異世界ビルメイキング - 夢の中の理想郷 -
普通の高校生である日向光一は、現実の無力感に苛まれながらも、ある運命の夜に夢の世界へと迷い込む。そこで彼は「建築マスター」という特別な能力に目覚める──それは、自分の理想を形にし、建物や街を自由に創り出せる力だった。
魔法と武術が交錯するこの世界で、光一は明るく好奇心旺盛な魔法使いセリカ、誠実で思いやり深い武闘家レンと出会う。三人は荒れ果てた荒野を活気あふれる町へと変貌させていく。市場が賑わい、宿泊施設が建ち、教育機関が整い、防衛施設がそびえ立つ。光一の創り出すものは単なる建物ではなく、多くの人々に希望を灯し、笑顔をもたらしていくのだった。
街が発展するにつれ、光一の自信も深まっていく。しかし、その繁栄は望まぬ敵の注目を集める。ライバル勢力が現れ、陰謀が渦巻き、光一の力の限界が露わになる。彼は気づき始める──建築だけではこの地を守りきれないと。本当に大切なのは、人と人との絆なのだと。
物語の最終章で、光一、セリカ、レンは夢を守り、理想の街を完成させるために力を合わせる。光一は自らの能力の限界に挑み、築いてきた絆を信じることを学ぶ。果たして彼は真に完璧な街を築き上げるのか、それとも
異世界ビルメイキング - 夢の中の理想郷 - - 魔素酔いの底——あるいは、折れかけた柱が支えていたものについて
石壁を積む作業は、夜明け前から再開されていた。
灰原の空はまだ深い藍色で、東の稜線がかすかに白んでいるだけだ。昨日レンが外周の基礎を固め、光一が第一区画の壁材を組んだ続きが、今朝の最初の仕事だった。廃材の石を一つ一つ確認し、亀裂のないものを選んで積み上げる。手が冷たい。砂がざらつく。それでも手を動かし続けると、考えすぎずに済む——そのことを、光一は昨日の夜に改めて確認していた。
「光一」
レンの声が、荒野の静けさの中に落ちた。
振り返ると、金色の瞳が光一をまっすぐ見ていた。黒髪に混じる赤いメッシュが、夜明け前の薄明かりの中でくすんで見える。手には設計手帳ではなく、何かの布きれだった。
「南方を巡回してきました」
光一は石を置いた。
レンが膝をついて地面を指さした。灰原の砂の上に、いくつもの足跡が残っている。人の足跡だけではない——蹄の跡が混じっていた。馬か、それに近い大型の獣を連れた集団が、暁綴の南側を弧を描くように通り過ぎた痕跡だ。
「間隔を見てください」
光一はしゃがんで足跡を確認した。足と足の間が広い。重い装備を身につけていても、歩幅が崩れない訓練を受けた人間の歩き方だ。足跡の深さも均一で、急いでいるわけでも、疲労しているわけでもない——むしろ、落ち着いて観察しながら動いている人間の痕跡だった。
「旅人じゃない」
「はい。戦闘装備を持つ集団が、暁綴を意図的に遠巻きにして歩いた跡です。距離を保ちながら、建物の数と配置を観察したと思います」
南方の鉱山地帯を支配する武装勢力——鉱石の独占販売を資金源として周辺集落を軍閥的に支配する鋼牙衆——の斥候だ、とレンは続けた。その名は光一もセリカも以前から耳にしていた。この灰原一帯では知らぬ者のいない勢力だ。断言はしていなかったが、レンの声のトーンがそれを示していた。
そこへ、朝の光の中を水色の髪が駆けてくる音がした。
「二人とも早い! わたしも今来たんだけど——あれ、なんか難しい顔してる」
セリカが足跡を見て、顔色を変えた。薄紫の目が地面を追い、それからレンと光一を交互に見る。
「……もしかして、行商人か誰かが深夜に通った、とか?」
一瞬の沈黙。
レンが無言で、足跡の中でもとりわけ深く刻まれた蹄跡を指さした。荷物を積んだ商売用の馬と、武装した騎乗用の馬では、地面への沈み方が違う。
セリカが「……そっか」と小さく言った。
いつもなら、セリカの楽観的な一言が場の空気を少し和らげる。実際、セリカはそのつもりで言ったのかもしれない。でも今回は、三人の間にそれを受け取る余裕がなかった。遠くで朝の鳥が鳴いた。低い、乾いた声だった。
光一は手帳を取り出していた。
防壁の残り工程を、指でなぞりながら確認する。昨日までに完成した区画、今日中に完成させるべき区画、材料の在庫。数字を見ると、怖いという感情が設計の問題に変換されていく。その変換作業が、今の光一には必要だった。
「今日、見張り塔を二基、同日で完成させます」
レンとセリカが顔を見合わせた。
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作業は、戦時のような緊張感の中で進んだ。
レンが工程の順序を整理し、住民が建材を運ぶ動線が防壁作業と交錯しないよう調整した。几帳面な性格そのままに、各工程を細かく書き出して優先度をつけていく。「この区画が先、次にここ、梯子は二手に分けて」——言葉は短く、でも過不足がない。周囲の住民がそれに自然と従っていくのを見て、光一は少し安心した。自分一人では、こういう調整ができない。
セリカは魔素探知で廃材の位置を特定する作業を担っていた。魔素——大気中に漂う不可視の粒子——をわずかに感知することで、砂や瓦礫に埋もれた石材や木材の密度の違いを読み取る。指先の薄い光が、砂の下の石を示すたびに「ここ!」と声を上げる。精度は高かった。おかげで廃材の回収速度が、昨日の倍になっていた。
光一のビルディングマスターが建設を加速する。廃材に手を当て、魔素を注ぎ込む。石と石が組み合わさり、木材が正確な角度で固定される。恩恵効果が宿れば、完成した構造物は通常の建材より強固になる——灰壁砦の外周壁は、普通の石壁の倍の強度を持つはずだった。
一基目の見張り塔の基礎が組みあがり、光一が上層部の壁材を積み始めた頃、額に汗が滲み始めた。
朝の空気はまだ冷たいのに。
レンが気づいて、水の入った器を梯子の脇にそっと置いた。特に何も言わなかった。ただ目線だけが「飲んで」と伝えていた。光一はそれを横目で見て、でも梯子から降りなかった。器はそのまま砂の上に残された。
セリカが光一を見上げ、何か言いかけた。口が開く。でも閉じた。また開く——また閉じた。
光一の集中の密度が、声をかける隙を閉じていた。いつもなら「そんな精度いらないって!」と笑いながら突っ込んでくるセリカが、今回はその言葉を出せない。心配を言葉にしたいのに、出し口が見つからないという顔をしていた。笑えないのに、なんだかおかしい——そのおかしさを、セリカ自身がいちばん困っているようだった。
一基目が完成した。恩恵効果が宿った瞬間、見張り塔の石材がわずかに温かい光を帯びた。それを確認して、光一は二基目に入った。
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問題は、二基目の上層部を積む工程で起きた。
光一が廃材の石に手を当てた。魔素を注ぎ込もうとした。
——何も起きなかった。
もう一度、手のひらを石に押しつける。意識を集中させる。魔素の流れを感じようとする。
ない。
ビルディングマスターが応答しない。手の中に何もない感覚——それだけがあった。
(おかしい)
混乱したまま、今朝からの記憶を確認しようとした。どの廃材をどの順番で使ったか。防壁の何区画目を補強したか。一基目の見張り塔で積んだ石の数は——
霞んでいた。
記憶の輪郭が、靄をかけたように曖昧になっている。ぼんやりとした断片だけが浮かんでは消える。今朝積んだ壁の手触りだけが、妙に生々しく手のひらに残っているのに、それがどの作業のどの段階だったかが繋がらない。
魔素酔い——魔素を過剰に消費したときに発症する症状。軽度なら頭痛と吐き気、重度なら意識喪失と魔素回路の損傷に至る。光一が初めて大きな建設をしたあの日にも、少しだけ味わっていたはずの、あの霞。でもあの時の比ではなかった。
梯子の柱を、両手で掴んだ。
立てている。でも、それだけだった。
地上から声が来た。セリカの声だった——何を言っているか聞き取れなかったが、声の高さが変わっていた。
次の瞬間、梯子が揺れた。
セリカが登ってきていた。知的な判断より先に身体が動いたのだとわかったのは、後になってからだ。光一の体内の魔素回路が沈黙したことを、魔法使いとしての肌感覚で察知した瞬間——セリカは叫ぶより先に梯子に手をかけていた。
レンが地上で梯子の根本を安定させている。住民が集まり始めた視線を、穏やかに、でも確実に遠ざけながら。何事もないように見せる動き方で、でも目は最悪の場合を既に視野に入れていた。
「光一、手離さないで」
小さな声だった。すぐそこにいた。
セリカが光一の腕に手を当てて、水系の鎮静魔法をかけた。大気中の魔素を緩やかに体の中に引き込み、過負荷になった魔素回路を落ち着かせる応急処置だ。痛みはなかった。ただ、ゆっくりと霞の輪郭が少し薄くなった——完全には晴れないが、地面の感覚が戻ってくる。
スキルは、まだ沈黙したままだった。
「大丈夫、一緒に降りよう。わたしが隣にいるから」
光一はその言葉を受け取れる状態にはなかった。「大丈夫」が今の自分に当てはまるとは思えなかったし、励ましを素直に聞ける余裕もなかった。霞んだ記憶の中で、今朝積んだ壁の石の感触だけが手のひらにある。掌を見ても、何も起きない。その非対称が、言葉にならない形で胸の奥に刺さっていた。
でも、セリカが「降りよう」とだけ言った時。
光一は抵抗しなかった。返事もしなかった。ただ、セリカの言葉にだけ従って、梯子に手をかけた。
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地上に降りると、レンが近づいてきた。
住民の目が届かない旅鶴の寝床の壁際まで移動して、レンが静かに現状を整理した。感情はなかった。ただ事実の清書だった。
「見張り塔、一基未完成。防壁は三分の一が未完です」
光一はその言葉を聞きながら、なぜか旅鶴の寝床の梁を見上げていた。
——屋根の傾斜角の計算が頭に浮かんだ。今ここで梁の角度を確認したところで何の意味もないのに、集中力が崩れた後の習性がいつもの場所に戻ろうとしていた。計算している間は、考えすぎずに済む。だから手が止まった今、頭だけが計算の形を求めている。
セリカがそれを見て、小さく口を押さえた。
笑えない。笑えないのに、なんだか笑えない動作だった。光一が梁を見上げて傾斜を計算しようとしているのが、今この瞬間だけは「逃げ場のなさ」そのものに見えて、セリカは何も言えなかった。
「もう一つ、報告があります」
レンの声が変わった。わずかに、だが確実に。
「今朝の巡回で聞きました。住民の間に噂が広まっています。——ビルディングマスターの力は長くは続かない。この街は、いずれ滅びる、と」
沈黙が落ちた。
「出所を確認しました。第三話の夜から滞在していた商人風の男の名前が浮かびました。焚き火の輪の外で柱の本数を数えていた男です。今朝、姿を消しています」
セリカの顔が変わった。
あの男だ——と光一も思った。セリカが「商売の参考にしたいのかな」と言っていた男。光一は「そうかもしれません」と答えて手帳の計算に戻っていた。セリカの表情に、「あのとき気づいていながら流してしまった」という悔しさが滲んだ。唇を噛んで、視線を地面に落とす。
帳幕院——表向きは交易仲介業を営みながら、各地に工作員を潜伏させて情報操作と世論操作を行う諜報組織で、灰原一帯では以前から暗躍が噂されていた——の動きだとレンは言った。声の中に、感情的な起伏はなかった。でも目が、この情報をいつから疑っていたかを示していた。おそらく昨日から、あの男の行動パターンを頭の中で追っていたのだろう。
「なぜ今、この噂を流すのか」セリカが呟いた。
「暁綴が介入を検討すべき段階に達した、という判断でしょう。街が形になり始め、人が集まり、ビルディングマスターの力が実証された。均衡を乱す存在として、弱らせる工作を始めたのだと思います」
光一は手帳を見ていた。完了できなかった工程表の項目が、線で消されないまま残っている。
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夕刻、光一は一人で陽だまりの広場に出た。
暁綴の市場——灰原の中央付近に光一が最初に建てた交易施設で、屋根付きの露店が十二区画並んでいる——では、今日も住民が夕食の材料を交換し合っていた。恩恵効果が宿っているこの場所では、取引の信頼感が自然と高まる。光一がスキルを使えなくなった今も、すでに建てられたものの恩恵は静かに働き続けていた。
でも、見張り塔は一基未完成だ。防壁には穴がある。
光一は広場の石畳に腰を下ろして、建設手帳を開いた。
何も書けなかった。
完了できなかった工程表の項目が目に入るたびに、ペンを持つ手が止まる。自分一人では守れない——という言葉が、どこからともなく浮かんだ。設計の問題に変換しようとしても、今夜はそれができなかった。魔素回路が沈黙したまま、回路の空白がそのまま胸の中にある。
広場の向こうで、動きがあった。
旅鶴の寝床——三十室の木造宿舎で、恩恵効果により宿泊者の疲労回復が通常より速い施設——の二階の窓に、灯りがついた。オレンジ色の温かい光が、暮れかかった灰原に漏れる。
流民の母親と娘だった。毎夜あの窓を使っている親子だ。娘の方が窓を開けて外を見て、すぐに閉めた。寒いのだろう。外は冷える。でも窓の内側から、灯りが漏れ続けている。
光一が作った窓から、光一が作った灯りが漏れている。
一度も傾斜角を計測しなかった屋根の下で。あの日、セリカに「雨、そんな精密に降ってこないよ」と言われて、むきになって反論しようとしたあの屋根の下で——今夜もあの親子が眠る。
完璧ではない建物が、完璧に人を抱いている。
光一は手帳をゆっくりと閉じた。
それが答えなのか呪いなのか、まだわからない。守れなかったものがあって、建てられなかったものがあって、それでも建てたものは今夜もあそこにある。その矛盾を、どう処理したらいいのかわからないまま、空を見上げた。灰原の空に雲が増えていた。星が少ない。南方の夜闇が、未完成の防壁の向こうで、音もなく動いている。
「光一」
静かな声が、広場に落ちた。レンが隣に立っていた。セリカもその少し後ろにいた。水色の髪が夕風に揺れている。
「今夜中に、見張りを立てる必要があります」
事実だった。反論のしようがない事実だった。
三人の間に、沈黙と緊張が張り直された。未完成の防壁が夜に向かって立っている。斥候の足跡が南の砂の上に残っている。噂が住民の間に広まっている。それでも窓の灯りは消えない。
光一は立ち上がった。手帳は閉じたままポケットに入れた。
「割り振りを教えてください。俺も入ります」
レンがうなずいた。セリカが小さく息を吐いて、また光一の隣に並んだ。