でも、できなかった。私がしっかりしなきゃ、みんなが困るから。私が笑ってなきゃ、みんなが不安になるから。私が——完璧なリーダーでいなきゃ、ダメなんだと思ってた」
花びらが、風で舞い上がった。
「だから、私だけ石の影響を受けなかったんだ。私、ずっとずっと、自分の本音を、隠してきたから——」
彼女は両手で顔を覆って、声を上げて泣いた。
枯れた花たちの前で。傷ついたエルダ・マグナの根元で。
誰もいない花園で、ファウナは初めて、自分が誰よりも「独りだった」ことに気づいた。
ずっと。
ずっと、独りだった。
(私は、みんなのそばにいるのに——みんなの心に、触れたことがなかった)
涙が、地面に染み込む。
それを、柔らかな光が包んだ。
——え?
顔を上げる。
モヤモヤ石が、淡い光を放っていた。
さっきまで渦巻いていた光が、ゆっくりと柔らかなオレンジ色に変わっていく。
そして——
——きいてほしかった。
声が、聞こえた。
耳で聞く声じゃない。心に直接、響いてくる。
——みんなのほんとうのきもちを。きいてほしかった。
「……あなた?」
ファウナは石に手を伸ばした。
指先が、石の表面に触れる。
冷たいと思ったのに——あたたかかった。
——ひとりは、いやだった。
石の「声」は、言葉ではなかった。感情そのものが、流れ込んでくる。深い、深い孤独。ずっと、誰かの本当の気持ちに触れたくて、深海で待っていた。誰かが自分のことをわかってくれるのを、待っていた。
「……あなたも、ひとりだったのね」
ファウナの涙が、石の上に落ちる。
——さみしいのは、こわくない。でも、だれにもわかってもらえないのは、こわい。
「わかる」
彼女は石を両手で包み込んだ。
「私も、同じ。誰にも本当のことを言えなかった。言ったら、弱いって思われるんじゃないかって。みんなに頼りなく思われるんじゃないかって。ずっと、怖かった」
——きみのこえが、ききたかった。
石の光が、強くなる。
オレンジ色の光が、ファウナの体を包み込んだ。あたたかい。まるで、誰かに抱きしめられているみたいだ。
——きみのほんとうのこえを。
「……うん。聞いてくれるの?」
石は、光で応えた。
ファウナは、ゆっくりと話し始めた。
アメリアに振り回されるたびに、本当は心配で仕方なかったこと。
クロニイが頼ってくれるのが、実は誇りだったこと。
グラが「さみしい」と言った時、自分も同じだと感じたこと。
カリオペが花を枯らした時、悲しくて、怒りたかったこと。
ナノメアの無言の優しさに、何度も助けられていたこと。
「みんなのことが、大好きなの。でも——だからこそ、弱い自分を見せられなかった」
——みせても、いいんだよ。
石の声が、優しく響いた。
——きみは、ひとりじゃない。
「……ありがとう」
ファウナは石を抱きしめて、朝まで泣き続けた。
———
夜明け。
東の空が白み始めた頃、ファウナはブルーム・サークルを出た。
目は泣き腫らしていたけど、足取りはさっきよりしっかりしている。
石の力が、少しだけわかった気がした。石は感情を入れ替えたいんじゃない。ただ、誰かの本音に触れたくて、ずっと深海で待っていたんだ。
——きっと、この石を使えば、みんなを元に戻せる。
そう思って、パルラメント・ホールに向かおうとした。
その時。
——ガラガラガラ!
大きな音が、南西の方角から聞こえた。
「……なに?」
インク・シャドウの方角だ。
走る。
半地下構造の書斎の入り口に、看板が落ちていた。「ネタバレ厳禁」の文字。
扉には鍵がかけられ、内側からは物音一つしない。
「カリオペ!カリオペ!開けて!」
しばらくして、内側から小さな声がした。
「……現実なんて、もういらない」
黒いローブをまとった長身の女性が、扉の隙間から顔をのぞかせた。顔はフードの下でよく見えないけど、手に詩集と、大量のアニメのディスクを抱えている。
「私の推しが生きている世界に、引きこもる。こっちの現実は、ネタバレばかりで、大切な花は私が枯らしてしまうし、何もかもダメなんだ」
「カリオペ、違うの。あれは石の力で——」
「関係ない!みんな私のこと、迷惑だと思ってるんでしょ!どうせ私はネタバレにうるさいだけの死神だもの……!」
バタン。
扉が閉められた。
「カリオペ……」
ファウナは扉に手を当てた。でも、開かない。
——その時。
——ドッ!ドドドドッ!
さらに大きな破壊音が、地下から響いた。
エルダ・マグナの根の内部。アーカイヴ・ネストの方角だ。
ファウナは走り出した。
書庫の入り口に着いた時、彼女は息を飲んだ。
ナノメアが、無言で書棚をなぎ倒していた。
50万冊以上あるはずの蔵書が、床にぶちまけられている。分厚い本、薄いパンフレット、羊皮紙の巻物——すべてが散乱し、足の踏み場もない。
そして、いつもは寡黙な文明の神が、書棚を背にして座り込み、うつむいていた。
「ナノメア……どうして」
ナノメアは顔を上げない。
ただ、震える指で、床に「もういやだ」と書いた。
いつもは無口な彼女が、唯一感情を表す方法で。
「……そんな」
ファウナは言葉を失った。
———
オーラリー・スパイア。
コモンズで一番高い時計塔の内部は、異様な雰囲気だった。
巨大な砂時計が、赤黒く染まっている。
砂が、逆流している。
「……もう終わりだ」
クロニイは杖を握りしめ、砂時計を見上げていた。彼の金色の瞳に、赤い光が映る。
「こんな場所に、いる意味なんてない。俺はコモンズを去る。時間の管理も、アメリアの後始末も、もう——」
彼は背を向け、荷物をまとめ始めた。
———
ティッカー・ハウス。
アメリアは工房に一人だった。
机の上には、外したゴーグルが置かれている。彼女は鏡を見ていた。
いつもはキラキラしている青い瞳の周りに、昔の事故でついた古い傷跡がうっすらと残っている。彼女が時間の実験で失敗した時にできたものだ。
「……やっぱり、あたしなんていなければよかった」
彼女はつぶやいた。
いつもはしっぽみたいに揺れているコートの裾も、今は床に落ちて、動かない。
———
ファウナは、一人でパルラメント・ホールに戻った。
誰もいない。
円卓に刻まれたコモンズの規則、十七ヶ条が、朝日に照らされている。
「第3条、時間改変の禁止。第7条、他住人の趣味へのネタバレ禁止。第12条、深夜の爆発実験禁止」
全部、守られてきたはずだった。
でも——今、誰もここにいない。
(私は調律師として、何を守ってきたんだろう)
胸の奥が、じわりと痛む。
石の声が、まだ心に残っていた。
——きみはひとりじゃない。
でも、今のファウナには、その言葉が遠く感じられた。
住人はみんな、傷ついて、引きこもって、ここを出て行こうとしている。
どうすればいいのか、わからない。
それでも。
(それでも——私は、みんなのことが大好きだから)
彼女はモヤモヤ石を胸に抱きしめた。
石の光が、かすかに脈打つ。
あたたかい。
まだ、何も終わっていない。その確信だけが、彼女を支えていた。
コモンズの朝は、静かに、そして重く、沈んでいった。Noveliaとは?
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