セレス・ファウナのまいにちが、ちょっとだけへんな日
並行世界のあわいに浮かぶ、隠された楽園「ヴェリタス・コモンズ」。
時間の神も、死の使い手も、海の騎士も——元の世界ではすごい肩書きを持つ17人の住人たちが、ここでは洗濯や料理をする、ただの共同生活者。
自然を司るファウナは、世界樹エルダ・マグナの世話をしながら、今日も彼らの「ちょっと変」をなんとか収めようと奮闘中。
タイムマシンを改造する発明少女、ルール違反に目くじらを立てる時間の神、推しのアニメに命を懸ける死の使い手——。
平和な朝のはずが、気づけば時間に亀裂が入り、未来からスイーツ(?)が降ってきて、挙句の果てには異世界のドラゴンまで顔を出す始末。
それでも、花は今日も綺麗に咲いている。
ちょっとだけへんで、ちょっとだけ愛おしい。そんな日々を、のんびり笑ってお届けします。
――さて、明日はどんな「ちょっとへん」が待っているのでしょうか?
セレス・ファウナのまいにちが、ちょっとだけへんな日 - 本音の輪っかとみんなの勇気
明け方のブルーム・サークルは、静かだった。
風が、かすかに花びらを揺らしている。エルダ・マグナの葉擦れの音が、遠くで聞こえた。
セレス・ファウナは、花園の真ん中に座り込んでいた。肩までの金髪は涙で濡れて、ほっぺたに張り付いている。左耳の上の小さな木の芽が、かすかに光っては消えていた。目の前には、モヤモヤ石。表面の淡い光の渦が、ゆっくりと回っている。
「……ごめんね」
ファウナは石に手を伸ばした。指先が、ひんやりとした表面に触れる。
——ずっと、さみしかった。
声が、聞こえた気がした。言葉じゃない。でも、胸の奥に直接響いてくる。深い、深い孤独の叫びだった。
「あなたも、ずっと一人だったのね」
涙が、あふれた。石の上に落ちて、小さく弾ける。
ファウナはわかった。この石は、みんなの感情をめちゃくちゃにしたかったわけじゃない。誰かの本当の気持ちに、触れたかっただけなんだ。深海の暗い底で、ずっとずっと、誰かの本音を待っていたんだ。
「私と同じだ」
調律師になってから、ずっと仮面をかぶってきた。みんなのお母さん役。しっかりしなきゃ。弱音を吐いちゃいけない。
でも。
「私だって、本当はみんなに甘えたい。『助けて』って言いたい。大変だって、叫びたい……」
石の光が、少しだけ柔らかくなった。まるで、うなずいているみたいに。
ファウナは、涙で腫れた目をぬぐった。そして、立ち上がる。
「行こう。みんなの本当の気持ちを、聞かせてあげる」
石を胸に抱きしめて、彼女はポタジェへ走った。
——
ポタジェのテーブルに、ガウル・グラがうつ伏せていた。濃紺と白のツートーンカラーの髪が、ぐしゃぐしゃに乱れている。頭のてっぺんのサメのひれが、しおれた花みたいに垂れ下がっていた。
「うう……あたしのせいだ……あたしが、石なんか持ってきたから……」
グラは泣きじゃくっていた。小さな肩が、震えている。腰の碇が、ジャラジャラと音を立てた。
ファウナは、グラの隣に座った。
「グラ。あなたのせいじゃないのよ」
「ちがう!あたしが、さみしくて!誰かと仲良くなりたくて!こんなもの拾ってきたから!みんな、おかしくなっちゃった!」
「あなたは、さみしかっただけよ」
「……え?」
グラが顔を上げた。大きなアクアブルーの瞳が、涙でにじんでいる。
ファウナは、そっと彼女の手を握った。
「私もよ。ずっとさみしかった。調律師として、しっかりしなきゃって。誰にも本当のことを言えなかった。……でも、違うの。言ってもいいんだって、今、わかったの」
「ファウナも……?」
「ええ。だから、一人じゃない。一緒に、みんなを助けよう」
グラの大きな目から、また涙がこぼれた。でも、今度は、さっきと違う。
「……うん!」
——
ティッカー・ハウスは、真っ暗だった。
いつもは爆発音とアメリアの笑い声が聞こえる工房が、墓場みたいに静かだ。壁には時計の部品が散乱し、机の上には工具が無造作に転がっている。
アメリアは、隅っこで小さくなっていた。腰まで届くブロンドの髪が、顔を隠している。左手首のタイムマシンだけが、かすかに光っていた。
床に、ゴーグルが落ちていた。
「……あたしなんか、いなければよかった」
彼女は、手鏡を見つめている。反射した自分の顔。青い瞳の周りに、古い傷跡。昔、時間の実験で失敗した時のものだ。
「また失敗した。今度は、みんなの中身までぐちゃぐちゃにしちゃった。もう、笑ってごまかせない」
その時。
コンコン。
扉がノックされた。
「ほっといてくれ!」
でも、扉は開いた。
ファウナが、立っていた。
「アメリア。話があるの」
「聞こえなかったのか!?あたしは——」
「あなたの発明が、私を助けてくれたことがあるの。覚えてる?」
アメリアは、ぴたりと動きを止めた。
「……え?」
ファウナは、アメリアの前にしゃがみこんだ。そして、彼女の手を握る。冷たくて、震えていた。
「前に、時間の歪みで私が倒れた時。あなたがくれた栄養ドリンク。あれがなかったら、私はきっと、もっと長く寝込んでいた。あなたの発明は、誰かを傷つけるだけじゃない。誰かを救うこともできるのよ」
「……そんなの、たまたま成功しただけで……」
「たまたまでも、救われた人はいるの。私は、あなたにいてほしい。コモンズには、あなたが必要なの」
アメリアの目が、見開かれた。
いつもはキラキラしている好奇心の光が、今は涙でゆがんでいる。でも、その奥で、何かが動いた。
「……ファウナ」
——
オーラリー・スパイア。
時計塔の内部は、異様な雰囲気だった。巨大な砂時計の砂は、まだ赤黒く染まっている。逆流した砂が、不気味な音を立てていた。
クロニイは、塔の出口に立っていた。銀色の長髪を後ろで束ね、右手に砂時計型の杖。しかし、その背中は、いつもの生真面目さを失っていた。
足元には、小さな荷物。
「……もう、終わりにしよう」
彼は一歩、踏み出した。
——ドンッ!
「ダメだ!」
グラが、クロニイの前に飛び込んだ。両手を広げて、行く手を塞ぐ。
「行かないで!お願い!」
「……どいてくれ、グラ。俺はもう、ここにいる意味がない」
「あるよ!クロニイがいないと、また時間がぐちゃぐちゃになったら、誰が直すんだ!」
「俺じゃなくても——」
「あたしも、一人が怖かった!」
グラの叫びが、塔の中に響いた。
「100年も、深海で一人で!話し相手はクラゲだけ!さみしくて、さみしくて、死にそうだった!でも、ファウナが助けてくれた!『一人じゃない』って言ってくれた!クロニイも、一人じゃないんだ!」
クロニイの金色の瞳が、揺れた。
砂時計の杖を握る手が、震えている。
彼の脳裏に、昔の光景がよぎった。
——砂時計が、粉々に砕けた時のこと。絶望。もう終わりだと思った。
——でも、ファウナが何日もかけて、砂を育ててくれた。一粒一粒、ていねいに。
「……俺は」
彼の声が、震えた。
「俺は、いつもアメリアの後始末ばかりで、うんざりしてた。十七ヶ条を暗唱して、規則を守って……でも、心の奥では、あいつの破天荒な発明を、少しだけ面白いと思ってた。そんな自分が、許せなかった」
それは、初めての本音だった。
——
インク・シャドウ。
カリオペの書斎は、半地下の構造だ。壁一面に詩集や漫画、アニメのディスクが並んでいる。入口には「ネタバレ厳禁」の看板。いつもは18度に保たれている室温が、今日はもっと冷たく感じられた。
黒いローブをまとったカリオペは、部屋の隅でうずくまっていた。
「……現実なんて、いらない」
彼女は、アニメのディスクを抱きしめている。まるで、それが唯一の盾であるかのように。
扉が、開いた。
「カリオペ」
「来ないで」
「来たわ。私も、ずっと逃げてたから」
カリオペの肩が、ピクリと動いた。
ファウナは、彼女の隣に座った。床は冷たい。空気は重い。
「私もずっと、現実から逃げてた。強がって、本当の気持ちを隠して。調律師だから、しっかりしなきゃって。でも……本当は、みんなに甘えたかった。大変だって、泣きつきたかった」
ファウナの声が、震えた。
「カリオペ。あなたの本当の気持ちを、聞かせてほしいの」
沈黙。
それから、かすかな声が聞こえた。
「……私も、本当はみんなと一緒にお菓子を食べたい。でも、死の力が怖くて、近づけなかった。もし暴走したら、みんなを傷つけるかもしれない。それが、ずっと怖かった」
死の使い手としての孤独。誰にも言えなかった本音が、初めて、言葉になった。
——
エルダ・マグナの根元。
巨大な世界樹の下の広場に、6人が集まった。
ファウナ。アメリア。クロニイ。グラ。カリオペ。そして、いつの間にかやってきていたナノメア。
ファウナは、地面の真ん中にモヤモヤ石を置いた。
「今から、みんなの本当の気持ちを話してほしいの」
彼女は涙をぬぐい、みんなの顔を見渡した。
「まずは、私から話すわ」
深呼吸。
「私は、調律師としてずっと孤独だった。本当は、みんなに甘えたかった。アメリアの騒動を、心の中で楽しんでた。怒ってるふりをして、でも、その非日常が大好きだった。弱い自分を、誰にも見せられなかった。泣くこともできなかった。……助けてって、ずっと言いたかった」
涙が、こぼれた。
石の光が、今までにない優しい色に変わった。
感情の入れ替えじゃない。嘘をつけない場が、そこに生まれていた。
クロニイが、一歩前に出た。
「……次は、私が話そう」
杖を握る手が、白くなっている。
「昔、砂時計が粉々に砕けた時、私は絶望した。もう、時間の神としての役目は終わりだと。しかし、ファウナが何日もかけて砂を育ててくれた。一粒一粒、ていねいに。その時に思ったんだ。この人には、一生頭が上がらないと」
彼の金色の瞳から、涙がこぼれた。
「私は、生真面目な仮面の下で、ずっと怯えていた。次に砂時計を壊したら、俺は終わりだと。それなのに、アメリアの発明の無茶苦茶さを、少しだけ面白いと思ってしまう自分がいた。その矛盾に、ずっと苦しんでいた」
その時。
アメリアが、勢いよく立ち上がった。
「次は、あたしだ!」
彼女はゴーグルを外した。いつも隠している目元。青い瞳の周りの古い傷跡が、みんなに見える。
「これ、昔タイムマシンを失敗した時についた傷なんだ。本当は、これが怖くて、ずっとゴーグルを外せなかった。また失敗したら、今度はみんなを傷つけるかもしれないって。あたしは、大失敗ばかりで、みんなに迷惑をかけてるって、わかってる。でも!それでも、仲間でいたいんだ!ここが大好きなんだ!」
彼女は叫んで、泣き崩れた。
クロニイが、彼女の肩に手を置いた。
「……アメリア。お前がいてくれて、よかった」
その言葉に、アメリアの泣き声が一層大きくなった。
石の光が、さらに強まる。
すると、グラが飛び出した。
「あたしも!あたしも話す!」
彼女は、小さな拳を握りしめて、叫んだ。
「深海で、100年以上一人だった!話し相手はクラゲだけ!誰かと一緒にご飯を食べたかった!お喋りしたかった!ここに来て、初めて天国だと思った!だから、みんなに喜んでほしくて、石を持ってきちゃった!ごめんなさい!でも、ここが大好きなんだ!」
彼女の純粋な叫びが、広場に響き渡った。
全員が、涙を流していた。
——その時。
キィィィィィン。
石の光が、最高潮に達したかと思うと、突然、耳障りな振動に変わった。
「なに!?」
石の表面に、細かい亀裂が走り始める。
ピシッ。ピシッ。
「石が、本音を受け止めきれずに壊れそうになってる!」
ファウナは叫んだ。
「まだ足りないの!みんなの本当の気持ちが、全部揃わないと!広場にいない人たちの本音も、きっと必要なんだわ!」
石は、悲鳴のような振動を続けている。
亀裂が、少しずつ広がっていく。
時が、ない。
ファウナは、緊迫した表情で全員を見渡した。
「まだだ。まだ終わってない」
エルダ・マグナの葉が、ざわざわと揺れた。
風が、止んだ。
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