ゴーレム転生者、異世界をプロレスで制す 〜二体の猿が最強への道を拓く〜
日本の大学院生カイは、不慮の事故で命を落とし、気がつくと剣と魔法の異世界に転生していた。気まぐれな神に選ばれ、ゴーレム召喚スキルを授かる。召喚されるゴーレムは二体の巨大な猿型で、常時起動しているが自我はなく、カイの命令でのみ動く。冒険者ギルドでは嘲笑の的。ベテランのゴダンは「ゴーレム二体など役立たずだ」と吐き捨てる。
だが、カイには秘密の武器があった。前世で培った理系学生としての知識と、筋金入りのプロレスファンとしての観戦歴だ。ゴーレムに独自のファイトスタイルを命じ、モンスターをスープレックスやドロップキック、コブラツイストで叩きつける。依頼を次々と成功させ、ギルド内で存在感を増していくカイ。安全のはずの薬草採取クエスト中、ヒューネのパーティが特殊モンスターに壊滅寸前まで追い込まれる。偶然居合わせたカイは、完璧な二体連携でこれを撃破。彼の評価は一夜にして一変する。
やがてカイは、初めての真の壁に直面する。幻影系の魔物・マロウノ影。物理攻撃がまったく効かない。カイは生まれて初めて撤退を余儀なくされる。霊体に対抗すべくゴーレムの素材構成を改良しつつ、王都に便利な現代知識を広めていく。
ゴーレム転生者、異世界をプロレスで制す 〜二体の猿が最強への道を拓く〜 - ゴーレム無双!特殊個体を瞬殺してギルドの評価が一変
血の匂いが、森の匂いを食い潰していた。
ヒューネは、震える足で、それでも懸命に走っていた。金色の巻き毛は汗と泥でぐしゃぐしゃに乱れ、青い瞳は涙で歪んでいる。銀のピアスが、荒い息に合わせて、かすかに音を立てた。
「はぁっ……はぁっ……みなさん、こっちです……早く……!」
だが、返事はない。返事を聞く余裕のある者など、もう誰もいなかった。
クレヴァスの森。それは、フォルクハルト南東に広がる、広大な混交林だった。外縁部こそ薬草採取の定番スポットとしてFランク冒険者たちに親しまれているが、中層に足を踏み入れれば、そこはもう別の世界だった。木々は天を覆い、昼間ですら薄暗い。空気は湿り、苔の匂いが鼻をつく。そして、この森の主たちの縄張りだった。
ヒューネのチームは、今日も「安全第一」で、この森の外縁部で薬草を採取しているはずだった。そう、それは、ほんの少し前までは。
「どうして……どうして中層に……私が、私の判断ミスで……」
右手が、無意識に左肩を掴む。爪が食い込むほどの力で。
きっかけは、小さなものだった。いつもの薬草採取エリアで、目当ての薬草が極端に少なかったのだ。仲間の一人が「少しだけなら、森の奥に行っても大丈夫だろう」と言い出した。ヒューネは反対した。だが、決断力に欠ける彼女は、結局、仲間の圧力に負けてしまったのだ。
「……安全第一で、ここまで奥に来るんじゃなかったんです」
その時だった。
ドゴォォォン!!!
地鳴りのような轟音。振り返れば、すぐ背後で、一本の巨木が、まるで小枝のようにへし折れて宙を舞っていた。
「ああっ……また……!」
それは、異形だった。
体長はおよそ三メートル。巨大な猪──ガルドホーン──に似た輪郭をしていたが、その体表は、生物の皮膚ではなく、漆黒の岩盤のような硬質な外殻で覆われていた。巨大な角は、捻じれた黒曜石のようだ。血走った片目が、ぎょろりと、ヒューネたち四人を捉えている。
──特殊個体。
通常のガルドホーンとは、比較にならない。ヴァンドゥールのギルド憲章では、このような想定外の事態に遭遇した場合、即座に撤退し、上位ランクへと報告することになっている。しかし、撤退を叫ぶ余裕すら、もう残されていなかった。
「グルォオオオオオオ!!!」
特殊個体が突進した。標的は、足を引きずりながら逃げる、ヒューネのチームメイトだった。
「いやっ……来ないで……もう、無理だよ……!」
ヒューネは、仲間を庇うように、その巨体の前に立ち塞がった。震える手で、ロングソード──彼女が「安全のため」に買い求めた、まだ一度も実戦で使ったことのない剣──を構える。
剣先が、がくがくと定まらない。
(無理だ。私に、こんなのは……)
絶望が、視界を暗く覆った。パーティーの悲鳴と絶望が、森の奥深くへと、こだましていった。
──その時だった。
「おらいくぜ、ゴーレム一号ぃぃぃ!!! ラリアットォォォ!!!」
突然、ヒューネの視界の右側から、巨大な「岩」が飛来してきた。いや、岩ではない。それは、身長二・二メートルほどの、岩石でできた巨大な猿だった。その岩石のゴーレムは、長い腕を水平に掲げ、まるで鞭のようにしならせて、突進してくる特殊個体の側面へと、その腕を叩きつけた。
ガギャァァァン!!!
金属音のような、異様な衝突音が森に木霊する。ラリアットを受けた特殊個体の巨体は、しかし、その場に踏みとどまった。軌道こそ逸れたものの、硬質化した外殻には、傷一つ付いていない。
「なるほどな。桁が違うわ。あの外殻、普通のガルドホーンの比じゃないぞ」
呟きと共に、森の木々を薙ぎ倒して、もう一体のゴーレムと、一人の青年が姿を現した。
黒いショートヘアは、いつものように少し撥ねていた。黒い瞳は、しかし、今はもう笑っていない。理系の研究者が、未知の標本を観察するような、冷静な光を宿している。左手首には、前世の腕時計の跡が、うっすらと白く残っていた。
カイだった。
彼の二体のゴーレムは、昨日、ガルドホーン討伐の帰りに仕留めた一体の鉄鉱石を一部に取り込み、前腕部と肩関節を鉄色に変えていた。それが、さっきのラリアットの重さを生み出したのだ。
「あ……あなたは……カイさん……どうして……?」
ヒューネは、涙と泥でぐしゃぐしゃの顔を上げ、呆然と呟いた。
カイは、ギルドで何度か言葉を交わした程度の、妙なゴーレム使いの新入りだった。二体の猿型ゴーレムを侍らせ、ギルドの古参たちに「邪道」と笑われている男。ヒューネは、そのゴーレム戦法に、少しだけ興味を持っていた。しかし、まさか、この状況で、彼が現れるとは。
「悪い、話は後だ。あんたら、下がれ。あれの相手は、俺がする」
カイは、ヒューネと、傷ついた仲間たちを一瞥すると、森の奥へと視線を戻す。特殊個体は、ゆっくりと体勢を立て直し、血走った目で、新たな侵入者であるカイを睨みつけていた。
「で、でも……あれは、硬すぎて……私たちの攻撃が、全然……」
「硬さなら、もう見た。突進速度と、あの外殻の密度……真正面から力でねじ伏せようとすれば、ゴーレムの腕が持たない」
カイの声は、どこまでも冷静だった。恐怖も、緊張も、そこには無いように聞こえる。ヒューネは、自分の震えが止まらないのとは、正反対の、この男の異様さに、また、たじろいだ。
カイは、考える。
前世、大学院で培った材料力学の知識。硬度の高い物体に、どうやって破壊を加えるか。一点への応力集中。そして、プロレスという、格闘技における「投げ技」の本質。
「……よし。いける。これだ。ゴーレム二号、後方で待機。一号、あいつを前から煽れ。突進を誘発させる!」
思念が、二体のゴーレムへと送られる。ゴーレムは意思を持たない。しかし、カイの命令は、絶対だった。
一体のゴーレムが、特殊個体の正面へと躍り出る。腕を振り上げ、地面を激しく叩いた。
ドゴン! ドゴン!
挑発に、特殊個体が咆哮で応えた。
「グルォオオオオオオ!!!」
巨体が、再び突進を開始する。硬質の蹄が大地を砕き、土煙が上がる。まっすぐに、ゴーレムへ。
距離が、一気に縮まる。
ヒューネは、悲鳴を上げることすらできず、ただ、その光景を見つめた。
衝突、衝突、衝突──。
「今だ!! 一号、スープレックス!!! 持ち上げろォォ!!!」
カイの叫びと同時に、前衛のゴーレムが、その反応速度からは信じられないほど滑らかに、突進してくる特殊個体の頭部を、両腕で抱え込んだ。岩石と皮革が、ごすっ、という鈍い音を立てる。
そして、その瞬間、カイの思念が、ゴーレムの腰を、くいっ、と前に突き出させた。
グンッ!!!
特殊個体の巨体が、重力に逆らって、宙に浮いた。
まるで、おもちゃのように。
ヒューネは、自分の目を疑った。あの、止められない突進を、真正面から受け止め、投げ飛ばすなんて。
「……すごい……何が、起こってるの……?」
しかし、カイの演出は、まだ中盤に過ぎなかった。
宙に浮いた特殊個体は、山なりの軌道を描いて、後方へと落下していく。その落下点には、すでに、もう一体のゴーレムが、両腕を広げて待ち構えていた。
「そして、二号!!! パワーボムゥゥゥ!!!」
落下してくる特殊個体を、後衛のゴーレムが、まっ逆さまに抱え上げた。そして、そのまま後方へと倒れ込みながら、特殊個体の頭部を、地面へと全力で叩きつける。
ズッッッッドォォォォォン!!!!!!
一瞬、地面が陥没したように見えた。猛烈な砂塵が巻き上がる。森全体を揺るがすような衝撃が、ヒューネの足元まで伝わってきた。
砂塵が晴れると、そこには、頭から地面に突き刺さり、硬質の外殻に、バキバキと大きな亀裂を走らせた特殊個体の姿があった。あれだけの突進に耐えた外殻が、とうとう悲鳴を上げたのだ。
「効いてる効いてる! よし、トドメだ!! 交代、もう一度、二体同時にラリアット!!! 首元、いや、首が無いから、頸部っつーの? まあいい、そこだ!!!」
二体のゴーレムが、左右から挟み込むように、同時に突進した。そして、怯んで動きが止まった特殊個体の、外殻が砕けた首の付け根めがけて、鉄色の前腕を、交差させるように、全力で叩き込んだ。
ガッッッッ!!!!
硬い物が砕ける、耳障りな音。
特殊個体の体が、びくん、と痙攣した。
そして、三メートルの巨体は、ゆっくりと、膝から崩れ落ちた。ドサリ、という、重い、静かな音を立てて。
戦いは、終わった。
「……マジか。予想より三倍は硬かったぞ。流石に、肘が鉄だと、俺のほうにも振動が来るな」
カイは、無事を確かめると、息を吐き、ぱたぱたと腕を振って、固まった肩を回した。その額には、うっすらと汗が浮かんでいる。
ヒューネは、しばらく、呆然としていた。
何が起きた? あの、仲間皆が束になっても敵わなかった怪物を、この男は、まるで事務仕事のように、片付けてしまった。
「……カイさん……なぜ……助けて……」
震える声で、辛うじて、そう問いかける。
カイは、軽く笑った。まるで、近所で迷子の猫を拾った、とでも言うような、軽い調子で。
「なぜって……たまたま通りかかっただけだよ。ガルドホーンの討伐の帰りでさ。そしたら、なんかすごい悲鳴が聞こえてきて。で、来てみたら、これだろ?」
「たまたま……」
「たまたまで、あんな戦い方をするんですか……?」
「ま、あれは俺の趣味みたいなもんだからな」
カイは、そう言うと、二体のゴーレムに思念を送った。ゴーレムたちは、倒れた特殊個体に近づき、あの、硬質の外殻と、捻じれた巨大な角を、手際よく回収し始める。
「あ、あの……それは……」
「ん? 戦利品。あの外殻、ありゃ、ただの猪の毛皮とは値段が桁違いだろ。ギルドの買取基準は知ってる。あれだけ硬けりゃ、素材としても一級品だろうからな。俺が持ち帰る」
この、非常事態の中で、戦利品の価値を計算し、持ち帰る算段をしている。ヒューネは、目の前の男の、その現実的な逞しさに、今度こそ、心の底から、尊敬の念が湧いてくるのを感じた。
「……すごい」
「あんたらは、あれだ。一番安全な道を選んで、フォルクハルトに戻れ。道は分かるだろ?」
「わ、分かります……でも、本当に、ありがとうございます。このご恩は、一生忘れません」
「いいって、いいって。ケガ人は早く連れてってやれよ。俺は、後から追いかけるから」
カイは、そう言って、ヒューネに背を向けた。その背中は、頼りになる、とは、ちょっと言いにくいくらい、普段は力の抜けた、普通の青年の背中だった。しかし、今のヒューネには、それが、どんな盾よりも、どんな剣よりも、眩しく見えたのだった。
◆ ◆ ◆
翌朝。
フォルクハルトの、冒険者互助機構「ヴァンドゥール」の一階は、いつも通りの喧騒に包まれていた。酒場からはエールの匂いが漂い、掲示板の前には、今日の依頼を探す冒険者たちが群がっている。
しかし、その喧騒が、ひときわ大きなどよめきに変わったのは、カイが、二体のゴーレムに、特殊個体の素材を運ばせて、正面入り口から入ってきた時のことだった。
「な、なんだぁ、ありゃあ!?」
「あのゴーレムが持ってるの……角か? 馬鹿でかい角だぞ!? それに、あの黒い岩みたいな板……何の素材だ!?」
カイは、周囲の視線を一身に浴びながら、受付へと向かった。
受付嬢の一人が、カイの運んできた素材を見て、目を丸くした。
「こ、これは……カイ様、これは、どうされたのですか……?」
「んー、まあ、クレヴァスの森で、ちょっと、デカいのに遭ったんで。そいつの素材」
そこに、素材の買取を専門に担当する男が、慌てた様子で奥から飛んできた。銀縁の眼鏡をかけた、狐のような顔の男だ。彼は、ゴーレムが床に置いた外殻の破片に、手を触れるやいなや、息を呑んだ。
「こ、これは……!? 間違いない……『鉄甲殻』だ……! クレヴァスの森に、こんな個体が存在したのか!? 馬鹿な、これは……Cランク、いや、個体によってはBランクに相当する特殊個体の素材だぞ……!?」
買取担当者の、震える声が、酒場の喧騒を一瞬にして静めた。
Cランク。Bランク。
それは、新人のFランクから見れば、遠い雲の上の存在だった。
「ああ、やっぱり、それくらいの価値はあるんだな。良かった良かった。ちなみに、買取だと、いくらになる?」
「え、ええ、外殻と角を合わせて……こ、これは、金貨二十枚は下らんでしょう! というか、我が支部の買取基準を超えてる! 市場に出せば、もっと高値で取引される代物ですぞ!」
どよめきが、雷のように、酒場中に響き渡った。
「金貨二十枚……!」
「あいつ、昨日のガルドホーンで銀貨三十枚だろ? 桁が違うってレベルじゃねえぞ」
「Fランクが、Cランク級の特殊個体を……単独で……? あの、ゴーレム二体でか……!?」
そこへ、さらに決定打となる情報が飛び込んできた。ヒューネのチームが、ギルドへと帰還し、生還報告を提出したのだ。彼女たちの報告書には、こう書かれていた。
「──クレヴァスの森中層にて、想定外の特殊個体と遭遇。パーティーは壊滅の危機に陥ったが、同地に居合わせた冒険者カイ氏の救援により、全員、生還することができた。特殊個体は、カイ氏により討伐された」
この報告が、嘘ではないと証明するのが、今、まさに床に転がっている、鉄甲殻の山だった。
カイへの評価は、一夜にして、文字通り、一変した。
「おい、カイ! 今日は、俺が奢るぞ! 酒場で、その強さの秘密、聞かせてくれよ!」
「俺も、俺も! 頼む、弟子にしてくれ!」
それまで、カイのことを「ハズレスキルだ」と陰で笑っていた連中まで、手のひらを返したように、ニコニコしながら、カイの傍に集まってくる。
カイは、その変わりようを、苦笑しながら眺めていた。
(まあ、こんなもんだよな。実力を見せない内は、何を言われても仕方ない)
しかし、心の奥底では、こうも思っていた。
(……だから、見てろって、言っただろ?)
カイの口元に、ほんの少しだけ、勝ち気な笑みが浮かぶ。
◆ ◆ ◆
酒場の隅。
人一倍、体格の良い男が、一人、テーブルに座っていた。赤茶の短髪は、乱暴に掻き上げられ、無精ひげの濃い顔を、酒場の薄暗い光が照らす。血走りがちな赤褐色の目が、酒場の中央でチヤホヤされているカイの姿を、鋭く睨みつけていた。
ギルドの古参、ゴダンだった。
彼の前には、どれも、ほとんど手をつけられていない料理と、空になったエールのジョッキが並んでいる。
「……チッ。調子に、乗りやがって。ゴーレムなんぞの、邪道で、たまたま一体倒したくらいで」
ゴダンは、テーブルの上のグラスを、乱暴に掴み上げた。その手は、わずかに震えている。
「しかも、よりにもよって、あのヒューネの小娘のチームを助けた、だと? 英雄気取りか。……面白くねえ」
ゴダンは、このギルドで、十五年のキャリアを持つ。彼にとって、力とは、己の剣と、積み重ねてきた経験であるべきだった。新しいものを、奇抜な戦法を、そういったもので成り上がろうとする若造が、最も気に入らなかった。
ましてや、自分の嘲笑は、つい先日、登録したばかりの、この新入りに向けられたものだ。
「ゴーレム二体など、実用性がない」と、大勢の前で、言い放った。
その言葉が、今、自分自身の首を絞めている。
「あのガキが、Cランク級を倒した……? ありえねえ。何か、ズルをしたに決まってやがる。あの、奇妙な人形の力で、なあ……!」
顔を真っ赤にして、グラスを、テーブルへと叩きつけた。
ゴッ!!!
周囲の冒険者たちが、びくん、と肩を揺らし、ゴダンの方を見る。しかし、ゴダンの剣幕に、誰も、声をかけるものはいない。
今、酒場の主役は、完全にカイだった。その空気が、古参のプライドを、余計に、苛立たせた。
カイは、その一時の注目の中心で、ちらりと、ゴダンの方へ視線を送っていた。
二つの目が、一瞬、交錯する。
カイは、しかし、ゴダンを挑発するでもなく、かといって、怯えるでもなく、ただ、軽く肩をすくめると、笑って、こう言った。
「いやー、でも、まあ、今回は、たまたま運が良かっただけだって。あんまり、持ち上げないでくれよ。調子に乗って、次で、死んじまうからさ」
周囲から、笑い声が上がる。
ゴダンは、その笑い声を、自分への当てつけのように感じた。怒りと、しかし、それを表に出せない悔しさ。周囲の空気が、カイへの好意的なものに変わっている以上、今、ここで、直接、カイに噛み付くのは、ゴダン自身の沽券に関わる。
「……くそが。せいぜい、その薄汚い財布、温めて眠りやがれ」
ゴダンは、小さく吐き捨てると、席を立ち、背を向けて、酒場を後にした。
◆ ◆ ◆
夕暮れ時。
ヴァンドゥールの中庭に、二人の影があった。
一人は、カイ。もう一人は、ヒューネだった。
ヒューネは、カイの前で、深く、深く、頭を下げた。金色の巻き毛が、さらりと揺れる。
「カイさん……本当に、ありがとうございました。あなたがいなかったら、僕も、仲間も、全員、今頃は……」
そこまで言うと、ヒューネは、言葉に詰まった。大きな青い瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。
「……私の、判断ミスだったんです。安全第一、安全第一と、そう言いながら、肝心な時に、自分の意見を押し通せなかった。流されて、森の奥へ入って……その結果が、これです」
ヒューネは、傷の手当てを受けた仲間たちが休憩している酒場の方を見た。
「僕は……リーダーの器じゃない。僕のせいで、仲間を死なせかけたんです」
カイは、黙って、ヒューネの話を聞いていた。
目の前で泣いているこの女冒険者は、自分を責めている。
(慎重なのは、悪いことじゃない。命を張る仕事なんだから、当然だ)
(でも、確かに、一度、流される癖は、この世界では、命取りだな)
カイは、腕を組むと、いつものように、軽い調子で、言った。
「まあ、でも、生きてるだろ。生きてりゃ、やり直せる。死んだら、あとの祭り、ってのは、俺が一番、よく知ってるつもりだぜ」
カイの言葉に、ヒューネが、顔を上げた。
カイは、左手首の時計の跡を、反対の手で、そっと、撫でるような仕草をした。
「反省すんのとか、後悔すんのとかは、まあ、次から気をつける、ってだけで十分だ。それより、お前のチームの連中、あのヘマで、お前を責めてるのか? 違うだろ? 助かった、って思ってるだろ? それで十分じゃねえか」
ヒューネは、涙を拭き、こくりと頷いた。
「……はい。……はい、みんな、無事で、良かった、って」
「だろ。だから、いつまでも、うじうじしてても、腹が減るだけだ。飯でも食って、寝ろ。な? 明日から、またやればいい」
カイの、あまりに普通な言葉に、ヒューネは、力が抜けたように、ふっと、笑った。
その笑顔を見て、カイは、思った。
(……この人、変に真面目だからなあ。まあ、でも、これで少しは、肩の力が抜けるだろ)
「……はい。カイさん。あなたは、本当に、すごい人ですね。強くて、優しくて。僕、あなたのゴーレム戦法、あれは、邪道なんかじゃない。冒険者の、新しい、希望です」
「お、なんだよ、急に、持ち上げんなって! 笑うだろ。俺のは、ただの道楽だ、道楽。ま、でも、そんな風に言われると、もうちょい、頑張ろうって気にはなるな」
二人は、しばらく、静かな夕暮れの庭で、笑い合っていた。
その日から、ギルドでは、カイの評判は、まさに鰻登りだった。実力だけでなく、人間的にも、信頼できる男だ、という噂が、自然と広がっていった。
力を示すことで嘲笑を黙らせ、
助けることで尊敬を勝ち取る。
カイは、その夜、ラムの角亭の自分の部屋のベッドで、大きく伸びをした。
「……にしても、あの特殊個体、硬かったな。あれが、Cランクか。……まだまだ、上には、もっと桁外れなのがいるってわけだろ。……面白い。むしろ、燃えてくる。ゴーレムの改良も、もっと、先に進めないとな」
窓の外には、満天の星。
彼の初めての冒険者としての、そして、ゴーレム使いとしての、確かな足跡の一日は、こうして、静かに、更けていった。
しかし、その静けさの下で、
フォルクハルトの、ほんの少し北西。ムールヴォ墓地遺跡、その地下二層。
物理攻撃が、一切、通用しない、黒い影が。
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