二度目の沈黙
以下、紹介文の提案です。
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鉄格子の向こうへ消えた背中。最後に残ったのは「慕っていました」という、たった一言だった。
王太子アルヴィス・ヴェルディアーンは、クーデターの夜、愛した騎士シエラを失った。何も伝えられないまま、彼女は自分を守って死んでいった。
絶望の果てに目覚めたのは、数年前の朝――クーデターが起こるより前の、自分の部屋だった。
二度目の人生。今度こそ、すべてを変えてみせる。
軍務派の台頭、七柱評議会の形骸化、骸環衆という影の集団。前世では見えなかった国の闇が、今はすべて見えている。
だが、彼が得た答えは、歪んでいた。
――彼女に近づけば、また死なせてしまう。
だから、今度は遠ざける。想いは告げない。ただ守れる国を、守れる自分を作るために。
好きだと言えなかった後悔を抱えたまま、彼は再び、愛する人のいない道を歩き出す。
これは、やり直した時間の中で、愛と義務の狭間に揺れる、孤独な王太子の物語。
二度目の沈黙 - 刃に変えた想い――国を捨てる覚悟と、格子越しの再会
王宮東翼の隠し通路に、鉄格子が降りる重い音が響いた。
アルヴィス・ヴェルディアーンは、格子の向こうに立つシエラ・ヴァルダンの姿を、網目越しに焼き付けるように見つめていた。栗色の髪を短く結わえ、琥珀の瞳を潤ませた彼女の顔。二度目の人生で、ようやく想いを告げた。彼女は泣いていた。涙が、格子の冷たい鉄に反射する星明かりを、一瞬だけ歪ませた。
(今度こそ、守り抜く)
彼は静かに、そう決意した。
だが、次の瞬間。
ザシュッ。
背後から、空気を裂く音がした。
アルヴィスは反射的に身を捻った。左肩に、鋭い痛みが走る。深紅の王太子正装が裂け、血が滲んだ。振り返る。そこに立っていたのは、黒髪を短く切り揃えた、長身の男。灰色の瞳に、一切の感情を映さない、王宮騎士団長レオンハルト・ローゼンハイトだった。
彼の右手には、抜き身の剣。その刃先に、アルヴィスの血が、一筋、伝っている。
「殿下の周辺は、いささか整理が必要で」
レオンハルトの声は、皮肉めいて、ひどく冷たかった。
「レオンハルト……お前、なぜここに」
アルヴィスは、左肩の痛みを堪えながら、彼の目をまっすぐに見据えた。心臓が、肋骨の内側で、激しく脈打っている。前世のクーデターの夜、シエラを失ったあの瞬間の絶望が、生々しく蘇ってくる。
(あの時も、俺は、何もできなかった)
(彼女を、守れなかった)
(でも、今度は違う)
彼は、剣を抜いた。実戦用の、重い剣。前世で握っていたのと同じ重さの剣を。
「殿下、その傷で戦うおつもりか」
レオンハルトが、わずかに口元を歪めた。
「ああ。お前を止めるためなら、この腕一本で十分だ」
二人の間に、冷たい殺気が満ちていく。隠し通路の石壁が、その緊張を押し込めるように、ひたと静まり返った。
「殿下……逃げてください……!」
格子の向こうから、シエラの震える声が聞こえた。彼女は格子にしがみつき、必死に叫んでいる。
「大丈夫だ、シエラ。君は、そこで待っていてくれ」
アルヴィスは、彼女に一瞬だけ、優しい笑みを向けた。
(お前を、一人にはしない)
(もう、あんな思いは、させない)
「……見せつけてくれるな、殿下」
レオンハルトの声が、一層低くなった。彼は、剣を構える。
「俺は、軍務卿の息子だ。王宮の秩序を乱すものは、何であれ、排除する」
「ならば、俺が相手だ。かかってこい」
ガキィン!!
二人の剣が、暗闇の中で火花を散らした。
アルヴィスは、レオンハルトの剣を受け止め、押し返す。肩の傷から血が流れ、腕に力が入りにくい。だが、彼は歯を食いしばり、一歩も引かなかった。
(こいつは、本気だ)
(俺を、殺すつもりでいる)
レオンハルトの剣は、重く、鋭かった。幼い頃から共に稽古を積んできた、彼の剣。アルヴィスは、その一撃一撃に、かつての信頼の残滓を感じ取った。だが、今、その剣は、明確な殺意を持って、彼に迫ってくる。
「なぜ、そこまでしてあの女を守る」
レオンハルトが、剣を打ち込みながら問う。
「お前に、分かるものか」
アルヴィスは、剣で受け流し、反撃に出る。
「分からないな。俺には、理解できない。たかが、平民の女だ」
「黙れ……!」
アルヴィスの剣が、レオンハルトの頬をかすめた。一筋の血が、彼の白い肌に滲む。
「……そうか。お前にとって、あの女は、そこまでだということか」
レオンハルトは、頬の血を拭いもせず、静かに言った。
その声に、アルヴィスは、言い知れぬ違和感を覚えた。
(こいつは、何を考えている?)
(ただ、俺を殺そうとしているだけなのか?)
彼は、呼吸を整え、剣を構え直した。通路の奥から、獣の唸り声が聞こえてくる。影狼の気配だ。骸環衆の使役獣が、すぐそこまで迫っている。
(時間がない)
(早く、決着をつけなければ)
アルヴィスは、隠し通路の壁に手を触れた。そこには、彼が二度目の人生で密かに仕掛けておいた、いくつかの罠があった。彼は、そのうちの一つを、静かに起動させた。
ゴゴゴゴ……
通路の奥で、重い石が動く音がした。天井から、鉄の格子が降りてくる。追手の骸環衆と影狼を、分断するための罠だった。
「……ほう。用意周到だな、殿下」
レオンハルトが、わずかに目を見開いた。
「俺は、二度と、あの日を繰り返さない。そのために、全てを準備してきた」
アルヴィスの脳裏に、七柱評議会の掌握、代理統治の体制、有力貴族たちからの支持の誓約。二度目の人生で積み上げてきた、統治の基盤が、次々と思い浮かぶ。
(国は、もう大丈夫だ)
(俺がいなくなっても、国は止まらない)
(だから、俺は、自分の命も国も捨てて、彼女を守る)
彼の決意は、揺るがなかった。
通路の奥で、骸環衆の怒号と、影狼の遠吠えが響く。罠が、彼らを次々と捕らえていく。だが、レオンハルトは、その混乱を気にも留めず、アルヴィスに向かってきた。
「殿下。お前は、あの女が、なぜ骸環衆に狙われたか、知っているか」
レオンハルトの声が、剣戟の音の間を縫って、アルヴィスの耳に届いた。
「……何?」
アルヴィスの動きが、一瞬止まった。
「あの女は、名指しで狙われた。なぜだと思う?」
レオンハルトは、剣を下ろさないまま、淡々と続ける。
「あの女が、殿下の盾になったからだ。あの女が、お前を守ろうとしたから、お前を守れる唯一の存在になったから、あの女は、消されるべき存在になった」
その言葉に、アルヴィスは、頭を殴られたような衝撃を受けた。
(シエラが、狙われたのは……)
(俺の、せい……?)
(俺が、彼女を愛したから……?)
前世のクーデターの夜、シエラが自分を隠し通路に押し込み、格子を降ろした光景が、フラッシュバックする。彼女は、笑っていた。泣きながら、笑っていた。そして、「お慕いしておりました」と、たった一言だけ、囁いた。
(彼女は、俺のために、死んだ)
(俺が、彼女を殺したも同然だ)
剣を持つ手が、震える。視界が、涙で滲んだ。
「ようやく、分かったか」
レオンハルトが、静かに言った。
「お前の愛が、あの女を殺す。お前が、あの女の死の原因だ」
「……違う」
アルヴィスは、絞り出すような声で、否定した。
「違う……俺は、彼女を守りたかった……それだけだ……」
「ならば、なぜ、お前は、彼女の傍にいる?」
レオンハルトの声が、冷たく突き刺さる。
「お前が、彼女を守る? 笑わせるな。お前は、彼女を危険に晒しているだけだ。お前の存在が、彼女を殺すんだよ」
その言葉は、アルヴィスの心の奥底に、深く突き刺さった。
(そうだ。俺が、彼女の傍にいる限り、彼女は、また死ぬ)
(俺が、彼女を愛している限り、彼女は、また死ぬ)
彼の心に、深い絶望が広がっていく。剣を持つ手から、力が抜けそうになる。
だが。
「……それでも、俺は、彼女を守る」
アルヴィスは、顔を上げた。
その瞳には、涙が浮かんでいたが、その奥には、強い意志の光が宿っていた。
「お前の言う通りだ。俺の愛は、彼女を危険に晒す。俺の存在が、彼女を苦しめる。それでも、俺は、彼女を手放せない。彼女を失うくらいなら、この命も、この国も、何もかも捨てて、彼女と生きる」
彼の声は、静かだが、力強かった。
「お前が、それを間違いだと言うなら、それでいい。だが、俺は、もう、あの日のような後悔はしない。彼女を、一人で死なせたりはしない」
アルヴィスは、剣を構え直した。
「……そうか。それが、お前の答えか」
レオンハルトは、しばらくアルヴィスを見つめていた。
そして、ゆっくりと、剣を下ろした。
「……俺は、お前を試していたのかもしれないな」
彼の声が、わずかに低くなった。本心を語るときの、彼の癖だった。
「……何?」
アルヴィスは、戸惑いの声を上げた。
「お前が、あの女を、どこまで本気で守ろうとしているのか。それを、確かめたかった。……お前が、国を捨ててまで、あの女を選ぶのかどうかを」
レオンハルトは、剣を鞘に納めた。
「お前の覚悟は、本物だった。……認めよう」
彼は、背を向けた。
「レオンハルト……お前、まさか……」
アルヴィスは、彼の背中に、信じられない思いで声をかけた。
「俺は、俺の目的のために動く。お前を助けたわけではない。……勘違いするな」
レオンハルトは、振り返らずに言った。
「あの女を、守ってやれ。お前の、その命に代えてもな」
彼は、そう言い残し、闇の中へと消えていった。
通路には、アルヴィス一人が残された。
肩の傷が、ずきずきと痛む。血が、止まらない。
(レオンハルト……お前は、一体……)
彼は、レオンハルトの真意を測りかねていた。
だが、今は、それよりも。
「殿下……!」
格子の向こうから、シエラの声がした。
アルヴィスは、格子に駆け寄った。
「シエラ……無事か」
彼は、格子越しに、彼女の顔を見つめた。
「殿下……お怪我を……血が……」
シエラの声は、涙で震えていた。彼女は、格子の隙間から、アルヴィスの傷ついた肩に手を伸ばそうとした。
「大丈夫だ。かすり傷だよ」
アルヴィスは、微笑んだ。
「嘘です……こんなに血が……」
彼女は、格子を握りしめ、泣き崩れた。
「シエラ。……泣かないでくれ。君の泣き顔は、見ていたくないんだ」
アルヴィスは、格子越しに、彼女の手を握った。
彼女の手は、冷たく、震えていた。
「殿下……私、私……殿下の、お役に立てたのでしょうか……」
シエラは、涙ながらに問うた。
「ああ。君は、いつも、俺を守ってくれた。……前世でも、そして、今も」
アルヴィスは、彼女の手を、強く握り返した。
「前世……?」
シエラが、涙に濡れた顔を上げた。
アルヴィスは、一瞬、言葉に詰まった。
(言ってはいけない)
(俺が、二度目の人生を生きていることは、誰にも告げてはいけない)
彼は、心の中で、そう自分に言い聞かせた。
「……すまない。忘れてくれ。今のは、俺の、独り言だ」
彼は、無理に笑みを作った。
「殿下……?」
シエラは、不思議そうに、彼の顔を見つめた。
「シエラ。……君に、伝えたいことがある」
アルヴィスは、彼女の手を握ったまま、静かに言った。
「俺は、君を、愛している。前世でも、今も、ずっと、君だけを愛してきた」
彼の声は、震えていた。
「君を守るためなら、俺は、この国も、王太子の地位も、何もかも捨てる覚悟だ。……だから、どうか、俺の傍にいてほしい。二度と、君を失いたくないんだ」
それは、告白というより、懇願だった。
前世で果たせなかった、彼の魂の叫びだった。
「殿下……」
シエラの目から、大粒の涙が、こぼれ落ちた。
「私も……私も、お慕いしておりました。ずっと、ずっと前から……」
彼女の声は、震えていた。
「でも、私は、平民で……殿下とは、釣り合わない……私は、殿下の、お傍にいる資格なんて……」
「資格など、関係ない。俺は、君だから、愛しているんだ。シエラ・ヴァルダンという、たった一人の女性を」
アルヴィスは、彼女の言葉を遮った。
「身分も、家柄も、何もかも、関係ない。俺が欲しいのは、君だけだ。……シエラ、俺と、来てくれないか。どこか遠くへ。二人で、静かに暮らそう」
シエラは、涙でぐしゃぐしゃになった顔で、彼を見つめた。
「殿下……私は……」
彼女は、言葉を続けようとした。
その時。
「お二人とも、そこまでになさいませ」
落ち着いた、しかし、よく通る声が、通路に響いた。
振り返ると、灰色がかった髪を後ろでまとめた、女官長マルグリット・ノウルが、ランプを手に立っていた。濃い緑の瞳が、静かに二人を見つめている。
「マルグリット……なぜ、ここに」
アルヴィスは、驚きの声を上げた。
「アルヴィス様。王宮が、大変なことになっております。骸環衆の残党が、まだ王宮内に潜んでおりますわ。お二人の逢瀬に水を差すようで心苦しいですが、今は、身の安全を第一になさってくださいませ」
マルグリットは、穏やかな口調で、しかし、有無を言わさぬ強さで、そう言った。
「隠し通路の先に、安全な場所がございます。私がご案内いたしますわ。さあ、お早く」
彼女は、格子の向こう側、シエラのいる方へと、ランプを掲げた。
アルヴィスは、シエラの手を握ったまま、マルグリットを見た。
(彼女は、どこまで知っている?)
(いや、今は、それどころではない)
彼は、小さく頷いた。
「分かった。シエラ、行こう」
アルヴィスは、格子を上げた。
シエラは、涙を拭い、こくりと頷いた。
「……はい」
彼女は、アルヴィスの手を、ぎゅっと握り返した。
二人は、マルグリットのランプの灯りを頼りに、隠し通路の奥へと進んでいった。
通路は、暗く、長く、冷たかった。
だが、握り合った手の温もりだけが、確かに、二人を繋いでいた。
前世で果たせなかった約束を、今度こそ、守り抜くために。
彼は、彼女の温もりを感じながら、静かに、次の戦いへの予感を胸に刻んだ。
王宮の外では、夜明けが近づいていた。だが、まだ、長い夜は終わっていなかった。骸環衆の影は、王都の闇に、深く、静かに、潜んでいた。
それは、新たな戦いの、静かな始まりだった。Noveliaとは?
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